第12歯 不甲斐ないキューピッド
この国には、たくさんの顔があるようだ。
緑辰隊の管轄を抜け、隣街に入るとあたりは急に薄暗くなった。
紫巳隊の管轄に含まれるこの街には、宵闇以外の時刻がないという。
日に焼けないためか、すれ違う人の多くは楊のように肌が白い。
長い帯が特徴的な彼らの装いは、優雅に泳ぐ魚を想像させる。
薄闇を行き交う人々は、まるでネオンのように色とりどりに賑やかだ。
「きれい…!」
目移りして、人混みに流されそうになる。
もたもたする蛍の手を引いたのは、意外にも姫魅だった。
「大丈夫?」
「え、ええ。ありがとう」
姫魅は前を向いたまま、「うん」と小さく答えた。
(恋する乙女に責任を感じているのかしら?哀れんでいるのかも?まさか、私に好意がある、なんて…)
姫魅にちらっと目を向ける。
中性的な容姿に喉仏を見つけて、ふと異性を意識する。
(変に意識しているのは私のほうかしら?)
蛍は自嘲した。
優しくされたくらいで、大袈裟に考えすぎだ。出逢ったときから、姫魅はお人好しではないか。
(我ながら、徹底した役作りね)と苦笑する。
蛍が小さく深呼吸すると、イチが踵を軸にくるっと振り返った。
「蛍ちゃん、大丈夫?ゆっくり歩こうか?」
「え?あ、いえ!大丈夫です!えっと…?」
イチの隣で、なにやら慰鶴がパチパチとウインクを繰り返している。
蛍と目があうと、慰鶴はにっと白い歯を覗かせた。
嫌な予感がする。
「蛍は、この街は初めて?」
「ええ」
「そっかあ、うん!そっかあ」
慰鶴は何度も頷くと、イチの腕にぎゅっとしがみついた。
「迷子にならないように、もっとぎゅーっと手を繋がないと!」
「イッ?!痛い痛い!ちょ、慰鶴!力加減!」
慰鶴はウインクをすると、小さくガッツポーズをとった。
なんてずさんな愛のキューピッドだろう。
恥ずかしさからか、姫魅は少し頬を紅くしている。
それでも蛍の手を離さないのは、姫魅なりに蛍を心配しているのだろう。
ちなみに背が高いイチが良くも悪くも目立つので、蛍が迷子になる心配はない。
「なあなあ?姫魅は蛍のこと、好きなのかあ?」
「ブフッ!」
「べ、別に!まだ出逢ったばっかりだから!わ、わからないよ!」
「ふうん…じゃあ、女の子は好き?」
「ブハッ!」
「い、慰鶴!」
イチが腹を抱えて笑う。
(イチさんは案外、笑い上戸…)
涙目になるイチの隣で、慰鶴が満足げに頷いている。
姫魅はそっぽを向いて、蛍と目をあわせようとしない。
見守るように後ろを歩く楊は、頬に指を添えて「あらん」と微笑んでいる。
それぞれの顔を見回して、蛍はぼんやりと振り返った。
まるで今までの孤独を埋めようと、誰かが出逢いというボールをやけくそに投げつけてくるようだ。
(こんな変化球ばっかり、受け止めきれないけど)
忙しなく出逢いが続いて、物事がトントン拍子に進んでいる。
喜ぶべきだが、正直なところ現実味が湧かない。
大きな門に辿り着くと、イチは蛍の顔を覗きこんだ。
イチが掴みどころのない笑顔に、僅かに悲しみを滲ませる。
彼は「がんばった」と言って、蛍の頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「もう大丈夫だよ」
蛍がハッと顔をあげる。
「さて、野郎は去ると致しますか」
「素っ気ないわねえ…少し寄っていかなぁい?」
楊がため息を溢す。
「まだ、仕事が残ってますので」
右手に姫魅を引きずり、左肩に慰鶴を抱えて、イチは踵を返した。
「蛍、まったねー!」
「慰鶴、ありがとう。またね」
慰鶴が両手を大きく振るので、蛍も小さく手を振り返した。
姫魅はぽつりと「また」と呟いて、赤らむ頬を隠すようにそっぽを向いた。
「ありがとう、姫魅!また会えるのを楽しみにしているわ!」と蛍は努めて微笑んだ。
イチ達の姿がふっと消える。
氷の粒がきらきらと舞うのを蛍が眺めていると、楊が優しく抱きしめた。
「ここからは、女の時間よん」
大きな門には、達筆で「楊」と書かれている。
「ようこそ、蛍ちゃん」
さて、楊の自宅にやって参りました。
慰鶴は怪力ですね。イチさんは青アザ間違いなしです。