干物の町
魔王シルエの魔法に導かれ。‥というか木の葉を辿ってようやく森の中から脱け出た時、昇っていた太陽は山の影へと隠れてしまっていた。
剣の重さはシルエの魔法で全く問題なかったのだが本来、家でゴロゴロしていただけの分際。体力などある筈がない。森を脱け出た時には体力ゲージは勿論。HP。NP(あるかどうかはさて置き。)あるもの全てが瀕死状態となっていた。
「はぁ‥ぁ‥し‥しぬ‥」
重さ皆無の剣を杖が代わりに、ヨロヨロ。ヨボヨボの足取りでまた一歩。ようやく足を進められた。
「狂夜さん。やりましたよ。終わりました。町です。町はもう目の前です。」
同じ体力を消耗していた筈なのに前を行くシルエは元気な声を弾ませる。
「‥ぁ‥あぁ‥」
だが、既に死にそうな俺にシルエの言葉など届いてはいない。何か言ってるな?程度に認識しただけ。まさかこの森がこんなに深かったとは思ってもいなかった。‥いや、一般の森がどの程度かなんて知らないのだけど‥。
幸いな事に森の中でモンスターやら怪物やらその他、敵となりうる存在に出くわすようなことは無かった。‥無かったのだが全てのゲージは赤色。点滅。マジで勘弁。
それなら途中。休憩を挟めよって話なのだがコレは俺の我が儘だ。休憩を挟んでしまったら今日中に森を脱け出ることは不可能。そうシルエに言われたのだ。
別に野宿くらいどうってことない。風呂に入らなければ死ぬとか。フカフカなベッドじゃなければ眠れないだとか。ちゃんとしたご飯を食べないとヤバイとか。‥いや、それはあるかもしれないが。なんせ飯食いに行こうとした瞬間に殺されたわけだから。うん。お腹ペコペコ。元気が出ない。
というのはさて置き。
野宿くらいできるのだがそれは通常。安全な所に限るという話。夜になれば野犬ならぬ野獣が襲ってくるなどと言われれば何がなんでも出たい。出なければと思うのが人間だ。
という事情もあり。歩き続けていたのだがどうやらその時間もようやく終わりを迎えたようだ。それはシルエの言葉が届いたからではない。三秒に一歩ペースで意思とは関係なく足を前に進めていたら見える地面が変わったのだ。
「‥お‥。おぉ‥」
思わず声が漏れていた。一生、脱出が不可能と思われた森が遂に終わりを迎えたのだ。当然の心理。
「お疲れ様です。狂夜さん。さっそく宿屋を探しましょう。」
瀕死の状態で立ち尽くす俺にシルエがにっこり。笑顔を向けてくれる。
「あ、あぁ。そうだな。じゃぁ、早速‥」
森を脱け出た事に心に余裕が生まれたのだろう。さっきから何かを言っていたシルエの声がようやく耳に通った。
と、それと同時に何とか繋ぎ止めていた緊張の縄が解けてしまった。
「‥れ?」
足を前に出した瞬間。目の前がグラつき、体が前に倒れる。そして次第に意識が無くなって‥
ドサッ。
俺の体はその場に土煙を撒き散らし、倒れた。
「狂夜さん!狂夜さん。しっかりしてください。狂夜さん。」
シルエは焦る声音を狂夜の耳と脳によく響かせた。だが、狂夜の瞼が上がる事はなかった。それでもシルエは狂夜の名前を大きく呼び掛ける。
「狂夜さん。狂夜さん!」
ただの疲労。体力が限界に達し、脳が自動的に意識を遮断させたのだ。命の問題など勿論ない。
体力の回復魔法。それを掛ければ直ぐに狂夜の体は元に戻り、立ち上がる。
そして勿論、サポート魔法のエキスパート。シルエには、その魔法を掛けることができた。
‥のだが。いきなり隣横で倒れた事によってシルエの状態は混乱に陥っているという状態。自分でどうにかするなど頭の隅にもない事柄だった。
「‥狂夜さん。目を‥目を開けてください。‥私、一人ぼっちになってしまうじゃないですか‥。狂夜さん‥」
涙目。真紅の両目にキラリ。光るものが浮かび上がる。
と、そんな時。
「ん?この町に客人かい?」
長く伸びた髪を一纏めにした活気のいい中年女性が声を掛けてきた。
「あっ‥あの?狂夜さんが‥。狂夜さんが‥」
「お、おぉ。狂夜?ん?そこに寝てる青年のことさ?」
泣すがるシルエを前に女性は狂夜の方へ目をやった。
「‥事情はよく分かんないけど家に来るかい?困ってるんだろ?」
女性は寄りすがってきたシルエに優しく手を乗せ、やはり優しくそう言った。
「‥はい。お願いします。」
頭を撫でられた為か、ようやくシルエも冷静になれた。狂夜はただ疲れただけ。そう、ようやく気付く事ができたのだ。
「はいよ。‥ただ、この町もちょっとした問題を抱えていてね。大層な歓迎はできないさね。それを頭に入れといてくれさ。」
「問題‥ですか?」
意味深な女性の言葉。その言葉を聞き逃さなかったシルエはハテナ?と、首を小さく傾げた。
「まぁ。それは、この青年を家に寝かせてからでもいいさね。よっこらせ。」
女性は軽々しく狂夜の体を持ち上げ、肩に乗せた。
「‥あぁ~。私。私‥重力操作魔法掛けれます。‥あっ、回復魔法も掛けれました。貴婦人。貴婦人~。」
パッパと物事を進めていく女性にシルエは慌てた声を響かせる。それでも女性は足を緩めない。
「魔法?重力操作魔法?それは便利なモノ使うんだね。」
と言っただけで狂夜を下ろそうともしない。
そんなんだからシルエは慌てて女性の背中を追い掛けるしかなかった。
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グツグツ。
何やら食欲を駆り立たせるような良い匂いが腹を刺激させている。これはオチオチ寝ている場合ではない。
‥てか、アリ?何で俺は寝ているんだっけか?
まぁ。今はそんなことどうでもいいか。
「‥ん?ここは?」
見知らぬ天井。見知らぬ匂い。聞いたことのない声。‥いや、よくよく耳を澄ませばシルエの声が聞こえる。どうやら見捨てられた訳ではなさそう。
‥いや。待て。始めに会った時のシルエは別のシルエ。俺を油断させる為に優しいフリを装っていたのかもしれない。それならばここは魔界。魔王城。俺を気絶させて、ここまで運んで人体実験?捕食?異邦人ゆえの解剖?
‥まぁ。そんな筈なく。
「あぁー。狂夜さん。目が覚めたんですね!!良かったです。」
目が覚めた瞬間。飛び込んできたのはそんな歓喜の表情。声を上げるシルエだった。魔王の欠片もありゃしない。
「回復魔法なら私も掛けれたんですけど。やはり体の疲れは本来。自然に任す方がいいかと思いまして‥。で、大丈夫なんですか?どこも問題ないですか?痛みとかは?あっ、お腹とか空いてます?」
「あぁー。分かった。分かった。心配掛けて悪かった。」
起きて早々。言葉攻めを仕掛けるシルエを手で抑え、俺は状況整理をすべく軽く辺りを見渡した。
「やぁ。もう平気なのかい?」
ざっと辺りを見渡しているところ。木製の椅子に腰掛ける女性にしては大柄なだが背丈はそこまで高くない。というか低い。そんな女性と目が合った。
「あっ‥はい。えっと‥」
状況が読み込めない。寝起きのせいもあるが、前の記憶も曖昧なゆえにピースが合わせられない。
「あんたは倒れてたんだ。まぁ、気付いてるだろうが疲れてたんだろうね。そこのシルエに聞いたさ。あんた達、森を脱けてここにきたらしいじゃないか?」
「‥森?」
女性の台詞でポツリ。ポツリ。消えた炎が点き直すよう、前の記憶が思い出される。
「じゃぁ、ここは町?」
記憶の炎が全て浮かんだ瞬間。声が口から溢れ出ていた。
「そうさね。ここは大地の町。名をサラハ。成り上がりの冒険者様にはもってこいの場所かもしれんね。」
よく響く声音。聞き取りやすい声を部屋中に響かせると女性は椅子から腰を浮かした。
「そうか‥辿り着いてたのか?」
「私はこの町の民。名をサテンという者さね。」
まだ現状を完全には理解できていない俺に構わず、女性は自身の手を前へ差し出してきた。
「あ‥はい。俺は狂夜。森岡狂夜です。」
少し緊張した声音を口に自身も手を前へ突き出す。握手を求められたというのに無視はできまい。
「もりおか‥?きょうや?変わった名だね?異国の者かね?」
「あっ‥はぁ。そんなところです。」
女性の手とは思えない程のゴツゴツ。硬い手に握られながら、軽く首を振るう。
女性が言う異国の意味は勿論、あっちの世界の意ではないことは知っていた。
「で、こっちが。」
「あぁ。シルエは大丈夫さ。魔族なんだって?遠い所からはるばるご苦労なこっちゃ。」
女性‥サテンさんの手が離れるが否、シルエの事を言おうとしたのだがどうやら先に終わっていたらしい。だが、少し気になるワードが?
「あぁ。遠い‥?」
が、その声は小さかった為に二人には届いていなかった。まぁ、そこまで気になることでもないので受け流したのだが。
そう言えばこの世界の地理に関しては何も聞いていなかった。時間がある時にでも聞いてみるか。
「きょうや。あんた、お腹減ってんだってね?ウチの連中ももう直ぐ帰ってくるさね。こっちに来て一緒に食事にしな。」
一人、考えの中に意識を集中させていると大きな声音がそれを邪魔する。見るとサテンさんが実に人のいい笑顔で手招きしているのが見えた。
「あ‥はい。では、、遠慮なく‥。」
そう言えば夜飯まだだった。昼もお金無かった為にそれと言った食事を摂っていない。今、胃の中は胃酸しかないとさえ思える。
ググゥゥ~‥
意識したら腹がそれを証明するよう。大きな音を鳴らした。
「ははは。沢山、作ったからたんっと食べるといいさ。」
「す‥すみません。」
豪快な笑い声を響かせる女性に恥ずかしい思いを感じながらも礼のつもりで頭を下げる。
と、それと同時に。外の方から男性。それと幼い男女二名の声が近付いいていることに気付いた。
「タイミングバッチシさね。」
サテンさんがバチンッ。大きな手で大きな指音を鳴らす。
それから数十秒後。
「今、帰った。」
「ただいま~。」
「ただいま。お母さん。」
扉が開き、外から背丈の低い。長い髭の生えた男性。これまた背丈の低い、見るからにわんぱく小僧という表現に相応しい少年。それからやはり背丈の低い。こっちは比較的大人しそうな少女が中へ入ってきた。
「お疲れ様さね。お腹空いただろうに?シチュー出来てるから席に座りな。」
サテンさんは優しい声音を響かせ、中に入ってきた三人に空いた席を勧める。
が、席は五つ。俺とシルエがそれぞれに座ってしまった為に一人分の席がない。
「あぁ。俺が退きます。すみません。どうぞ。」
素早く。椅子から立ち上がり、席を譲る。遅れてシルエも立ち上がったが、別にお前はいいだろうと席に着き戻す。
「珍しい。客人か?」
髭を生やした男性は髭を擦りながらサテンさんに言葉を投げる。
「そうさ。道で倒れてたものでね。家で休ませていたところさね。」
「そうか‥」
男性はそう呟くと俺が空けた席に腰を下ろした。
「それで‥食事も?」
「あぁ。それは今からさ。皆、帰ってくるのを待ってたんだ。」
「‥そうか。」
男性の声。表情。それがあまりいいものではない事に俺は気付いた。
まぁ、家の主不在時に勝手に客人を呼んでいい気はしないのは頷ける。だが、俺が気になったのはその言葉。
食事も?
と、始めに訊き、サテンさんの言葉を聞いて返事を呟かせたところである。
「‥あの?事情がおありなら無理はしない方が‥。見ず知らずの俺達を家に招いてくださったことだけでも助かりましたし。その‥食事までもお世話になるのは‥」
そうは言うものの、体は正直で腹は訴えを止めてはくれない。
「はは。何を言ってるさ。腹空いてんだろうに?遠慮せずに食べるさね。」
気前のいいサテンさん。だが、それとは対照的に座る男性は難しい顔を刻んでいる。
「あ‥いや。そうは言っても‥」
この家の主がそんな顔をしていては軽い調子に箸が持てない。‥机に置かれるものは木製で造られたスプーンなのだが‥。
「そう言えばサテンさん。申しておられましたよね?この町は問題を抱えていると?」
「問題‥?」
俺の様子を見て考えたのだろう。シルエがここぞと言わんばかりにそんな言葉をサテンさんに突き出した。
「あ、あぁ。その事さね。」
そこで今まで気前のいい声音ばかりを弾ませていたサテンさんの声音が若干、暗くなる。そして男性に目配らせ。何かの確認らしきものを。
待つこと数秒。
「‥実はこの町さ。水。食料共に不足しているんさね。」
観念したようにサテンさんの口から台詞が溢れる。
「そっ‥それはいつから?」
すかさずシルエがそう言葉を。
「もう五ヶ月にもなる。私達もさっき様子を見に行ったが駄目だった。」
答えたのはサテンさんではなく、その横に座る男性。実に暗い声で呟き、ゆっくりとした動作で首を横に振るっていた。
「駄目って何が?」
今度は俺が問うと男性。サテンさん。共に声を重ね。こう答える。
「「土砂竜。」さね。」
「‥土砂竜?」
首を捻る俺を差し置いてシルエがすかさず言葉を挟む。
「土砂竜?土砂竜がどうかしたんですか?」
何故か声には勢いがある。何か不可解な事でも感じたのだろうか?
「どうもこうもその土砂竜が道を塞いでいるんだ。そのせいで私達はその先に進めない。その先にはオアシスがあるというのに。私達はかれこれ五ヶ月そこに行けないでいるんだ。仲間も何人かやられた。蓄えの飲食料も底を尽きかけている‥。私達はどうすれば‥」
「あんた‥」
愚痴を零すようにこの町の現状を話す男性。サテンさんが何を思ったかは知らないが優しく男性の肩を叩いていた。夫婦というものは共に支え合う関係。それを今、正に目の当たりにした。
とは言え、そんな事情があるのならせっかく振舞われた食事だが断るしかない。サテンさんもそれを見越して言わないでいたのだろう。
「そんな!ありえません!」
「どうしたんだ?お前は何をそんなに焦ってるんだよ?」
食事の件はどうであれシルエの様子がさっきから変である。土砂竜と聞いた辺りから何やら慌てているようだが‥。
「土砂竜は竜の中でも穏便な方なのです。人間の行く道を遮るような。ましてや襲うような事は絶対にしないのです!」
酷く焦った顔が目の前に突きつけられる。何をそんなに‥。とは思うも必死さは十分に伝わった。
「急にそういう気分になったんじゃねぇの?竜だって生物だかんな。性格だって変わる時は変わるだろ?」
それは自分の経験でもある。人も変わるなら竜だって同じだ。
「‥それはそうかもですけど。」
納得半分といったとこ。曖昧な返事をシルエは返す。
‥とは言えそれは困った。
「シルエ。その先に行くためにはその道を通らなければ行けない?そうか?」
「‥はい。」
バツの悪そうな表情でシルエが返事を返す。
「はぁ~。そうか。」
溜息を大きく吐き出す。本当に心の底から溜まった息を吐き出した。
そして頭をボリボリ。数回掻いてからこう言うしかなかった。
「やるか。」
「‥はい。」
全く同様。シルエの返事が首と共に動く。それと同時。俺も足を動かし、サテンさん達が座る場所へと改めて顔を向ける。
「あの‥やはりその食事頂いてもいいですか?」
「勿論さね。遠慮はいらないって言ったさね。」
「・・・・・・。」
サテンさんは相変わらずだが男性の方はそうはいかないと言った様子。
だから、俺は台詞を後から付け加える。
「土砂竜退治。その前に力付けておきたいんです。」
台詞後、男性の顔は上に上がる。目を丸く。驚いた表情で俺を見る。
「‥正気か?」
「俺達もその先に用があるので。」
「ならば町の皆と‥」
「あっ、それはいいです。俺とコイツでいきます。」
シルエがペコリ。小さく頭を下げる。
「奴は強いぞ‥」
「承知してます。」
土砂竜という言葉だけでも弱いわけがない。第一、弱かったらそんな問題をこの町は抱えていないだろう。
「だが、やはり‥」
「ここに来る前にも一匹。俺は龍を倒しています。」
「なっ‥」
紛れもない事実。このタイミングで言えば虚言に感じるだろうが‥。
「本当か?」
真剣な眼差しで問われる。だから俺もそれに倣い、口を動かした。
「はい。」
それから数秒。男性は目を閉じて天井に顔を向けては自前の髭をなぞり黙考した。
「‥頼む。」
静かに。小さな声音。男性の頭が机にゴツンと乗せられた。
「はい。」
俺は優しく微笑むようにそう答えた。それから既に盛られたシチュー皿を手に受け取る。戦前の食事の大切さは世界が変わっても変わらないものだ。
だが、あっちの世界の面接とは違い、こっちの戦いでは命を堕とす。それを胸に。俺はサテンさんが作ったシチューを二杯もおかわりした。