シャルドラと緑の巨人
前半三人称・後半一人称です
――〈グリーンジャイアント〉。
それはジャラの大森林の地中深くに眠る巨大な魔物である。
森林の養分に飽きたその魔物は特定の周期で地上に這い出て、人里を襲い、人を食らう。
普通は10日前ほどに「予兆」が観測されるはずだが、今回はそれが一切なかった。
巨人の侵攻としては明らかに周期はずれ、異例中の異例である。
しかしシャルドラの民はそのような非常事態にも対処できるように訓練を怠ってはいなかった。
市民は迅速に避難をはじめ、戦士は戦いの陣を敷く。
年に一度の総力戦の始まりだった。
草木も眠りについた夜の大森林。
その静寂が破られたのはプリムローズの避難指示から数分後のことであった。
ドン、と下から突き上げるような音とともに、大地が微振動をはじめる。
ドン、ドン、とその音の間隔は次第に狭くなり、揺れも徐々に大きくなっていた。
森の木々はまるで台風にあおられているかのように揺れ、止まっていた鳥たちはいっせいに逃げ出した。
その揺れが最高潮に達すると、形容しがたい轟音とともに地面が隆起し、木々を根元からなぎ倒して、巨大な2つの「手」が森から突き出てくる。
その手が力強く上から下に大地を押さえつけると、いよいよもって上半身が地面から飛び出してきた。
木の根が密集したようなその化け物は人の姿を形どっており、まるで瞳のような2つの赤い点が顔の部分に怪しく輝いている。
匍匐前進のように地中から這い出たそいつは、とうとうその全身を地上にさらけ出した。
地震を発生させながら両手を伸ばし、ゆっくりと直立した〈グリーンジャイアント〉。
その姿は例年よりもはるかに荘厳、天にも届かんばかりの大巨人だった。
◇◆◇
シャルドラ正門前の最前線には赤と青、2色の鎧の集団が綺麗に隊列を組んでいる。
先頭に四角く整列している彼らは〈火炎部隊〉と〈消火部隊〉。
騎士団と冒険者の混合部隊で、炎の魔術と水の魔術のエキスパートである。
そして彼らの後ろに乱雑に配置されているのはEランク以上の冒険者たち。
残りの騎士団が都市の各入り口を固めている。
さて、この巨人侵攻であるが、実は巨人自体にそれほど苦戦するというわけではない。
というのも、〈グリーンジャイアント〉は炎の魔術に滅法弱く、〈火炎部隊〉が魔法を命中させればあとは消火と〈大掃除〉を残すのみである。
長い歴史の中でパターンが確立しているのだ。
「火炎部隊、構えっ!!!」
〈火炎部隊〉を仕切る女性が手を上に突き出して支持を出す。
彼らがそれに習い、いっせいに手を天に突き上げ、詠唱を開始すると、上空に小さな火の玉が出現した。
詠唱が進むにつれてその火の玉はどんどん熱を増して巨大化し、最後にはまるで太陽のような火球が誕生した。
「放てっっ!!!」
突き上げた手を巨人に向けて振り下ろした指揮官に従い、〈火炎部隊〉はその業火を遠くの巨人に向けて放つ。
隼の如き速度で直進する火球は完全に巨人をとらえており、誰もが直撃を確信した。
しかし、その火球が巨人にぶつかることはなかった。
巨人にぶつかる直前、なにか薄い膜のようなものに阻まれた炎は本体を焼くこともなく、不思議な力にかき消されてしまったのだった。
少し知識のある魔術師たちはこの現象をすぐに理解する。
この巨人は魔術耐性を持っているのだ、と
◇◆◇
自分が攻撃を受けたと理解した巨人は火球が放たれた方を向く。
そこに人間の街があることを悟った巨人は、口はないもののニヤリと笑ったかのようだ。
するとそいつは、根でできている足をぐっと曲げた。
シャルドラの民がその光景を呆然と眺めていると、衝撃的な事態が起きた。
――巨人が跳躍した。
轟音と共に宙に投げ出された巨人は、森の切れ目あたりに着地する。
今日一番の激しい揺れが襲い掛かり、人々は跳ね上がった。
巨人は寝そべればシャルドラに頭が届かんばかりの距離にいる。
ーーシャルドラはもう終わりだ。
そのような絶望的な思考が人々の脳裏をかすめる中、一人なぜか喜ぶ男がいた。
〈巨槌のダンガボルト〉その人である。
彼は巨人が跳躍した瞬間にいち早く奴に向かって走りだしていた。
ダンガボルトがドシドシと地面を鳴らしながら歩みを進めるごとに、彼の身体がどんどん膨れ上がっていく。
そして巨人に相対する頃には、その肉体は相手のひざ下ぐらいまで成長していた。
彼の固有魔術〈巨大化〉である。
「いざ、勝負!!」
シャルドラに侵攻しようとしている巨人の右足に、巨大化したダンガボルトががっぷり四つにしがみついた。
ドン!と空気が破裂するような音とともに、ぶつかった両者。
「ぬおおおおお!」
両足で踏ん張り、全身全霊でその身をもって巨人の力を受け止めるダンガボルト。
まるで巨人の親子の対決のようだ。
魔術のきかない相手に肉体で挑むという極めて合理的な戦法である。
巨人がダンガボルトを払い除けようと右手で殴打を食らわせるものの、彼の分厚い筋肉の鎧はそれを耐えしのいだ。
しかし大きさの違うダンガボルトはやや劣勢、徐々に土を巻き上げながら後退しており、じり貧であった。
◇◆◇
ダンガボルトが巨人相手に単身奮闘している最中、上空には箒に乗ったキリリカの姿があった。
彼女が箒に乗り始めたのはつい最近であり、リリの姿をみて可愛いと思ったからである。
さて、彼女の二つ名である〈無限詠唱〉には2つの意味があった。
一つはキリリカの底なしの魔力を表したもの、もう一つは彼女が20もの固有魔術を使いこなすことに由来している。
今回の相手はバカみたいな魔術耐性を持っているため、魔術師では太刀打ちできないと思う人も多いだろうが、キリリカには対処する術があった。
「……出でよ、ゾウさん」
ダンガボルトが時間を稼いでいる間に詠唱を終えたキリリカはそう口にした。
すると空中にネオンのような光を放つ魔法陣が出現し、その中からけたたましい叫び声とともに巨大な象が降臨した。
金の輪をその禍々しい牙に飾りつけた戦象は、キリリカのローブと同じ赤と金を基調とした鎧に身を包んでいる。
その大きさは巨大化したダンガボルトと同じくらいであり、片足で地面を何度も後ろに蹴り上げ、完全に戦闘態勢だ。
「……行け」
キリリカの支持を受けたその巨象は、助走をつけて走り出し、巨人の手前で跳躍して、相手の腹のあたりに渾身の突進をぶちかました。
これには巨人もひとたまりもなく、森の絨毯にものすごい音を上げながら尻もちをついた。
その結果に満足したのか、巨象は月に向かって雄たけびを上げた。
◇◆◇
森の中にはハリベルがいた。
彼女はこの〈グリーンジャイアント〉の身に何が起きているのかをようやく把握することができた。
「あのトムとかいう男、〈禁薬・暴樹〉なんてどこで手に入れやがった……!」
――禁薬・暴樹。
それは古の時代、精霊を使役する人間がいた頃生み出された外法の薬である。
その薬は精霊術師が〈緑の精霊〉を文字通りすり潰して作り出したものであり、植物の進化をゆがめ、魔物を生み出す効果を持つ。
取り調べの結果トムはそれを地中に埋めてグリーンジャイアントの養分にし、混乱に乗じて国外逃亡する算段だったと白状した。
「緑の精よ、この哀れな魔物を鎮めるために、力をかしておくれ」
ハリベルは優しく森の木々たちに語り掛ける。
ざわざわと木々が揺れ、まるで美貌のエルフの問いかけに答えているかのようだ。
するとジャラの大森林の木々たちがキラキラと輝きながら、その枝草を巨人にむかって伸ばし始めた。
成長した新緑は尻もちをついた巨人に徐々に絡みついていき、その手足を封じ込めた。
ダンガボルトに組み敷かれ、巨象に頭を踏まれ、木々に動きを封じられた巨人は暴れることもままならなくなっている。
しかしその状態も長くは続かなかった。
固有魔術には対価がいる。
ダンガボルトとキリリカにそれを支払う時間がとうとうきてしまったのだ。
ダンガボルトの対価は、巨大化した大きさ、時間に比例して歯が欠けたり抜けたりする。
彼は今回限界まで力を使ってしまい、もう歯がボロボロで、踏ん張りがきかなくなっていた。
そしてキリリカの対価は睡眠である。
使った魔力が大きければ大きいほど眠気が襲ってくる。
今回の魔術は彼女が扱う中でも1位2位を争う燃費の悪い魔術であり、もはや意識を保つのが難しくなっていた。
巨象が消えかけ、ダンガボルトが力を緩めたとき、巨人はフルパワーであがき始めた。
ブチブチとまとわりつく枝草を引きちぎり、反撃に出ようと試みている。
そんなとき、巨人に近づく何かの影に人々は気づく。
それは<天糸の絨毯>に乗ったヤマトと串刺しのパルフィーユだった。
◇◆◇
――時は少し遡る
「なんだ、今のは!?」
プリムの警報を聞いた俺は事態がまったくのみこめていないでいる。
しかしバーバラ商会のメンツはいち早くこの事態に反応した。
「まずい、速やかに避難しないと!」
「大変なの!」
「なんでこんな時期に侵攻が!?」
どうやら3人は慣れているようで、迅速に荷物をまとめ始めた。
〈グリーンジャイアント〉とは確か大森林に眠っている魔物だったか。
そういえば以前パルフィーユさんに説明を受けたが確か二か月後に侵攻があると言っていたはず。
なるほど、緊急事態というわけか。
取りあえずジャネットにみんなの荷物を収納し、外に飛びだした俺たちは、騎士団の指示に従って避難を始めた。
途中で下から突き上げるような大きな揺れが襲い掛かってきて、日本にいた時の地震を思い出した。
赤レンガの建物の中には崩壊するものも出てきてしまっている。
「いつもこんなんなの!?」
「いや、これは例年より数倍でかいぞ!」
とりあえず南門まで誘導されるらしいので人の流れに身を任せていると、プリムの姿を見つけた。
「プリムさん!」
「あっヤマトとその仲間たちじゃない!」
ヒラヒラと飛んできた彼女は俺の頭に座った。
「今どんな状況なんですか?」
「今回はかなりやばいわ。 聞き耳を立ててみたけど魔術がきかない変異種らしいのよ」
どうやら魔術の効かない<グリーンジャイアント>など過去に例を見ないらしく、シャルドラ始まって以来のピンチらしい。
せっかくトムをお縄にしたのに、こんなことって……。
俺はこの都市に来てまだ少ししか時間がたって居ないがこの街には愛着がある。
大切な人がたくさんいるこの街を守るため、何か俺にできることはないか。
そう考えている俺の視界は、住民に避難の支持を出していたダンディーな男をとらえていた。
◇◆◇
「ヤマト殿! 本当にあの化け物を魔術なしで貫く術があるのか!」
「あります!」
<天糸の絨毯>にのった俺とパルフィーユさんは一直線に巨人の方を目指した。
シャルドラの城壁を抜けた後、すぐに状況が目に入ってくる。
巨大化したダンガボルトさんが巨人を組み敷いており、近くには大きな象がいて、森の木々が異常に成長している。
……なんだこのシュールな絵面は。
大地を大きく揺らしながら暴れる巨人は、どうやらもう少しで拘束を解いてしまいそうだ。
「むう、なんと面妖な……」
「よし、ギリギリまで近づいてこいつをぶっぱなしましょう」
そういって俺が取り出したのは台車がついた大きな鉛色の筒。
ジャネットが持っている最後の武器、<光線大砲アルタイル>だ。
こいつは尋常じゃないくらいのエネルギーを込めた弾を発射する、まさにとっておきの代物である。
撃つのに少々溜めが必要なので、あいつの動きが封じられている今が絶好の機会だろう。
「パルフィーユさんお願いします!」
「承知した!」
灰色の髪の騎士が俺の肩にそっと手を当てた。
「弱点看破!!」
パルフィーユさんがそう唱えると、俺の身体が彼の魔力に包まれた。
その状態で巨人を見てみると、人間でいうところのちょうど心臓の真下あたりに青い点が出現した。
「ヤマト殿、青い点が見えまするか?」
「はい、ばっちり!」
「そこが奴のもっとも弱き点ゆえ、そこに<あるたいる>とやらを使ってくだされ!」
あそこか……。
俺は絨毯で〈アルタイル〉のロックがかかるところまで巨人に近づき、奴の弱点に狙いを定めた。
エネルギーの充電は既に開始しているため、準備が終わるのを固唾を飲んで見守る。
しかし巨人はその時を待ってはくれなかった。
草木の拘束をすべて引きちぎり、ダンガボルトさんを押しのけた巨人は、そのバカでかい腕を振りかぶり、俺に殴りかかってきた。
やばい、死ぬ!
パルフィーユさんが俺の前に出てかばってくれるも、さすがに無理だとあきらめかけ、目をつむった。
――しかし巨人の拳は俺たちに届かなかった。
見えない壁が出現し、あいての剛腕をはじき飛ばしたのだ。
「俺が修行に行っている間にとんでもないことになっておるな」
「バルドールさん!!」
目の前には、空中で直立したバルドールさんの姿がある。
助かった!
巨人が怯んだ丁度そのとき、<アルタイル>から発射可能を告げる音が鳴った。
「いけえええええ!」
〈アルタイル〉から巨人の弱点めがけて巨大な光弾が放たれる。
その弾は相手の魔力障壁に阻まれることもなく、ブチブチと何重もの根でできた肉体を貫き、体内で何かにぶつかると同時に大爆発を引き起こした。
爆炎が怪物の身を包み、闇夜を明るく照らしながら黒煙を吹き上げる。
この世のものとは思えない悲鳴を上げた緑の巨人はその体を保つことができなくなったのか、土砂崩れのように朽ち落ちた。
もう二度と動き出すことはないだろう。
「やった、成功だ!」
「おお、凄まじい威力!」
「よくやった! ヤマト!」
これで戦いは終わりかと思ったそのとき、森の中がなにやら騒がしいことに気が付く。
よく目を凝らしてみると、一匹のオークが森から飛び出してきた。
そいつに続いて、雪崩のように異形の怪物が森から押し寄せてくる。
「なんですか、これ!?」
「うむ、巨人が悲鳴を上げると毎年なぜか森の魔物が暴れて飛び出してくるのだ」
「大丈夫なんですか!?」
「大丈夫だ、そろそろ号令がかかる」
そうバルドールさんがつぶやくと、街の方から確かに声が聞こえてきた。
「シャルドラの冒険者共、突撃ー!!!」
それは爆音のプリムローズのバカでかい声だった。
その声を合図に街の方からシャルドラ中の冒険者たちが魔物に向かって走り出している。
魔物と人間が衝突し、今宵最後の大戦が始まった。
よく見ると先陣を切っているのはヒルダさんで、一瞬で10匹くらいの魔物を葬っていた。
上空ではプリムが<シャルドラ冒険蛮歌>を熱唱している。
この尋常じゃない士気の高さはあの人の仕業か。
「どれ、俺らも参加するか」
「承知!」
バルドールさんとパルフィーユさんは参戦するみたいで、結界にのって降りてしまった。
そうだな、俺は怪我人を治療するために衛生兵のいるところまで移動するか。
◆◇◆
――やがて戦士たちは魔物をすべて殲滅することに成功し、巨人狩りはシャルドラの大勝利で幕を閉じた。
ジャネットの治療のおかげで死傷者を最低限に留めることができ、ヤマトの名は改めてシャルドラ中に知れ渡ることになる。
この夜の戦は吟遊詩人達の手によって後世に脈々と語り継がれ、「エルフィスの使いの鉄槌」と言う題目でシャルドラの民に末長く親しまれることになった。




