第十八話:後悔と無力
日が沈み、月が顔を見せ始める。
いや、月は隠れてなんかいなかった。
俺が気づかなかっただけ。
秋乃だって、幻じゃない。
何処にいるのか、分からないだけだ。
しかし──。
俺は走り疲れて公園のベンチに身を放り出すようにして座った。
見覚えのない場所だった。
ブランコなどの遊具が申し訳程度に設置されている以外は広場になっていて、全体的に閑散としている。
目を凝らすとその先は森林になっているようだった。
暗いのでよくは分からなかったが、立ち入ってはいけない雰囲気だけは十分に伝わってきた。
俺はそこから目を逸らし、出口へ向かうために立ち上がった。
夜の公園で寒気を感じ、腕をさする。
鳥肌が、立っていた。
柄じゃない、とその身を奮い立たせようとしてみても寒気から逃れることは出来なかった。
自然と、早足になる。
早足がだんだん駆け足に変わり、また走り出したとき何かにぶつかった。
恥ずかしさも分からないほど恐怖に染まっていた俺は尻餅を突いて固まってしまった。
女か、俺は。
さらに次の瞬間、障害物がしゃべったときは頭が真っ白になった。
「君っ、大丈夫か?」
大人の女性の声。
幽霊を確信したきり、俺の意識はぷっつりと途絶えた。
再び目を覚ましたとき、俺は街灯の下にいた。
柱にもたれるように寝ていたため、背中がきしむような痛みを訴えていた。
痛みのひどい患部をさすりながら立ち上がると、聞き覚えのある声がした。
「君、本当に大丈夫か?」
目前の幽霊にそう尋ねられ、かすれた叫び声が出た。
その態度にそれは首をかしげる。
……念のため、目を凝らしてそれを見る。
ちゃんと足は付いている。
黒のタイトジーンズにこれまた同じ色の無地のシャツ。
楕円形の眼鏡を掛けた彼女はどこか理知的な印象を与える。
染めていない長い髪は後ろに纏めていた。
「あれ、私と君は何度か顔を合わしていると思ったがな」
あまりに惚けていたせいで、言葉が出てこない。
「こら、なんとか言ったらどうだ」
そう頬をつねられてやっと意識が覚醒する。
「えっと、仲川秀一のお姉さん、ですよね?」
気付くのが遅い、と一喝された。
奈々さんだ。
俺ははっとなり忘れていた肝心事を思い出した。
「すみませんっ、秋乃を勝手に連れ出した挙げ句彼女を見失ってしまい──」
「いや、それは気にしていない。あの状況じゃ誰だって見失う」
あの状況──じゃあ、奈々さんは秋乃が消える瞬間を見ていたのか?
「たまたま見かけたんだ。声も掛けづらい雰囲気だったんで、秋乃に気づかれないように来た道を戻ろうとした。その前に、ともう一度振り向いた。それはわずかな時間だったのに」
「秋乃は、姿を消していたと」
ああ、と彼女が首肯する。
と、いうことは二人とも秋乃が消える瞬間を見てはいなかった。
「仕方ないから、君を追いかけようとしたんだが、全然追いつかなくてね。やっと追いついたと思ったら幽霊扱いされる始末だ。まあ面白い姿を見られたから構わないが」
恥の極致。
出来れば忘れてほしかったが、奈々さんのにやけ具合からしてそのつもりは毛頭ないようだ。
そんなことより、と話を元に戻す。
「秋乃は何処に行ったんだろうな……まさか、幻だったんじゃ」
「そんな訳、ありませんよ」
意識していなかったのに、言葉が口からあふれ出た。
予想していなかったのか、彼女が驚きに目を見開いた。
そして、静かに目を伏せた。
「すまない、冗談にも程があるよな」
申し訳のなさそうな消え入った声に、俺は首を振った。
俺だって、幻だと思った。
さっきの言葉は奈々さんよりも自分自身に呼びかけていたのかもしれない。
俺はそう思うことにした。
もう夜も遅い、ということで俺は家に帰された。
子供じゃないんだから大丈夫だというとまた一喝される。
「君まで消えたらシャレにならないでしょ」
……真顔でそういうことを言わないでほしい。
しょうがなく引き下がるかわりに、俺を家に入れてくれなかった理由を訊いた。
「私の都合が悪かったんだ」
そう答えたきり、彼女は手を振ってどこかへ行ってしまった。
俺は報告を待つことにして、自宅へと戻った。
自分の無力さが、歯痒かった。