第十五話:邂逅
僕は三人の子供達の様子を眺めていた。
彼らにあどけなさは一切感じられない。
一人は卑しげな笑みを浮かべ。
一人は視線を不安げに彷徨わせ。
一人は顔を伏せ何かに耐えようとしていた。
それでも彼らの会話が途切れずにいるのはこの異様な空気からの逃避なのかもしれない。
見えない枷に拘束された僕は彼らを眺めているほかない。
五百メートル先、彼らの会話は耳に届かない。
彼らは作られた天上から何を見ているのだろう。
おそらく、森林にぶつかって風景は見えないはずだ。
一瞬、僕の方へと顔が向いたけれど目線が合うことはなかった。
見覚えのある顔、けれど僕はいちばん重要なことを思い出せないでいた。
しばらくしたあと、活発な少女が少年に耳打ちをした。
遠くにいたはずなのに、次の瞬間に見せた少年の表情が僕にははっきりとわかった。
目を一瞬だけ見開き、頬をわずかに引きつらせる。
それを悟られないように笑顔をつくろい、もう一人の少女に視線を移した。
その背中にもう一言、少女がささやいた直後に少年の体がこわばる。
歯車が回り出した。
『展望台』の手すりは膝下ぐらいしかなく、低い。
少女は所在なげに身を乗り出している。
少年はその背中を見つめる。
暑さが、どこかに消え失せて、音もない世界に僕はいた。
そして少年は──あの日の僕は──。
『夢はそこまでだ』
誰かの声。
夏が戻ってくる。
全身を包む気だるさと、肌の湿っぽさ。
耳につく虫の声。
背中に照りつける日差し。
僕が戻ってくる。
視線をあげれば、僕は立ち入り禁止の標示板の目の前で立ちつくしていた。
もう一度声がかかり、僕は慌てて後ろを振り向く。
そこには背の高い男性が立っていた。
僕は一度だけ見たことがある。
「賢治さん……」
穏やかな笑顔が陽に映える男性は柚季の執事をしている方だった。
「どうかしたのかい?」
僕はついさっきまで起きていたことを口にしようとする。
けれど、それはいつになっても形になってはくれなかった。
もどかしさに苦しむ僕に彼は小さく首を振った。
「形にならない想いを無理に表そうとする必要はないんだよ。物事が整理できたときに話せばいい。でも……」
彼は一回、指を鳴らした。
乾いた音が耳に響いた。
「形にしてはいけないものもあるんだよ」
何か、もやがかかっていく感覚。
形にならない想いが氷のように、緩やかに溶けていく。
それは、何か重要な記憶だったはずなのに、やがて原形をとどめなくなっていく。
「それよりも、君の友達が君のことを探していたよ。早く顔を見せたほうがいい」
ポケットをまさぐり、携帯電話を取り出す。
僕が逃げ出してから四十五分が過ぎていた。
なぜ逃げ出したのか、もう思い出せない。
とにかく、謝らなくちゃ。
僕は賢治さんに礼を言ってその場をあとにした。
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「さて、どういうつもりですか」
眼鏡の奥の目が冷たく光る。
やがて森の中から一人の女性が現れた。
「どういうつもり、とは?」
ラフなブルージーンに白い無地のシャツを着た女は不敵に微笑んだ。
八重歯がちらりと覗く。
「貴方はさっき観察対象#09007のLTMアクセスへ異常干渉しましたね?」
「あ?私に難しい話をしないでくれ、私は大学に行ってないからそういう話はさっぱりだ」
手をひらひらと振って受け流す女。
男はその様子が気にくわないのか咳払いをして眼鏡を手の平で押し上げる。
「とぼけるのはいい加減よしてください。──なんであんな真似を」
「私は弟思いなんだよ」
忠告されてもなお、女は聞く耳を持たなかった。
後ろのポケットから潰れたタバコの箱を取り出し、よれたタバコに火を点けた。
「私はあんたらが気に入らない。秀一の失われた記憶を取り戻す。それの何が悪いって言うんだ?」
「その行為自体が許されていません。なんなら摘発してもいいんですよ?」
摘発、という言葉に体を震わせる。
しかし思いきり男を睨みつけ、抵抗の意志を見せた。
「それがあいつのためになるなら、私は死んでも構わない」
そう、女は掃いて捨てるように言って男の横を通り過ぎていった。
残された男は彼女とは反対方向の出口へと向かって歩き出した。
そう遠くない再会の予感を漂わせて。