第十一話:距離
初めて仲川秀一という人物に会ったのは小学三年生の冬だった。
三学期が始まった初日、彼は転校生としてやってきた。
慣れない土地、強い不安もあったのだろう、彼はなかなかクラスに馴染めずにいた。
引っ込み思案な性格も災いして、友達を作れずにいた。
私はそんな彼を最初はかわいそうに思った。
いつしか、彼の友達になりたいと思った。
その時は興味本位だったり、同情心だった。
雪が本格的に降り始めた一月下旬、私は彼に話しかけた。
昼休み、教室ではトランプをしている子やグループでおしゃべりをしていたりして、活気に溢れていた。
石油ストーブは教室全体を暖めることはできず、そして彼はそこから最も遠い廊下側の席に着いていた。
一人に耐えるように本を読んでいた。
触れたら崩れそうな彼の意志にためらいを感じた。
──違う。
私は彼の意志を溶かしてあげなくちゃ。
外に心を向ければ、世界は暖かく受け止めてくれることを教えてあげなくちゃ。
そして、私は彼へと微笑んだ。
やがて、たくさんの時間が経った。
彼は彼なりに大切な友達を作った。
引っ込み思案な性格は相変わらずだったけど、彼を受け入れてくれるみんながそれを愛嬌だと笑ってくれた。
私はがんばりやさんの彼にどんどん引き込まれていった。
中学にあがり、その頃には彼を好きになってしまっていた。
初恋だった。
でも、この恋は実らない、実らせないと決めた。
私は、彼にとって大切な友達でありたかった。
今まで築き上げた関係を壊したくなくて、だから私は恋の言葉を自分の胸に閉じこめた。
そんな甘い苦痛が続く中、事故は起こった。
夏の終わりの日、彼は交通事故に遭った。
残されたのは彼と、その日車に乗り合わせていなかった彼のお姉さんだった。
彼は事故のあと、私に言った。
「はじまして」
──彼は記憶喪失になったのだとお姉さんから教えられた。
それを受け入れたとき、私は言葉をなくした。
全部、やり直しだ。
私だけがこの思いを抱えて生きていく。
こんな辛い思い、私だけで十分だ……。
でも、私は前を向いて生きていこうと決めた。
彼を悲しませることが、一番辛いことなのだから。
時が軽減しない痛みなんてない。
その言葉を信じて、この日まで記憶を重ねてきた。
そして、一つの結論。
私は今、ここに誓います──。
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柚季が語ったのは僕の曖昧な記憶と彼女の心だった。
「ずっと、私はあんたのことが好き」
そして、僕はその告白に。
「僕は──」
僕は……答えることができなかった。
彼女の真剣なまなざしから逃げて、顔を伏せた。
柚季はやがて震えた、それでも気丈な声で僕に別れを告げた。
僕は彼女を呼び止めようとした。
けれど、柚季が振り向くことはなかった。
僕の答えは決まっていたはずなのに。
迷う必要なんてどこにもなかったのに。
僕の悪い癖が露呈して、また誰かを傷付けてしまった。
それも、本当に大切にしなければいけない人を。
だけど──まだ、まだ間に合うのなら。
僕にもう一度チャンスを与えてください。
僕はそう誓って、柚木を捜すため駆けだした。
辺りがずいぶん暗くなって、ここに彼女がいないことを僕は悟った。
仕方なく、僕は最終のバスに乗った。
僕は戻れない場所にいる、そう後悔したところで遅かった。
バスに揺られるたかが三十分がこんなにも長いものだとは思わなかった。
もっとも、僕には人を好きになる資格なんてなかった。
僕はこうやって人の気持ちを裏切ってしまう。
僕にそのつもりがなくても、見えない傷を誰かにつけてしまう。
その傷を、僕は柚季につけてしまった。
もう、昔の二人には戻れないのだろうか。
窓に映った僕の顔がとてもなさけなくて、苦笑になる。
やがて、涙に変わった。
彼女を振るのが怖くて、僕は言葉を遠ざけた。
大事なものが壊れるような気がして、その選択が余計に彼女を傷付けるともわからずに。
その過ちに気づき、僕は自分の膝を殴りつけた。
何をやっているんだ、僕は……!
窓ガラスに透けて映る僕は、最低な顔をしていた。