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夏陰  作者: 五十嵐優哉
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第十話:表情

 駅前通りをしばらく行った、河川敷にほど近いところにある四階建てのファッションビルに僕たちはいた。

 柚季は洋服店を中心に回り、少々の品定めのあとで店員に声をかける。

 店員がやけに緊張しているのは僕の気のせいではない。

 あらかた買う商品を決めるとレジへ。

 金額を提示され、柚季は笑顔でカードを手渡す。

 対する店員は笑顔が凍りついていた。

 そのカードはいかにも高級そうな漆黒で、地方都市のアパレル店員には縁遠いものだ。

 限度額なし。

 専用デスクもついてくる。

 もちろん僕も一生使うことのないであろうブラックのクレジットカードだった。


「あのうろたえた顔、やっぱサイコーよね」


 このカードは柚季の私物というわけではなく、親から借り受けているものだという。

 彼女の両親は資産家で、彼女はそこのご令嬢。

 だからといって本人以外の人間がカードなど使ってもいいんだろうか?

 細かい事情はわからないけれど、使えているということはそういうことなんだろう。

 そんなことよりも、今の僕の状況をどうにかしなければならなかった。

 後先をかえりみない柚季の素晴らしい行動力により、僕の視界はふさがれていた。

 柚季が先導してくれてなければすでに転倒していたと思う。

 窓ガラス越しに見た僕の姿は荷物持ちというよりも宅配員のようだった。


 外に出ると熱気が襲ってきた。

 寒いぐらいだと思っていた店内の空調に慣れてしまって、ビルに入る前よりも暑く感じる。

 休む暇もなく、柚季は一台の黒塗りの車を指さした。

 十歩程度の距離がとても長く感じる。

 他の通行人の邪魔にならないように歩みを進め、何とかいかにも高級そうな車へとたどり着いた。

 いったん荷物を置き、一つずつトランクへと入れていった。

 トランクを運転手が閉め、やっと彼と目があった。


「ご苦労様、君が仲川秀一君だね?」


 僕はひとまず頷く。

 自己紹介の言葉を考えていると焦っていることに気づかれたのか彼は苦笑いした。


「君のことはお嬢さんからよく聞いているよ、いつもよくしてやってくれてありがとう」


 深々と礼をされ、僕はかしこまって、たいしたことはしていないと丁寧に言葉を返した。

 彼は白石家の執事兼柚季の教育係で、名前は林賢治。

 細身で背が高く、フレームのない眼鏡が理知的な印象を彼に与えていた。


「あなたにも助けてもらってるわよ。こんな下らない用に使わせてしまってすまないわね」

「いえ、私には身に余る光栄です」


 彼の言葉に柚季が微笑む。

 今まで見てきた顔の中で一番輝いているように見えた。

 とても自然で、どこにも曇りがなかった。

 社交辞令なんかじゃ、決して作ることのできないもの。

 信頼できる人に見せる、優しさの顔。


 少し、悔しかった。

 なぜだかわからない。

 ただ、いつか。

 僕にもこの笑顔を見せてほしい、そんなことを思った。

 僕には、それが出来るだろうか──?



 賢治さんを二人で見送り、僕たちは横断歩道を渡った。

 長い車道を横切り、ショッピングビルが建ち並ぶ方向を背にする。

 反対側の通りはビジネス街。

 だから片方には私服姿、もう片方にはスーツ姿の人々が多めに歩くことになる。

 僕たち学生が休みを謳歌していても、平日である今日、社会人はまだ仕事をしている。

 僕たちが許されていることも、もう少しで終わってしまう。

 たとえ自由が増えるとしても、新たな制限が増えていく。

 それが辛いことなのか、モラトリアムの中にいる僕にはよくわからなかった。


 ビル街を横に抜けると、近代化からは取り残された商店街が顔を覗かせる。

 ほとんどの店はずっと店を開いていない。

 柚季はぼんやりと閉じられたシャッターを眺め、すぐに前を向いた。

 それから二人はたわいもない話を始めた。

 僕はそれに相打ちを打ったり、時々自分なりの考えを述べたりした。

 あの笑顔が見たくて、時折冗談を言ったりした。

 それはまるで逆効果だったけれど。

 やがて小さな公園に着いた。

 歩き疲れた二人は休憩することにした。

 そこに人気はなく、寂れた玩具が立ち並んでいるだけだった。

 僕たちはブランコにこしかけ、しばらく風の音に耳を澄ませた。

 しばらくして、柚季が口を開いた。


「私、あんたに言いたかったことがあるの」


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