第一話:夏休みよりの使者
Part A:Presentiment in summer.
──お天道様、僕は何か気に障るようなことをしたのでしょうか?
その質問には答えず、日差しは容赦なく僕を照りつける。
額にかいた汗が頬へ滑り落ちていく。
真夏の住宅街はときおり子供たちが僕の横を走り抜けたほかは人気がない。
テレビの音が軒並みから漏れてくるけれど、それが人のいる証明には思えなかった。
ただ一つ。あからさまな気配が外に出てからずっと続いていた。
背中が熱っぽく、それと同時に悪寒がする。
振り向くのも怖くて出来ない。
ただどれだけ角を曲がってもその気配が消えることはなかった。
僕、尾行されてる……?
もしかして、今僕は人生で幾度か訪れるであろう危機に直面しているのではないだろうか。
夏休みが午後から始まったというのにさいさきが悪い。
それにしても僕の後をつけるということは僕に何らかの目的があるということに違いない。
それは何だろう?誰かに恨まれる心当たりもないし、誰かを恨んだ記憶もない。
そうすると相手は誰でもいいのか。
乱暴目的だとしたら僕に立ち向かうすべはない。
でも、それだったらもっとはやい時点で犯行に及んでいるはずだ。
尾行されてからもう三十分以上はたっている。
この状況を打破するためにはやっぱり後ろを振り向くしかないのか。
さっき逃げようとしたものの、すぐに追いつかれてしまった。
僕は意を決する。
なるべく面倒なことになりませんように。
道の真ん中で立ち止まり、僕は回れ右をした。
そこにいたのは少女。
背は中学生ぐらいで、顔の作りも幼く、つぶらで輝く瞳は僕へとまっすぐ向けられている。
目が合い、僕は逃げるように視線を外した。
白が映えるワンピース姿の彼女は線の細い体をしていて、それをかばうように腰まで伸びた長い髪が広がっていた。
赤いスニーカーが幼さをさらに印象づける。
斜めにかぶった広口の麦わら帽子が少し不格好だと思った。
不意に突然強い風が吹き、彼女の帽子が空へ舞い上がった。
僕たちは空を見上げる。
空は雲一つない晴天だった。
恐怖やいぶかしさはいつの間にか消えていた。
僕はただ、目の前の彼女に見とれていた。
さっきまで尾行されていたことすらも忘れかけてしまう。
彼女はずっと僕を見つめていた。
僕も視線を彼女に向ける。
彼女は屈託のない笑みを浮かべた。
その微笑みを僕は知っている。
けれどその記憶にはもやがかかっていてはっきりとしない。
僕は何かを言葉にしなければと思った。
しかし、何を言えばいいのだろう?
挨拶?尾行の理由?何か違う気がする。
結局僕は黙り続け、彼女が先に口火を切った。
「久しぶり」
ああ、やっぱり。
君は僕を知っていて、僕は君を知っていなくちゃいけない。
なのに僕だけが彼女のことを忘れてしまった。
僕は強い眩暈を感じ、気を失ってしまう直前に多分こう返事をした。
「うん、久しぶり」
──それからしばらく時間がたち。
僕らは住宅街の中にある小さな公園にいた。
彼女がここまで連れてきただろうか。
聞いても仕方のないことのような気がして、質問はしなかった。
僕は公園のベンチで横になっていて、その目線の先には慈しむように僕を見つめるきれいな双眸があった。
さっきからずっと視線が僕へと向けられていることに気づくと、僕の頬は確かな熱を感じた。
頭が痛くないということは膝枕されているということだろうか。
僕の髪をなでる小さく暖かな彼女の手のひらが心地よい。
また眠りそうになる僕を起こすように、けれど決して強くない口調で僕をたしなめる。
「びっくりしたよ、いきなり倒れちゃうんだもん、君」
僕が一言謝ると少し険しくしていた表情をすぐ和らげ、彼女はまた髪をなでた。
「でも、よかった……全然変わってないね、しゅうちゃん」
懐かしい呼び名のはずなのに、僕はそれを思い出せない。
ねえ、僕はこんなに変わってしまったよ。
そのことに気づいたとき、君はどうするの。
僕が打ち明けたときどういう反応をするの。
僕は君のことを全く思い出せないなんて。
そう思っていることを見透かしたように、彼女は口にした。
「大丈夫、君はきっと思い出す。この街に住んでいたわがままな女の子のことを。あの夏に起きた出来事を。だから、ゆっくり思い出していけばいいよ。だって、夏はまだ始まったばかりなんだから」
それは夏の昼下がり、七月の終わりのことだった。