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#08 それぞれの事情

 結局、そのあと救護所で適切な処置をして貰った成海は、一足先に帰宅する事になった。しかし一人で帰すわけにもいかず、彼女と仲の良い白波瀬が家まで送り届けたのだった。もちろん親に迎えに来てもらうという選択肢もあっただろうが、きっと徒歩でも然したる問題が無い距離なのだろう。

 しかし成海と白波瀬が欠けることで皆のテンションも下がり、「もう時間も時間だしお開きでいっかー」みたいな流れになって――

 かくして、僕らはそのまま現地解散となった。まぁまだ遊び足りなかった連中は残っていたようだが。

 ふむ……。しかし改めて考えてみると、僕の家と成海の家は案外近いらしい。僕も自宅から浜まで自転車で10分ほどだったので、たぶん距離としては数百メートルといったところだろうか。

 そんな事を考えながら洗剤で泡立った食器を(すす)いでいると、僕の脇をズダダーッ! とスーツを着た父親が駆け抜けて行った。

「波駆! 今日は新しい会社の仲間と飲みに行くから帰りは遅くなるぞー」

 父親が家を出て行く間際、そんな一言を残す。丁度ぴったりなタイミングで朝食の食器洗いを終えた僕は父親を見送ろうと玄関の方へ行くが、既に靴を履いてドアの外にいた。

 時間が押しているのか、時計を一瞥して、僕が何か声を発するよりも前に走って行ってしまった。

 ――ああ、帰りに牛乳買って来るよう頼むの忘れたな……。

 まぁ仕方ないか。それに今日は僕も外に行く用事があるし、その帰りにでも買えばよかろう。

 エプロンを脱ぎ、畳んで椅子の上に置いておく。もう外出用の服装に着替えてあるので、あとは適当に身支度を済ませるだけだ。洗面所で歯を磨き終わったら、腕時計を嵌めて愛用の肩かけ鞄を提げる。

 僕が外出すれば、このマンションの一室には誰もいなくなる。家中の照明を全て消し、家を出た。

 目的地はここから市役所方面へ進んだ更に先、比較的内陸にある。けれどその前に寄らねばならない場所があった。

 大きな通りが町を間二つに分かつように縦断している。その通りを海に向かってしばらく歩くと、それは道の左側に見えてきた。

 全体的にクリーム色の外壁と、外から見える入口の頭上にはピンク色のテントが張られている。そこには“なるみケーキ”の表示。外からでもガラス越しに見える店内のカウンターの中には、種々のケーキが並んでいた。

 まぁ、どこにでもある普通のケーキ屋である。

 店内に入ると、女性の店員さんがにっこりと笑顔を作って頭を下げた。

「いらっしゃいませー」

 随分ほんわかした雰囲気の人だな、という印象を抱いたが、特に気にも留めず軽く会釈を返してカウンターのケーキに目をやった。

 ……僕はモンブランとして、母さんは何が好みだっただろうか。普通のショートだったかチョコだったか。もしかしたらチーズケーキかもしれないが、その場合どの種類だっただろうか。レアとベイクドじゃ全然違うからな……。

 などと色々迷った末、最後は一番オーソドックスなショートケーキを選択し、店員さんにモンブラン一つとホールショートケーキの八等分カットを一つを注文した。

 値段は少々高くとまったが、町の一ケーキ屋を有名チェーン店と比べるのも酷というものだろう。

 店員と当たり障りのないやり取りを交わし、会計を終えた。

 ありがとうございましたーという声を背に受け、店を出る。すると丁度、正面の停留所にバスが停車するところだった。

 ……ビンゴ。予め時刻表を確認しておいて良かった。

 バスに乗り込んだ僕は最後部座席に腰を下ろした。何となく、車両内全体が見渡せるこの席が昔から好きなのだ。それに終点まで行くなら、まぁ一番後ろの方が何かと良かろう。他の利用者はそれほど多くはないが。

 そうして、しばらくバスに揺られた。


『終点――、潮見浜第一病院前――。終点、潮見浜第一病院前でございます。お降りの際はお忘れ物などにご注意……』

 そのアナウンスではっと目が覚めた。どうやら軽く寝てしまっていたらしく、窓の外に目をやると大きな白いビルが屹立(きつりつ)していた。

 軽く伸びをして立ち上る。買ったケーキを忘れずに持ちバスを降りた。

 降りてから再度その建物を振り仰ぐ。

 ここに来るのは今日で確か3度目ぐらいだろうか。潮見浜町北部の小高い山の(ふもと)に建つ、大きな病院である。木々に囲まれた中に聳える白は少々場違いな気もするが、しかしそれを求めてここに来る患者も割と多いのが事実だ。

 母も、その一人である。

 数週間前、母は突然吐血して倒れた。緊急入院して検査を行なったところ、ストレス性の胃潰瘍(いかいよう)と診断されたのだ。結構サバサバした性格の所為か、あまりそう見られないらしいが元々母は体力に難があり、それ以前にも一度、過労で倒れたことがあった。

 先生曰く、“働き過ぎ”ということだった。

 しかし何故、わざわざこんな場所まで来たのか? 東京の方がまだ設備も良かったのではないかと思う人間もいるかもしれないが、そこは父の意向で――どうせ療養するならもっと都会の喧騒を忘れられる土地の方が良いだろう、と。

 もちろん母はそんな大袈裟な、と反対したが、そういう時の父はやたら押しが強い。母も最終的には折れて、そこまで言うなら、と了承したのだった。それで越してきたのが母の故郷でもあるこの町だったのだ。

 604号室――前回赴いた時と同じように軽くノックをして、返事を待たずにスライド式のドアをそっと開けた。

「ああ波駆ね。どうかしたの?」

 初っ端、飛んできた言葉がそれである。

 母はベッドの上で身体を起こして、ベッドサイドテーブルに置かれたパソコンの画面を食い入るように見つめていた。カタカタとキーボードを叩くその指は、忙しなく動いている。

 僕は呆れ交じりに溜息を吐き、ベッド脇の椅子に腰かけた。

「この光景、父さんが見たら昏倒するな」

「あら、波駆は止めないの?」

 言うその目はどこか挑戦的な色を含んでいる。僕はゆっくり首を横に振った。

「どうせ言っても無駄だろ。それに僕としては、もう十分休んだからそろそろ良いんじゃないかと思ってる」

「あっそ」

 然して興味もなさげに素っ気ない返事をして、またコンピューターのディスプレイに目を戻した。一応見舞いで来ているが、こうして本人を見ると、まぁそれもアホらしく思えてくる。

 テーブルに、持ってきたケーキの箱を置く。すると母は手を止め、ちょっと驚いたように眉を上げた。

「気が利くわね……。ありがと」

 と早速箱を開けようとするので、持ってきたペーパープレートを慌ててその横に添える。

 それぞれの皿にケーキを乗せて、母はいただきますも言わずに食べにかかった。フォークで先端の尖っている部分を切り取り、口に含む。ほくっと表情が綻んだ。

「やっぱり甘いものって最高だわ」

「ああ」

 と返事をしたが、モンブランのちょっと控えめな甘さが好みな僕としては、ショートケーキのあの頭が痛くなるような生クリームの甘さはあまり得意じゃない。

 そのことを中途半端に知っている母は、ん? と小首を捻った。

「あれ、あんたケーキとか苦手じゃなかったっけ?」

 その問いに、僕はケーキを口へ運びながら淡々と答える。

「それは結構前の話。甘いものは苦手だけど、全部じゃない。だからこうしてモンブランを食べてる」

「……そう」

 感慨深げに呟いて、やはり無関心そうに窓の外に視線を移す。

 立地の標高が他より割と高く、ここからは町が一望できる。その景色の中には、僕と父が住まうベージュの外壁のマンションもある。

 何を思ってか、不意に母がフフッと息を洩らした。

「いや~~……。私、波駆のこと全然分かってないなー。ほんっと母親らしいことしてないし、仕事人間も困ったもんだわ」

「何を今更……」

「そうやって事実を否定しないとことか、私そっくりなんだけどなー。こんな機会でもないと喋ることなんて滅多にないのに不思議ねぇ」

 あっけらかんとして微笑を浮かべる母。

 確かに、普段の母はどこかピリピリしていて家庭よりも仕事を優先しているように感じる。だがそのお陰で我が家の家計が守られていることも理解しており、それに皮肉なことに、こんな母親だからこそ、金銭面を除けば僕は即自立できるほどのスキルを身に付けられたのである。

 母が、何かを思い出したように手を打った。

「あ、そうだ。どうせ久しぶりに母親やるならそれっぽい事でも聞いちゃおうかしら。どう? 新しい学校では友達できた? まぁ転校して一週間で夏休み入っちゃったけど」

 問いかけてくるその表情はいつも通りで、何か含むところはない。それもそのはず、母には僕の能力の事を打ち明けていないからだ。

 まぁそれはどうでも良いが、そのとき僕は、その質問に答えあぐねていた。

「友達の定義って……何なんだろうな」

「は?」

 母が間の抜けた声で聞き返してきた。だがそれから「あ、いや」と僕から視線を逸らす。顎に手を当てて考え込む。

「あ~~……言われてみれば、考えちゃうわね。……あれ、でも波駆。あんた前に自分で言ってなかったっけ。結構的を射てたから笑っちゃったの覚えてるんだけど、あのとき何て言ってたんだっけ……」

 必死に思い出そうと母がこめかみの辺りを押さえて唸り出す。しかし僕にはとんと心当たりがない。

 ちょっと経ってから、母が朧げな記憶を辿るようにぽつぽつと口を開いた。

「確か――友達とは中身の無い薄っぺらいやり取りをする仲……だったかしら。あんたが中学ぐらいの時に言ってた気がするんだけど」

 ……ここまで成長しない人間もなかなかに稀有ではなかろうか。言われて思い出した。しかもその言葉には続きがある。

「そして中身のあるやり取りをする仲は、友達じゃなくて親友……」

 僕が自嘲気味に微笑みつつ付け加えると、母がびしっと指を突き付けてきた。

「そう、それ。何あんた、覚えてるじゃない」

「忘れてたんだ」

 母は残念そうに息を吐き出すと、プラスチックフォークと紙皿を重ねて渡してきた。

「はい、ご馳走様。――でもそんな疑問が浮かぶってことはやっぱりいないのね……こっちでも。まぁ波駆自身がそれで問題ないなら私は別にどうでも良いんだけど」

「どうでも良いって……ひどいな」

 乾いた笑みを零して、そのゴミをケーキが入っていた箱に入れる。

「どうせあんただって今更こんな母親に気にされたくも無いでしょ? 仮にも思春期で親を邪険に扱う年頃なんだし」

「邪険に扱える親がいるだけ有難いと思ってるよ」

 それは母への気遣いだった。

 ――僕には母方の祖父母がいない。母が僕ぐらいの歳の頃に亡くなっているからだ。それから大学に進学するまでの間は、叔父に、つまり僕の大叔父の世話になっていたそうだ。だから母はもう誰にも迷惑をかけまいと、一人で仕事に励んでいたのだろう。そして今も。

 自分のケーキを食べ終わり、同じくそのゴミを片付けて母に目を戻す。すると、呆れたことにもうパソコンに向き直っていた。

 顔はこちらに向けずに口だけ動かす。

「あーそれと、今からここに私の知り合いが来ることになってるけど、どうする? 会ってく? 多分20分後くらいかしら。お昼頃に行くって言ってたから」

「いや、いい」

「そう、じゃあ気を付けて帰りなさい」

「ああ」

 箱を潰して鞄に入れる。その鞄を肩に掛け席を立った。来た時と同じようにドアを静かに開けて病室を出る。だけどその扉を閉める前に半身で振り返った。

「仕事、し過ぎないように」

「はいはい」

 と、まるで僕をあしらうように短く返事をし、ひらひらと手を振った。にべもないと感じなくもないが、まさしくこれが通常である。そのことに微かに胸を撫で下ろした。

 来た道を戻り、エレベーターで一階へ降りる。丁度売店の前に差し掛かったところで喉の渇きを感じた僕は、水筒を取り出そうとバッグを開けた。が、それが無い事に気付く。

 ――ああ、水筒持ってくるのを忘れたな……。

 無いものは仕方がない。諦めて売店で麦茶を買う事にした。まぁ外の自販機よりは幾らか安いだろう。

 そう思って売店に入ろうとしたとき、そこで先に買い物をしていた客が目に入り、ぴたりと足を止めた。

 ワックスで立たせた茶色みがかった短髪と、Tシャツに短パン、サンダルというラフな格好は、先日、浜にクラスで集まった時に見たものだ。あの時よりも一層、その肌は浅黒く焼けている気がする。

 僕が見守る中、その客は会計を済ませて売店を後にしようとする。財布をポケットにしまって顔を上げた。視線が僕とぶつかる。

 彼が驚愕に目を見開き、それから少し嫌そうに眉根を寄せた。

 その頭上には《何でこいつがここに……》と、そんな一言が浮かんでいる。

 対峙したまま数秒。声をかけるべきか。逡巡の末、僕が口を開こうとするよりも早く、柏野海斗(かしのかいと)が声を発した。

「よぉ」

「……ああ」

 対する僕は、出鼻を挫かれたせいでろくな言葉も発せずに、挨拶かどうかも怪しい返事をした。いやしかし、この程度のことで狼狽(うろた)えてるわけにもいかない。

 そんな自分を無理矢理律するように、今度は僕から話を切り出した。

「……この間は、すまなかった」

 唐突に謝られた所為だろう。柏野海斗は何の事だか分からないといった表情を浮かべる。

「自分でも何故あんな言い方をしたのかが分からないんだ。少なくとも当時は君も不快に感じていただろうし、機会があればちゃんと謝っておこうと思っていた」

 そこまで言及してようやく思い至ったらしい。

「ああ~……アレのことか。あーいや、もう今は別に何とも思ってねぇよ」

「そうか、なら良かった」

 大きく息を吸って頷く。これで用は済んだ。成海との約束も果たしたわけだし、これ以上、彼と言葉を交わす意味はない。

「それじゃあ、僕はこれで」

「なあ」

 踵を返して出口へ歩き出すその背中に、彼が声をかけてきた。人の少ない病院のエントランスホールに、その声が遠く反響する。

「お前、何でここに?」

 何故そんな質問を……と思って彼の頭上に目をやる。その答えは“単なる好奇心”だった。特に隠すべき理由も無いので、素直に答える。

「母の見舞いだよ」

「そっか……。俺は妹の見舞いだからまぁ似たようなもんだな」

 訊いても無いのに自分から事情を話してしまう辺り、その心理は理解し難いけれど、なんとか僕との距離を埋めようという彼なりの努力なのだろう。それを払い除けるほど僕も天邪鬼(あまのじゃく)じゃない。

「君には妹が居るのか……」

 ぽつりと素朴な感想を零すと、柏野海斗はハハッと乾いた笑みを浮かべた。

「ああ、昔からちょっと身体が弱くて度々、検査入院とかしてんだよ。だから俺がこうやってちょくちょく見舞いに来てんの。何せ――」

 と言いかけた口を噤む。一瞬、言うか言うまいか迷ってから小さく首を振った。

「や、まぁお互い色々あんだなぁ……。それじゃまたな、引き留めて悪かった」

「ああ、それじゃあ」

 短く別れの言葉を交わして、僕は出入り口の方へ、彼はエレベーターへ歩いて行った。

 迷っていた所為だろう。彼が脳内に一瞬だが思い描いた景色と、言葉の一端が垣間見えてしまった。

 ベッドに座っていた少女。たぶん小学生ぐらいの。そのぐらいの年頃ならまだ親が付きっきりで居てもおかしくはないのに、彼女は独りだった。それはどこか悲しげなイメージとして僕に伝わってきたのだ。

 ――さっき彼が言いかけたこと。


 《何せ、親が共働きであいつの相手してやれんの俺ぐらいしかいねぇし》


 本当に、僕なんかよりおよそ高尚だ。一時の感情の高ぶりで、きつい言葉を浴びせるような人間よりよっぽど中身が出来ている。そのことを意識して、急に自分への羞恥を覚えた。

 それを振り払うようにガシガシと後頭部を掻く。

 足早に病院を出た。腕時計に目をやる。柏野海斗と話していたことで幾らか時間が潰れていたようで、バスが到着するまで間も無い。

 また彼とは近いうちにまた会う事になる。と、根拠はないのに何となくそんな気がした。

 喉が渇いた。


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