#06 海と言えば水着
今日はまさに海水浴日和。入道雲すらも見当たらない。頭上を覆うのはスカイブルー一色だ。先週あたりに梅雨が明けてから毎日こういった天気が続いている。
もちろんそれは大変喜ばしい事で、俺も雨は嫌いなので大いに結構。ただ、あえて一つ苦言を言うならば――
それはめちゃくちゃ暑い事だった。
“夏の日中”と掛けまして、“うっかりやってしまった時”と解く。その心は?
“あ、つい……(暑い)”
もう暑過ぎてそんな謎かけまで浮かんでくる始末だ。結構上手くね?
と、俺が珍しくここまでテンションが高くなっているのも、これから行く場所の影響だろうか。知らず知らず、自転車のペダルを漕ぐ足に力が入る。耳元を吹き抜ける潮風が、汗をかいた身体に心地良い。
海辺の、堤防の脇の道をしばらく直走った。
今日は潮見浜と呼ばれている海水浴場で、柏野波駆の歓迎会という体でクラス会が行われるのだ。それ自体は終業式が終わったあとの昼前集合だったので、俺は少し遅れて向かっていることになる。午前中に外せない用事があったのだ。
まぁ、それはどうでも良いか。
家を出てから30分弱。ようやく海水浴場に到着した。堤防の向こうから聞こえてくる人々の楽しげなざわめきや、次第に広がる道幅と道脇のところどころにある駐車場がその証拠だ。
スペースの空いている所に適当に自転車を停め、堤防の途切れている入口を入った。確か海の家近くと言っていたから恐らくこの辺りのはず……と思いつつ、浜辺に乱立する幾つものパラソルやテントを眺める。
すると、思わぬ方向から声が掛けられた。
「あ、かし……海斗くん?」
声のした背後を振り向く。腕一杯に何本ものペットボトルや缶ジュースを抱えた成海がいた。
普段なら、別に成海と話すだけで取り乱したりなんかしない。だがやはり水着という恰好のインパクトは桁違いだった。
ピンク色の水着は少し控えめで、彼女の性格の表れを感じる。だけど、つうっと首筋を伝う一筋の汗や、ふっくらとした何とも女子らしい肌は、見ているだけで俺の心を掻き立てた。我知らず鼓動が速くなり、じとっと手に汗が滲む。
……っと危ない。見入ってしまった。出鼻を挫かれたせいで変な間が空いてしまい固まっていた俺に、うん? と小首を傾げる成海。それ以上見ていられずに思わず目を逸らした。そっぽを向いたまま、がしがしと無造作に前髪を掻き上げる。
「あー……その、なんだ。持つぞ、それ」
「え? あ、うん。ありがと! いや~、さっきジャンケンで負けちゃってさぁ……」
あははっと困ったように、でもどこか嬉しそうに笑う。その笑顔もまた直視できないぐらいに眩しいからまったく困る。
成海がもともと持っていたドリンクの3分の2ぐらいを受け取って両手に抱えて持った。
「みんなはあっちだよ!」
と言って成海が指差した方を見ると、確かに見慣れた奴らがバレーをして遊んでいるのが目に入った。その近くには大きめのシートが敷かれていて、それぞれの荷物がまとめられていた。って、おい。そこ全然海の家の近くじゃないんですけど?
そんな事を思ったのが表情に出てしまっていたのか、成海が慌てて付け足す。
「あ、あのね! あたしたち集合したのがそんなに早くなかったでしょ? だから場所が取れなかったの」
「まぁそらそうだろうな」
便利な場所ほど、結構朝早く行って場所を取っておかないとすぐに埋まってしまう。今日は平日なので全体的に言えばそれほど混雑していないが、やはり混む所はちゃんと混むらしい。
「取り敢えず行くか」
「うん!」
とたたっと成海が小走りで浜を駆けて行く。その様子を見送りながら俺は後ろを普通に歩いて行った。成海より少し遅れて皆のもとへ着く。
「お~、海斗来たかー」
「あ、海斗くん。いらっしゃーい」
俺に気付いたクラスメート達が口々に俺を呼ぶ。俺も軽く手を上げてそれに応えた。まぁクラスメートと言っても、声を掛けたのは普段から仲の良い連中だけで、全員で10人ちょいというところだ。
「んで? ジュース頼んだの誰だ?」
尋ねると、その場にいた数人が俺に群がる。瞬く間にジュースが減っていき、けど最後に引き取り手のないポカリが一本だけ残った。
「おーい、これ誰のだー」
缶を掲げて呼び掛けるが、シート付近にいるヤツらからは反応がない。すると向こうでバレーをしてはしゃいでいた内の女子一人が、あ! と声を上げた。
「それウチの~」
と手を差し出しながらそいつが走り寄って来る。白波瀬佳奈、俺の幼馴染である。俺は溜め息のようなものを一つ吐いてボトルを放り投げた。投げてからちょっと強く放りすぎたかと心配になるが、佳奈は危なげなくそれをキャッチ。
「ありがとー」
「おう」
短く応えてシートの上にドサッと腰を下ろす。いやしかし、流石に今来たばっかで遊ぶ気にはなれんな。暑いし。
もうどれぐらい暑いかって言うと、広辞苑ぐらい。ってそれは“厚い”だろっ! みたいな、くっそどうでも良い小芝居を脳内で繰り広げちゃうぐらい暑い。
暑いので取り敢えずTシャツを脱ぐ。と、肩をちょんちょんと指でつつかれた。
「お前、まだいたのかよ」
俺にそんな事をしてくるのは一人ぐらいしかいない。振り向くと案の定、佳奈だった。俺のもの言いに腹を立てたらしく口を尖らせてぶーたれる。
「何よその言い方ー……。まぁ何でも良いけど。ところで、これ見て何か感想とかないの?」
言いながら誇らしげに胸を張った。
え、感想っていきなり何の話だよ。夏休みの宿題に読書感想文なんかあったっけ。唐突すぎる話題転換に付いていけず眉を顰めると、佳奈は不満げにふんっと鼻を鳴らした。
「もういいっ」
踵を返してバレーの方に戻って行ってしまった。
何なんだ……。女子ってホントよく分からんな。
いやしかし、今話してて思ったけど、アイツやっぱスタイル良いわ……。控えめな成海と比べるとそこそこに大胆な水着だが、それが様になってるところがまたすごい。不覚にも一瞬ドキッとしてしまった。
そんな事を考えていると、突然、今度は背後からガシッと肩を組まれた。こういう事してくる奴も一人しかいないんだよなぁ……。
「何だよ隼輝?」
「なぁ海斗~、やっぱ女子の水着姿は良いですなぁ」
ムフフ……と不気味に微笑む隼輝の顔を押しのける。おい、そのハムスターみたいな口、気持ち悪いからやめれ。
「お前、普段からそれしか考えてねぇのか……」
河内山隼輝。学校でも衣替えの時期が来る度に、“夏服は女子がワイシャツになるから色々透けて良い”とか“冬服はなんか良い”とか言ってる、365日女子しか見てないような奴である。なんか良いって何だよ……。
俺がじとっとした視線を向けていると、隼輝は後頭部に手を当てて照れ笑いを浮かべた。
「いやはや、滅相もございませんよ~」
「褒めてねぇ」
すかさずツッコミを入れる。するといきなり隼輝が俺の耳元にずいっと顔を近づけ、まるで密談でもするかのように囁いた。
「……特に白波瀬さんと成海さんっ! この女神と天使の取り合わせで、更に水着姿なんてなかなか拝めるもんじゃないぜ?」
「そうか? っつーか、女神と天使って何の話……」
と、下手に興味を持ってしまった所為か隼輝が目を爛々と光らせながら語り出す。その視線の先には楽しげにはしゃいでいる成海や佳奈、その他女子の姿がある。
「白波瀬さんのあのグラドル張りのスタイルを見たまえよ~。強調されるべきところはしっかり出てて、それでいてウエストは締まっている……。俺の見立てではDは確実にあるね。その上あのルックスの良さだ。まさしく二年A組のヴィーナス!」
あいつそんな風に思われてんのか。いやまぁ間違っちゃいないが、いやらしい目で見すぎだろこいつ。
隼輝の語りは未だ止まるところを知らない。
「そして成海さんは体系こそ白波瀬さんに劣るものの、容姿の整い具合は勝るとも劣らない。良い感じに膨らみかけの胸と小振りなお尻が、また白波瀬さんとは違った魅力を持ってるんだよなぁ……。加えてあの人当たりの良さだ。まさしく二年A組のエンジェル!」
分かる。めっちゃ分かる。こういうことを隼輝がほざいていると普段はジト目を向けるのだが、こればっかりはその通りだと思った。思わず隼輝の手をがっしり握って力強く頷いてしまう。
その態度が、隼輝には俺が話に食い付いたのだと映ったらしくニヤリと不敵に微笑んだ。
「海斗は、どっち派ですかな?」
「そりゃもちろん……」
言いかけて、言葉に詰まった。どうってことない質問なのに、その先が出てこない。隼輝が訝しげに首を傾げる。
「あれ、意味が分かんないとか? 普通に、付き合うならどっちが良いかっていう質問なんだけども」
と補足をされるが、しかし尚のこと言いあぐねてしまう。そんな事、考えたこともなかったからだ。
答えはもう出ているはず。
それなのに、はっきりと口に出すことが出来なかった。何故か言葉にしてはいけない気がした。言葉にすれば、何かを拒否してしまうように思えた。
「俺は――」
言いかけたとき、ねぇ! という女子の呼び掛けが俺の声を遮った。振り向かなくても、そのちょっと特徴的な無邪気な声音でその主が誰かはすぐに分かる。
隼輝がやや驚いたように眉を上げた。
「おおー、噂をすれば……。成海さんどしたん?」
「二人とも、柏野くん知らない?」
「いや、ここにいるけど?」
とニヤニヤ笑いながら冗談交じりに言って隼輝が俺を指し示す。成海は愛想笑いを浮かべて、申し訳なさそうに胸の前で小さく手を振った。
「あの、えっと……柏野波駆くんの方……」
「あーうん、ちゃんと分かってるから大丈夫、大丈夫」
正直すぎる成海の反応に、ふっかけた隼輝の方があたふたしていた。アホかお前。
「そういや俺もここ来てから見てねぇな」
ぽつっと呟く。そもそもこの集まりはあいつの歓迎会という体ではなかっただろうか。 主賓がいないってどういうことだよ……。
成海が手櫛で髪を梳きつつ残念そうに唸った。
「うーん……そっか、二人とも知らないかぁ。トイレにしては長いし、荷物はまだあるから帰ったわけでもなさそうだし……。あたし、ちょっと捜してこようかな」
「だったら俺も行く」
まったく無意識のうちに、自分では全然そんなつもりがなかったのに口が勝手に動いてしまった。立ち上ると、成海がどこか意外そうに俺を見ていた。途端に気恥ずかしくなってしまい、つい波際の方へ顔を逸らす。
「なんつーか、まぁ、あいついねぇならわざわざ海来た意味ねぇしな……。それに成海一人が捜すのも変だろ、なんか」
言いながら、どんどん言い訳臭くなっていくのが自分でも分かった。
こんなことなら何も言わなきゃ良かったな……と軽く後悔しそうになったところで、成海の快活な声がそれを掻き消した。
「ありがとっ! よしっ、じゃあ一緒に捜そー!」
思わず、オーッ! と拳を突き上げてしまいそうなノリだった。いや、しないけど。
なのでそれをしない代わりに、シートに座ったままの隼輝を見下ろす。その視線に、お前は行かねぇのかという意味を込めて。
だが隼輝はまったく意に介する様子もなくぷらぷらと手を振った。
「いや~、俺は遠慮しておくよ。面倒くさいし、ここで女子たちを眺めてる方が楽しいしね。それに何より――」
そこでわざわざ間を取り、そしてコナン君に出てくる黒ずくめの組織みたいな意地の悪い笑みを浮かべてみせた。
「邪魔はしたくないのだよ~」
……そういう気は利かせなくて良いっつーの。って言うかさっきの質問の答え知ってるんじゃねぇかよコイツ。真剣に考えてしまった先の俺がなんだかアホらしく思えてくるんだが……。
俺はわざと大袈裟に呆れを含ませた溜め息を吐いた。
「それじゃ、俺達は柏野を捜して来るから」
「おー、行てらー」
最後まで、隼輝がそのニヤけ顔を崩すことはなかった。