#02 不思議な転校生
同日、昼休み。あたしは、窓際の一番後ろの佳奈ちゃんの机で彼女と一緒にお弁当を食べていた。
「ねぇ、なる。もう柏野くんとは話した?」
「う、うん。って言っても自己紹介程度だけどね。きっとあたしはまだ名前も覚えられてないんじゃないかな」
「っでもさーっ、苗字が柏野って分かったときびっくりしちゃった! これでウチらのクラスの柏野は、海斗と波駆くんで二人になったね」
「うん……、あたしどっちも柏野くんて呼ぶからどっちか分かんなくなっちゃうよ」
お弁当のミニトマトを頬張りながらささやかな悩みを打ち明けると、佳奈ちゃんがさも可笑しそうに腹を抱えて笑い出す。
「あははははっ、そうだね! じゃーさ、なるも下の名前で呼べば? 海斗のこと」
言ってから窓の外を顎で示した。あたしも目をやると、同じクラスの男子数名が校庭でサッカーをしているのが見えた。その中には柏野海斗くんもいる。
「わぁ、やっぱり男子ってご飯食べるの早いよねぇ」
実際、まだあたしは現在進行形で昼食中だし、だからといって別にが特別遅いワケでもなく、教室ではまだ半分以上の生徒がお弁当を食べていた。
すると、思ったことをただ口にしただけなのに再び佳奈ちゃんが笑い出す。
「なんで笑うのよーっ」
頬を膨らませて抗議すると、佳奈ちゃんは笑いすぎで浮かんだ涙を拭いながら「ごめんごめん」と軽く謝った。
「だってさー、なるが“突っ込むとこそこー?”って感じのこと言うから。ほんっと、なるって色々ズレてるよねっ」
「むぅ~~……そうかなぁ?」
「うん。まぁでも、海斗は多分、食べるの速いってよりもただ単に早弁してるだけだと思うけどね。小学校の時からそうだったしアイツ。ちゃんと給食あんのにわざわざ弁当持って来て、休み時間にコソコソ食べてたな~」
「あ、そういえば佳奈ちゃんは柏野く……海斗くんと幼馴染なんだっけ」
「そうそう、海斗と言えばアイツ小学校の時さー――」
と、海斗くんの話になるとたいてい佳奈ちゃんは彼との昔話をし出す。
正直なところ、そういう相手がいないあたしとしてはちょっと羨ましかった。まぁこの話題になると結構長くなっちゃうのが難点なんだけど……。
まぁ昼休みにやらなきゃいけない事もやりたい事も特に無いし良っか。なんて半ば諦め気味に佳奈ちゃんの話を聞く体勢に入る。
けど、それを背後から誰かが遮った。
「成海さん、ちょっと良いかな」
自分の苗字を呼ばれ、上半身だけで振り向く。しかし思いのほか近くに立っていて、顔が見えない。そのまま視線を上へスライドさせ、そこで初めてその人物が柏野波駆くんであることに気が付いた。
予想外の相手に、思わず軽く咳き込んでしまう。
「あ……う、うん。どうしたの?」
ついさっきまで教室にいなかったからたぶん職員室にでも行っていたんだろうけど、今はそんなことはどうでも良かった。
次の彼の言葉を待つ。
「時間があるなら屋上に行こう。できれば二人きりで話したい」
教室にいたクラスメートの視線が一気にこちらに集中した。
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屋上に出ると、むあっとした空気が顔に吹き付けてきた。真上の空は雲一つなく晴れ渡っており、ここから見える海岸線の更にずっと先には、まるで“竜の巣”みたいな入道雲がもくもくと浮かんでいる。校舎の脇に植わる桜の木からは、小鳥の囀りが響いていた。
「この学校の屋上は出入りが自由で助かった」
彼が、不意にそんなことを呟く。
何のためにここまで連れて来られたのか。なんとなく……なんとな~くだが、その理由について思い当たる節がある。マンガとかでも読んだわけだし、そういうシチュエーションに憧れたことだってないでもない。
なので、あたしは顔が赤くならないよう努めるのが大変だった。
「前の高校は屋上に出たらいけなかったの?」
なるたけ平静を保ちつつ訊くと、柏野くんは屋上のフェンスに凭れかかって答える。
「ああ。それに前の所にはこんなに高いフェンスは無かった。簡単に乗り越えられる程度の柵しかなかったから、きっと安全面も考慮して出入りを禁止していたんだろう」
「そうなんだ……」
こんな当たり障りのないことを話すためにわざわざ屋上まで来たんだろうか。そんなはずはない。きっとこういうのを、本題に入る前の世間話というのだ。知らないけど。なんて事を呑気に思っていたが、柏野くんは更に言葉を続ける。
何やら意を決した様子で歩み寄ってきた。
「単刀直入に言う」
偶然にも、ほとんど同じタイミングで互いに唾を飲み込んだ。それのおかげで柏野くんも緊張していることに、初めて気付く。
それを意識した途端、ドキドキと鼓動が速くなる。顔が火照っているのも絶対暑いからという理由だけじゃない。
思ってもみなかった。まさか転校生から、それも転校初日にだなんて――
心の準備がまだできていない。
「あの……っ、あたしそういうのはまだ――」
彼が再び口を開く前に中断させるつもりだった。だがそんなあたしの声を遮って、彼は言い放つ。
「僕と、友達になってくれないか」
たぶんその時、あたしは相当アホっぽい顔をしていたんじゃないかと思う。ぽかーんというか、ぽけーんというか。効果音を付けるとしたらそんな感じの顔。
ワンテンポ遅れて、笑いが込み上げてくる。最初は我慢しようとか考えたが、結局抑えきれずに吹き出してしまった。
「ぷっくくく……うふふっ、あははははっ」
もちろんその様子を見た柏野くんは、少しだけ不機嫌そうに眉を顰める。
「僕が何か変なことを言ったか」
「だって! 真面目くさって、何事かと思ったら友達になろうだなんて……っ! ごめんなさいっ――でも、可笑しくて!」
結局ひとしきり爆笑して、ようやく笑いが収まってきたあたしは大きく深呼吸をした。気を抜けばまたすぐに吹きだしそうになるのを、ぐっと飲み込んで尋ねる。
「えーと……、でもどうしてあたしなの? 他にも友達になれそうな人はいるし、それに友達って、こんなふうになるものじゃないと思うんだけど……。あたしてっきり告白されるのかと思っちゃったよー」
「……それを今から話す。でも約束してほしい。これから君に打ち明ける事は、他の誰にも教えないと。きっと君にとってはかなり突飛な話だろうけど、笑わずに聞いてほしいんだ」
柏野くんが深刻そうに言うので、あたしも思わず背筋をぴんと伸ばしてしまう。あたしがこくりと首肯して承諾の意を示すと、柏野くんは一度深く息を吸って少しばかりの間を取った。
「僕には、他人の心が読めるんだ」
吹き出した。
いったい何を言い出すかと思えば、今度は“心の声が読める”ときた。二度目の爆笑に脇腹が悲鳴を上げる。気付けば、大笑いするあたしに対し彼が非難の視線を向けていた。
「……笑わないと言ったじゃないか」
「うぅ~~……ごめんなさいっ! でも堪えられなくて!」
顔の前で手を合わせると、柏野くんは呆れたように短く溜息を吐いた。そしてくるっと体の向きを変えてフェンスに歩み寄る。校庭を眺めながら言葉を継いだ。
「まぁいい。それで話を続けるけど、僕は他人の心の声を読むことが出来る。この事については、とにかく信じてくれと言うしかないんだ。証明ができない」
「え? どうして? 今あたしが考えてることを柏野くんが当てれば――」
「それが出来ないから、証明できないと言ったんだ」
「うーん……?」
その理由が分からず首を傾げてしまう。目だけで説明を求めると、柏野くんは背を向けたまま囁くように答えた。
「君の――君の心だけが、読めないんだ。……説明が難しいんだけど、まず、僕の心が読めるという状況は例えるなら、その人の頭上に考えてることがふきだしとして浮かんでいるような感じなんだ。だから朝に僕が教室へ入って行った時も、教室はクラスメート達のふきだしでいっぱいだったよ。――その大半が僕の外見に関するものだったけど」
少し悲しそうに、最後に付け足された言葉にあたしはアハハ……と苦笑を零した。みんなはひそひそ話しをしていたつもりだったのだろうけど、彼にとっては声の大きさなど関係ないのだ。
柏野くんが右手で前髪を掻き上げてから、ほんの少しだけ苛立たしげに話を続ける。
「だけど、さっきも言ったように君の声だけが見えなかった。今もそう。……こんな事は初めてだ。家族以外の人間の心が読めないなんて」
柏野くんはあたしに向き直り、真っ直ぐに見据える。
「だから、僕は君のことをもっと知りたい。そのために友達になって欲しい。自分でも、僕が一般的な常識で考えたら意味不明な事を言っているのは分かってるつもりだ。それでも信じてくれるだろうか」
なんだか現実離れしたへんちくりんな話だが、彼が嘘を吐いているようにも思えない。ぱっと見、悪い人ではなさそうだし、付き合うとかじゃなくてただ友達になるだけだ。断る理由なんてどこにもない。
それに、テレパシーが使えるだなんて、こんなに面白そうなことはないもんね。
「もちろんだよ! 改めまして、あたしは成海鳴子。今度から呼び捨てで良いよ。よろしくね柏野くん!」
「ああ、こちらこそよろしく」
柏野くんが礼儀正しくお辞儀をするので、あたしも慌ててぺこっと礼を返す。
ぐうぅ~~……。
頭を上げると同時に子犬が唸る様な音が響いた。タイミングの悪いことに、鳥たちもその時だけ鳴き止んでしまう。互いに言葉が詰まり、二人の間に数秒の沈黙が訪れた。
カァッっと顔が熱くなる。
「あ……! えと、今のは違くて……っ!」
「いや、僕も悪かった。そう言えば昼食を中断して来ていたんだったな。そろそろ教室に戻ろうか」
気付かないフリでもしてくれれば良かったのに……。




