#01 普段と違う朝
普段と同じ時間帯――朝HR開始の3分前頃、教室に到着した私は、いつもより騒がしめな教室の空気に違和感を覚えた。けれど特に気に留めず扉を開けると、出入口の近くで喋っていた女子の集団が私に気付く。
「あ、鳴子おはよ」
「うん、おはよー」
胸の前で小さく手を振って軽く挨拶を交わしながら、そのまま自分の席に着いた。
やっぱり皆どこか落ち着きがない。それを不思議に思いながら教科書やら何やらをバッグから机に移していると、すぐ隣で談笑している男子達の会話が流れてきた。
『なぁ、転校生って女子かな? 金髪美少女だったらマジ告るわー俺』
『男子だよバーカ。まぁ俺も他の奴から聞いただけなんだけど。っつーか、仮に女子だったとして、金髪美少女がお前なんか相手にするわけねーだろ。現実と鏡を見ろっつの(笑)』
ポンポンポンっと漫画よろしく三つほどの“?”が私の頭上に浮かぶ。
転校生って何の話だろ……。
そんな素朴な疑問が頭をよぎったとき、背後からたーんっ! と肩を叩かれた。更に聞き慣れた声が続く。
「なーるっ! おっはよ」
「うん、おはよー」
親友の佳奈ちゃんだ。彼女自慢の薄く茶色に染めたストレートヘアは今日も健在だ。ふわりと鼻孔をくすぐるフローラルの香りも相まって、ちゃんと顔を見なくてもすぐに分かる。
佳奈ちゃんが「なるぅ~~っ!」と自分の頬を私の頬に擦りつけてくる。おかげで彼女の全体重こっちに圧し掛かってきてちょっと苦しい。
「佳奈ちゃん重いよー……」
一応文句は言ってみるものの、毎朝の恒例行事なのでもう諦めてるのが本音だ。
「ねね、なるは聞いた? 転校生の話」
私の非難をことごとく無視して、佳奈ちゃんがそんな話題を切り出す。まあ、ちょうど気になってたところだしいいか……。
「ううん、今私も何のことだろうなって思ってたところだったんだけど……」
「んー……誰が言い出したかは知らないんだけど、なんか今日ウチらのクラスに転校生が来るっぽいんだよね!」
「でも、このクラスとは限らないんじゃない?」
「あーそれねー何かねー、ザッキーと一緒にいたところを見た人がいるんだってー」
ザッキーとはこのクラスの担任の山崎先生をさす、生徒間での呼び名だ。でもやっぱりそれだけだとこのクラスに転校生が来るという証拠にはならないんじゃ……。などと思う私だったが、正直どうでも良い事なのでさらっと聞き流す。
「ってか、どうしよっかなー。もしイケメンだったら狙っちゃおっかな……。フラれたら慰めてね、なるぅ」
佳奈ちゃんが冗談交じりに言いながら、ギュッと縋りつくように泣き出す真似をする。私は背後から回されたその手を解きながら振り返り、胸の前でぐっとこぶしを握った。
「大丈夫だよー。佳奈ちゃんは美人だからきっとOKしてくれるよ!」
そう、佳奈ちゃんは本当に美人なのだ。私がごく普通の一般人って感じなのに対して、彼女はオーラがもうアイドルっぽいって言うか何て言うか。スタイルも良いし。とにかく雰囲気一つとっても全然違う。
「佳奈ちゃんモテモテだもんねー」
そのとき、佳奈ちゃんの表情がほんの一瞬だけ曇ったように見えた。軽く俯いたまま、沈んだ愛想笑いのような弱い笑みを浮かべてそっと呟いた。
「肝心なのには全然だけどね」
「え? 何が?」
よく聞こえなかったのでそう聞き返すと、佳奈ちゃんは微笑んでから、小さく首を振った。
「ううん、何でもない。……あ、来た」
言われて入口の方を見やると、確かに山崎先生が教室に入って来るところだった。それはすなわち、もうじき朝HRが始まり、転校生の噂の真偽が明らかになるということでもある。
「じゃあウチ席戻るわ」
「うん、また後で」
そう短く言葉を交わすと、彼女はクラス後方の自分の席に戻っていった。
同じように、お喋りをしていた他のクラスメートらも続々と自席に着いていく。
その様子を見ていると、ちょっとだけ可笑しさが込み上げてくる。いつもは先生が注意してもなかなか静かにならないのに、やはりみんな転校生が気になるのか。
因みにかく言う私はというと、正直あまり興味がない。どちらかというと今日のお弁当の中身の方が気になるくらいだった。卵焼き入ってるといいな……。
教卓の前に先生が立つと、学級委員長が号令をかける。
「起立、礼」
それからそれぞれ、申し訳程度に『おはようございまーす』なんて間延びした挨拶をしながら着席した。男子に至っては『おぁざーす!』とか言ってて挨拶かどうかも疑問なところだ。
それはさて置き、ここまではいつも通り。みんなが期待のこもった眼差しを先生に向ける中、先生は淡々と出欠を取っていく。出席番号最後の和多さんの出欠確認が終わると、先生はおもむろに名簿を閉じてこう切り出した。
「あー……ちょっと急な話なんだが、今日からこのクラスに転校してくることになった生徒がいる」
その宣言にどっと歓声が上がった。
さっきまで静かだったのが嘘のように、教室中が喧騒に包まれる。廊下まで響くぐらいの私語が至る所で飛び交っていた。そんな生徒らを、先生が『やっぱりこうなったか……』みたいな顔をしながら鎮めに入る。全員がまた大人しくなるのを待って、先生は口を開いた。
「うーん、そろそろ来るころ――……」
呟きながら教室の外を見やった。
「お、もう来てるみたいだな。よし、入っていいぞ!」
その指示はきっと、廊下にいる転校生に向けられたものだったんだろう。先生が呼び掛けると、ガララ……と控えめに扉が開く。
ついに、クラス一同お待ちかねの転校生が姿を現した。その瞬間、最前列の席の女子が「ふわぁっ」と感激するような、溜め息を吐くようなよく分からない声を漏らす。彼は臆することなく真っ直ぐ教卓の前にやってくると、おもむろに黒板にチョークを走らせる。
名前だった。
それを示しながら口を開く。
「名前は東海林波駆。よろしく」
おそろしく短い自己紹介だった。けれど皆にとってそんな事はどうでも良いらしく、口々に第一印象を述べ始める。
『え、結構よくない?』
『うん。ってかめっちゃクールなんだけどっ』
『やべぇ、俺男なのに一瞬、カッコイイとか思っちゃったぜ』
『なんかオーラが違うわー』
と、その感想についてはどこか共通点があった。
ハッキリとした目鼻立ち。眉毛に掛かる程度の少し長めの髪は、綺麗な黒だ。身長はたぶん170センチちょっと……。皆の言う通り、10人に訊いたら10人全員がイケメンと答えるぐらいその容姿は整っている。
素直にカッコいい人だなぁって思った。でもそれだけじゃない。それ以上に気になったことがある。何故そう思ったのかは自分でも説明できないけれど、その時の私には彼がどこか……――。
悲しそうに見えたんだ。




