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#14 柏野海斗が出した答えは。

 花火大会があった翌日。

 もともと、その日は佳奈ちゃんと2人で出掛ける約束をしていた。そして約束通り、隣町にある駅近の繁華街まで出向いたのだった。

 午前中はもうとにかく色んな店を回って、服を漁って良いのを見つければすかさず試着し、漁っては試着し、漁っては試着しをただひたすら繰り返した。結局最後に買ったのは1着だけなんだけどね……。

 それから適当なファミレスに入ってお昼を済ませたあと、映画を観ようという事になった。

 やっぱりっていうべきか。さすが佳奈ちゃんとは色んなとこで趣味が合うだけあって、今回もあたしが狙ってた作品と佳奈ちゃんが見たかったやつが見事に被り、即行で観ることが決定した。

 けど行ってみるとその映画が始まってから1時間が経過した頃で、次の上映が開始されるまで2時間近く時間を潰さなきゃいけない事が判明。仕方がないので、映画館に附設されたゲームセンターで遊んだ。

 意外とあっという間に時間は過ぎ去り、開場10分前にポップコーンと飲み物を買って、何事もなく5時からの上映を観終えたのだった。

 実際どれくらいの長さなのかは分からないけど、やたらと長ったらしいエンドロールが終わり、劇場の天井にオレンジ色の薄い光が灯る。

「すっごく面白かったねーっ!」

 この一言が言いたくてずっとうずうずしていたので、抑えていたものが飛び出すように知らず知らず声が大きくなってしまった。

「それなー。でもネットだと絶賛派と期待外れだった派で、結構評価が分かれてたから正直どうかなーって思ってたんだけど、ウチは好き」

「だよねだよね! 何だっけあの……ティラノと戦ってた奴。あれが超カッコ良かったよねーっ」

「うーん、それもそうだけど、でもやっぱりウチはラプトルかな~」

 そんな感じで、映画の感想について話に花を咲かせながら映画館を後にした。ビルの映画館の入っている3階からエスカレーターで降りる。その折、まだケータイの電源を入れてない事を思い出した。

「そういえば、ケータイの電源まだ入れてなかった」

「あ、ウチもだわ」

 と、それぞれバッグからケータイを取り出して電源を入れる。すると佳奈ちゃんのケータイが起動と同時に、ぴんぽんっという聞き慣れた着信音が響いた。映画を観ている間に、ラインの新着メッセージが届いていたのだ。

 あたしには……うん、誰からも来てないね。

 それを確認したあたしがもう一度佳奈ちゃんに目をやると、画面の上に忙しなく指を滑らせていた。その面持ちがそこはかとなく険しいように感じる。何となく不穏な空気を感じ取ったあたしは、佳奈ちゃんの指の動きが止まったタイミングで恐る恐る尋ねた。

「……どうかしたの?」

「ううん、何でもない」

 佳奈ちゃんが真剣な顔をしてる時、何か訊いても大抵は「何でもない」とはぐらかされる。でもいくら友達って言っても知られたくない事の一つや二つあっても不思議じゃないし、それ以上突っ込むことはしてこなかった。

 今日も例外ではなく。

「そ、そっか……」

 あたしはそう諦めるしかなかった。

 けど今日は、いつもと違った。「あ、待って」と前置きをして佳奈ちゃんがしばらく考える素振りを取ったあと、再度口を開いたのだ。

「やっぱり、何でもなくない……。あのね、海斗からだったんだけど、これからウチに会って話したい事があるんだって」

 直接会って話したいってぐらいだからよほど重要なことなんだろう。……ん? そんな重要な事って普通に考えると思い当たる節は数少ない。

「それって……二人っきりで?」

「そう、二人っきりで」

「ええー!?」

 仰天してつい大きな声を上げてしまった。その時すれ違った人がぎょっとしてあたしを見る。いやでも、これは驚くでしょ! だって二人きりで会って直接話したい事って言ったらもうアレしかないもん。

「そ、それってきっと告白だよーっ! 佳奈ちゃん、ずっと海斗くんのこと好きだったんだよね! 良かったじゃん!」

 自分の事じゃないのにテンションが上がってしまう。そうやって勝手にはしゃぐあたしとは対照的に、佳奈ちゃんは物憂げな眼差しをこちらに向けていた。ふっと呆れた溜め息を吐いて、微笑を浮かべる。

「……どうだろう、ね」



*********************************



 佳奈と連絡を取ったその日の午後7時に、公園で待ち合わせることになった。そこは自宅からほど近く、道のりにしておよそ300mと云ったところだろう。

 今夜はいつもより明るい。

 その理由は、曇り空が街の光を反射しているから。夜は晴れていた方が暗いのだ。そんなどんよりと雲が垂れこめる空を見上げながら、ほうっと息吹いた。

 俺はあの時、ただ途方に暮れていた。

 そして佳奈に告白されても、然して驚いていない自分が不思議だった。

 いつかはこの時が来るのを知っていて、でも覚えてないぐらい昔からの付き合いであるがゆえに、むしろ彼女を家族のようだとすら思っていた。

 本当はきっと佳奈の気持ちにはずっと前から気付いていたのだ。それでも気付かないふりをし続け自分を欺いていたから、驚かなかったんだと思う。俺が佳奈の気持ちに名目的な意味で気付いた時、その関係が終わってしまうことを知っていたからなのだ。

 けれど今、自分が何をすべきなのか、それだけが分からなかった。

 少なくともハッキリしていることは、俺は佳奈の気持ちには応えられないということ。

 ただ、ごめんと、謝れば良いのだろうか。

 結局、どれだけ考えようとも正解は見えない。このまま何もしなければリスクを冒すことなく、間違いを犯すこともないのだろう。だがそれはあまりに不誠実だ。

 きっと佳奈の方が俺なんかより数倍不安な心持のはず。だから包み隠さず誠意を持って、自分の出した結論を伝えよう。

 そのことがたとえ何かを変えてしまうのだとしても。

 似たような一軒家が並ぶ住宅地を歩いて行くと、公園を取り囲むように植えられた木が見えてきた。十字路の角のところにあるその公園は丁度小学校からの帰り道にあって、昔は下校途中によくそこで友達と遊んだものだ。

 それが、今となっては全く別の景色に見える。

 公園の奥の方にある公衆トイレの横に設置されたブランコ、そこに佳奈は腰かけていた。

 地面に敷かれた細かな砂利を踏むと、ざりっという硬質な音が響く。足元を見つめていた佳奈がぱっと顔を上げた。

 今日はどこかに遊びに行っていたのだろうか、余所行きの格好をしていた。まさか俺と会うためだけに、こんなオシャレをしてきたなんてことはあるまい。佳奈は立ち上ることもなく、ブランコに座ったままこちらに視線を送り続ける。

 ブランコの黄色い柵を挟んで、向かい合った。

「それで、何の用?」

 先に口を開いたのは佳奈だった。素知らぬ顔ではあるが、いくら何でも分かっていないはずはない。こくりと唾を飲み下して息を吸った。

「すまん……。佳奈の気持ちには、応えられない」

 それまで平静を保っていた佳奈の瞳が揺れる。

 溢れんとするものを抑えるように、ぎゅっと下唇を噛み締めていた。

 だが相手のことを考えるのならば、今の一言だけでは不十分だ。真っ直ぐに佳奈の瞳を見つめて更に言い添える。

「たぶん今までのお前を見てても、分かってるんだとは思う。けど、ちゃんと俺の口から言わせてくれ――」

 佳奈の瞳の奥、そこに見える感情は何だろう。恐怖でも哀情でも、ましてや絶望でもない。それは、虚脱感にも似た諦念。

 きっと彼女も、こうなる事を予想していたに違いない。

 たっぷり間を置いて言葉を継いだ。


「俺は――成海が好きなんだ。だからお前の気持ちには応えられねぇ」


 言い終えた後の気分は、まさに最悪。佳奈自身が何度か男子に告白されたことがあると言っていた。だとすれば告白される度こんな気持ちになっていたんだろうか。

 佳奈の視線が俺からずれる。静かに逸らされた目は徐々に下がり、俺の足元まで落ちて止まった。

 沈鬱な空気が圧し掛かる。

 普段なら心地良いはずの草むらから響く鈴虫たちの合唱も、今はただ耳障りに感じる。パキパキッと音がした。

 ――トイレの裏から。

 今のは小枝を踏みしめる音だ。俺も佳奈も、動いてすらいない。だからそんな音を出せるはずはなく、それは第三者の存在を示唆するものだった。

「もう、出てきて良いわよ」

 佳奈が見つめる先を変えないまま呟く。突然の物音に動じていないところを見ると、佳奈はそこに人がいることを知っていたようだった。

 落ち葉や小枝を踏む音が連続して繋がり、そして暗がりからその人物が姿を見せる。

「成海……っ」

 俺が名前を呼ぶと、彼女がぴくりと肩を震わせる。そのままゆっくりブランコの所まで出てくると、街灯に照らされた表情が強張っているのが見てとれた。

 頬を紅く染め、手を腰の前で組んだまま微動だにしない。

「全部、聞いてたのか?」

 尋ねると、首をこくっと微かに縦に振る。ならば先ほどの俺の発言も成海に聞かれているという事になるな……。

「……どういうことだ?」

 説明を求めて佳奈を見る。責めるつもりは無いけれど、その眼差しは我知らず咎めるようなものになっていたんだと思う。顔を上げた佳奈は、俺の目を見て、決まりが悪そうにまたそっぽを向いた。

「あんた達がさっさとくっ付かないと、ウチが諦めきれないのよ……。でもこうでもしないと、あんたいつまでもなるに告白する気なんて無かったでしょ」

 それはもはや問い掛けではなく、その質問の答えを知っているかのような口ぶりだった。

 もういい。これ以上佳奈を糾弾するつもりもないし、それどころじゃない。依然として固まっている成海に向き直って息を吐いた。

「成海」

「ひゃいっ!?」

 声を掛けると、成海が変な声を上げて飛び跳ねた。おっかなびっくりなその所作が、リスとかウサギみたいな小動物を彷彿とさせる。それにしても緊張しすぎだろ……。

 その様子に微笑が零れそうになった。

 俺に告白した時の佳奈も、こんな気持ちだったのだろうか。自分の気持ちが相手に伝わっていることが分かっていると、案外落ち着いて話せるものだ。しかし名前を読んでみたは良いものの、咄嗟に口にすべき言葉が見つからずに口籠ってしまう。

「あー……まぁ、何つーか、そういうことだ」

「えっと……うん」

 普段多弁な成海が喋らないとこうも会話が続かないか……。その所為でどこか気恥ずかしさの漂う沈黙が下りてしまった。それを見兼ねてか、佳奈が呆れたような吐息を洩らして口を挟む。

「もう面倒くさいなー。付き合ってくれってちゃんと言いなさいよ……。で、なるはどうすんの?」

 その問いに、成海が何かを言おうと口を開きかける。けれど声に出す寸前で喉の奥に引っ掛かっている。そんな感じだった。口を開けては思い直したようにまた閉じる。

「あたし――」

「成海は――」

 痺れを切らして俺が声を発したのと、成海が言いかけたのはほぼ同時だった。発言権を譲ろうとして謝らんとするが、それよりも前に成海が胸の前に両手を立てる。

「あ、ごめん。先良いよ」

 ならばお言葉に甘えて。

「成海は、他に好きな人がいんのか?」

 普通ならこんなこと恥ずかしくて訊けないが、成海が俺の気持ちを知ってしまった今、それもない。成海も意表を衝かれて目を丸くする。

「ううん、いないよっ!」

 咄嗟にかぶりを振って否定した。けどその直後に何かに気付いたようにはっと息を呑んで、申し訳なさそうにそっと目を伏せた。

「だから……その……海斗くんのことも嫌いじゃないんだけど――」

「特に好きでもねぇってか」

 成海の代わりに言葉の続きを口にする。だけどその答えは予想の範疇だ。成海が俺に特別好意を抱いているわけじゃないことは知っていた。なればこそ――

「だったら俺と付き合ってくれ。今成海が俺を好きじゃないなら、いつか俺を好きにさせてみせるから」

「でも……」

 呟いてちらりと佳奈へ心配そうに目をやった。佳奈もその視線に気付いて、僅かに口角を上げてふっと微笑を零した。

「ウチの事は気にしなくて良いわよ。別に、こんなことでなるを嫌いになったりしないから」

 その言葉にちょっと安心したように成海が息を吐く。しかしその表情は依然浮かないまま。

 当然だ。佳奈はああ言っているが、たとえそれが本当だったとしても成海には真偽知る方法が無い。俺と付き合えば佳奈との友情が壊れ、俺を振れば俺との関係が悪化する。そう考えているに違いない。

 迷っているのだ。

 そしてもし成海が、俺と佳奈を天秤に掛けていたとしたら、軽いのは間違いなく俺の方……。

 そんな事を思っていただけに、次に成海が口にした結論には僅かながら驚いた。

「うん……海斗くん、よろしくね」

 心成しか成海には似つかわしくない、穏やかな笑みを浮かべていた。

 ただ、その笑顔に屈託がなかったと言えば、どこか嘘になる気がした。“迷い”が、垣間見えた気がした。


 ――それは先に俺が懸念していた逡巡とは、また別種の。


 唐突に、佳奈がブランコから立ち上りながらぱんっと手を叩いた。思ったよりも力が入ってしまったようで、拍手音が公園中に響き渡る。だがそれをまったく気にも留めず、明るく振る舞う。

「はい! それじゃ、無事にカップルも成立した事ですしここらでお開きにしよっか!」

「あっ、うん」

 半ば強引に締め括ると、成海が困惑交じりに相槌を打つ。

「ほら、海斗も。さっさと帰るよー」

 佳奈が、何気なしに全くいつも通りの感じで俺の腕を引く。けれど俺は動かなかった。

「もう夜だし、俺は成海を送ってく」

 その言葉に、佳奈の肩がぴくっと跳ねる。

「そ、そうね。それが良いかも」

 振り向いた表情は笑顔。誰が見てもそれは笑顔であるとしか言えない表情だった。けどそれはどうしようもなく苦しげで、懸命に保たれているその笑みは、今にも崩れそうだ。

 彼女は必死で何かに耐えている。微笑みながらも眉間に薄く刻まれた谷が、その事を物語っていた。

「じゃあウチはもうちょっとここで星でも見てから帰ろうかなぁ」

「おう。……じゃあまたな。成海、行くぞ」

「あ、うん。えっと……佳奈ちゃん、またね!」

 踵を返して歩き出す。その後をとててっと成海が追って来る音が耳に届く。一歩分離れて俺の隣に並んだ。

「海斗くん……。佳奈ちゃん、良いの?」

 公園を出た辺りで成海が囁くように尋ねてきた。

「ああ」

 それはたぶん、このまま放っておいて良いのかという問い掛けだったのだと思う。

 あの、胸の奥をギュッと握られたような顔を思い出せば、今すぐにでも回れ右をしたい。それは友達として。幼馴染として。

 けれど俺も、そして成海も、それだけは決してしてはならないのだ。今、俺達に出来る事はほとんど皆無と言っても過言じゃない。差し当たっては、ただ何もせずにあの場所を去り、佳奈を一人にしてやる事ぐらいしか――。

「……さっき、佳奈は公園で何をしてから帰るって言ってた?」

「え? …………あっ」

 俺が問うたことで、成海も気付いたらしい。空を見上げて声を洩らした。

 あの時あいつは、星を見てから帰ると、そう言ったのだ。

 げに、今夜は明るい。


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