#13 繋がる関係
花火が終わって、屋台が店じまいを始める時間まであたしたちは会場にいた。
「今日は楽しかったねーっ!」
「お姉ちゃんはしゃぎ過ぎ……」
瑠美子に窘められるが、あたしの興奮は全然冷めやらない。
「えーっ、だって花火すっごく綺麗だったじゃん! 来年もやらないかな!?」
「いや今日は特別でしょ。毎年あるのは駅前の盆踊りだけじゃん」
言われてみればそうだった……。確かに市制60周年だからこれだけ大規模に出来たわけで、次があるとすればたぶん10年後くらいだろう。うわぉ、あたし社会人だ……。
隣を歩く柏野くんが、ふむ……と顎に手を当てる。
「なるほど、だから駅前のロータリーに櫓が組まれていたのか」
「そっかー、柏野くんは自分ちから駅見えるもんね。盆踊りもまた皆で行きたいなー」
まぁ今日の花火大会ほど豪華じゃないだろうけど、祭りが、というよりやっぱり仲が良いメンバーで遊ぶのが楽しい。
「それなー」
と佳奈ちゃんが相槌を打った。
少しの間、祭りの楽しさの余韻に浸りつつ、わいわい喋りながら歩いた。そこで気が付いたことが一つある。
「……海斗くん、どうかした? さっきからなんだか元気ないけど……」
尋ねると、海斗くんが何か返事をするよりも前に、彼の身体がぐいっと引っ張られる。
佳奈ちゃんが海斗くんの首根っこのところを掴んでいた。
「あ、じゃあウチらこっちだからー。じゃね、みんな」
「俺も~。またねー」
いつの間にやら別れなければならない交差点に差し掛かっていたのだ。二人の後を河内山くんがこちらに手を振りながら後ろ向きの小走りで追う。
「あ、うん。じゃーねー」
「先輩方、さようならー」
別れの言葉を告げ、瑠美子とあたしは手を振って、柏野くんはただ無言のまま、三人が曲がり角を曲がるまで見送っていた。
人数が減ってちょっと寂しくなるなぁ……。そんな事を思うあたしの隣で、突然瑠美子がぱちんと指を鳴らした。
「あ、そういえばさー。お姉ちゃん、柏野先輩を家に連れて帰るんでしょ?」
いやまぁ確かに間違ってる事は言ってないんだけど、言い方がもうちょっとどうにかならないかな……。
「そういう言い方すると変な風に聞こえるからやめてよ……。柏野くん、あのね、なんかお母さんが柏野くんに会ってみたいって言ってるんだけど、これから私ん家に来れるかな?」
今は10時ちょっと前、あたしとしては結構無理なお願いだと思ったけれど、訊くと、柏野くんはいつものように小さく首肯してくれた。
「ああ、問題ない。第一、このぐらいの時間で、ましてや祭りがあった日なら高校二年生が外出してるのはそうおかしくも無いだろう」
「そ、そっか」
うーん、でも我が家は10時までには帰ってこいってよく言われるんだけど……。やっぱり男子だから結構そういうところは放任主義的な感じなのかな。いやでも、いくら高校生でも夜は危ないよね?
不意に柏野くんが、「そう言えば――」と話を切り出す。
「君の店のケーキ、なかなか美味しかったな……」
「うちで買った事あるの!?」
「ああ。ついこの間、母の見舞いに行ったときに」
ここ最近は出かけていることが少なかったから、お昼頃ならたぶんその日もあたしは家にいたはずだ。
「言ってくれば上がって貰ったのに……」
「いや、そのときはまだあの店が成海の家だと確信していなかったから……。偶然の一致かと思ってたんだ」
「それじゃあしょうがないかぁ」
確かにナルミという読みの苗字は多くはないけど、うちの他にあってもおかしくはない。まぁ見た事ないけど。
「でもそっかー、あたしじゃなくてお父さんが作ったケーキだけど、美味しいって言われるとなんかあたしも嬉しいな」
すると隣を歩く瑠美子が、ふあ~~……と大きな欠伸をして、目元に滲んだ涙を拭いながら口を開いた。
「お姉ちゃんもたまに作るよねー」
「へぇ……成海もケーキが作れるんだな」
柏野くんが感心したように声を洩らした。でもその微笑みはどこか意外そうにも見える。
「あーっ、今あたしがケーキとか作れるのが意外って思ったでしょ!」
頬を膨らませて抗議するとやっぱり柏野くんはそう思っていたらしく、ちょっと驚いたように眉を上げた後、正直に頷いた。
「普段の成海はかなりドジを踏むから、食べ物を作っているイメージがなかった」
「ひどーっい。あたしだって結構いろいろ出来るんだから。ね、瑠美子」
「ケーキ作り以外はほとんど出来ないけどね」
「そこは味方してよーっ!」
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三人で時折笑いが混じるようなやり取りをしているうち、今日の集合場所でもあった“なるみケーキ”、つまり成海の家の前まで戻ってきた。
時間も時間なのでやはりもう店じまいしているようで、店先に置いてある三角の立て看板にはCLOSEDの文字が書かれていた。
「それでは私はこっちで~」
と店の外壁に沿うように設置された木造の階段を瑠美子が足早に駆けあがって行った。既に彼女の心を読んでいるので僕は分かっているのだが、成海がわざわざ補足説明をしてくれた。
「うちは一階がお店で、二階が家なの。でもお父さんとお母さんはまだお店にいると思う」
ちょっと重ためガラス扉を開けると、上部に取り付けられた鈴がチリンチリンと涼しげな音を立てる。
「ただいまー!」
成海が叫ぶ。数秒待ってから、店の奥からエプロンで手を拭きながら一人の女性が姿を見せた。「おかえりなさい」と成海に目をやり、そして隣にいる僕を見て目を丸くする。
「あらぁ、もしかして波駆くん!? ど~も~、鳴子の母の菜実子ですぅ」
と、いきなり僕の下の名前を口にしたことに、少々驚いた。だがしかしある程度予想していたのと、彼女の心が読んで事情を即座に把握できたのもあり、無駄に取り乱すことはなかった。
しかしやはり成海は、驚きを隠せないようだ。
「お母さん、柏野くんのこと知ってるの?」
「そりゃあ知ってるも何も、さっちゃんの息子さんだものっ! この間、病院にお見舞いに行ったとき、さっちゃんから話を聞いてもしやって思ったんだけど、やっぱりあの時のお客さんが波駆くんだったのねぇ~~」
さっちゃん……。始めて聞く名だが、たぶん柏野紗代、つまり僕の母のかつてのあだ名なんだろう。
「覚えてらっしゃったんですね」
「あの日は午前中のお客さんが波駆くんだけだったから印象に強かったのよぉ。……それにしても目元とかさっちゃんにそっくりねぇ」
常ににっこりと微笑みを湛えながら話している様子は、何とも言えないほんわかした空気を作りだす。けどどこか危なっかしい感じが、成海と似通っていた。
「ねえお母さん、何で柏野くんのこと知ってるの? さっちゃんって誰のこと?」
未だに話に付いて来れていない成海が菜実子さんに尋ねる。すると彼女はちょっとだけ表情を曇らせつつも、懐かしそうに説明した。
「さっちゃんっていうのは波駆くんのお母さんよ。私とさっちゃんは高校時代の同級生でむかしはそうやって呼んでたの。でもさっちゃんったら急に、高校卒業したら東京の大学に行くなんて言い出して……。年賀状は毎年くれてたんだけど、全然会いに来なくてねぇ……」
「へー、そうだったんだー」
成海がいくらか興味深げに相槌を打つ。
菜実子さんは“急に言い出した”などと言っているが、僕の母がそう言い出したのは両親を亡くしたことがきっかけであることを、ちゃんと分かっているようだった。やはり仲が良かっただけの事はある。
けどそこまで詳しく成海に話すつもりは無いらしい。知らず知らず翳りかけた話題を転換させた。
「……でもさっちゃん、結構前にこっちに帰ってきてたのねぇ」
「え?」
この町に来たのは一ヶ月ほど前。それを結構前と言って良いものだろうか……。意味が分からず聞き返すと、話が噛み合わない事に「あれ?」と菜実子さんが首を傾げる。
「だって中学の頃から鳴子の話にたまに“柏野くん”って出てきてたからぁ……」
それで納得がいった。そのときの柏野とはおそらく柏野海斗のことだろう。同じことを成海も思ったようで慌てて誤解を解きにかかる。
「えっと、違くて。今までの柏野くんは柏野くんとは別の柏野くんなの」
更にややこしくなっていた。今の話、僕でも理解するのにちょっと考えてしまったぞ……。
ならば無論、菜実子さんも混乱して傾げていた首を更に捻るわけで。仕方がないので代わりに僕が成海の言葉を分かりやすくして説明した。
すると菜実子さんも合点がいったようで、こくこくと何度か頷く。
「ああ、そういう事だったのね。鳴子の話っていっつも分かりづらいのよぉ……」
「えー!? そんなことないよ!」
そうか、自覚は無いのか。
まぁそれは良い。いずれにせよ成海の母親に会うという目的は果たしたことだし、これ以上ここにいる意味は無いな。
「じゃあ成海、僕はそろそろこの辺でおいとまするよ」
「え、もう帰っちゃうの!?」
成海が驚きの声を上げる。
「ああ、時間も時間だ。これ以上長居するのも迷惑だろう」
言いながら腕時計を見せると、成海は「あ、もうこんな時間……」と呟いて、大きな欠伸をした。それからハッと何かに気付いたように急いで口を隠して、恥ずかしそうに顔を赤らめる
菜実子さんは胸の前で手を合わせて残念がった。
「さっき来たばかりなのにねぇ……。あ、そうだわ。お土産にケーキどうかしら」
正直甘いものを食べたい気分ではないのだが、ここで断ると言うのも逆に失礼に思える。なのでそこは素直に受け取った。きっと僕が食べずとも母が喜ぶだろう。
「あたし、見送るね!」
二人で最後まで菜実子さんの笑顔を背に受けながら店の外に出る。こんな時間でも夏ゆえか、陸から海へ向かって吹く陸風はどこか生温かかった。
「また今度」
短く別れを告げ、自宅へ歩き出す。けれどそれに対する返事がない事を怪訝に思って半身で振り返った。
成海が何か言いたそうな様子でこちらを見つめていた。
その口が恐る恐る開かれる。
「――次はいつ、会えるかな?」
その面持ちはそこはかとなく心配そうだったが、それが何故か分からない。
「遅くとも盆踊りの日には。君が言い出したんだろう。……けど何故そんな事を気にするんだ」
問うと、成海が意表を突かれたように言葉を詰まらせた。きっと自分でもそんなことを言い出した理由が分かっていないのだ。困惑ゆえの狼狽なんだろう。
「会おうと思えばいつでも会えるさ。僕は大抵暇を持て余してる」
微笑み交じりに言い添えると、成海はぱあっと花が綻ぶような笑顔を見せた。
「うん!」
「じゃあ、また」




