#11 青春はりんご飴のように甘くない。
「そういや、何でいきなり射的やりたいなんて言いだしたんだお前」
射的の屋台にていっちょ前にコルク銃を構えて狙いを定めている佳奈。その様子を脇で眺めながら訊く。
「何となく。なんかあの時ふと思い出してやりたくなったの」
ぺんっ! と撃った弾が景品のぬいぐるみに当たるが、しかしそれはぐらりと揺れるだけで、撃った弾は敢え無く落ちてしまった。
小さく溜息を吐いて次の弾を込める。
「っていうか何でそんなこと訊くのよ。何、あんたコリントゲームの方が良かったの?」
「いや別にそういう訳じゃねぇけど……」
「なら良いじゃない、別に」
この会話を聞いていても分かるように、昔からこうして佳奈の所業に振り回されることが多々あった。あー……考えてみれば、それも結構久しぶりかもな。
思い出に意識を巡らせている間に、佳奈が最後の一発を撃った。
今度は狙いを変えたようで、コルク弾はぬいぐるみではなくチョコ菓子の箱に当たってなんとか倒れる。
店主のおばちゃんから、倒したチョコ菓子と参加賞のうまい棒を貰ってそこを後にした。
「海斗はやんなくて良かったの?」
貰ったうまい棒を早速齧りながら尋ねてきた。
「別に欲しいもんもねぇしな。それにそんぐらいの小物じゃなきゃ、射的の景品なんて取れねぇんだよ。っつーか、射的やってるおじさんおばさんってセコい事が多いし。もちろん全員がそうとは限んねぇけど」
「何で?」
「何でって……そりゃ試した事あるからな」
あれは確か小4くらいの頃の話だ。景品のゲームソフトがどうしても欲しくて、だがどれだけ当てても倒れない。そこで小学性なりに頭を巡らせて考えた末、友達と4人で同時に弾を当ててようやく倒したんだよなぁ。
けどそこで店主が何て言ったと思う? 「ちゃんと棚から落ちないとダメ」だと。いやいや、前の客とか普通に別の景品倒しただけで貰ってましたけどね……。
佳奈にその話をすると、何を思ったか急に腹を抱えて笑いだした。
「あははははっ! もう、男子ってほんっっっとバカだわ!」
「バカって何だよ……。小4の俺、可哀想すぎんだろ。もっと同情をしろ同情を。当時の小遣いの半分が消えたんだぞ」
「いや、同時に撃っちゃダメでしょ。そりゃお店の人も困るわ。っていうかそもそも、射的って景品を取るのが目的じゃなくてあくまで楽しむのが目的だから」
「それ言ったら全部そうだろ。まぁその理屈だとくじ引きだけはやる意味無いけどな」
あれ絶対、特等のくじだけ入ってないだろ……。何でそう言えるのかって問われたら、だって自分ならそうするもん。さいていでしょうか、いいえだれでも。
うまい棒の最後の一欠片を口の中に放り込むと、不意に佳奈が立ち止まる。ぐいっと俺の袖口を引っ張った。
「はい、じゃ次は輪投げやるからこれ持ってて」
とさっきの景品のチョコ菓子を渡してくる。俺がそれを素直に受け取ると、輪投げの店の列に並んだ。っていうか、え? 射的だけじゃなかったのかよ……。あんまり道草食ってると間に合わくなりませんかね。
けれどそれほど待たずして順番が回って来る。予め財布から取り出してあった二百円を払って、小学校のリレーで使ってたバトンみたいな輪っかを幾つか受け取っていた。
「お姉ちゃんたち、高校生かい?」
店主のおやじが佳奈に声を掛ける。フレンドリーな老人だと初対面でも結構話しかけてくるものだ。それは佳奈も理解している所なのか、あまり動じずに愛想笑いを浮かべながら、はいと答えた。
「だったらもうちょっと後ろからだなぁ。本当はそこ中学生の線だから。……あーでも女の子だしそこでも良いかな」
「あ、そうなんですかー。じゃあもうちょっと後ろからやります」
そこはやはりプライドが許さないのか、佳奈が数歩後退る。しかしそうなると点数板までの距離はおよそ3メートルほどになり、なかなか難易度は高いように思えた。
「……ってい!」
思ったよりも可愛らしい掛け声とともに、出来るだけ身を乗り出して輪を放る。だが勢いが強すぎた様で、点数番の後ろまで飛んでいってしまう。
「惜しいねーっ。もうちょっと弱く投げてみな」
というおやじのアドバイスも聞こえてなさそうだ。めっちゃ集中してんな……。
「ほっ!」
第2投。しかし点数番に当たりはしたものの、上手く棒に入ってくれず得点なし。
続いて投げると、3投目でようやく20点の棒に入った。
思わず出ちゃったガッツポーズ。
でもぐっと拳を握ってるけど、全然ダメなことに気付いてるのかしら……。貰える景品は得点の範囲ごとに分けられてるので、20点だとまだ参加賞の範囲である。
因みに一投で稼げる点数は最高で50なので、どう転んでも景品はちゃちいのしかもう手に入らない。そのことに佳奈も気付いたらしく、むっと悔しげに眉根を寄せた。
「うまい棒は一本で十分!」
たぶん参加賞はもういらないっていう意志の籠った掛け声だったんだろう。その力なのかどうかは知らんが、輪はくるくると回転しながら一番上の50点の棒に引っ掛かった。
「やたっ!」
「おお~、おめでとさん! じゃあ合計点が70点だからそこの中から好きなの選んできな」
おやじが、店のちょっと横のカウンターにずらっと並ぶプラスチックかごの一つを示す。佳奈はその中を覗き込むと、大して考えもせずに無造作に景品を取った。まぁまたお菓子だし、あんま考える意味が無いのは分かるけど。
「彼氏さんの方はやらねぇのかい?」
一瞬、店主が誰に話しかけてるのか分からなかった。けど2秒ほど考えを巡らせて、その“彼氏さん”とは俺のことを指しているのだと悟った。
「あ、いや――」
「あんたもやれば?」
否定しかけたところで佳奈に遮られてしまった。そこで意志を突き通して「やりません!」と答えればよかったのだが、しかしこんな所で意地を張るのもバカバカしい。
折れて、首を縦に振った。
「じゃ、一回だけ」
「あいよ!」
まだ俺が持っていたチョコ菓子を取り敢えずポケットに突っ込んで、二百円を払い輪っかを受け取った。
たださっきも話していた通り、祭りとは基本、楽しんだ者勝ちだ。もちろん景品も貰えればそれはそれで嬉しいもんだが、プラスチックの剣なんてちょっと振り回したらすぐ飽きるし、落とすと中身がカラフルに明滅するゴムボールの玩具だって3日も経てば電池は切れる。
こういうのは脱力してやるのが丁度良いのだ。
そんな訳で、体の軸が安定しやすいように低く構え、出来るだけ点数板に近くなるように目一杯腕を伸ばす。一番上の50点棒に狙いを定め、手首のスナップを上手く利かせて輪を投げた。
「おおっ! お兄ちゃん上手いねぇ!」
店主がばちばちと低い拍手をする。
……結局マジでやっちゃうんだよなぁ。
結果は170点。満点まであと30点という惜しい点数で、結構悔しい。
その小さな落胆を見せないように、意気揚々とかごを見に行く。
だが如何せん、欲しいものが無い。うーん、お菓子貰っても口渇くからあんまり食べないんだよなぁ……。かといってフリスビーとか貰っても邪魔なだけだし。などとしばし悩んだ結果、缶バッジ二つを貰った。
「まいどっ!」
店主の声を背に受けながら店を離れた。すると佳奈が唐突に吹き出す。今俺は何もしてないからたぶん、思い出し笑いかなんかだろう。
「……どうした」
「いや、海斗すっごい本気だったなぁと思って」
べ、別に本気とか出してねぇしー。輪投げごときでそんなマジになるワケないだろっ! なんて言うと相当言い訳臭くなっちゃいそうなので、代わりに鼻笑いで軽くあしらった。
けど他にもウケる要素があったようでまだ笑っている。
「それに彼氏さんって呼ばれたときも、否定してなかったしっ」
「いやそれはお前に遮られてだな……」
こればっかりは弁明しないわけにはいかない。輪投げをやると言ってしまった所為で、そっちを否定するタイミングを逃してしまったのだ。
「別にそういう気があるとか――」
「分かってるわよ」
いやに早い返事だった。いやまぁしかし、分かってくれてるのなら何でも良い。ふと目を落とすと佳奈がようやくさっきまでのお気楽な笑いを収め、だが代わりにどこか寂しげな微笑を浮かべていた。
「……ウチはそれでも良いんだけどね」
「あ? 今何つった?」
この人混みの中だ。ぼしょぼしょ話していたら全然聞こえん。聞き返すと、微笑みを崩さないまま前方の屋台の一つを指差した。店上部の横幕にはでかでかと“りんご飴”の文字がある。
「そろそろ買ってこ」
「おう、じゃあ行くか」
店に歩を進めながら、先ほど貰った缶バッジの一つを自分の胸に付ける。もう片方を佳奈に差し出した。対する佳奈は怪訝な表情で缶バッジを数秒見つめてから、俺を見上げる。
「さっきの輪投げで取った景品だよ。二つあっても仕方ねぇから、一個やる」
「え、うん……ありがと」
よっしゃ押し付け成功。いやぁセットだったから、一個処理できて良かったぜ……。流石にこんなもん二つあってもどうすりゃ良いのって感じだったからラッキー。
などと思っていると、その横で思いがけず佳奈がちょっと嬉しそうに、缶バッジを提げていた巾着に入れているのを見てしまった。そういう顔されると罪悪感を覚えるんだけど……。
「まぁいらなかったら適当に捨てといてくれ」
「いらなかったらね。……ってちょっと、どこ行こうとしてんのよ。りんご飴はここでしょここ」
「え? あ、ああ」
喋ってるうちに通り過ぎそうになってしまったところを呼び止められた。ちょっと引き返して佳奈の隣に並ぶ。
今が6時15分なので、買ってから向かえば丁度良い時間だろう。あいつら、ちゃんと買ってるかなぁ……。いやでも成海には柏野が付いてるし、河内山も成海の妹もたぶんしっかりしてるだろうからそれほど心配する事でもないのかもしれん。
いやそれにしても、成海の妹はすっごい嫌そうな顔してたな……。隼輝はすげぇ嬉しそうだったけど。まぁアイツ、いつもはああやって、思わずドン引いちゃうようなこと言ってるけど、超えちゃいけないラインはちゃんと弁えてるから大丈夫なはずだ。……大丈夫だよね?
ぼーっとそんなことを考えていた。
するとその心配をいったいどう捉えたのか、隣で佳奈が突然思ってもみなかったことを口にする。
「何? なるが気になる?」
突然の質問でも狼狽えない俺だ。それどころか気の利いた事を返してしまう。
「……何それ、だじゃれ?」
「は、何言ってんの?」
おい、お前が言ったんだよ。“なるが気になる”ってお前が言ったんだよ。ほーん、ちょっと上手いじゃねぇかって思っちゃった俺の感心を返して!
しかしギャグでないなら何なんだ……。質問の意味を量りかねて問い返す。
「何でいきなり成海が出てくんだよ」
「別に」
素っ気なく答えると、前を向いたまま元々俺と合わせていなかった視線を更に別へ逸らす。
最近、こういうのが多い。そう思った。
ここんとこ、佳奈の考えてることが良く分からん時が多いのだ。要するに、その言動・行動を起こした理由が理解できない事がままあるのである。
今だって向こうから話を振ってきたくせに自分で勝手に終わらせちゃったしよ……。
「なるって可愛いよね」
唐突に呟く。その視線は依然前に向けられたままだ。
「可愛くて、みんなに好かれてて、性格良くてさ。因みにあれ、作ってるとかじゃないからなー。本当モテるのも当たり前だわ」
「だからさっきからどうした」
さっきから話飛びすぎだろ。もうドラクエ終盤の主人公なみに飛んじゃってる。あいつら最後の方ほとんど歩かないからな。ルーラと飛行ばっか。……っていうかそれ以前に、何言ってんだこいつ。
「お前それ、嫌味か何かなの?」
「え?」
俺の問いかけに、きょとんとしてこちらを仰ぎ見た。その怪訝な表情はまさしく、意味分からんって顔だ。いや意味分かんないのこっちなんだけど。
「だってそれ言ったら、お前は加えて運動も勉強も出来るし、成海よりスタイル良いんじゃねぇの? ……ああいや、スタイルに関しては隼輝情報だから本当はどうか知らんけど」
「……ウチ性格良くないし」
「自分で言ってるぐらいなら全然悪くねぇよ。古文で言うところの、成海が“よし”なら佳奈は“よろし”みたいな」
っていうかそれ以外を否定してないんですけどね、この幼馴染……。
俺がじとっとした目を向けるが、それには気付かずに一人で吹き出していた。
「ぷっ……何それっ」
「悪いな。お前が何で悩んでんのかは知らんけど、生憎俺はフォローが苦手なんだよ」
ついでに言えば、ふぁぼも苦手。迂闊に変なツイートをふぁぼると次の日学校で友達からめっちゃからかわれるから要注意な。……ていうかちょっと? 佳奈さん、そろそろ笑い止んでも良いんじゃないですかねぇ。
という、俺のその咎めるような視線はちゃんと感じてくれたらしく、佳奈は笑いを「やーあはは……」と髪を手櫛で梳きながら締め括った。
「なんかさ、もう悩んでんのが馬鹿みたいに思えてきちゃった」
「おう、そりゃ良かった」
うむ、やっぱり分からんな。別に俺大したことしてないのに勝手に悩みが解決しちゃうとか、俺ってもしかして超能力者?
なんて俺が一人満足げにうんうん頷いている横で、佳奈はどこか遠い場所を見つめるような目をしている。そんなこと然して気にも留めていなかったのに、数瞬後に口にしたその言葉は凄まじいものだった。
「やっぱウチ、あんたのこと好きだなー」
…………ぬ?
ぴたっと時間が止まったように思えた。
否、止まっているのは俺だ。自分たちの順番が回ってきたらすぐにりんご飴を買えるよう、財布から出して準備していた百円玉。それらをポケットの中で弄んでいた手の動きすらも、止まってしまった。
しかし、俺が黙ってる所為で会話のターンはまだ佳奈にある。
「先に言っておくけど、人間として――とかじゃないから」
逃げるつもりはない。けど、あまりにも予想を超える出来事のため、それを即座に処理し切れずに俺の頭は白く染まった。
きっと一番緊張しているのは佳奈の方だろうに、何故か無性に喉が渇く。それを潤すために唾を飲み込むと、こくりと喉が鳴った。
「次どうぞー!!」
しゃがれた大きな声が、止まっていた時間を突き動かす。そうこうしている内に順番が来てしまったのだ。
「6個下さーい」
「あいよ!」
もちろん、答えたのは佳奈。その表情はどこか晴れやかにも見えた。まるで成海のように無邪気に笑っている様子が彼女らしくなく、もしや空元気なのではとすら思ってしまう。
するとその笑顔の眉間に急に谷が刻まれ、こちらを向いた。
「ほーら、ぼさっとしてないでお金払って!」
その叱責が半ば呆然としていた俺の意識を返させる。
「あ、ああ……」
お金を預かっているのは俺であることを忘れていた。慌てて千円札と幾つかの百円玉をポケットから取り出す。代金を支払って、俺が三個、佳奈が三個で分担して焼そばを受け取った。
すたすたと佳奈が歩き出す。その後をやや小走りで追いかける。が、十歩ほど進んだところで不意にその足を止めた。
「ウチさ、分かってるんだ。海斗が好きなのは成海鳴子で、白波瀬佳奈じゃないんだってこと。だからさっきの告白もほとんどダメ元……」
あくまで前を向いたまま言葉を紡いでいく。この祭りの喧噪の中で、ようやく聞き取れるぐらいの声だった。
「実を言えば、ずっとなるのことが羨ましくて、あとちょっと妬んでた。結構ずっと前から好きだったのに、あんたは全然気付かなくてさ……。ウチの方が海斗のこと知ってるのに、ずっと一緒にいたのにって思ってたんだー。それでもやっぱりあんたの心はずっとなるにあって、だけどたとえ10%、いや5%でもウチにも可能性があるならって……」
堰を切ったように矢継ぎ早に捲し立てるその様子は、まるで俺に喋らせまいとしているかのようだ。
「だから――」
『会場にいらっしゃるお客様にご連絡いたします。本日の花火は――』
佳奈の声に、花火打ち上げを知らせるアナウンスが重なった。佳奈も一旦口を止めてそのアナウンスに耳を澄ます。それから振り向くと、集合場所である坂の上を指差した。
「早く! ちんたらしてたら始まっちゃうでしょー」
と、俺を急かして走り出す。俺も遅れて後を追いかけた。
しかし俺がスニーカーを履いているのに対して、佳奈は浴衣にサンダル。走りにくいことこの上ないようで、難無く追い付いてしまう。
小走りのまま、佳奈が短く息を吸った。佳奈の走るスピードが徐々に落ちる。ぱたぱた忙しなかった足音のリズムが次第に遅くなり、そして止まった。
「だからちょっとでも良いから――」
その順接語でさっきの続きだと咄嗟に悟る。一瞬の間を置いた。
「……考えてみてね」
彼女がこんなに白い歯を見せて笑ったのを目にするのは、いったいどれぐらい振りだったんだろう。




