#09 祭りは一人じゃ寂しい。
バンっ!
「お姉ちゃん、大ニュースだよ!」
ご飯を掻き込んでいた瑠美子はお茶碗を置くや否や、くわっと目を見開いていきなりテーブルを叩いた。食器がカチャカチャ揺れ、コップに注がれたお茶が危なく零れそうになる。
「瑠美子、飯ぐらい静かに食べなさい」
とお父さんに窘められるが、お構いなしだ。
「今日、部活で友達から聞いたんだけどさ! 今年の夏はシセイ60周年かなんかで花火大会やるんだって!」
「知ってるよ?」
あたしがこともなげに答えると、瑠美子は、ほみゅ? と拍子抜けしたように首を傾げた。今更何言ってんだろこの子……。
「っていうか、それこの間あたしも瑠美子に教えたじゃん。ツムツムばっかやってて全然聞いてなかったけど」
「むむむ……覚えてないぞよ……」
「だから覚えてるも何も、無視してたんだってば」
「あー……まぁいいや、そいでさ――」
ごめんも無しに、けろっとして話を先に進める。うわぁ、すごいテキトーだ……と思っていると、まったく予想すらしていなかった事を瑠美子がのたまった。
「お姉ちゃん、一緒に行かない?」
「え?」
継がれた言葉に、思わず反射的に聞き返してしまう。それがわざとやったようにも見えたのか、瑠美子が不機嫌そうに口を尖らせる。
「だーかーらー、一緒に花火大会行こうって言ってんの」
「え、でも、友達と行かないの?」
あたしもそうだけど、祭りとか花火大会とかそういうイベントは普通、友達と行くものだ。むしろ会場で家族とは会いたくないまである。
だから瑠美子が何故、急にそんな事を言いだしたのか量りかねていた。
「その友達が全滅だから言っているのだ、我が姉よ。これを見たまえ!」
あたしがその妙な言葉遣いに突っ込みを入れるより先に、ずいっとスマホを突き付けてきた。ラインのトーク画面が映っている。
RUMIKO:《今度の花火大会一緒に行こうぜ!ヽ(^o^)丿》
さーや:《あー潮見浜んとこでやるやつでしょ?花火とか家のベランダから見れるんでパスっすwww》
りこぴん:《いや、うちは行きたいんだけど、親が受験生でしょっつってウザい。。。》
TKG:《瑠美子ごめん!今、北海道のお婆ちゃんち(>_<)》
レッツ井上:《あーそれ、たくみと行く約束しちゃったからごめ》
さーや:《はいはいリア充リア充》
とまぁ、そんな具合だった。TKGの本名はたぶん、高木とかかな?
トーク履歴を目にしたあたしは思わず苦笑を零して、何度か小さく頷いた。
「うん……まぁ、これじゃあしょうがないね……」
「だしょだしょ!」
瞳を潤ませ、同情を誘うような目を向けてくる。でも別にあたし一人で行くわけじゃないんだけどなぁ。
「うーん、でも他にも佳奈ちゃんとか柏野くんと海斗くんの二人も一緒だし……。一人だけ後輩って感じになっちゃうけど大丈夫?」
「佳奈先輩なら仲良いし問題ないっしょー」
「ならあたしは構わないけど……、瑠美子がそう言うなら」
いやでも、自分だけ学年が違うと結構居場所がなくて手持無沙汰になることが多いんじゃないかな……。会話とかにも参加しづらいし。
だから瑠美子がどうしてこんなにあたしと花火を見たいのか、まだ理解出来ないでいた。
「でも、何でそこまで?」
尋ねると、瑠美子がやれやれといった様子で肩を竦めて首を振った。え、なんで呆れられてるの……。
「もうね……花火を独りで見るとか、何それ失恋でもしたのかよ私。想像しただけで目からほろりと水が零れるわ!」
くわ! っと目を見開いてまたしても机を叩いた。お父さんも忘れずに「静かにしなさーい」と注意を入れるけど、その言い方が然もどうでも良さげで、一方の瑠美子も変わらずシカトしていた。
「お姉ちゃん分かった!?」
「またまた大袈裟な……」
「全然大袈裟じゃないよ! あたしだってさー、花火とかは本当は彼氏と見たいんですよ~……。いないけど。いないけど」
最後2回言っちゃってるところとかがもう自虐的すぎて、こっちも泣きそうになりそうだった。そんな風に他人事だと思っていたからかもしれない。次の言葉で虚を衝かれてしまう。
「お姉ちゃんもさー、一緒に花火見たいとか思う人いないの?」
「そんなのいな――」
いよーっ! と続けるつもりが、そこで言いかけた声がぷつっと途切れてしまった。ふと脳裏に浮かんだ顔があったからだ。それを振り払うように無理矢理笑顔を作る。
「……いないよー」
なんとか誤魔化したつもりだったが、やっぱり変な間が空いてしまった所為か瑠美子が疑わしげな視線をこちらに向けていた。
「お姉ちゃん、やっぱりビッチに……」
「なってないってば!」
流石に親がいる前でそれは勘弁して……。たとえ瑠美子が勝手に言ってるだけだとしても、ちょっと面倒くさい事になりそうなので話題を変えることにした。
「そ、それにしてもさー、シセイ60周年の“シセイ”って何だろうね?」
ぱっと思い付いた疑問を口にする。でもその割に本気で分からないんだけど……。
すると瑠美子がバカを見るような目をあたしに向け、ぺちっと額に手を当てて溜め息を吐いた。
「そんな事も分からないの、お姉ちゃん? アレに決まってんじゃん。あれだよあれ。最近大河ドラマでよく言ってるやつだよ。至誠一貫のやつだよ」
「え、絶対違うでしょ」
至誠60周年ってどういうことなの。どれだけ誠実だったんだろう……。
と、あたしの否定にちょっとむっとしたらしい瑠美子が口を尖らせる。
「じゃあお姉ちゃんはどう思うのさー」
「ん――、市政……とか? 市立の“市”に政治の“政”で」
「どういう意味?」
「え? いや、あの、本当はどうか分かんないけど……。市政60周年っていうのは、たぶん市の政治が始まって60年、みたいな感じかな?」
まぁ完全に勘っていうか、そんな気がするってだけなんだけど。だからというわけでもないだろうけれど、やっぱりあたしの意見には説得力が無かったらしく、瑠美子は尚も納得し切ってない顔で唸っていた。
ところが、あたしの隣で味噌汁を啜っていたお父さんが声を上げる。
「おお、それ結構惜しいなぁ~。正しくは、セイの字は制度とかの“制”な。まぁ、意味はさっき鳴子が言ってたのでだいたい似たようなもんだよ。ちょっと違うが」
「ほ~ん、まぁそれはどうでも良いけど」
と丁寧に解説してくれたお父さんを瑠美子が冷たくあしらう。うわぁ、お父さんに対する態度が厳しいなぁ……。なるほど、これが思春期というものなんだね!
当のお父さんは、思わず同情してしまうような何とも居た堪れない表情で、ビールをぐびっとやっていた。
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潮見浜町で花火大会が行われる日。
会場となる海岸へと続く道には数多の屋台が連なっていた。既に後方の道の分岐点では車両の交通規制が行われており、海岸までの数百メートルに亘って歩行者天国となっていた。そしてそこは、数日前、母の見舞いに赴く前に立ち寄ったケーキ屋がある通りでもある。
そのケーキ屋こそが今日の集合場所であった。
“なるみケーキ”最初にその名前を見たとき、もしやとは思ったが、やはり成海の家で間違いなかったようだ。だとすればあの時の女性の店員さんは成海の母親という事になる。世の中面白い偶然があるものだ。
そんなことを考えながら人々の流れに乗って暫く歩くと、見覚えのあるテントが建物から突き出しているのが見えてきた。
「あ、柏野くーん!」
そのすぐ真下で、長ったらしい袖口を翻しながら、ぴょんぴょん飛び跳ねてこちらに手を振る少女がいる。成海だった。横を通りすがった人が、微笑ましげな視線を彼女に向けているのが何とも痛々しい。
ぱたぱたとサンダルと地面を擦らせるように駆け寄って来た。
「浴衣か……」
そんな素朴な感想を洩らすと、成海が腰の後ろで手を組んでくるっと回ってみせた。
「良いでしょー。これお母さんの御下がりなの」
水色を基調とした生地には数多の朝顔が咲き連なり、腰をピンクの帯で締めていた。柄としてはオーソドックスで、特に物珍しいものではない。
けれどきっと、“母が着ていた物を自分も着ている”という事がどこか誇らしいのかもしれない。
微笑を浮かべて、軽く頷いた。
「ああ、似合っているんじゃないか」
「うん、ありがと!」
にぱっとはにかむ成海の後ろに、こちらをじっと見つめる少女の姿があった。歳はたぶん、成海と大差ない背丈を見ると中学生ぐらいだろうか。向こうも自分が見られていることに気付いたらしく、成海の隣に進み出る。
「妹の瑠美子ですー。どうぞよろしくです」
ぺこっと頭を下げた。成海が浴衣なのに対し、その妹は漫画のキャラが前面にプリントされたTシャツに、デニムのショートパンツという動きやすそうな格好。髪も肩に届かないぐらい短くカットされたスタイルだ。
しかしやはり姉妹だからだろう。全体的な印象は成海と似ており“元気な女子”といった感じだった。
「僕は成海のクラスメートの柏野波駆だ。よろしく」
そう簡単に自己紹介を終える。と同時に少しだけ落胆もしていた。
彼女の心が読めたから。
成海の姉妹だからもしかしたら……という想いがあったのだが、血の繋がりは関係ないらしい。
そんな僕を余所に、瑠美子がニヤリと不敵な笑みを見せる。成海の脇腹の辺りをツンツンつついた。
「それにしてもさー、お姉ちゃん。柏野くん柏野くんって最近うるさいからどんな人かと思えばなに? めっちゃカッコいいじゃん」
「べ、別にそんなうるさくないし! カッコいいっていうのはそうだけど……」
言いつつ、チラッと僕を見て、すぐに恥ずかしげに視線を逸らした。
そういうのは少し照れるからやめて欲しいんだがな……。
「あと、さっきから思ってたけど、お姉ちゃんあざとくね? たぶんお姉ちゃんの事だから素なんだろうけど」
「あざといって……あたし普通にしてるだけだよ?」
成海が顎に人差し指を当てて小首を捻る。その仕草を見た瑠美子が肩を竦めた。
「ほら、そういうトコだよ。本当に素だとしたらマジ尊敬するわ」
「う、うん……一応ありがと……」
何故いきなり敬われたのか分からないといった様子で、成海は困ったような笑みを浮かべていた。
姉妹のやり取りはこの辺でもう良いだろう。それまでの会話を断ち切るように尋ねる。
「で、他にも来るのか?」
短い文言だったがそれだけでもちゃんと伝わったようで、成海はこくりと首肯した。
「佳奈ちゃんも呼んだの。あと――」
言いかけたところで、僕と話していた成海の視線が背後へずれるのを感じた。それを追って振り返れば、そこには見覚えのある顔が幾つか。
「なると柏野くん、お待たせー。ってあれ、ルミルミもいるじゃん! おひさー」
と、こちらへ控えめに手を振りながら歩いて来る浴衣姿の彼女は、成海の親友である白波瀬だ。しかし彼女だけではなく、その隣には先日病院で偶然会った柏野海斗の姿もある。その後ろには眼鏡を掛けた、確か河内山隼輝とかいう男子もいた。
「成海さん、こんばんはー。ごめんね~~……やー、ここに来る途中で海斗と白波瀬さん見つけたもんだからさ、俺も付いて来ちゃったー」
「あ、河内山くん全然大丈夫だよ! むしろ人が多い方が楽しいし!」
成海が胸の前で小刻みに手を振りながら、とんでもないとでも言いたげに首を振る。それを見た河内山は何やら得意げに柏野海斗に顔を向けた。一方の柏野海斗は何やら憎々しそうに顔を歪めている。
「ったく、何でこんな日までコイツといなきゃなんねぇんだよ……」
「成海さんの優しさは天下一品ですからー! ハーレムを満喫できると思ったんだろうけど残念でした~~。……まぁ、俺が来なくても柏野がいるんだけどね(笑)」
「ああそう言えば、柏野は5日ぶりくらいだな」
と、話題の矛先が唐突に僕に向いたことに少々驚きながらも、頷いて肯定の意を示した。すると成海が、えっ!? と驚愕の声を上げる。
「ってことは、あの海で遊んだ後に会ってるの? じゃあ、もう喧嘩もしてない?」
はて、喧嘩とは何の話をしているんだろう。と一瞬考えてしまった。だがすぐにあれに思い当たる。
「――浜での事か。あの件ならもう済んでるよ」
「そっかー……。ホントは今日二人を呼んで仲直りしてもらうつもりもあったんだけど、なら大丈夫だね!」
いや、喧嘩などと言うから辿り着くのに時間がかかってしまった……。喧嘩は相互での謝罪が必要だが、あれは違う。僕が謝るだけで事足りるものだ。
僕と同じことを思ったらしい柏野海斗が、成海の言葉に苦笑を零した。
「まぁ、そういうことだから。あんま成海が気にすることじゃねぇよ」
「あはは……余計なお世話だったよね……」
成海が力無げに照れ笑う。と、その背に隠れるように立っていた瑠美子が突然、ぴょこっと飛び出した。
「あのぉ、先輩方ー? 全員集まったみたいですしそろそろ遊びませんかねー?」
ちょっと控えめな意見だが、実に正論だ。成海が白波瀬と顔を見合わせ、それからニッコリと微笑んだ。
「うん、そうしよっか! 早く行かないとわたあめ無くなっちゃうもんね!」
――え~~……、そういう事じゃないだろう……。
そう思ってしまったのが、僕を含めて彼女以外の全員だったことは言わずもがなだ。