第165話 雨降る夜の果てに
弾は、的確に白髪の少女を射ていた。
ショットガンに限らずだが、銃弾は風を切り、気づけば自分の身体に穴が空いていた、と後からようやく反応する程あっさりしたものだ。何も分からずに息を引き取れば、苦しくなくて済むかもしれないが、だからと言ってそれを望む人などいるはずがない。少なからず、銃を目にすれば緊張が走る。
だが、目の前の少女はどうだ?。彼女の銃という恐れや警戒などがまったく見えない。どれだけ華麗に避けることができるのかと自分を鍛え続け、命の危険というものを考えていない。
ミロワールは常に笑っていた。カレンは幾度も彼女と面することがあったが、彼女の顔は笑い仮面を付けられていて、表面の笑みは嘘ではないかと思ったこともある。
それは違った。彼女の笑みは作っているわけではないのだ。現に今、カレンのショットガンによる射殺で狙われていても、木によじ登り、枝という枝を渡り歩いて優美に身をかわしていく。
次はどう避けようか。今のは悪かったかもしれない、次は頑張ろう。
彼女は、スリルを味わっている。
それを悟った途端、再び激しい怒りが燃え上がった。ミロワールは、人を殺しても何も思わない。自分を大事にしないで、他人を大事にできるような人はいない。たとえいたとしも、その人は長く生きられず、悲惨な最期を遂げるようなものだ。
もう一つ分かったのは、彼女にはすべてが快楽だが、それ以外の感情をあまり持ち合わせていないのだ。どんな事が起きても、何も思えない、感じることはできない。これは恐ろしいことだ。怒りではなく、相手の悲哀を思い浮かべる。
それがカレンにあるはずがない。倒さねば、倒さねば。ここで始末をつけるのだ。野放しにしてはいけない。スルスルと掻い潜って前へと進んでいく。カレンは、それが余計に腹立たしくなり、相好は崩れて野心がむき出しとなった。
ショットガンだけでは埒があかない。この辺の木々は枝が太くてしっかりしている。人が立って渡られるほどの幅があり、折れてしまう心配はない。ミロワールは身軽に木々の枝の間を飛び、渡り、走っていく。
速い。地を歩くより、木々を渡っていく方が、彼女にとっては良いみたいだ。走り続けているため、拳銃だとブレてしまう。
仕方がない、とショットガンをその場に捨て、背負っていたアサルトライフルに入れ替える。こっちは連射が出来る上に、射程距離も広い。間髪入れずに引き金を引くと、弾が嵐のようにミロワールを狙っていった。
武器を替えられたことに気づいた彼女は、枝から飛び降り、木の幹を盾にして銃から逃れる。カレンは彼女の行方を追い、それに伴って銃弾も彼女を追いかける。隠れていた幹に穴が次々に空く。そこで連射をやめて、彼女が隠れている幹を見ながら近くのショットガンを拾い上げる。どちらも重く、持ち歩くだけで息が切れ切れになりかねない。
やっぱり両方持ってくるんじゃなかった、と思っても後の祭りである。
突如、ブーメランのようなものが孤を描いてこちらに向かってくるのが見えた。すかさずライフルを構えなおし、それを撃ち落とす。真ん中に命中したらしく、離れ離れとなった二つのブーメラン――よく見ると、ミロワールの杖だ――が弾かれて飛び去っていく。一本は木の幹に突き刺さってしまい、木を登らなければ取れないところに引っかかってしまった。
今度は別の動きがあった。黒と白の物体が飛び出し、カレンなど脇目も振らずにすっ飛んでいく。狙いを定めて、一発撃ってみるも、多数の木の幹を器用に使って動いているため、当てることができない。
二つの銃を背中に抱え、カレンも走り出した。彼女が行く先にはシャーランがいる。人質として利用されたら事態は不利になってしまう。
相手は飛び道具を持っていない。彼女の武器である杖も使えないようにした。近づいてこない限り、飛び道具を持ったこちらは優位のままでいられる。ミロワールの手に掛かれば、ライフルでも捻じ曲げてしまいそうだ。近接になれば力強い彼女が勝つのは決まっている。
ミロワールは、木の幹から次の幹へと素早く移動している。彼女が通った軌跡しか残らず、気づけば別の場所にいるほど一瞬でだ。
後ろから追ってきているカレンは、ライフルで再び連射を行う。今度は持続し続けるのではなく、幹と幹を移動している一瞬だ。もしすれば、どこかに当たってくれるかもしれない。タイミングを計れば、幹から出た瞬間を狙えるだろう。
一回目、失敗。二回目も失敗。どちらも間隔が狭く、移動距離が短いのだ。だが、次はどうだろうか。彼女がいる場所から、左右それぞれに木が生えている。右の方はかなり痩せ細っており、隠れるには不十分だ。となれば、左へ移動する可能性が高い。その上、移動距離も長く、三メートル程離れている。
彼女は現れない。流石に、命取りになり得る行動は避けたようだ。
ならば、とカレンはミロワールが隠れている幹に近づいていく。相手が杖しか武器を持っていないとは限らない。けれど、飛び道具を彼女が使った姿を見たことがない。銃を持っていても、手ほどきされていなければ、自己防衛として役立つかどうかも怪しい。
ある程度近づき、引き金に当てた指に力を込める。脅しで一発撃とう。動きがなければ、迎撃を続行だ。
が、撃つ前に、ミロワールから先に動き出した。右側から枯葉を踏みしめ、拳銃を掴んだ右手が標的を定める。
やはり持っていたか。反射的に二、三歩下がり、ライフルをより一層強く握らせる。射程内に入らないよう、自分の目の前に幹がくるように横に移動し、腕だけでは届かないところへ避難する。
相手は対応することができなかった。放たれた弾は、カレンを捕らえるどころか、横目で弾の行き先を危機感なしに見つめるほどのものだった。
ミロワールの反撃はこれで終わらない。捨て身に走ったのか、カレンの方へ猛突進し始めたのだ。彼女の表情には笑みは消え失せ、赤い眼は爛々としている。
ライフルを下ろしかけていたカレンの神経に電撃が走り、突如こちらにやって来る標的に狙いを定めて、微調整する。その微調整をミロワールは逃さなかった。いきなり地面に倒れこみ、相手を狙撃するライフル銃を一度だけ見送る。ブレブレとなった銃弾がすっ飛んでいき、意表を突いたとミロワールは確信した。逆立ちになったかと思えば、華麗で美しい側転を決めて距離を縮めてくる。側転で身に着けた勢いを取りこぼすことなく、片足を上げてライフル銃を蹴り飛ばそうとした。
だが、カレンも負けてはいない。彼女の一連の行動をじっと見ているわけにはいかず、もう一度相手に狙いを研ぎ澄ます。すると、ここでそんなことはいけないという気持ちがよぎった。それが何かを知らず、念を押してライフル銃を自分の身に引き寄せた。熱を帯びた金属が、身体中に伝わっていく。途端に、ミロワールの長い脚が振り上げられたのだ。逆立ちをした状態で、銃を相手から引き剥がそうと必死になる。しかし、直感に頼ったカレンが一枚上手だった。そこには武器がなく、白く人には見えない空気が乱れ、暴れ狂っただけとなる。
占めた、と言わんばかりにライフルを無防備な背中に向ける。ここまで近くに来れば避けることも出来まい。
ミロワールはそれでも足掻いた。地に付けた両手を使って、体軸を回転させる。脚を開き、回転に伴って、両脚も回る。
ほんの一瞬、そこまで力が込められているわけではない。けれど、その脚はライフルに接触し、軌道をずらすのに成功する。横からの圧力を加えられた銃は、射程距離が背中から大きくずれ、今までになく大きな音を立てて、銃弾が爆発した。
両脚による体軸の回転は止まることを知らない。さらなる勢いをつけて、カレンのどこかしらに当てようとする。ライフルの軌道がずれて舌打ちをした時に、片脚が彼女の頰に食い込んだ。
舌打ちなんかしてる場合じゃないでしょ!悪態をつき、痛みに負けて身を屈める。ミロワールは拳銃を手に持ち、カレンの頭部に狙いを定める。カレンも予備の拳銃を取り出し、ミロワールの頭部を狙う。
タイミングは一緒、どちらも撃つ権限を持てたのだ。だが、そこで二人の動きは止まる。不意に戻る静けさ。
二人の間に一滴の雨粒が落ちたのは、この時だ。それに続くように、止めどなく降り注ぐ雨。全てを濡らし、色を褪せさせても、二人に変化は起こらない。
ミロワールが引き金を引いた。反射神経を活用して、カレンは銃口から頭をずらす。ミロワールは、しゃがんでいた姿勢から跳ね上がるように立ち、その勢いを落とさずに駆け出す。
向かった先にはシャーランがいる。仕留めるなら今だ。
拳銃を走り去るミロワールへと向ける。小さな音がしたかと思えば、目の前の彼女は再び倒れこむ。近くまで駆け寄ってみると、彼女の右肩から血を流しているのが分かる。こみ上げる歓喜。怪物を倒すならともかく、人間を瀕死に追い込んで喜ぶのは非道と呼ばれるだろう。
それでも、彼女はやはり嬉しかったのだ。やったやった。ついに傷を負わせることができた。幾多なる人を手にかけてきて、こいつは何事もなかったかのように生きていたのだ。このくらいの仕打ちを受けて当然だ。
喜びはすぐに収まり、地面に突っ伏して倒れているミロワールの体をひっくり返らせる。もはや、彼女は笑ってもいなかった。怒りも悲しみもない。何を表しているのか――それとも、何も表していないのか。焦点が定まらず、カレンのことをよく見てはいない。
「あんたのせいよ。あんたが……」
口からこぼれる言葉。それを噤もうとするも、止めることができない。湧き上がる復讐心。捕らえたりせず、いっそここで殺してしまおうか。
野生的で獰猛な声が通り過ぎていくが、その通りに従ってしまいそうで怖くなる。ふと、近くの木の幹を見る。鎖が巻かれ、そこにシャーランが縛り付けられていた。じっとこちらを見続け、怪訝な表情を浮かべている。
それもそうだ。こんな感情的になっている自分をあまり他人に見せたことがない。それでも、今は構うもんか。
いや、駄目だ。冷静になれ。
降り注ぐ雨の影響もあってか、ふっと怒りの炎がくすぶっていく。手錠を取り出し、ミロワールの手に付けようとした時――
肌を焦がすような熱が現れ、周りを明るく照らす。
種火だ。松明を持った浮浪者のような人達に囲まれている。全員が身につけているローブに織られている不可思議な模様。松明の火に照らされ、薄らと照り輝くことで神聖さが増している。
この豪雨で火が消えないのだろうか。松明を見つめてみると、普通の火ではないことが分かる。蛇の威嚇のような音を出し、妙に明るくて直視し続けることができない。その上、いつもより煙を多く排出しているようにも思えた。
先に敵の応援が来たか。こっちの応援はまだ来ないの?
ミロワールを掴んでいる手に更なる力が込められる。大切な上司が危険に陥り、それを救い出そうとでも向こうが考えているのかもしれないが、そうはいくものか。だが、ミロワールに集中し過ぎてシャーランに被害が及ぶ可能性もある。
二つを選ぶのは厳しい。やはり、ミロワールを離さなければいけないのか、と思った矢先――
「かかれ!一人残さず!」
聞き覚えのある掛け声と共に、騎士団の兵士達がなだれ込んで来た。静止していた敵方の方は、松明を武器に立ち向かう。兵士達は皆、剣や槍などの武器を所持して、松明などを振り落としていく。
「やられっぱなしだと思ったの?」
ミロワールの、あの落ち着いた声が耳に届く。彼女の方に意識を向けた時、額に強烈な激痛が現れた。
頭突きによって頭が後ろの方に傾き、ミロワールが足払いをかけてきた。しゃがんだ態勢で倒れる直前、即座に拳銃を持ち、彼女に向けて発砲する。手錠で両手の自由を奪ってはいたが、再び飛び上がって木の枝に乗り移った。上から見下ろすような構図に腹立たしさを覚える。
けたたましい怒号と悲鳴で揉みくちゃにされる中で、カレンはミロワールの肩を見る。血痕が付いているが、そこには……。
何もない素肌が覗いていた。傷などはどこにもない。
嘘、もう治ったの?
これには驚きを隠せなかった。さっきまで無心だった表情には、いつもの笑みが戻っている。
「怪物め」
カレンが叫び、ミロワールが応える。
「褒め言葉ね」
その言葉に、どこか苦々しさが見えたのを感知するが、ミロワールは背を向けて逃げ去ろうとしていた。
追いかけようとするが、騎士団とイデアルグラースの争いに阻まれ、前に進むことができない。離れていく白髪の少女。剣と炎を混じり合い、豪雨が容赦なく叩きつけてくる。
苦虫を噛み潰したようで、悪態をつく。
「カレン先生」
シャーランが自分を呼んでいることに気付き、急いで彼女の元に駆け寄った。
「怪我はない?」
「はい。大丈夫です」
見ると、彼女の服に切れ筋ができていた。幹に巻かれていた鎖を解き、首輪は外さずに解放させる。首の部分は戻ってからの方がいいだろう。
「カレン、無事だったか?」
喧騒とした中から、洒落た服を着込んだダニエルが姿を現す。
「平気よ。気分は最悪だけど」
「騎士団が襲撃された。今、兵士達が全力で始末に当たっている。ここが済んだら、急いで来てくれ」
なるほど、さっきの爆発はそれか。カレンは拳銃を持ち直す。復讐を遂げたかったのだが、今は諦めるしかない。この騒ぎを沈ませるのが先だ。
「ダニエルはシャーランのそばにいて。わたしが始末する」
カレンは戦闘に加わり、次々と相手を狙い撃ちしていく。
沈静化した時、雨は止み、空が晴れようとしていた。
――――
ひどい有様だ。
山となった死体。マスクを付けて、その死体を片付けている兵士達。入口となっている部分は血生臭さが漂い、いつまでも残り続けるだろうと予期する。
隣にいるシャーランは、冷静な表情を保ってはいるものの、死体がヘルシャフトの住民であることを知って、どこかやりきれないものがこびり付き、離れなずにいるようだ。死体に目を向けず、終始下を向いている。
「恐ろしいものだ。イデアルグラースの非道さが伺える」
近くにスチュアートがおり、カレンとシャーランは一礼する。スチュアートは、カレンだけに頷く。
それに悟ったのか、カレンは後始末をしている兵士の一人を呼び、シャーランを訓練生のところに連れていくように指示した。
シャーランは、カレンの目を覗き込むようにして見つめた。カレンは何も反応しない。そして、諦めたように連れられて去っていった。
言いたいことは山程あるはずだ。ここで訊かれなくて、ホッとしている自分を見つける。事情はあとで話せればいいが。
「ミロワールが現れたようだな」
「はい。捕らえることに一度成功しましたが、すぐに逃げられました」
「それは分かっている。何もされなかっただけで、まだ良いだろう。怪我人は数えるほどいるが、この襲撃で兵士に犠牲者が出なかったのは奇跡だな」
「そうですね。大ごとにならなかっただけ、良かったものです」
「……地下で魔女が出現したそうだ」
カレンは、報告を随時するかのように感情が込もっていない。人がいる中だから、調整しているのかもしれないが。
「実際見た人はいないが、頭を潰しているあたり、奴だと推測していいだろう。黒は魔女に似合っているな」
「何の為にここに来たのでしょう?」
素朴な疑問。虫によるコントロールの実験で、邪魔するであるだろうに。
「分からん。ミロワールは何と言っていた?」
「彼女は私的な目的らしいです。その目的となっているのは、シャーランのようです」
「そうか。彼女といい、今回の襲撃といい、守りをさらに固める必要があるな。この後には、街の住民を検査することになっている。」
「脳に虫が侵入して操られていると聞きましたが?」
「それを含めての検査だ。見つかり次第、隔離するかその場で殺すことは確定されている。脳から虫を取り出すことはできない」
議論が起きそうな対応ね。この先に巻き起こる抗議に、カレンは辟易とした。
「私は訓練兵の様子を見てくる。ここは任せたぞ」
カレンから離れていくスチュアートを見送り、カレンも死体の処理に携わった。
考えていることは一つである。今回はミロワールを逃したが、次は絶対に捕らえる。それにはシャーランが関わってくるだろう。今後、彼女にもさらなる注意を払わなければならない。
未だに燃えている炎、小さくはあるが、火種なので大きくなることもある。
許せない。マリアを殺して、絶対に許さない。この手で、あいつの息を止めてやりたい。今まで作り出してきた悲しみを精算させるのだ。
眼が鋭く、偶然に彼女を見た人はその場で硬直するのだった。




