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白銀のヴァールハイト  作者: A86
5章 忍び寄る影
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第163話 虚偽の世界

 俺の後ろにあてがっているものは何だ?クロスボウだろうか?

 そんなことは今、どうでもいい。待ち構えていたのか、ヴェインがこの病室に潜み、やって来た俺を出迎えた。クロスボウと言えば、ブラウンの額に突き刺さった矢を思い出す。もし、これがあの矢を放ったものだとしたら、あの矢はこいつが射たのだろうか。


「丁度良い。お前を探していたところだった。スドウ様がお前を待っている」


 あの仮面を付けた科学者が、俺を待っている。これ以上、何を求めるものがあるのだろうか。

 両手を挙げ、自分が無防備であることを相手に教える。破邪の利剣を持ち合わせていないのが、大きな痛手だった。武器はなく、相手は自分よりも実力がある。クロスボウの引き金を引かれれば、矢が直撃し、死ぬかブラウンと同じ結末になるかのどちらかを辿ることになる。

 窓の外で、雲が密集し始めており、一雨来そうな状態となっている。さっきまでベッドで人が寝ていた痕跡を残して、空っぽとなっていたこの部屋を確認し、一番気にかけていることを訊く。


「母はどこにいる?いないのは、お前らの仕業か?」


「スドウ様のところにいる。特に危害は加えていない」


 その言葉が嘘かどうかは分からない。しかし、ここは相手の言葉を信じて、言う事を聞いておこう。今回、奴らの狙いが何かを知れる、絶好のチャンスかもしれない。それが、今後彼らの動きを予想できる手がかりになるかもしれないのだ。


 歩くよう催促され、俺はヴェインに誘導されるがままに病室を出た。廊下には、さっきと同じように誰もいない。無音で薬品が混じった匂いが鼻孔に侵入する。

 事態は突然発生した。建物が小刻みに揺れ、自分の体幹がブレる。次に起こったのは、耳をつんざくような爆発音。遠くから、悲鳴交じりの叫び声が響き、もう一度爆発音が聞こえる。一回、二回、もう一回。

 首を伸ばし、何が起きているのかを確かめようとしたが、後ろからの威圧により、諦めて廊下を歩き続ける。悲鳴が迸り、耳を(つんざ)くような銃声が轟く。

 一体、どうしたんだ?何が起きているんだ?

 ピッタリとついて来るヴェインは、反応と呼べるものを見せない。この状況に慣れているか、こうなる事を知っていたかのどちらか、あるいは両方なのかもしれない。


「これもお前達か?」


「どうだろうな」


 ほぼ、肯定と言って過言ではない回答だった。

 病院と騎士団を繋ぐ専用の通路を通っていると、外の様子がすぐに分かる。各地で爆炎を上げ、デモを起こすかのように街の住民達が武器を持って兵士と戦っていた。気づかなかったのだが、雨が降り始めている。これなら、爆炎を自然消火してくれることだろう。

 住民の方は、ナイフや拳銃を持ち、奇声を上げるように口を開け、顔を歪ませながら防護用の盾を構えた兵士へと突撃していく。盾の間から銃を忍ばせ、的確に相手を狙撃していく兵士達は、複雑で疑問を隠さない表情をしている。彼らに害をなす存在だとしても、それがイデアルグラースではない普通の人間であることに戸惑いがあるのだろう。

 隊の遥か後方では、胸に銃弾を貫かれて生き絶え、死体の山となって積み重なっていく光景に耐えきれない人が顔を背け、嘔吐していた。

 一度も人が死ぬ瞬間を見たことがない人は、必ずあのような反応を見せる。俺は、幾度も人が死ぬ光景を見てきたが、たとえ慣れても何も思わないというのは不可能だった。強酸の胃液が喉から這い上り、食道や喉を痺れ痛ませながら前進していき、身体が硬直し、すぐに動けてもその死者の最後を見続けることができない。この場合、鋼より強度な心を持った人は、平気なのかもしれない。


 あの住民はヘルシャフトに住み、イデアルグラースによって脳に虫を寄生させ、操られている存在だろう。これが上層部で恐れていたことだ。身近な人物が凶暴になれば、不意を突かれて、大打撃を喰らってしまう。情報が行き届いていなかったのか、準備を整えるのが遅かったようで、ここから見えるだけでもかなりの犠牲者を排出し、建物が損壊しているように思えた。

 みんなは、どこで何をしているのだろうか。クレアやアークは無事だろうか。

 しかし、その心配も虚しく、ただ敵に脅されるままに憎き相手の元へと行くしか出来なかった。この時ほど、何故武器を持っていなかったのだろうと悔やんだことはない。


――――


 地下への螺旋階段を下って行くとき、初めてこの階段を使ったことを思い浮かべた。ブラウンと一緒に、下がどうなっているのかを見ようとしたのだ。洞窟が続いていること以外、目立った発見せずに捜索を切り上げて退散した。

 ここまで来る途中、銃声が鳴り響いたのを聞いただけで、誰かに会うことはなかった。誰かと出会って、助けを求めようという一縷(いちる)の望みは、簡単に潰えた。全員、外へ出払ってしまったのだろうか。

 とにかく、騎士団内部はガランとしていて誰もいなかった。


 最下層まで着くと、雨音らしき音と風を切る音だけが聞こえる洞窟へと着いた。どうやら湿ってもいるようで、早速俺の毛皮もしっとりと濡れている。光が届かず、中は黒一色で何も見えない。


「前へ進め。立ち止まるな」


 止まることも許されずに、俺は指示に従い続ける。

 本当にどうすればいいのだ。この状況を打開するには何があるだろう?このまま行けば、スドウと出会うのは確実だ。だが、生きて戻れるという保証はない。もし、何らかの理由で俺を殺そうとするなら、無力のままに八つ裂きにされる。

 駄目だ。どうしてこの時、武器を持ってこなかったのだろう。事態が急だったとは言え、身を守るものを所持していなかった自分を辱しめたい気分だ。

 目線を右下へとずらし、腰に当てられているクロスボウを見る。この暗さなら、クロスボウを取り上げて逃げ出せるかもしれない。ヴェインが拳銃を持っていても、暗くて相手を定めて撃つことは出来ない。幸いなことに、俺の毛皮は黒灰色で闇に擬態できる。撃たれる可能性はあるが、逃げ切れることも出来なくはない。

 問題はこのクロスボウをどう奪うかだ。奪わなくても、相手の手から離させればそれで良い。考えろ。今、自分に出来ることの中で、相手を一時的にでも足止めさせる方法はないのか。

 クロスボウは右手にある。ここで、右回転の回し蹴りを食らわせば、反射的に右腕で防ごうとするだろう。その時、クロスボウは地面に落ちるか持ったままのどちらかになる。持ったままなら、そこに向かって殴り入れれば、相手が怯む上にクロスボウも手を離さざるを得なくなる。

 いや、やっぱり駄目だ。回し蹴りをしている時に、矢を放たれるだろう。いくらなんでもリスクが大きい。

 分かれ目となっている道が見えてきた。一つは右斜め前で、もう一つは左へ直角に曲がっている。

 どっちに進むのかと迷ったその時、頭が割れるほどの耳鳴りがし始めた。外部から音を受信しているようではなく、脳に直接音が届いているようで、それが耳鳴りとなっているようだ。

 頭が小刻みに揺れ、耳を塞いでも意味がない。甲高い鐘の音を間近で聞き続けている感じで、鼓膜が破け、自分がそれを望みたいほどになる。


「う……ああ……ガッ」


 口から洩れる声は、途切れ途切れで叫び続けることが出来ない。意識が朦朧とし始め、脚の筋肉に力が入らなくなっていく。膝が崩れ落ち、手を地面につけ、最後は体全体を地面に預けて横たわり、悲鳴を洩らしながら耳を塞ぎ、右へ左へと転がり、じっとしていることができなくなった。

 ヴェインはどこにいる?いや、もうどうでもいい。この音はなんだ?これも、どうでもいい。

 痛い。痛い。痛い。頭が割れそうだ。聞いたことのない音。不快だ。耳障りだ。気持ち悪い。聞きたくない!誰か……。

 意識は、そこで途切れた。

 再び立ち上がった黒い狼は、目が虚ろで自我が抜けきった表情をしている。背筋を伸ばしてはいるが、呆然としているだけに過ぎない。彼は、ゆっくりと歩を進め、右斜めの道を進んでいく。


「誰かが……俺を呼んでいる」


――――


 闇の中、自分という存在が確立しておらず、この闇の一部となっている世界。この世界にいるのは俺一人ではない。他の人も漂い、闇の一部として生きている。お互いが見えなく、自分が一人ぼっちという気分を味わう。けれど、それは決して辛いとは思わない。

 なぜ?

 みんなそうだからだ。見ているのは闇の世界で、自分以外誰もいないと思っている。人と接するのは、そこに人がいるという感触があり、そこに話しかけ、他にも人がいることを自分に知らしめる。その人の姿が、見えるわけでもないのに。もちろん、自分の姿を見えていない。

 けれど、全員がそうだとは限らない。相手の姿が見え、自分の姿が見える人もいるだろう。年を重ね、様々な経験を積んでいけば見えてくるだろう。でも、ほとんどの人は闇の世界で生きている。相手や自分の姿を確立し続けるのは難しい。一度見えても、すぐに煙のように姿を消えてしまう。

 この世界は、みんな一度くらい味わったことがある。そして、これは今の俺の世界だ。


「誰かいるのか?」


 思わず、声を出す。声帯があるのか分からないが、とにかく自分は声を出したように思ってみる。


『ここにいるよ。君の目の前に』


「でも、お前の姿は見えないぞ」


「君は見えていないよ。僕は君の姿が見える。震えて、怯えて、恐怖で縮こまっている姿がね」


 俺は、そんな姿を晒しているのか。自覚がないために、他人事のように事実を受け止める。


「どうしてお前には、俺の姿が見えるんだよ」


『簡単さ。君はずっと、僕を見ないように避けてきた。僕は君を見続けていた。ただ、それだけの事だよ』


「お前は、誰だ?」


『そうか。もう忘れてしまったんだね』


 相手がため息をつくのが分かった。姿が分からないせいで、相手に警戒心が生まれ始める。


『君は元々、この世界には存在していなかったんだよ』


「俺が?」


 聞き捨てにならない言葉だ。誰だか知らない相手に、最初から自分がこの世界にいなかったと言われ、多少なりとも焦燥な気分を抱く。


『最初はね、君と僕は同じ存在だった。それが、ある出来事で君という存在が生まれることになった。この世界は理不尽で不幸で満ち溢れている。偶然が人生を左右し、幸運に恵まれれば、不運に見舞われることにもなる。あの時、君はこの世の不幸を存分なまでに味わった』


「その不幸は、一体何だ?」


『それを知れば、君は君という存在を保てなくなり、消滅するだろう。それは無意識でも、分かっている筈なんだ。本当は、聞きたくないんだろう。逃げ出したい気分じゃないのかい?』


 相手の言う通り、俺は恐怖に駆られていた。全身の血が抜かれていき、体温が下がっていく。顔をうずくめ、小刻みに震えてもいる。この時、自分が相手が言った姿と同じだと自覚した。


『逃げなければ。逃げなければ。さもないと、君は永遠に影を落として生きていかなければならなくなる。怖いのさ。嫌なんだよ。だから君は、嘘をついた』


「嘘……」


『誰かに、自分で作り上げた世界を壊す者はいない。安心して君は、平和に生きてきた。その代わり、失ったものもある。絶対的な安心を手に入れたのを引き換えに、永遠に続く闇の世界を手に入れた。誰も君の姿を見ることが出来ない。君も他人の姿を見ることは出来ない。何故なら、君を支配しているのは嘘だからさ。嘘が真実を見せてくれるはずがないだろう』


「俺は嘘で……お前が真実。そう言いたいのか」


『そうさ。ただ、君は自分が真実だと思い込んでいる。嘘を壊す存在が現れない限り、その思いは消えないだろう』


 馬鹿な。俺は相手を嘲笑う気分に陥る。俺が嘘だと?冗談は程々にしてもらいたい。確かに、俺の全てが真実だとは思っていない。俺の存在が嘘ならば、それは自分を否定していることになるじゃないか。


『自分は嘘ではないと思ったよね。まだ何も知らないから、当然の反応ではあるけど』


「お前は知っているのか。その真実に」


『当たり前だよ。君が目の前で見ているものは、果たして真実だろうか。例えば……君の両親とか』


 どうしてだろう。どんどんと不安になっていくのが分かる。心中を見透かされ、すべてを炙り出されてしまいそうだ。


『作り上げられた世界が壊され、本当の世界が見えた時、君はどうなってしまうだろう?声を張り上げ、いつまでも叫び続けるかもしれない』


「違う。そんな事はない」


『逃げることが悪いわけではない。けれど、逃げ続けるのも限界がある。その限界が、もう来ているんだ』


「やめろ!頼む……。もう、何も言わないでくれ」


 声は聞こえない。願いを聞き届けてくれたようだ。狙われる子羊がどんな気分なのか、今だとよく分かる気がする。


『真実を開ける扉は、今にも開く準備をしている。君の心構えが整えば、その扉を開けられる。もう逃げることは出来ない。来た道を戻るには、もう遅いからね』


「待ってくれ。俺は、どうすれば?」


『すぐに会えるよ。こうして話せるのは、今回限りだけど……。嫌だとしても、君は真実を見せられる。その結末は、果たして破滅なのか救いなのか。最後まで見届けさせてもらうよ』


――――


 目覚めた時、赤くぼんやりと照らす光に目を細めた。足下が妙に冷たい。下の方を見て、理由がすぐに分かった。くるぶしの部分まで水があったのだ。歩いてみると、水しぶきが上がる。細長い部屋で、前方に道が続いているが、後ろは壁になっている袋小路だ。ここは、水路のような場所だろうか。

 俺は、どこにいるのだろう。気を失っている間、何が起きたのか。神経が張りつめて、気持ちが昂っている。

 近くで、水が跳ねる音が聞こえてきた。気配を隠すわけでもなく、足を水から持ち上げ、沈み込ませる。音だけでその様子が想像できた。

 その音が来ているのは、俺の前方からだ。武器を持っていない今、非常に厄介なことだ。ヴェインが追いついてきて、拳銃でも持っていたらひとたまりもない。

 紺のローブが見えてきた。両手には、何も持っていないのを確認する。まだ、無防備だとは限らないが、少しだけ安心する。

 その安心は、相手の顔を見て、一気に吹き飛んだ。


「母さん……」


 フードを被っていないから、正体にすぐ気づいた。そして、着ているローブがイデアルグラースのものであることも確認する。

 心臓がずっと走ってきた時のように、激しく鼓動している。手がわなわなと震えたが、浅く息継ぎをして、気持ちを沈める。昂りが収まることはなかった。


「母さん、よかった。無事だったんだな。心配したよ。イデアルグラースに何かされたんじゃないかと思って。今なら、奴らは来ていない。さあ、早く――」


 母の右手を見た時、ナイフの刃が光るのが見えた。

 ……そうだ、操られているんだ。さっき、脳内に虫のようなものがあったと言っていたじゃないか。母だって、それに含まれているはずだ。今、目の前にいるのは操られた母だ。きっと、そうだ。


「こんばんは、デューク・フライハイト君」


 母の後ろにいる男性。白衣を着て、仮面を付けて素顔を隠している。露出している口は、いつも口角が釣り上がっており、気味が悪い。


「こんな陰気な場所で再会するのは、あまり良い気分ではありませんが」


 スドウが母と並び、俺を逃さないように立ち塞がる。周囲は壁、八方塞がりだ。


「母さんに何をした」


「何もしてませんよ。指一本、触れてもいません」


「いや、お前達は多くの人の脳に虫を侵入させて、操っていた。母さんもその一人。そうだろう」


 スドウは、大きく二回頷き、軽く拍手を送ってきた。


「ご名答。やっと気付きましたね。あなたの言う通りです。虫が孵化するのを我々は待ち続けていた。成果が出始めた今、立ち止まる理由などありません。ですが」


 スドウはメスを取り出し、母の首元に当てる。当の本人は無反応で全く動じていない。


「あなたの立場が変わるわけではない。その気になれば、彼女の首を掻き切れます。彼女自身が自殺するという手段もありますが」


 そうだ。今、カラクリが分かったところで意味がない。母の命を預けられている今、無用な手出しが出来ない。


「一つ、質問に答えてもらっていいですか。破邪の利剣はどこにありますか?」


「……知らない。普段から持っているわけじゃないんだ」


 咄嗟についた嘘。刀の居場所を知られるのはまずい。何も考えずに言ってしまったが、取り消すことはもう出来ない。

 スドウは、母の首元からメスを離し、考え込む様子を見せる。すると、彼の首元から生えている黒塗りのワイヤーの一本が差し迫ってきた。間一髪でかわし、ワイヤーは壁にのめり込む。


「嘘を言っているのなら、今すぐ正直な回答をして下さい。本当なら、ここで死んでもらいます」


 どちらを取っても、自分が助かりそうではない。母の命を優先するならば、ここは正直に答えよう。


「俺の部屋にある。本当だ」


 スドウは、その回答に満足した様子だった。残りのワイヤーが持ち上がり始め、俺に襲いかかってきた。

どれもかわせる範囲だ。刃でもあるワイヤーに触れないように、側転やジャンプをして、攻撃を避けていく。

 そして、スドウのワイヤーに気をとられたのが仇となった。脇腹に強烈な痛みが走り、堪えきれずに呻き声を上げる。


「グァ……ウッ!」


 痛みの元凶が引き抜かれる感触。次に感じたのは、血が流れ出していくこと。近くには、両手にナイフを持って呆然と佇んでいる母がいた。ナイフには、血がベットリと付いており、脇腹を見れば、傷口から血が流れていた。

 足が震え、片膝をついて右手で傷口を抑える。水が波紋を作り、俺を中心にして広がっていく。


「はは……」


 どうしてか知らないが、笑い声が出た。痛みは強くなっていき、今にも水の中に飛び込みそうになる。その前に、スドウに訊かなければならないことがある。


「ス……ドウ……」


 声が上手く出せない。咳き込み、口を動かすのも苦しくなる。


「行きましょう。ぐずぐずしてはいられません」


 母を手招きし、スドウは足早にその場を去っていく。母は、ナイフを持ったまま、スドウについていく。

 待て、待ってくれ。破邪の利剣を聞いてどうする気だ。母さんはどうなる?あの暴動の目的は何だ。

 身体が痺れ始め、力が抜けていく。倒れこみ、顔に水が浸かった。

 ちくしょう、ちくしょう……。

 相手への苛立ちよりも、自分の不甲斐なさに腹を立てる。いつもそうだ。リックも父さんも大切な人の前では何も出来ていなかった。そもそも、自分が守れたものは何だろう。自分一人の力で勝ち抜き、救ったものがあるだろうか。

 今まで、何をやっていたのか分からなくなってくる。結局俺は、肝心な時に役に立たず、目の前で大事に思う人を失ってきた。

 うんざりだ。自分にうんざりだ。

 ずっと、母を見てきた。隣には父もいて、友人のクレアとリックと一緒に遊んでいた。ヴァイス・トイフェルで、その日常が壊され、リックが死んだ。それでもみんな、めげることなく生き延びてきた。二度と大切な人を失わないように、騎士団に入って鍛錬を積み重ねていった。

 けれど、それで分かったことは何か?自分が強くなっても、いつも役に立つわけでもない。父を殺され、母は敵の手中に収まっていく。俺一人を残して。

 俺は、何の為にここにいるんだろう。俺の存在意義は、果たしてこの世界にあるのだろうか。


 そう思った瞬間、痛みが突然和らいだ。救いとなる逃げ道、自分の状況を少しだけでも忘れられる世界。その世界へ踏み込むのに、抵抗など一切なく、それが余計に虚しさを感じさせる。

 意識が閉ざされ、眠りの世界へと堕ちていく。血が流れ、周りの水は赤く染まってきている。

 今度こそ、俺は死ぬ。

 それを最後に、再び意識が完全に途切れた。

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