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白銀のヴァールハイト  作者: A86
5章 忍び寄る影
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第161話 言い渡される真実

 瞬きすると、俺達はダニエル先生の部屋にいた。

 駅から騎士団へ戻る記憶は、一切憶えていないのだ。事は急を用するのだから、慣れた道を一々記憶などしている暇がなかった。

 険しい顔を浮かべ、部屋へと訪れた俺とアークを見据えている。隣には、諦めと呆れを混ぜ込めにした表情を浮かべたスチュアート先生がいた。

 不測の事態であったことは、表情ですぐに分かることだった。


「それで……」と、ダニエル先生が口を開く。


「君達二人は、無断で街へと行った挙句に、死んだ筈のブラウンを発見。跡を追って追い詰めはしたが、何処からともなくやってきた弓矢で、彼の頭部を直撃。死ぬことはなく、むしろ命に別状はなかったが、その代わり、ブラウンは自分の事やここにいた理由の記憶を失っていた。そして、お前達は彼を連れて、ここまでやって来た」


「はい。これが、ブラウンに直撃した弓矢です」


 アークが、未だ渋面を浮かべているダニエル先生に、例の弓矢を差し出した。

 ブラウンの額に直撃した直後、矢羽から烈火の炎を吹き出し、鉛色で薄明かりの風景が、一然と輝かしいものへとなった。その炎は、近くにいた俺達に熱さを感じさせなかった。熱気がなく、もはや炎の形をした眩く光る造形物と言ってもいいかもしれない。

 その炎を吹き出させていた矢は、矢じりが無くなり、黒ずんだものへと変わっていた。ブラウンが倒れるのと同時に、突き刺さった矢は離れて落ちていった。その時はまだ矢じりがあったが、石畳みの地面に落ちた瞬間に、形を崩して灰と化したのだ。


「二人が、これで狙われることはなかったのか?」


「警戒して物陰に隠れました。しばらく待っても、何も起きませんでした」


 アークはスラスラと難なく答える。ダニエル先生は、気付かれように小さな溜息混じりの吐息を漏らした。


「お前達、まさか無断で何度も街へ行っていたりしていたのか?ちょうど、騎士団内が慌ただしくなっていた時だとはいえ、油断も隙もない……」


 アークは、返す口が見つからずに黙り込む。俺も何も言えなかった。束の間の沈黙は、二人がダニエル先生の問いに否定がないのを表すのに十分だった。

 スチュアート先生は、一歩だけ俺達に近寄ってきた。


「お前達は、我々が判っている情報の片鱗を手に入れた。こちらが何も言わなければ、お前達は納得などしないだろう」


「しかし、それは――」


「ダニエル。一刻の猶予もないかもしれないのだ。急襲に対する備えを用意した方が、二人のためにもなるだろう。それに……」


 俺とアークを相互に見て、言葉を続ける。


「今は、二人にも近況を伝えた方がいい」


 スチュアート先生の言葉に観念したように、長く目を閉じた。普段通りの冷静さが、彼の中に戻ってくるようにしているかのようだった。私情を挟まない、ただ真実だけを述べる機械のように、ダニエル先生は話し始める。


「ブラウンの死体をお前達が見た時、少しばかり距離があっただろう?」


「高い場所で、串刺しにされていましたので」


「そうだ。その時にお前達は、ある勘違いをしたのさ」


 疑問符を浮かべる俺達だったが、ダニエル先生は構わず先を続ける。


「串刺しになっていたのは死体ではない。血糊の多量に使ったブラウン似の人形だ。お前達は遠くから見ていたから、それが死体に見えたのだろう」


「ですが、あの時血の臭いがありました。鉄の臭いを実際に嗅いだんです」


 思わず、俺は反論してしまった。事実そうなのだ。血の臭いがしたからこそ、目の前にあるのが死体だと確信したのだ。

 それが全部フェイクだと言われて、納得できるはずがなかった。


「ああ、デュークはその臭いを嗅いだろうな。血溜まりに、錆びた鉄が溶かされていたのだから」


「じゃあ、そんな簡単な方法で騙されていたんですか?」


「死体に見せかけるには十分な仕掛けだ。あの光景を見て、落ち着いて考える人などいないだろう」


 つまり、昨日の朝に見た死体はただの人形で、その時に死んだと思っていたブラウンは生きていたということなのか。

 だとすると、今度は別の疑問が出てくる。あの死体が人形だと、騎士団はすぐ分かるだろう。では、何故こんなにも捜査に時間がかかっているのだろう。人形だと分かれば、後は犯人を見つけるだけで済む話で、現場の状態を保つ必要などない。あれは死体ではなかったと説明してもいいし、少なくとも今日も騎士団を封鎖するような事態の大きさではないだろう。


「騎士団を今日まで封鎖していたのは、この悪趣味な悪戯者の捕獲ともう一つあった。表向きは、殺人があったということで捜査していると流していたが、実際は違う。騎士団を一時的に封鎖したかった我々には、丁度良い理由づけだった」


「もう一つの目的とは?」


 俺は問いかけ、ダニエル先生は後ろを向いた。机の上にある、紙の束の中から一枚だけ取り出し、俺とアークに見せた。

 脳のレントゲン写真が、二枚印刷されたものだった。形が微妙に違うことから、二つの脳はそれぞれ別個の人だろう。


「これが脳のレントゲン写真だと分かるだろう。赤字で丸を付けられた所を見てくれ」


 二つの写真には、それぞれ赤い丸があった。とても小さく、指摘されなければ気づかない程の丸だ。赤丸で囲まれた部分は、小さな白い点があった。灰色の脳の中に、白い点が浮き出ているようだった。


「赤丸の部分は、脳に空洞となっている箇所があることを示している。今まで事件を起こした自殺した犯人、ほぼ全員からその空洞があった」


 そして、ダニエル先生は小瓶を手に取った。中に、五ミリ程の白い芋虫が二匹いた。


「ヴィルギルと一緒に倒れていた二人から検出されたものだ。脳の空洞箇所にいたのは、こいつらで間違いないと判断された」


「この虫は、何でしょうか?」アークが質問する。


「まだ具体的には分かっていない。ただ、推論にすぎないが、この虫が犯人の行動を支配し犯罪を犯していたとされている。すべての犯人が、どこかに障害を持っていたのは脳内に巣くった虫の影響だったという訳だ」


 障害と聞いて、ブラウンのことを思い出す。

 立ち入り禁止区域を侵入した時、彼は左耳が聞こえないと言っていた。特に気にしなかったが、あいつにも虫が潜んでいたのなら、脳の一箇所が空洞となった影響と見られるだろう。

 あいつは、自らが死んだことにして、俺達を撃とうとしていた。何故そんなことをしたのか、理由は定かではないが、犯人の共通点が通じていることから、あいつも脳に虫がいたことは確実だ

 一連の事件の黒幕とされる虫、それを仕込んだのはヴィルギルと共に倒れていた二人が羽織っていたローブが証明している。

 カチッと歯車が噛み合わさり、回り始めていくのを覚えた。


「奴らの仕業だろう。最近、静かだと思っていたが、かなり厄介なことをしてくれたものだ」


 先生は瓶とレントゲン写真を置き、疲れた表情を見せた。


「さっきまで、騎士達をまとめて調査していたんだよ。脳に虫がいたら、隔離したりしてな。それを昨日今日、騎士団で行なっていたのだ。既に十八名発見している。全員が、一年前の戦地となった街の兵士だった」


 ブラウンもあの街の出身である。イデアルグラースは、地下にヴァイス・トイフェルを育てているだけでなく、住民にも小細工をしていたというのだろうか。

 母さんにも、小細工の手が行き届いているんじゃ……。


「厄介なこととは、具体的には何ですか?まだ、事件を起こしていませんし、共通点があれば見つけ出せそうですが」


「今のところはな、アーク。しかし、イデアルグラースがこんな未完成なものにしておく筈がない。いずれ、障害がないように改良もするだろう。それどころか、虫がいたのは一年前の街の出身の人物だけだが、他の街にも虫を使っているかもしれない。その虫が脳に命令できる機能があれば、仕込まれた人が多ければ多いほど脅威を増していく。ましてや、一般人と変わらなければ、もはや手をつけられなくなるのだ」


 全身の血圧が下がり、冷えていくのを感じた。

 今はイデアルグラースが虫を仕込んだ相手を見つけられるから良い。

 だが、もし一般人と変わらず、今もこうして普通の生活を送ったり騎士団の一員として働いていたら?組織が今も人に虫を侵入させていたら?侵入された人達が、騎士団を襲えと命令されたら?何事もなかった人達が、突然暴徒化したら?暴徒が騎士団に留まらず、世界へと拡散していったら?その上、ヴァイス・トイフェルの襲撃もあったら?

 今まで、人類の全滅と言っていた組織だが、その可能性が有り得てきた。ヴァイス・トイフェルだけで駄目なら、敵の内部から侵食し、同時に外部も突いてしまえばいい。敵の人類を味方につけ、邪魔な者を怪物ではなく人間で倒してしまうのである。スパイとして、敵の情報を奪うのも良い。残った味方の人類は、ヴァイス・トイフェルで片付ける。

 するとどうだろう。残るのは、ヴァイス・トイフェルとイデアルグラースである。

 氷と雪で閉ざされた、永遠の冬の世界。

 ヴァイス・トイフェルの楽園とイデアルグラースの望んだ世界の誕生である。

 それが有り得るかもしれないのだ。気づくには、少しばかり遅かったのだ。

 

 突然、誰かの携帯の着信音が聞こえた。ダニエル先生からである。通話ボタンを押し、相手の声を聞き始めた。

 無表情だった彼は、途中で額に皺を寄せた。深刻な表情がますます濃くなる。


「分かった。すぐ行く」


 通話を止め、携帯をしまった。


「ミロワール・マレンが近辺に現れたそうだ。二人は部屋へ戻って待機してろ。……団長、同行をお願いします」


「分かった……」


 短い返事と共に、二人は部屋を大急ぎで出て行ってしまった。アークは動揺を隠せず、目を左右に動かしていた。


「アーク、先に戻ってくれ。俺、母さんのところに会ってくる」


「えっ。ああ、うん」


 アークは小走りで部屋から出て行く。俺も跡を続いて部屋を出て、病院へと向かって行った。

 母さんは、犯人の共通点をすべて持っている。もしかしたら、脳に虫が侵入しているかもしれないのだ。

 思えば一年前の戦いの後、母さんの片腕が動かなくなった。虫が機能し始めたのは、おそらくその頃からだろう。

 病院へ行く足が止まり、誰もいない廊下の中央で立ちつくす。

 俺は、母さんと会ってどうするのだろう?レントゲン写真を撮って、虫がいたらどうするのか。ダニエル先生は隔離と言っていたが、決してそれだけではないだろう。脳から虫を取り出すか、最悪殺すかもしれない。もし殺すのならば、母さんも……。

 足が動き始める。歩いていたのが、小走りとなり、本格的に走り始める。

 行ったところで何も変わらない。行く意味などない。ただ、それでも構わない。いつもの、変わりばえのない母の顔を確認しておきたい。不安に駆られ始めた心を、落ち着かせるため。特に変化がないと、自分に暗示をかけるためかもしれない。


 この時、どんなことを思っていても、部屋に戻って待機しておくべきだったのだ。病院に行ってはいけなかった。

 それどころか、これから俺が行うことを知っていれば、喉が永遠に潰れてしまうほど叫び続け、身悶えし、憤死してしまうかもしれない。そして、騎士団に入ろうと決意したあの日からやり直し、平凡な暮らしを手に入れようと努力しただろう。

 俺は、何も知らなかった。これから起きること、自分が世界にもたらすもの。すべてを知っていれば、俺は何もしなかったのに。


――――


 病院の廊下には、誰もいなかった。いつもなら看護師や患者が通り、少なくとも二、三人とすれ違うはずなのだが。

 一階に人はいたのに、母がいる階には誰もいない。皆、病室にいるのだろう。静まり返った廊下に、俺の靴から鳴る微かな足音だけが響いている。漂白された壁と床に加え、間隔を空けながら点在する照明が奥まで続いている。

 あまりにも奇妙だ。静かすぎて、不気味に感じる。

 病室の近くに飾られた名前を見ながら、母の病室へと向かって行く。

 

 母の病室の前に立ち、深呼吸をした。俺が来た意味はない。母さんの様子を見て、帰ればいいのだ。今は、それだけでいいだろう。

 取手を掴むと、いつもより冷たく感じた。冷気が手から伝わっていき、全身に届くのを感じる。丁度、真上にある照明が点滅する。そろそろ、電気の寿命を迎えているのだろう。

 頭を空っぽにして、思いきって引き戸を開いた。

 中は暗くて、寒く、廊下と同じように静かだった。ベッドの方に目を向ける。

 母はいなかった。それまで、誰かがいたであろうという痕跡を残して。

 恐る恐るベッドに近づき、人が寝ていた場所に手を置く。

 冷たい。ベッドを降りて、かなりの時間が経過していた。

 母さんはどこに行ったのだろう。すぐに戻ってくるのだろうか。

 腰に、金属製の何かが当てられたのはその時だった。一瞬だけ気を緩めていたのが、すぐに緊張状態へと引き戻される。


「動くな……」


 背後から、低い声の脅しが聞こえた。ただ、前を見るしかなかった。何もしないで、そろりそろりと両手を上げる。

 目の前にあるガラスには、緊張を隠せない俺ともう一人後ろに誰かがいた。俺と同じ狼獣人で、毛色は銀。金色の目を持ち、手にはクロスボウらしきものを持っている。俺の腰に当てているのもそれだろう。

 その姿を見て、俺はある人物を想起する。直接手を下した訳ではないが、間接的にリックの命を奪った張本人であり、イデアルグラースの一員。

 ヴェインが、そこにいた。

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