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白銀のヴァールハイト  作者: A86
5章 忍び寄る影
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第156話 選ばれた子鹿

 今から十二年前になる。田舎地帯のある家に一人の女の子がいた。シャーラン・イヴェールという名前を持ち、母は人々に恐怖を与える怪物を倒す騎士団の兵士の一人だった。冷たい霧が吐かれ、世界が氷に閉ざされてしまわないようにするのが彼女達の仕事だ。シャーランは、母のことを愛していた。サラリーマンとして働く父も愛していた。たとえ世界が暗く、冷たいものとなっても、彼女達の家庭は温かく、誰もが幸せな家族と思えるものだったかもしれない。


「わたし、お父さんとお母さんのこと、だい、だい、だぁいすき!」


 シャーランはいつもこの言葉を二人に言っていた。笑顔で溢れ、上品さもある天使のような子供だと、誰もが口々にそう言った。両親がいざこざがあって喧嘩をしてしまった時でも、彼女がいると途端に尖った雰囲気がなくなり、いつの間にか二人は仲直りしていることも時折あった。

 彼女から見える世界は美しく、暖色系で彩られ、笑顔で包まれた世界だった。たとえそれが、世界の現状から見て虚偽の世界だとしても、彼女の目に映し出されているというのは真実だったのだ。


 ある冬のこと、どんよりとした鉛色の空が広がり、彼女が見える暖かい世界に入り込んできた。冷たく、不幸で、理不尽で、報われない、雲はシャーランに語りかけるように迫ってくる。あるいは、そう見せかけているかのようだ。けれど彼女にとっては、雲が広がっただけで持ち前の明るさと優しさが変わることなどなかった。

 少女の手には、赤い林檎を持っていた。五歳の手には大きく、手袋をはめた両手で持ち、団地を歩いていた。特に歩いている理由などない。ただ、家の近くを散歩する程度のものだ。

 角を曲がり、階段が見える路地に差し掛かった時である。階段のところに、同い年と思える鹿獣人の女の子が座っているのを彼女は見つけた。ボロボロのTシャツと短パン、質素な靴という格好をしている。それは人間にとって、厚着をしていないと凍えてしまう寒さの環境下では耐え難いものだった。鹿の獣毛を身に纏っていたとしても、震え上がるほどに。

 階段を下りると、真っ直ぐな道が続いていた。鹿獣人の女の子はじっとその道を見続けている。それ以外は何もしない。寒いと言ったりもせず、身動きも取らない。

 シャーランは、彼女の背中を不思議そうに眺めていた。彼女にとって、鹿獣人の女の子は変わり者のように映っていた。見たことがない、不思議な住民。両手に持っている林檎に一度目を向けて、彼女は鹿獣人の女の子の近くに寄って、話しかける。


「ねぇ、ここでなにしてるの?」


 鹿獣人の女の子は振り向きもしなかった。同じ方向を見ているだけで、その他は目もくれない。

 やがてポソリと、女の子の口から声が出た。


「お母さんを……待ってるの」


 女の子の声は掠れていた。耳を近づけていなければ、聞き取れないほどだった。

 シャーランは、持っていた林檎を女の子に差し出した。


「お母さんを待っているのね。りんご、たべる?」


「いらない……」


 今度は早く返答した。けれど相変わらず、シャーランの方は見ない。


「どうして?」


「……しらない人からモノをもらっちゃだめって、お母さんが言っていたから」


「……そう」


 シャーランは、ここからどうすればいいのか分からなくなった。自分に関心を向けず、銅像のように座り続けている女の子にどう接すればいいのか?5歳の少女には理解し難い状況だった。

 林檎をあげても断られた。このまま何事もなかったように通り過ぎてしまおうか。そうすれば、この子はどうなるのだろう?マフラーや手袋を身につけず、冷え切ったこの場所で母を待ち続けるのか。そしたら、このまま凍え死んでしまうのではないか?

 シャーランは、幼いながらに悩み続けた。そして、自分の首を巻いていたマフラーを見て、彼女はある考えを思いついた。女の子に近寄って、隣に座ってからマフラーを少しだけ解く。そしてそれを彼女にも巻かせたのだ。

その時になってやっと、鹿獣人の女の子はシャーランの方を見た。目を少しだけ見開いて、珍しそうな目つきで彼女を見る。


「さむいから、厚着をしていないと凍えちゃうよ?お母さんを待っているんだよね。わたしも一緒に待つから。ね?」


 そう言うと、女の子はゆっくりと元の視線に戻した。路面は所々凍っていた。この場所で降り続けた雨が氷を張っているのだ。その氷は足を置けば滑り、ヒビも入らないほど透明で、頑丈にできている。


「わたし、シャーランよ。あなたの名前は?」


「……シーナ」


「シーナ……あなたの名前」


 シャーランは頭の中で何度も、彼女の名前を繰り返し唱え続けた。次の彼女の姿形を思い浮かべる。そうすれば、シーナという子を忘れないと思ったからだ。

 それから何時間も、二人は階段に座り続けていた。団地とはいえ、辺りには木々が生い茂り、空き地だってある。鉛色の空は次第に暗くなり、暗雲の色が彼女達を包み込み始めていた。


「そろそろ帰らないと……。シーナはどうするの?」


「……あたしも戻る。外にいたら、心配するから」


「あなたのお母さんは、ずっと出掛けてるの?」


 ちょっとした疑問だった。詰まることなく口から出た言葉――特に意図のない質問。シーナは階段の先に続く道路を見続けながら、答えた。


「いっしゅうかん……」


「そのあいだ、ずっと一人なの?」


「うん。たべものはあるけど、家にいてもヒマだから……。お母さん、あたしがいい子にしていれば帰ってくるって言ってた。だから、いい子に待ってるの。いつか帰ってくるから、すぐにお母さんが見えるようにここにいるの」


「……そっか。帰ってくるよ、ぜったい」


 しかし、シャーランの発した言葉はすでに、シーナの耳には届いていなかった。目は濁っているかのようにくすんで、生気が見られない。それでも、彼女は母親が帰ってくるであろう道を見続ける。

その道を見ているのかは、定かではなかった。

 家に戻り、シャーランはベッドに潜り込んで、シーナのイメージを脳内で思い浮かべた。自分の世界にはいなかった子。彼女にとっては、シーナの存在はどこか変わっていて、新鮮に感じていたのだ。もちろん、この時にはシーナの境遇をあまり理解できない部分もある。けれどシャーランは、次の日にも階段のところへ行ってみよう、また会えるかもしれない、と考えながら眠りについた。窓には霜が張り始め、外界と彼女の部屋を遮断していった。

 翌日、あの階段のところにシーナは座っていた。昨日と同じ服装を着て、母が帰ってくる道を見ている。再び、シャーランは彼女の隣に座り込んだ。

 特にそれだけで、他にすることなどなかった。ふとした時に、家では何をしているのか?何の動物が好きなのか?など、とりとめもない会話と質問が二人の間で行き交うだけだった。シーナはシャーランの質問には答えていた。けれど、彼女がシャーランの顔を見ることは、一度もなかった。数日間、二人が一緒にいることが続いていた。

 雲が広がった空は延々と続き、陽を見せることなど一切なかった。みぞれや雪が降ることもあった。その度にシャーランは毛布を持ってきて、シーナを包ませた。

 彼女に気を遣う理由などない。両親から、困った人がいたら必ず助けなさいという教訓が活きているのかもしれない。当然、シャーランは意図してシーナに構っているわけではなかった。純粋な優しさが彼女の根底に備わっていただけなのだ。

 何日か、階段のところでシーナと一緒にいることが続いていた頃、シャーランは駆け足でやって来ると、そこには彼女がいなかった。


「シーナ……?」


 周りに目を向けて、彼女の名前を言う。どこに行ってしまったのだろう。いつもここにいるはずなのに……。もしかしたら、今日は来ないのかもしれない。

 雪が降り始め、彼女が歩く度にサクッという音を立てる。アスファルトに到達した雪は、神秘さを誇る白を一瞬にして失い、消えてなくなってしまうが、積み重なっていくと、美しい純白を保ち始めていくのだ。見れば、くすんだ黒色の道路が白化し始めていた。新雪だ。

 シャーランが家路につく途中で、小さな空き地を見つけた。彼女の包んだマフラーが、北風によって揺らされる。シーナの……丸まった灰褐色の姿が見えた。シャーランは雪で一度滑りそうになりながらも、シーナのところへと走った。彼女は何を見ているのだろう。シーナの視線の先を辿り、探っていく。

 小さな穴があった。

 彼女は座り込んで、穴の中を覗いている。シャーランは、この穴が一体何かをすぐに理解できた。動物の図鑑で見たことがあるからだ。


「これ、うさぎの穴?」と、シャーランは一緒に屈み込んで、穴を見る。


「そうだよ。うさぎさんはまだ出てきていないけどね」


「ここで出てくるのを待っているの?」


「うん」


 シーナの頭には、雪のつぶてが毛に絡み取られ、白い帽子を被っているかのように見えた。彼女自身は、特に気にした様子を見せない。

 二人はずっと、うさぎの穴を見ていた。容赦なく降りつけてくる雪をシャーランは払うが、シーナは何もしなかった。氷が溶けて染み込み、彼女の体毛をしっとりと濡らしていった。いつものように、マフラーを彼女に巻かせるが、座り込んだ体勢と目線は変わらない。濡れて冷え切った体毛がマフラーにも移り、温もりが失っていく。シーナとマフラーの温度が同化していくようだった。


「何もしてないと、雪で濡れて風邪を引いちゃうよ」


 シャーランは堪りかねず、彼女にそう言った。似たような事を、何回も彼女に言っている気がする。シャーランの頭の片隅でそう考える。シーナは、何も言わなかった。しばらく間をおいた後、やっと口を開いた。


「うさぎさん、中でどうしてるのかな。お父さんとお母さんがいて、みんなで寄りそって温まっているのかな」


「そうだね。うさぎは寒さにも弱かったと思うよ」


「じゃあ……独りぼっちのうさぎさんは、凍えて死んじゃうの?」


シャーランは驚いて、シーナの方を見た。


「聞いたこと……あるんだ。うさぎさんはとてもさみしがり屋だから、一匹だと長く生きていけないんだって。だから、家族や友達がいないうさぎさんは……不幸なうさぎ。誰にも選ばれなかった、愛されなかったうさぎだって……」


 シャーランは、どのような言葉で返せばいいのか分からなかった。

 独りぼっちのうさぎは不幸なうさぎ

 二人を包んだマフラーは、降り行く雪を代わりに受けている。シーナは立ち上がり、マフラーが彼女の首元から自然に離れていく。


「いつかもどってくる。シャーランはそう言ったよね。でも、あたし知ってるよ。お母さんはもうもどってこない。どんなに待ち続けても、お母さんとは二度とあえない」


 彼女は、少し微笑んでいた。何かのしがらみに捕らわれ、そこから解放されたように。そして、解放された世界は、決して自由に舞うことが出来ない空を飛び続ける鳥のように。

 シャーランも続けて立ち上がる。二人はしばらくの間、何も喋らなかった。街灯の光は灯り始め、すっかり白くなった雪を踏みしめながら、それぞれの家へと向かっていった。

 シーナは立ち止まり、背中を向けながらシャーランに語りかける。


「ここでかえる道は別になるね。……じゃあ、また――」


 彼女が言い終わる内に、シャーランは彼女の手を握りしめていた。相手は驚いて、初めて、シャーランの目を見た。シーナに映る彼女の目は、鋭く真摯で、見た人はたじろいでしまうだろう。


「えっ……」


 戸惑い、目線を反らせないシーナを待たず、彼女は首からマフラーを外した。すると、鋭い目つきが一気に緩む。シーナの頭に積もった雪を振り払い、全てを包み込むようにマフラーを彼女に巻いた。シーナは巻かれたマフラーに触れ、濁っていた目が澄んでいく。


「独りぼっちじゃないよ。不幸じゃないよ。独りのうさぎは寂しいかもしれない。でも、うさぎはね、春のシンボルなの。長く、寒い冬を乗りこえた先にある、暖かい春の象徴。たとえその時は独りでも、乗りこえれば新しい家族や友人が現れる。シーナの周りには誰もいなかったかもしれない。でも、今は違うでしょ。わたしが……いるよ」


 シーナの目は大きく見開き、ゆっくりと頭を下げた。口元がマフラーの中に埋もれ、両手を合わせる。雪は遂に猛威となって、二人に襲いかかる。しかし、今の二人は全く気にならなかった。頭の上に雪が積もっても、そのまま新雪に埋もれそうになると思ったとしても、いつまでも、いつまでも、二人はそこにいた。やがてシーナは再び、シャーランの顔をまじまじと見た。シャーランもシーナの顔を見た。そして、二人同時に、笑みを浮かべた。

 それから、二人は毎日のように出会って、遊ぶようになった。あの階段でいつも待ち合わせ、うさぎが出てこないかを巣穴で確認したり、鬼ごっこをしたり、端から見れば子供達が無邪気に遊んでいるだけだろう。けれど、シーナは一人ではないと実感できた友人ができたことに喜び、シャーランは笑顔を浮かべるシーナの姿を見て喜んだ。共に遊ぶ時間は決して長いものではない。気がつけば、辺りは既に暗くなり、小さな子供達は帰らなければならない時間帯を迎えてしまう。その時になって、楽しい時間が終わってしまったことに少しだけ嘆く二人だったが、また遊ぼうと言葉を交わし、それぞれの家へと戻っていくのだ。


 冬が終わりに近づき、春が近づいてくる頃。積もった雪が暖かい光で溶け始め、冬眠中の動物達が巣穴から出始めてくる季節。この時は久しぶりに太陽が隠れ、二人が初めて出会った空と同じだった。

 シャーランはスキップを弾ませながら、待ち合わせの階段へとやって来た。だが、シーナの姿はなかった。空き地にでもいるのだろうか。そう思った矢先、アスファルトの地面に置いてある紙とそれを押さえつける石を彼女は見つけた。表面には、『シャーランへ』と書かれている。すぐにそれが、シーナが自分に宛てて書いたものだと分かった。石をどけると、まだ何か書いてある。揺れ揺れの文字で、彼女が一生懸命に手紙を書く姿が思い浮かぶ。


『シャーランへ 灯に行ってきます』


「灯?」


 シャーランは、その言葉の意味が分からなかった。家に戻り、たまたま家にいた母に聞いてみる。


「お母さん、ともしびって何?」


 母は本を読んでいたのだが、シャーランから出た『灯』の言葉を聞いた瞬間、手が硬直し、意外だとでも言う表情でシャーランの方を見た。


「どこで、その言葉を知ったの?」


 彼女は、シーナが書いた手紙を母に渡した。中身を読んで、外も家の中も暗かったのに、母の表情は一段曇ったように見えた。


「そう……。そういうことね」


「お母さん、シーナはどこ行っちゃったの?ともしびって何なの?」


 母は説明するのを躊躇う様子を見せた。まだ、この娘に話すのは早すぎる。でも、この手紙から見て、娘の大切な友人が連れてかれてしまったのだ。連れてかれた先が何か?知っているのなら、教えた方がいいのかもしれない。それが正しいかどうかは二の次にして。

 観念した母は、事実をありのままに、抑揚のない口調で語り始めた。


「きっとこの子は、『灯』に回収されていったのね。本来は別の事もしているけれど、この場合はいらない子供、愛されなかった子供を集めて、この世界から消えて無くすという解釈が正しいわ」


「消えてなくすってどういうこと?つまり……死ぬってことなの?」


「……………その通りよ」


 包み隠さずに語られた真実は、シャーランにとっては信じがたいことだった。シーナは死ぬ。ずっと近くにいた存在が突然いなくなる。気づけば、シャーランは母にしがみついた。


「ともしびはどこにあるの!?連れ戻せないの?」


「……わたし達じゃ介入できないの。どんなに可哀想でも、救ってあげたいと思っても、一度連れてかれると助け出せない。外界から切り離され、棺の中に閉じこもってしまうから」


「でも……そんな……!」


 シャーランは、何度も母を揺さぶった。目には涙を浮かべて、頬を伝って流れ落ちる。母は膝を曲げ、娘の顔を真っ直ぐと見た。両肩を優しく掴む。


「あなたにとって、その子はとても大事な存在?」


 涙を拭い、母の質問に答える。


「うん、大事だよ。初めてできた友達。シーナもわたしといっしよにいるのが好きだった。もっと、いっしょにいたい。もっと、おたがいのことを知りたい。話したい……!」


「……そう。心からそう思えるなら、あなただったら救えるかもしれないわね。棺の中から出すことが出来るかもしれない。場所は知ってる。そこに向かいなさい」


 母から『灯』への道筋を聞くと、家を飛び出した。あの時と同じ、鉛色の空。溶けて滑りやすくなった雪が、彼女の行く手を阻む。靴に雪解け水が染み込んだ。息が荒れる。うまく走れない。それでも、進め、進め。全身を奮い立たせ、手足を動かし、目を閉じて、顔を上げ、歯を食いしばり、流れてゆく景色に目も暮れず、少女は『灯』へと向かう。

 走っている時、シーナの手紙の内容を思い出した。


『シャーランへ 灯に行ってきます

 わたしがいなくなって、きっと悲しんでるのかな。それとも、怒ってる?

 あたしがあなたと出会ったとき、あたしはお母さんが帰るのを待っていた。もう帰ってこない。分かっていたはずなのに、それでも待ち続けた。そうすれば、寂しさをまぎらわせたから。希望を持てたから。だから、ずっとあの階段で待っていた。でもね、シャーラン。あなたといっしょにいる内に、お母さんじゃなくて、あなたのことを待つようになっていたの。初めてだった。待つのをさみしいと思わなかった。何もしない時でも、シャーランと出会えればとても安心できた。

 楽しかった。

 いっしょにマフラーに包まれた時、ひとりじゃないんだって段々と思えてきた。マフラーをもらった時、あなたの香りと温もりを受け取った気がした。

 うさぎさんは春の象徴だって、シャーランは言ったよね。二人でかんさつしてたあのうさぎの穴。春になれば、うさぎさんは出てくるのかな。一度だけ、見たかったなって後悔してる。

 灯が、親がいない子供、捨てられた子供、愛されなかった子供を集めているのを聞いたの。だから、あたしはそこに行きます。あたしはこの世界から消えるけれど、怖くないんだ。だって、あたしがいなくなっても、あたしがこの世界にいたこと、生きていたことを覚えてくれてる人がいるんだもの。

勝手にいなくなってゴメンなさい。そして、ありがとう。シャーランと過ごした時間、ぜったいに忘れないよ。いつまでも、いつまでも』


 『灯』に着き、シャーランの目に映ったのは、均等に並べられた黒い棺と、熱気を発する業火だった。棺が職員に運ばれて、竃の中に入れられていく。スピーカーからアナウンスが聞こえてきた。


「棺に入った皆さんを、業火の中に入れています。怖くはありません。安心して、棺の中にいてください」


「シーナ……シーナ!」


 シャーランは、彼女の名前を呼びながら駆け回る。職員が彼女に気づき、棺に近づかないように制止する手が迫ってくる。手袋を投げ捨てる。コートも脱ぎ捨てた。迫り来る制止の手を振り払う。火の粉が舞い落ちて、至る所が炭だらけとなる。それでもシーナの名前を叫び続ける。声を枯らすほどに。叫び、彼女を探し続ける。


 棺の中にいたシーナは、うさぎの形をした、たくさんの折り紙に囲まれて眠っていた。世界から切り離され、業火によって消えていく自分。彼女は眠る。手には、シャーランが持っていたマフラーを持って。二人を繋げた証。せめて、これだけでも持っていきたかった。ああ、シャーラン。独りぼっちじゃないと示してくれた、大切な友人。でも、もう既に遠のいてしまった。彼女の手は、ここまでは届かない。でも、不幸と悲しみに埋もれたまま死ぬより、一瞬の幸せを味わえただけでも、自分は嬉しかった。今、彼女はどうしているのだろうか?棺の中にいると、考えることも忘れてしまう。いずれやって来るのは死なのだ。だったら、もう少しだけ寝ていよう。光が見えない。あたしには今、何も見えない。


 一条の光が差し込んだ。シーナはゆっくりと目を開ける。何故光が見えるの?棺が開いたの?何故?誰が開けたの?差し込む光に目を向ける。誰かが、覗いてる。あたしを見ている。


「シーナ……シーナ………シーナ!!」


 この声……。彼女には見覚えがあった。ああ、懐かしい。聞いたことがある声。あたしに光をくれた声。

声……。あなたは……。

 棺の中を覗く人物は手をシーナの方へ伸ばす。彼女の姿には見覚えがあった。ボロボロとなり、涙目になりながらも、自分の名前を叫び続ける。あなたは――


「……っ。シャーラン……?シャーラン!」


 手を伸ばす彼女。それに応えるように、シーナも手を伸ばす。二人の手が繋がり、シーナは棺の外へと引き上げられる。光を浴びる。眩しい。シャーランの手は傷だらけだった。炭だらけで切り傷もある。それを堪えるように、彼女はシーナを外へと連れ出す。棺の中から救い出す。

 棺の外へ出た時、一緒に入っていたうさぎも出てきた。同じ色が二つもない、様々な色のうさぎの折り紙が棺の外へと飛び出し、元気に駆けずり回っていく。

 気づけば二人は、陽光に照らされる野原に仰向けとなっていた。雲がない、晴天の空の下で、二人の手は繋がっている。シーナの瞳に光が灯り始めてきた。シャーランの方を見る。手だけでなく、顔も傷だらけとなった彼女は、救い出されたシーナを見て微笑み、涙が溢れていた。シーナも、目から涙が溢れていた。シャーランはゆっくりと、彼女にこう言った。


「あなたを一人にさせない。いっしょに……帰ろう」



「そして、少女に選ばれた子鹿は養子となり、彼女の家族の一員となりました。幸せを掴んだ子鹿は、二度とこの世界から消えようと思うことは、ありませんでした」


 緑髪の青年が言い終わると、スクリーンに映し出された映像も止まった。周りが明るくなり、映写機からフィルムが出てくる。


「そう……わたしが……シーナを家族の一員にした。わたしが、彼女を選んだ」


「うん。その後の君達は、互いに支え合いながら生きてきた。君の呪われた能力が苛まれた時も、彼女はずっと傍にいた」


「……ええ、その通りよ」


 青年の微笑が崩れないまま、フィルムを外して、棚の中に戻した。


「でも、君が求めているものはこれではない」


 青年は困った表情を浮かべて、肩をすくめた。シャーランは青年の様子をただじっと見ていた。


「どうやら、この階にはなさそうだ。もっと……深い所へ行ってみましょう。あなたが探しているものは必ずありますよ。何せここは永遠の場所なのですから」


 階段で下に降りていく青年。彼の背中を追って続いていくシャーラン。彼女には彼に対する警戒心がなくなっていた。病院に戻る道を模索していたことも忘れ、青年がどのような動きを見せていくのか、跡を追って観察していくことにした。

 さらに地下に潜ると、光はさらに遠退き、薄暗くなっていた。青年は、その階にある棚から別のフィルムを取り出す。そして、またいつの間にか置いてある映写機にフィルムをセットした。スクリーンが現れ、新たな映像が映し出される。青年が語り始めた。


「ある日のことです。一人の女の子には不思議な能力を持っていました。しかしその能力は、決して良いものではありませんでした」


 再び映像に出てくる、シャーランの姿。今度は七歳ぐらいだ。スクリーンに、シャーランは吸い込まれていく。そう思ってしまうほど、彼女は映像に釘付けになった。

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