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白銀のヴァールハイト  作者: A86
5章 忍び寄る影
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第150話 悲劇は止まらない

 目を覚ました時、見慣れない場所にいた。雲が混じった青空、地平線の彼方まで続く広くて浅い海、その海は青空を映す鏡の役目を果たしていた。俺がいる場所は、天国なのだろうか?清清しさがあって、心地良い。でも、どこかに黒いモヤモヤがある。それが、俺が見ている景色を邪魔しようとしている。

 突然、空が血のように赤くなった。当然海も、赤い空を映して景色は一気に血染めとなった。さっきまで心地良い気分だったのに、同じ景色でも色が違うだけで、景色の捉え方が変わる。今俺がいる場所は、地獄だ。


(お前だ……)


 頭の中に響いた声は、低くて、俺に殺意を向けていた。赤くなった景色で、何の気分にもなれない――言葉に言い表せないもどかしさが俺を包み込む。この世界の生き物は俺しかいない。静かで波一つたてない海がいつでも傍らに寄り添っていて、でもそれ以外何もしなくて、空白になる心を癒してくれない。

 七歳まで、俺は何をしていたんだろう?思い出が何一つなくて、それこそ空白の世界と例えてもよかった。マリア・イヴェールとミロワール・マレンの戦い。決して俺はその光景を見ていない筈なのに、人から聞いた話だけなのに、何故か二人が戦っている姿を容易に思い浮かべている自分がいた。まるで、その戦いを直視していたとでも言わんばかりに、だ。まるで、直視していた……?

 違う。

 それは『まるで』じゃない。俺は、その光景を『見た』。それは、俺が七歳……丁度記憶が失っている部分だ。俺はどこに、どうしてそこにいた?戦いを見た後、俺は何をしたんだ?


(お前だ。お前が……)


 血染めの景色がなくなり、星がない夜の世界へと切り替わっていた。照らす物が何もないために、夜目も効かず、何も見えなかった。ただ、囁く声だけが……。


(お前だ)

(お前だ……)

(ケダモノめ!)

(殺してやる……)

(殺す!)


 囁きは大きくなっていく。男性、女性、子供問わずに様々な囁きが耳に入ってくる。鼓膜がやぶけてしまいそうなほど、囁きはざわめきへと変わっていく。耳を塞いでも、意味がないと嘲笑するかのように声が手をすり抜けてやってくる。気分が悪くなり、頭が割れそうになって、身体の様々な部分が異常を来して悲鳴を上げる。呼吸が荒くなっていく一方、ざわめきは騒音へと変わっていく。耳を塞ぎたくなるような音がし続け、長時間耐え続けた俺は、ついに暴れ始めた。殴り、蹴り、噛みつき、悲鳴混じりのうなり声をあげながら暴れ続ける。その姿が大層可笑しかったのか、笑う声が聞こえた気がする。それすらも判別出来ず、空回りし続ける攻撃を無駄と理性が判断していても、本能は止めてくれない。本能のあるがままに従っている。

 今の俺は、本物の獣のような状態だった。見た目が狼に似ていても、骨格は人間。獣になりきれない姿が滑稽さを増していく。人間が発しない声を出し、狼のように吠える。人と獣の中間――何者にもなれない混血の一族。それが俺達……獣人だ。

 一本の槍が、俺の身体を突き刺した。心臓を貫かれ、背中から槍先が飛び出る。口から大量の血を吐き、息づかいがさらに荒くなっていく。朦朧とした視界に映ったのは、無数にある腕。手が俺の方に伸びていき、服を剥ぎ取られ、耳を捥がれ、さらに槍で身体を突き刺されていき、痛みを越えていきそうな気がした。身体のあちこちから血が流れ、やっと理性を取り戻せた俺は助けを呼ぼうと声にもならない叫びを上げる。しかし、苦痛で口から音が出ず、誰も助けに来ない。ここに俺の味方は、誰もいない。


(助けて……助けて!)


(アンコール!アンコール!アンコール!)


 囃し立てる声が、聞こえる。狂気の世界、誰にも手を差し伸べられることなく、無様に死んでいく。意識が無くなる直前、青年の声の囁きが聞こえた。


「君達は、存在自体が使い捨てなんだよ」


――――


「デューク!しっかりして!」


「ああっ!!あ、あ?」


 意識を失って、再び目を覚ますとまた別の世界にいた。隣には、俺の見慣れた緑のトカゲ獣人が心配そうに見ている。アーク……。次第に、俺はさっきまで夢を見ていたことが分かってきた。


「大丈夫かい?随分(うな)されていたようだけど」


「……ひどい夢を見た。俺が無残に死んでいく姿を、周りが楽しんでいた……。怖かった……」


「そう……。気分は?平気?」


「……心配しなくても、大丈夫だ」


 精神的には、まだ参っているが。なんだか眠る前よりも疲れた気がする。夢の内容からしても決して休めるものじゃない。

 悪夢なのだから。

 夢から覚める時、誰かが俺の近くで何かを囁いていた……。なんて言っていたんだろう?夢というのは、意外と儚いもので、目を覚ますとすぐにその中身を忘れてしまう。覚えているのは、曖昧な場面だけで、夢の中で言葉は強烈なものでない限り、忘れているのが普通だ。もう既に、俺の脳には最後の言葉が思い浮かばなかった。


「今……何時だ?」


「七時。登校時間の八時四十分までは先だからね。残りの二人はまだぐっすり寝てるよ」


「お前は?なんで起きているんだ?」


「……六時半にふと目覚めてね。ここ最近、あまり寝れていないんだ。何故かは分からないけれど……。ベッドで横たわっていると、君が助けを求めるような……魘されている声が聞こえたから、起こしたんだ」


「そうか……。目が冴えて、もう眠れそうにない」


「それは、僕もそうだよ」


 そして俺達は、お互いに笑った。また……悪夢を見てしまった。分かっている。俺が悪夢を見る時は、決まって悪いことが起きる前触れだ。今までも、多かれ少なかれ、悪夢の内容に沿った出来事が起きている。俺が無残に死ぬ。その未来は本当に起きるのか?それとも、もっと別の光景が未来で起きるのだろうか?例えば、夢から覚める前に聞いた言葉とか……。

 自分の、獣毛が整った手を見つめる。俺は生まれてからこの狼と人間を足して二で割ったような姿に何の違和感も持たなかった。それは、周りにも似たような奴がいたからだ。だから、俺が容姿について気にしたことはない。

 でも、獣人は昔からいた訳じゃない。3000年代前半に現れたのが、最古の資料にそう書かれている。それ以外は、何も書かれていない。


 俺達獣人は、どうやって生まれてきたのだろう?


「デューク、先に騎士団の方へ行こうよ。二人には置手紙で伝えるからさ」


「……ま、それもアリだな」


 俺はベッドから降りて、制服や軽く身だしなみを整える。俺が最古の文明に触れたとすると、世間から抹消される存在になってしまうのか?ブラウンやスチュアート先生は、真実を明かすのはすべて正しいと限らないと言っていた。それは、言われなくても……どこか心の奥底では理解していた。人は自分の立場を守るために嘘をつく。それがこの世の社会を作り出していると断言してもいい。謂れ因縁の書の封印を解くのが、その社会を作り出している根源でもあるはず。俺はまだ迷っている。このまま進んでいいのか先延ばしにすればするほど、後々とんでもないことになる。

 俺は、怖がっている。世界の謎を解き明かそうとしていたリックの勇気を、俺は持ち合わせていない。勇気がなかったから、ここで詰んでいる。


「デューク?君本当に大丈夫?辛かったらいつでも言っていいんだよ」


「……そうじゃない。行こう」


 背中越しにドアを閉めて、鍵をかける。お約束のような鍵をかける音がした。

 あくまで俺の結論だが、この先謂れ因縁の書の謎を解くのを中止にしたいと思っている。リックとの約束を破ることにはなるが、今はそんな事を言っている場合ではない。俺の中のどこかで、興味半分で知りたいという気持ちがある。そんな奴に、社会の根源を知る権利はない。

 スチュアート先生に言わなければ。自分が今揺れ動いていることに。話さなければ……。


――――


 雪が降った一夜が過ぎた後は、地面が白銀の道塗(どうと)が出来上がっていた。特徴的な足跡も僅かにしか残っておらず、まだ綺麗な姿を残している。足を踏み込むごとに、ザクッザクッと小刻みの良い音が出る。空は久しぶりに晴れ晴れとしていて、此処のところ曇りが続いたこともあって穏やかな気持ちになった。


「昨日は積もったね」


「雪かきする人は、辛いだろうけれどな」


 アークはマフラーや手袋をはめていたが、俺はコート以外に何も身に着けていなかった。こういう雪が降った後とかには、獣毛の獣人は冬を過ごす時は得だと思う。長い冬のために、衣類の費用が少しだけ浮くからだ。

 アークと特に深い意味の無い会話をしていた時だった。騎士団の方から、悲鳴が聞こえた。


「今のは……?」


「女性の声だ。早く行こう」


 俺とアークは出来る限り速く走り出した。地面が雪で積もっているから、思うように走れない。何があったのか。事件だったら、場合によって間に合えばいいのだが。

 五分後、三分で着く道がようやく終わり、高さが数十メートルもある壮大なまでの正門が待ち構えている。俺達が最初に見たのは、一人の人間の女子が腰を抜かして、雪の上で座り込んでいる姿だった。


「大丈夫か、お前?」


「何が起きたの?」


 俺達が来たことに驚いて、恐怖で見開いた目をこっちに向ける。涙ともとれるものが目に浮かんでいて、口元は強張り、うまく話せない様子だった。アークが片膝をついて、少女と同じ目線で話しかける。


「怪しい人じゃない。僕達も君と同じ訓練生だから。教えて。何があったの?」


 すると少女は、震えた手で正門の方を指差した。


「あっ……あれ……あれ!」


 少女が指差した方向を見た俺達は、同じように目を見開いた。そこには、一人の獣人の少年が心臓部分に槍が突き刺さって、正門の丁度上の部分に串刺しの状態があった。目は開いているけれど、生気はもうない。突き刺さった部分から流れたと思われる血が、槍を通して少年の真下、正門の前に血溜まりで広がっていて、大きな水溜りが赤く染まったようだった。


「死んでいる……よね……?」


 あまりにも残酷すぎる姿に誰もが言葉が出てこない。しかし、俺が驚いているのはもう一つ。殺された『少年』だった。


「ブラウン……」


 そう、正門の上の部分にいる、槍で心臓を貫かれた上に串刺しにされ、生気のない目をちらつかせたまま死んでいるのは、紛れも無く犬人の少年、ブラウン・アッカーだった。


「なんで……嘘だろ……」


 多少の面識があったから、それだけでショックの度合いは大きかった。昨夜、シャーラン・イヴェールが殺害されそうになった。けれど、それは未然に防がれた。けれど、事件は俺達を待ってはくれない。とうとう、本当に訓練生での死亡者が出た。それも……俺の知っている奴が……。

 昨夜の夢を思い返す。今まで、悪夢が現実に起きることが時折起きた。でもそれは、何日、何週間か先の出来事だった。でも目が覚めた今、ついさっきまで見たものがもう現実に起きた。俺が串刺しになる訳じゃなかった。串刺しになったのは……!


 正門の血溜まりから鉄の臭いがする。俺の悪夢が……現実でも起きた。

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