第141話 急襲は突然に
気のせいなのか、耳に残る……足音が聞こえている。どんな音かと聞かれると、ズルズルと足を引きずっていると説明すれば分かるかもしれない。単なる偶然か……?その可能性は捨てきれない。もう少しだけ、様子見にしとくべきだろう。俺は気にせずに歩き続けた。
三分後、人があまり通らない道を歩いている。そこでも、まだ足を引きずるような音が聞こえていた。右には住宅が続き、左には空き地がある。途中から空き地の部分も住宅へと変わり、完全なる住宅街となった。時間は三時だったが、既に日は暮れ始めていて、街灯の明かりがついていた。人は俺達以外、誰も通っていない。通り魔とかが襲うには、最適な場所と時間帯だ。後ろから聞こえる音……俺達の跡をついてきてるのか?
「デューク」
「ああ……」
クレアも後ろから聞こえる音に気がついたようだ。俺達の足取りはゆっくりと速くなっていく。後ろの音も、俺達の歩くスピードが早くなるにつれて、大きくなっていく。
間違いない。俺達を確実に狙っている。アイコンタクトでクレアを見る。彼女も分かっているようだ。同時に俺達は、走り出した。まず、追いかけてくる相手を振り切ろう。
俺はチラッと後ろを見た。そこにいたのは、鍔のある帽子を深く被り、モンクレールのジャケットを着て、左足を引きずりながら追ってくる男性の姿がいた。帽子から犬耳らしきものが出ていることから、獣人だろう。顔を隠している時点で既に怪しいオーラが漂っている。
(後ろにいる奴は右足を引きずっている。全力で走れば逃げ切れる)
(そうだとしたら、急ごう)
小声で会話をしながら、俺達は走るスピードを上げた。両端にある家々が駆け抜かれていく。一先ず人目のつく場所へと行けば安全なはずだ。ここからだと少し遠回りになるが、そこは仕方が無い。ここは危険だ。急いで抜けよう……。
通りから道を外れて、大通りに行くのに出来る限り近い道を通る。家がずっと続いているのに、人を誰一人見かけないとなると、まるでこの街に自分達しかいないようだ。
男は必死になって追いかけてくる。ズルズルという音が大きくなっている辺り、相手はこの街の住民……素人の可能性がある。何の目的で俺達を追いかけているのか?ストーカー、通り魔、どれもあり得そうであり得ない。
足を引きずる音は大きくなっているけれども、間違いなく男から引き離している。今は坂道を登りきったが、後ろを振り返ると、男はまだ坂道を登ろうとする段階だ。振り切れたか?
目の前には、トンネルがあった。車がギリギリ通れる幅で、中は蛍光灯によってぼうっとした鈍い音が聞こえる。それが奥まで続き、壁には苔がこびりついていた。ここを通ったことはなかったが、このトンネルを抜ければ、人目のつく場所へと行くことができる。
後ろには、誰もいない。クレアが俺に握る手が少しだけ強くなった。
トンネルの中へと入っていく。とても長くて、向こうの出口はまだ小さかった。蛍光灯の光と、苔の湿っぽさが相俟って不気味に演出していた。蛍光灯の周りにいる一匹の蛾が、まるで俺達に不吉な予感をもたらせてしまいそうな――
「何か……来る……」
「えっ……」
直感的にそう感じた。歩く足を止め、向こうのトンネルの出口をじっと見る。すると、フード付きのローブを羽織った人達が現れた。人数は四人。全員、手にはナイフを持っている。
後ろを振り返ると、足を引きずっていた男と二人のローブを羽織った人がいた。
挟み撃ち……イデアルグラースの手引きか?しかし、イデアルグラースのローブの色は完全な黒だ。こっちは紺色……色違いというのもあるかもしれないが。
「……」
俺達を狙った理由は分からないが、ここを突破するには戦うしかないのか……。生憎、武器を持ち合わせていないけれども、見た感じ素手だけでも倒せそうな相手だ。
隣にいるクレアは、ホルスターから拳銃を取り出している。彼女も戦える様子だ。
「後ろの三人をお願いできるか?」
「うん、分かった。相手は刃物を持っている。素手で戦うのは危険な気がするけれど……」
「心配しなくても、俺は体術も学んでいるし、生身でヴァイス・トイフェルとも戦っているから、これくらいなら簡単だ」
相手はしびれを切らした様子なのか、向こうから走ってきた。俺達は、手に持っていた荷物を下ろして、それぞれ逆の方向へと走る。俺が相手をするのは、刃物を持った四人の人物。日頃の訓練を活かせば、苦にはならない筈だ。
一人のローブの人がナイフを突き出してくる。俺は頭を下げて、ナイフを持つ手を即座に握って捻り回す。そこから、奴の首に蹴りを食らわした。蹴られた人物はなす術のなく倒れる。
そこから休む暇もなく、他の三人が襲い掛かってきた。真ん中にいる奴は背が高く、右の人は平均並みで、左の人は小柄そうに見える。
両端の二人が先に来た。さっきのようにナイフを突き出すのではなく、斜め上から斬り裂くようにしてくる。右は右上から、左は左上から、だ。後ろに下がって攻撃をかわし、多少距離を置く。すると、長身の人物が突進してきた。こいつだけ、持っている武器はサバイバルナイフだ。当たったらひとたまりもないだろう。
右へ、左へ。サバイバルナイフの動きは止まらない。俺を捕らえるまで止まってくれそうにない。参ったな。避け続けるのはいいが、後ろの二人が追撃にきてもおかしくない。武器を持っていないことから、サバイバルナイフを手にするのは難しいだろう。隙を見て攻撃するのも……いや、出来るか。
後ろにいた二人もやってきた。今度は本気で来ている。迎え撃つ前に、この長身を片付けねば。
サバイバルナイフが、俺の顔の方へとやってくる。俺はそれをかわしながらも、回し蹴りをする。見事、腕に命中して、ボキッと小さな音がした。サバイバルナイフは、手からすり抜けるようにして落ちていき、俺はその隙に奴の鳩尾を思いっきり殴った。唾液らしきものが口があるであろう部分から出てきて、その場に崩れ落ちる。丁度、サバイバルナイフもカランという音とともに床に落ちた。
残りの二人は、二人も倒されたとしても一切のたじろぎを見せていない様子に見えた。まず右の奴が、スライディングをして俺の足を狙う。俺はジャンプして、ついでにスライディングをしてきた人物を踏み潰した。ゴンッと地面にぶつかる。
それを狙ってか、もう一人が俺にナイフを差し向けてくる。俺は左にずれて奴の頭を掴むと、躊躇なく壁に叩きつけた。頭を手から離すと、そのまま倒れた。顔からのめり込んだから、鼻の骨が折れてもいいくらいだ。叩きつけられた壁には無数のヒビがある。
やりすぎたかもしれないな……。でも死ぬまでには至らせるほど、痛めつけてはいない。手当てすれば大丈夫だろう。
そうだ。クレアはどうなったんだろう。こっちの戦いに集中していて気づいていなかったが。トンネルに入ってきた方向を見ると、彼女も全員倒した様子だった。
「丁度終わったみたいだな」
「そうみたいだね。ローブの人は気絶させたんだけど、この人だけは意識を残しているよ。動けないだろうけど……」
そう言って、彼女は一人の男性に目をやる。帽子を深くかぶっていて素顔が見えず、左足を引きずっていた奴だ。右足から血を流している。確かに動けない様子だ。俺は奴に近づき、帽子を取った。
露になったのは、怯えた表情をしている狐獣人の顔だった。まだ二十代ぐらいに見える。顔をこちらへと向けていない。第三者がこの状況を見たら、俺達が悪人だと思ってしまうに違いない。
「主犯はお前なのか?」
俺はそう尋ねるが、返事は無い。俺はしゃがみ込んで、奴の顔を無理やりこっちに向けた。
「答えろ。お前が仕組んだのか?」
威圧を与えながら、狐獣人の男を問い質していく。男の息づかいがどんどんと荒くなっていくのが分かった。それでも俺は、鼻面に皺を寄せて牙を剥き出し、怒っていることを相手に見せつける。男はそれでも答えないが、恐怖で竦み上がっていることは分かった。
「もしかして、イデアルグラースに命令されたことなの?」
今度はクレアが聞いてくる。
その時だった。男はカッと目を見開き、ジャケットから拳銃を取り出し、それを頭に当て、引き金を引こうとする。
「待て!」
俺は思わず、そう呼び止めるがその言葉も虚しく、発砲の音がトンネルに響き渡った。男は目を開けたまま、動かなくなる。拳銃を持った手をダランと下げ、拳銃突きつけたところから血が噴き出していた。死んだ……。
「追い詰めすぎたか……」
「多分……それは違うよ。でも拳銃を持っていたのに、何でわたしと戦っていた時には使わなかったのかしら」
「さあ、な。物騒な物を持ち歩くよな。ヘルシャフトは治安がいい街なのに」
自分の身は自分で守れ、という事かもしれない。俺は拳銃の他に、サバイバルナイフなどを回収する。クレアは、対白魔騎士団に連絡をとって、倒れた襲撃者の回収をするように要請している。
こいつらは、何故俺達を襲った?そもそもこのローブ……。やっぱりイデアルグラースの駒かもしれない。俺は拳銃の引き金を引く。けれど、銃弾は出てこなかった。弾は一つしか入っていなかったのか……。それだったら、クレアと戦っている時に使うのを迷っていたのかもしれない。
その後、騎士団の兵士達がやってきた。薄暗いトンネルは封鎖され、襲撃者達は騎士団へと連れて行かれていく。奴らは後で、事情聴取されるということだ。
俺とクレアは兵士達にお礼を言って、その場をあとにした。彼女も途中で別れ、俺も母がいる家へと向かっていく。家に着いた時にはすっかり暗くなっていて、霙も降ってきた。今回の急襲に関しては、後日聞かされるだろう。
こうして、俺の波乱もあった一日は、幕を閉じた。




