第138話 告白
謂れ因縁の書の二つの章は、前後編となっていた。内容はヴァイス・トイフェルの誕生、そしてそこに至るまでの経緯が書かれていた。一番最初に鍵穴を解いた章を読んで、薄々と予想はしていたはいたが、いざ知ってみると、本当なのかどうか信じ難くなる。
この書物が書かれている時代……科学の黄金期を築いていた頃は、世界中の気温がとても高かった。その劣悪な環境を改善する為にヴァイス・トイフェルが生み出されたのだ。世界中の気温を落ち着かせるために……。
俺は、謂れ因縁の書の文から目を離して、スチュアート先生がいる方を向く。
「この書物に書かれていることは、事実……なんですよね」
「……恐らくそうだろう。ヴァイス・トイフェルは人の手で生み出された。そして今、我々の脅威となる」
確かに、温暖化は収まったかもしれない。しかし逆に、大昔の氷河期のような時代へとゆっくりながら戻ろうとしている。実際、イデアルグラースの目的がその時代へと目指しているのだから。
そういえば、まだ先生にイデアルグラースの目的は何かということを伝えていなかった。
「先生、今回の戦いで一つだけイデアルグラースの情報を手に入れる事ができました。奴らの目的です」
「目的。何を話していた?」
「全生物の絶滅。及び、世界を氷河期へと戻すことです」
俺が先生に伝えると、彼は右目をキョロキョロと動かした。
「……その言葉は本当かもしれないな。世界の五割が生き物が住みにくい環境に変えられている。何としてでも、これ以上土地を奪われてはまずいことになる」
スドウからこの言葉を聞かされた時は、少しだけで現実味のない目的だと思った。けれど、先生の言った通り、世界の五割は氷河期に近い環境へと変えられている。あいつらは本気なのだ。本気で人類だけでなく、世界中の生物を食い尽くすつもりなのだ。
「しかし謂れ因縁の書を読んで、疑問に思ったことがある。一つ目、ヴァイス・トイフェルを開発した時は環境整備のような役目を持っていたはずだ。なのに今は、生物兵器のような扱われ方となっている。最後の方でこの著者が言っていたように、まだ何かあるようだな。ヴァイス・トイフェルの扱い方が変わった理由が」
扱われ方が変わった理由。それは次の章で書かれているはずだろう。あの怪物を兵器として使わなければ、今の世界はどうなっていたのだろう?そもそも、ヴァイス・トイフェルを生み出したことが、全て間違っていたのじゃないか?そう考えて仕方なかった。
「もう一つは、イデアルグラースの存在だ。ヴァイス・トイフェルはイデアルグラースが作ったものでないとすれば、奴らは怪物を利用しようと考えただけなのか、もっと別の理由があるのか……?」
「ただ利用したとしても、あの組織はまるで自分達が作ったみたいに、怪物の扱いがすごく上手い気がするんですが……」
そうだ。イデアルグラースはヴァイス・トイフェルに手慣れしているように見える。この書に書かれている開発者達のようにも思える。けれど、開発者などとうの昔に死んでいるだろう。千年も経てば、このフランク・アドラーという人は存命じゃない。
もしくは、開発者の子孫があの組織にいるのかもしれない。可能性はいくつもある。どれもこれも推測だから、当てにならない。
「でも、この章に書かれているヴァイス・トイフェルの情報は役立てそうにありません。主にどこで飼育されていたのかさえ分かればいいのに……」
「確かに、そうかもしれない」
この時代の人達は、ヴァイス・トイフェルを救世主と思っていたのか……。今の俺達から見た立場とは真反対すぎる。扱い方さえ間違えなければ……か。
「だが、これでいくつか分かったことはある。収穫はたくさんあるぞ」
「そうですね。少しだけ、モヤモヤが晴れました」
俺は本を閉じた。謂れ因縁の書に掛けられている鍵は、まだ三つある。
……俺が先生のところに訪ねたかった理由は、謂れ因縁の書ともう一つあった。今後の俺の課題についてだ。
「先生、さっき頼みたいことがあると言ったのを覚えていますか?」
「覚えているさ。一体何かね?」
俺は、真剣な眼差しで先生の顔を見る。自分の意思は本物だということを、分かってもらうために。
「この破邪の利剣を、預かっててほしいのです」
背中にかけていた鞘をはずして、スチュアート先生の前に差し出す。
「父さんを失ったことで完全に分かりました。俺はこの刀に依存していることに。そのせいで、護らなければいけない人も、護れなかった。それに、自分の感情もコントロール出来ていません。大切な人を殺したと思うと、その人を……殺さずにはいられなくなるんです」
一度だけじゃない。二度もあった。敵だとはいえ、ヴェインとスドウを本気で殺そうとしていた。そこには、躊躇いもない。死んでいい存在だとしか思っていたんだ。
言い訳をするつもりはない……。俺の中には、躊躇うことがない殺意がある。それは、些細なことで表面上に現れてしまうかもしれない。そんなこと、俺が許さない。簡単に人を殺そうとしてはならないのだ。
「力も精神も、何もかも未熟です。まだ訓練生だとしても、これだと駄目だと思うのです。変わりたい……もっと強くなりたい。殺意に飲み込まれず、護るべき人を護り続けたい。だから先生、今までの訓練内容を強化してください。お願いします」
変える方法はなんでもいい。それがどんなに辛くても、だ。先生は少しだけ考えている様子を見せる。
「今の訓練だけでも辛いと思うが、それより上でもいいのか?」
「はい。特別訓練で構いません」
先生は俺に目線を配ると……フッと笑みを浮かべた。
「?」
「いや、すまない。かつて、お前と似たような状況に追い込まれて、私に強くなりたいと言ってきた生徒がもう一人いたのだ。……よろしい。まず破邪の利剣は私が預かっておこう。訓練内容も他の人とも議論する。私の想像ではあるが、今の訓練をさらに厳しくするとなると、かなり辛くなるのは覚悟できているか?それと、無理をし過ぎるのは禁物だ。護るべきどころか、何も出来ない存在になるだけだ。それは約束できるか?」
「もちろんです。全て覚悟の上ですから」
先生は頷いて、俺の手に持っている破邪の利剣を手に取った。この刀を触れることができるのは、俺が強くなった、そう周りからも認められ、自分が本当に納得できた時だ。それもで、スチュアート先生の手の元に置いといてもらおう。防げたとはいえ、奴らは破邪の利剣の存在を認知して、破壊しようと目論んでいたのだから。
「それでは、後日に訓練内容をお前に渡しておこう」
「ありがとうございます!失礼しました」
俺はお辞儀をしてから、スチュアート先生の部屋を出た。扉を出る直前、どこか懐かしそうな目で俺を見ていたのは、さっき言っていた『俺と同じような人物』を思い出していたのだろうか?
本来ならば、この後近くの病院に戻って養生していた方がいいのだが、その前にもう一つやらなければいけないことがある。本人は、もう中庭にいる頃だろう。
俺の頭の中に現れたのは、一人の少女で俺が護りたい人物の一人……クレアだ。中庭へと向かっている時、彼女に想いを告げるかどうかを悩んでいた。
中庭へ行く足取りが止まる。クレアは、友人だと思っていた。ある日からリックは、彼女に想いを寄せていると言われた時、特に何とも思わなかった。寧ろ、二人の関係をとても微笑ましく思って、是非応援したいと考えていた。
でも彼は死んでしまった。そして彼女は俺の元から去っていった。
全ては白い悪魔のせいで……。そしてこの対白魔騎士団で、クレアと再会した。お互いの非を謝り、俺と彼女は元の仲へと戻っていった。けれど、昔の仲には戻れない。だが、一人が欠けているとしても、前へ進まなければならない。それが運命だとしたら、受け入れるしかないのだ。
いつから、彼女を恋愛として『好き』と思っていたんだろう?それは分からない。もし想いを告げたら、また彼女は俺の元へ去ってしまいそうで、修繕した関係がまた壊れてしまいそうで……たまらなく怖いと感じていたんだ。だから彼女の気持ちも、無意識ながら気づいていないフリをしていたのかもしれない。
今、俺はどうしたいんだ?彼女をどう思いたいんだ?友人?恋人?俺は……
(あれこれ考えている暇があったら、その想いを伝えればいいんだよ)
俺が、リックに言った言葉を思い出す。ああそうか、あの言葉のおかげでリックはクレアに想いを告げることが出来たんだ。俺が後押ししたから、あいつは一歩踏み出せたんだ。
うずくまっているような姿になっていた俺は、前を向き、中庭へと走った。そこには、一つの決意が秘められている。
緑豊かな中庭にある一本の大きな木の下に、クレアはいた。俺は彼女のところへ近づいていく。向こうも、俺の存在に気づいて、こっちに寄って来た。
「ごめんね、まだ怪我を治さないといけない時なのに」
「いや、別に平気だよ。それでどうしたんだ急に?」
俺は、なるべく平常心を保ちながら彼女と話す。タイミングはどうする?いつ告白すればいいんだ?そのせいで、頭がいっぱいになっていて彼女の言葉を聞き逃さないようにするのも大変だった。
「わたしね……ずっと考えていたの。この気持ちをずっと封じこめておくべきなのか、それとも伝えるべきなのか、ずっと悩んでいたの。でも、こんな事言ったらどう思うんだろうと思って、じゃあ黙っておこうと決めた。その時、今回の戦いでデュークが瀕死の状態で倒れたことで、思い浮かんだの。ヴァイス・トイフェルと戦うことは、死と隣り合わせということ。何も告げなかったら、一生後悔するかもしれないと思って、でもやっぱり怖くて、でもこの気持ちは伝えようと決意したの」
「クレア……?」
「デューク……あなたのことが、好きです……」
……え、ええええええええええ!!?
その気持ちは俺が言おうと思っていたのに、まさか彼女から来るなんて、全く思わなかった。
でもこれで……俺も彼女に伝えることができる。
「俺も……同じだ」
「え……?」
「気づいたのは最近だけれど、俺はお前のことが好きになっていた。お前と同じように、好きだと告白したら、今までの関係が変わるんじゃないかと思って、好きじゃないフリをし続けていたんだ。でも、もう迷わない。クレア、俺もお前のことが好きだ」
彼女は、目を丸くして俺を見ていた。途端に自分が言った言葉が恥ずかしくなった。彼女の方は、次第に状況に理解している様子だ。気まずくなる状況、けれどここで立ち止まってはいけない。俺は、素直な気持ちを口にする。
『でもごめん。付き合うことは出来ない……え?』
二人同時、言葉が合い揃った。さらに状況が分からなくなる。
「デュークからどうぞ……」
「いや、お前の方から頼む」
クレアはかなり気まずそうな表情を見せる。それは俺も同じだった。
「わたしはデュークのことが好き。でも、リックのことも好きなの。今でもずっと……。想いを伝えられなかったのもそれが原因なの。二人の男の子に恋するなんて、あまりにも最低だと思って……。ずっと悩んでいた。わたしが本当に好きだと思えるのはどっちなんだって……。それでも決められなかった。どんどん、リックに対して罪悪感を覚えるようになったの。そこで気づけた。わたしは今でもリックのことが好き。デュークも、確かに好きだけれど、それでも彼の想いを捨てきることが出来ない。それが分かって、せめてデュークにはこの気持ちは伝えておいた方がいいかもしれないと思った。ごめん……こんな後味が悪い告白のし方ってないよね……。やっぱり、最悪だわたし……」
クレアも、悩んでいたんだ。俺に対する想いを持って、悩み続けていたんだ。ずっと……。
「謝らなくていいよ。俺もお前と同じ気持ちで告白したんだ。別に最低だと思っていない。俺が最悪な方だ……。気持ちに気づけないフリをし続けていたんだから……」
俺とクレアは、二人で見つめ合う。そして……二人で笑った。何故か、気持ちがスーッと軽くなっていくのが分かった。伝えようか戸惑っていたものが、解消されていくような……。
「俺に気持ちを伝えてくれてありがとな。俺……不思議と気分が清清しくなっているんだ」
「わたしもそうだよ。付き合わないとお互い言ったのに、どこかスッキリしているの」
もう一度、俺達は笑った。俺はクレアに恋をした。だがそれだけでいい。付き合わなくていい。その気持ちを伝えるだけで十分だった。それだけで、本当に良いんだ。俺とクレアは、親友でもあり、お互いに恋をした間柄だ。彼女は静かに笑っている。その様子を見て、とても嬉しくなった。
彼女の笑顔を護るためにも、俺は強くならなければならない。二度と、彼女を悲しい思いにさせたくない。彼女を不幸にはさせない。絶対にだ。
強くなりたい、強くあり続けたい。俺はリックと父の死、内面に潜む闇を見てそう思った。リックがいなくなった今、彼女を護れるのは俺に任せられている。そんな責任感が生まれていた。
上を見上げると、緑と空が俺達を歓迎しているように見せた。その自然も、彼女の笑顔も輝き続けさせるために、世界の脅威も、謎も、運命も乗り越えてみせる。俺の心には、迷いはなかった……。
6章及び、第2部はこれで完結です。




