第135話 思惑
ここはどこかの組織の中。その中で、治療を受け終わったスドウの姿があった。彼の後頭部から生えている腰辺りの長さの黒い物……。誰しもが最初に見たときは髪だと思ってしまうだろう。だが、それは違う。彼の後頭部から生えている物は髪ではなく、黒く塗った触手型の機械が埋め込まれているのだ。何故そんなことをしたのかと聞かれると、理由はたくさんあるのだが、単に彼が物騒な武器を持っていたくないというのが一番大きい。髪と思っていたものが触手のように襲ってくると、皆驚愕するだろう。
機械は十本埋め込まれていたのだが、その内の一本は引き抜かれてしまい、もう一本は先端を切られたせいで使い物にならなくなってしまった。組織に戻った彼は、使い物にならなくなった機械も切り落とした。現在、彼の後頭部に埋め込まれている触手型の機械は、八本となっている。
一旦街から身を引き、ヴァイス・トイフェルの行く末を見ていた彼は、騎士団の増援部隊によって徐々に制圧されていく姿を見て、即座に今回の作戦は失敗に終わったと結論づけた。元々、この作戦が予備のために用意していたものでもあり、本人もこの作戦で世界を雪の世界に変えるのは難しいと踏み込んでいたために、そこまでショックを受けるようなものではなかった。彼はヴァイス・トイフェルが倒されたのを見届けると、残っているイデアルグラースの兵士を引き連れ、足早にその街から去っていった。太陽が完全に地平線から現れる頃であった。
(ヴァイス・トイフェルの見張りを任せたのは、全員力はあれど、この組織をそこまで知らない下っ端だけにしている。こちらが痛手になるような情報は漏れないだろう)
彼は組織の通路の一角を曲がりながら、考え事をする。
今回のことで、地下にヴァイス・トイフェルが潜んでいることが判明してしまっただろう。数を気にする心配は必要はないが、今後はヴァイス・トイフェルを隠して育てるのは不可能だ。今までの襲撃は、地下に貯蔵していたヴァイス・トイフェルに八割ほど担当させていた。今後は、雪原地帯から離れすぎた場所は襲えないだろう……彼は狂うことのないリズムで歩き続ける。
突如、スドウは何かを思い出したかのように、ほくそ笑む。
(しかし、あの狼獣人の少年はいい仕事をしてくれそうだ。私が話した、この組織の意向を対白魔騎士団に知らしめしてくれるのだから)
彼が持つ、破邪の利剣を破壊していなかったのは彼にとって、一番の誤算だった。奴らに先回りされた可能性も高い。
――科学の黄金期を築いた、三千年代前期に作られた最強の武器を持つ少年、実に面白い存在で、実に危険な存在だ……。我々の前に立ちはだかるのは間違いない。何としてでも、あの少年を殺さなければ……。
スドウが自動ドアをくぐった先は、救護室を上から見ることができる監視室だった。大きなガラスから見ている一人の少女、ミロワール・マレンがそこにいた。
「ごきげんよう、スドウ様」
「ミロワール君、ヴェイン君とアリス・バラード君の様子はどうです?」
窓越しから見える救護室の風景は、まるで実験を見ているかのように、殺伐としているかのように見えた。テキパキと治療をする医療関係者が、列のように並べられたベッドで寝ている怪我人を治療している。その怪我人の中で、ずっと身体を動かさないアリス・バラードと、体だけでなく顔まで包帯を巻かれたヴェインの二人の姿がいた。
「アリスはロボットだから、修理すればすぐに直りますわ。ヴェインは……全治するのは時間がかかると言っていました」
「アリス・バラード……製作者である私にとって見れば、あれは出来損ない人形ですね。けれどまだ使い道はあります。感情コントロールが正常ではありませんが、使いどころはあるので生かしておきましょう。ヴェイン君はとても頼りになる存在です。あの人形は後回しで、彼を先に専念するよう言っておいてください」
「……承知しました。生みの親であるあなたが見捨ててると聞いたら、さぞ悲しむでしょうね」
彼は不敵な笑いを浮かべる。使えるまで使えばそれなりの価値は出るだろうと、ベッドで動かなくなっている少女型ロボットを見ながら、彼はそう思った。
「そういえば魔女……あなたの言う母親はどこにいるんです?」
「お母様は今、部屋の方にいると思います。何か用があるのですか?」
「いえ別に。しかし、親子だとは思えないくらい似てないのですがねぇ?」
「血縁関係があるのは、あなたもご存知のはずですわ。今更そこを問題視する必要はあるのですか?」
互いが、探るようにして問いただしていく。事実、彼らはあくまで、同じ人類の絶滅を望んでいるだけであって、仲間意識というのは低い方である。それでも組織としては成り立っているし、同志であることから結束力もある。皆が同じ目的を果たしたいというのは、同じなのだ。
「……確かに聞く必要はありませんでしたね。申し訳ありません」
「謝る必要はありません。あなたはわたくしの上司ですので」
「……それでは、私は席を外します。監視は引き続きお願いします」
スドウは救護室に背を向けて、監視室から通路へと出る。左に曲がり、彼は迷うことなく進んでいく。今の彼の足取りは、少し急ぎめである。何せ、これから行く場所は彼の上司……イデアルグラースの総帥がいる部屋なのだから。
彼が着いた部屋は、組織の心臓部。円形で白い壁の部屋に、真ん中の部分にモニターがあり、それに向かい合うようにして椅子が置かれていた。しかし、スドウは椅子には座らず、じっとモニターの前に佇んだ。
部屋が少しだけ暗くなり、モニターに光が灯される。そこに映し出されたのは、緑の髪にスドウと同じく白衣を着て、モニターに背中を向けている人間の青年の姿だった。
「総帥、作戦Bの結果のご報告が――」
「その口調から見て、失敗した様子のようだね」
彼の静かに告げる言葉に、彼は頭を下げる。
「はい……。大変申し訳ありません。どんな罰も受けるつもりです」
「いや……作戦Bは元々実行する予定はなかったし、そもそもヴァイス・トイフェルがとても大きいだけで世界を破滅できるんだったら、もうとっくに世界は滅ぼされているさ。当然の結果だ。僕が言ったことだから、君が責任を負う必要はない」
「いえ……実行に移したのはこの私です。私に責任があります」
モニターから、苦笑するような声が聞こえる。まだ十代後半とも思えるような若さに思える。それから彼は、こう付け加えた。
「では、二ヶ月間の謹慎処分を出しておくよ。それで文句はないだろう?」
「私にとっては、謹慎処分だけじゃ済まないと思うのですけれど……」
「君は元から、責任感が強いな。本当に大丈夫だよ。けれど、次の作戦は失敗は許されない。もし今回と同じ過ちを犯したら、この世に生きていられると思わないことだ……」
冷徹な声が、紫の仮面の研究員に突き刺さる。彼はあまり人の言動には動じないのだが、今の言葉は彼の背中に悪寒が走った。スドウは、彼の恐ろしさを知っている。どれ程の力を持っているのかも……全て。
「それより、次の作戦の下準備はしたのかい?」
「はい。もう既に、次の手は打っております」
「そうか……。となると、あとは成熟するのを待つだけ……という事になるのかな?」
「……その通りでごさいます」
二人の会話から察することも出来るように、次の作戦の準備は始められていた。毒のように、じわじわと世界に広がっていっていることも……。
モニターと椅子しかない部屋、そこにいる一人の青年、スドウと会話をしていた緑の髪を持った青年である。モニターの電源が落ち、光もない部屋に、イデアルグラースの総帥はいる。
彼は、イデアルグラースの構成員達とはモニター越しにしか話さないが、彼の姿は全員が知っていた。だが、彼がどういう人物かを詳しく知るのは、一握りしかいない。
「作戦Bはハッタリだよ、騎士団の兵士達。寧ろ、僕達イデアルグラースの本気はここからだ。果たしてどこまで来れるのか……楽しみだ」
世界に放たれたヴァイス・トイフェルは、世界に恐怖を与えながら蝕んでいく存在。それを使役する、全生物の絶滅を望む組織、イデアルグラース。
彼らの野望は……終わることを知らない。




