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門の娘アイラ  作者: 文月 郁
第八章 守るべきもの
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アルハリクの門

 暗闇の中、雪を裂いて、神の太刀がはしる。肩から腹にかけて、深々と切り裂かれた“狂信者”が雪の上に倒れる。

 無理な姿勢で断刀を振るったために、アイラは荒く息をしながら、背に迫る殺気を感じとる。

(しまった……!)

 避けるだけの時間はなかったし、またその余裕もなかった。

 だが、殺気は不意に途切れた。その隙に体勢を変えつつ振り返ると、襲ってきたであろう相手は、細身の剣を振り上げたまま、その場に釘付けにされたかのように突っ立っていた。

(『制止』? ……まさか)

 右手を一振りして相手を切り倒し、村の方にさっと視線を走らせる。

 目をやった、そのわずかな時間で、アイラはエヴァンズ牧師を含めた、何人かの村人の姿を見てとっていた。手に手に武器代わりの棍棒や農具を持ち、わっと声を上げてそれらを振り回している。

 これにはアイラも驚いたが、今の、命懸けのさなかにあっては、それは弱い驚きに過ぎなかった。

 白刃をかいくぐり、アイラは一人また一人、“狂信者”を切り倒していく。

 出血と疲労で、その動きは鈍くなっていたが、灰色の目の奥で燃える焔は、その激しさを失ってはいなかった。

 既に生き残っている“狂信者”は片手で数えられるほどになっている。そのほとんどは村人やベルグ族の手で倒されたが、ただ一人、アイラの前に立った者がいた。

 血染めの身体を引きずるように立つ男。アイラもまた、石のような瞳を男に向けながら、気力を振るって断刀を構え、その前に立ち塞がる。

(一人も、村に入れるものか)

 その意志が、アイラを動かしていた。

 裂帛の気合声と共に振り下ろされた剣を、身体の前で交差させた断刀で受け止める。キィン、と、高い音が後を引いた。

 力任せに剣をはね上げ、その勢いのまま、間合いを詰める。

 男はよろめいたものの、さっと立て直してアイラの攻撃を防ぐ。

 ほとんど呼吸にしかならない気合声と共に、アイラが鋭い音を立てて腕を振るう。

 幾度も、闇の中に剣戟の音が響いていた。いつしか雪は止み、雲の切れ間から落ちてきた月明かりが、二人の姿を浮き上がらせていた。

 血にまみれ、それでもなお、鬼気迫る形相で立ち合う二人の姿は、人とは到底思われない。魔物かとさえ思われた。

 突き出された剣が、アイラの横腹を浅く削ぐ。血が流れ出すのも構わず、アイラは左腕の神の太刀で、男の胸を貫いた。

 絶命した男が倒れると同時に、静寂が降りてくる。

 ふらりと倒れかかったアイラを、駆け寄ってきたエヴァンズ牧師が抱き留める。

「我が主、レヴィ・トーマ。御身の力によりて、彼の身を癒し給え」

 牧師の言葉を、アイラはぼうっと聞いていた。

「なぜ……」

 ようやく、かすれた声で呟く。

「私達の村ですから」

 その答えに、アイラはかすかに口元に苦笑をのぼらせた。

 “狂信者”はその全員が雪の上に骸をさらし、アイラ達の方には誰一人として、命を落とした者はいなかった。



 教会では、村人達が人々の帰りを待っていた。

 一人、また一人と、外に出て行った村人が戻って来る。ベルグ族の五人も戻って来たが、アイラとエヴァンズ牧師はまだ戻らない。

 そわそわと落ち着かない様子のミウをたしなめていたリウも、普段の落ち着きを失っているらしかった。

 窓から外を見ていたミウが、あ、と声を上げる。

 やがて、エヴァンズ牧師と、彼に支えられたアイラがゆっくりと戻って来た。『治癒』で傷は癒えたものの、失った血までは戻らないので、アイラの顔からは血の気が失せている。

「アイラ!」

 ミウが、続いてリウがアイラに駆け寄る。のろのろと顔を上げたアイラは、二人を見て薄い笑いを浮かべてみせた。

「お帰り」

 その声に、アイラはやはりゆっくりと頭を巡らせ、声をかけたアンジェを認めた。

 灰色の目が見開かれる。声は出なかったが、アンジェ? と口が動いた。

「た、だ、い、ま」

 かすれた声を振り絞るようにして、アイラがようやくそう答えた。

 アンジェがアイラに近付き、血塗れの腕を取る。

 その途端、アイラの身体が大きく傾いた。慌てて抱きとめたアンジェの周りで、ざわりとどよめきが起こる。

 間もなく、村の診療所にアイラや他の怪我人が運ばれた後で、アンジェとエヴァンズ牧師は、静かになった教会で二人きりになる。

「行かれないのですか?」

「後で。今は行っても邪魔にしかならないでしょうし。……これから、どうなるでしょうか」

「おそらくは、何も起こらないでしょうね。上手く糊塗されるでしょう。アイラさんを裁くために、ことを公にしてしまえは、道を外れた者たちの存在をも、公にしなければならなくなる。それは、教会にとっては痛手でしかありません。それならば、上手く口実を作って隠してしまうでしょう」

「アイラが、裁かれることはない、と?」

「ええ、十中八九。もしもそんなことがあれば、私は彼女の側に立つつもりです。アイラさんは、何の縁もないこの村を、守るために命をかけたのです。そんなことをしても、命を落としてしまうかもしれないし、この村の皆が皆、彼女に好意的だったわけでもないというのに。……去年もそうでした。村にグリーズが現れて、人々を襲ったとき、彼女はたった一人、真っ先に立ち向かったんです。最も、誰も襲わなければ放っておいただろう、とアイラさんは言っていましたが、きっと誰も襲われなくても、彼女は立ち向かっただろうと思います。そんな人が、聖職者殺しの汚名を着せられることを、私は好みません」

 アンジェは、エヴァンズ牧師の言葉に深く頷いていた。アイラはそういう人間だ。自分の身よりも、誰かを守ることを優先する。まるで自分の命など、紙くずか何かだと言わんばかりに。それを歯がゆく思っている人間がいると知らないで。

「私も何かあれば、手をお貸しします。……本来は、私達の背負うべきものですから」

 一瞬、アンジェの顔が曇ったことに牧師は気付いたが、あえて何も言わなかった。

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