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門の娘アイラ  作者: 文月 郁
第八章 守るべきもの
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人を動かすもの

 十八の刻。トレスウェイトへ続く道で、アイラと、ベルグ族の五人――モーリス、ラハン、オース、ニケ、ナータが佇んでいた。

 アイラは首元のスカーフを外して首元の“門の証”をさらし、ベルグ族の五人もそれぞれに武器を持っている。

 教会の鐘が時を作ると同時、“狂信者”が、その姿を現した。

 雪を割って、白い衣が迫ってくる。

「我らはレヴィ・トーマの名のもとに、お前達を異端とし、処罰する」

 一人の声が耳に届く。

「何を勝手な! なぜ古くからの信仰を捨てて、レヴィ・トーマを信じなければならない!」

 モーリスが叫ぶ。

「レヴィ・トーマを信じぬ者は全て悪であり、円環を壊す者である。円環を歪ませるものは、存在してはならぬ」

「私達は、私達の神を信じているだけだ。お前達の誰にも、レヴィ・トーマでさえも、それを阻む権利はないはずだ」

 アイラが言い終わるか終わらないかのうちに、白刃が抜き打たれた。

「円盾」

 瞬時に右手に現れた神の盾が、雷光のごとくはしった玉散る刃を受け止める。

畜生サツグどもに、人の言葉は通じない、か」

 独り言のように呟いたアイラの顔に、酷薄の相が浮かぶ。

 力をこめて刃を押し返しながら、アイラは左手を伸ばした。

「玉破!」

 左腕の刺青がぼう、と光り、白く輝く神の矢が、眼前に立つ“狂信者”を貫いた。雪の上に赤い血が広がり、アイラにも、まだ温かい血が飛ぶ。

 一気に殺意をむき出しにした“狂信者”に向けて、アイラは冷たい表情のまま、口元を弧を描くように歪めた。

「断刀」

 アイラの両腕から、淡い光の刃が伸びる。

 それが合図だったかのように、二つの集団がぶつかりあう。

 白い雪の上に、赤い花が咲く。金属の打ち合う音が響くたびに、赤が増えていく。

 アイラ達にとって不利だったのは、“狂信者”の使う術の存在だった。無理やり動けば破れるとはいえ、動きが止まるその瞬間は、ベルグ族の側にとっては、命取りになりかねない隙だった。

 それが大きな隙にならなかったのは、アイラが動き回り、“狂信者”を切りつけていたからだった。たいていは浅手だったが、切りつけられれば集中は削がれる。そうなれば、術の効力は必然的に落ちる。

 これにはもう一つ、狙いを自分に集める目的があった。アイラを真っ先に、排除すべき者と“狂信者”が認識すれば、彼らの攻撃はアイラに集中する。その分、他の者に気を向けてはいられなくなるだろう。

 雪の上を跳ねるように駆け回りながら、アイラは神の武器を振るっていた。ときに巻き上がる雪煙が彼女の矮躯を隠し、淡く光る神の刃と、白く輝く神の矢は、“狂信者”達の思っていない方向から振るわれた。

 アイラも余裕があったわけではない。どうにか隙を作らないでいることと、ベルグ族の五人を、トレスウェイトの村を守ること。彼女の頭にあったのは、それだけだった。

 モーリスを狙う刃を持つ手を、駆け抜けざまにざっくりと切り裂きざま、身を翻して玉破を放つ。アイラの手を離れ、まっすぐに飛んだ白い光球は、『静止』によって身動きが取れないニケに向けて、剣を振り下ろそうとした“狂信者”の男の胸板を貫いた。

 アイラに『静止』がかけられる。動けないほどに重い身体を無理に動かし、縛りを解いた刹那、死角から殺気と共に刃が迫る。

 対応しきれなかった。とっさに身体を捻ったため、剣の狙いは大きくそれる。

 初めに顔の左側に感じたのは熱だった。だらりと温かいものが頬から顎にかけて流れていく。痛みはなぜか、全くなかった。

 髪に混じって、切り飛ばされた左耳が雪の上に落ちる。アイラはそれには目も向けず、剣戟を避けるのに精一杯だった。

 ラハンが、アイラの左耳を切り飛ばした“狂信者”の首筋に剣の切っ先を送りこむ。頸動脈を断ち切られ、その男は丸太を倒すように雪の上に倒れた。

 それと気付いた別の一人が、吹き出す殺気を隠そうとせずに駆け寄ってくる横合いから、オースがその横腹を深々と切り裂いた。

 がっくりと白い衣を血に染めながら、その身体が傾く。次の瞬間に、その胸から血塗れの剣が突き出された。モーリスの剣だった。

 一人、また一人、“狂信者”は倒れていく。アイラ達の側も無傷ではいられず、じわじわと、しかし確かに押されていた。

 アイラの動きも、初めほど敏捷ではなくなっていた。しかしその闘志は衰えず、アイラの胸の中に、目の奥に、憎悪を薪にして燃え上がっていた。

 アイラがいなければ、ベルグ族の五人は早々に押されて諦めていたかもしれなかった。しかし、明らかに不利な状況にも関わらず、アイラはまるで魔物のように動き回り、戦っていた。

 そして、その姿に心を動かされたのは、彼ら五人だけではなかった。



 教会の時計が十九の刻を刻む。教会の中を落ち着きなく歩き回っていたルークは、その音に足を止めた。上げたその顔には、覚悟と決意があった。

「俺も出る」

「ルーク?」

 不安そうにリウが声を上げる。

「俺も出るよ。この村とは何の関係もないあの人達だけを、危険な目に合わせられないよ」

 教会に残っていた若者の何人かが、その言葉に賛同するように頷く。

「だが、出ればあんたがたも死ぬぞ」

 ベルグ族の族長ドゥクスが、そう低い声で横槍を入れる。

「死ぬようなところに、アイラ達はいるんじゃないか!」

 そうだ、そうだ、とルークの言葉に、声が飛ぶ。

「お前さん、何か言ってはやらんか。あのハン族の娘が言ったことを、忘れたわけではあるまいに」

「聖職者殺しにあたる、という話ですか? ……道を外れた彼らを、聖職者と呼ぶことを、私は好みません」

 牧師の言葉は静かで冷ややかだった。何かを耐えているようだった。

「手を貸しに行きたいのでしょう、貴方は」

 かすかな衣擦れの音を立てて、サリー夫人が夫に近付く。こんなときでも、彼女は落ち着いていた。

「ええ。あの人ならきっと、こんなにくどくどと考えたり、迷ったりはしなかったでしょうが」

「『神の目が私達の背にあると知っていれば、何かをなすことにどうして恐れる必要があるでしょうか』」

 聖典の言葉を引用し、夫人はエヴァンズ牧師に向けて微笑んだ。

「無駄なことだ。無駄死にだ」

「どうでしょうね。こうまでなってしまっては、教会ももはや隠してはおけないでしょう。道を外れた者達がいることを」

「だが出ていった者達は死ぬさ。犬のように、切られ、突かれて屠られるさ」

「それだけは、させません」

 きっぱりと言い切ると、牧師は教会の扉に手をかけ、大きく開け放った。

「行きましょう」

 その一言に、若者達が次々に扉へと近付いていく。

「ルーク」

 リウの声。呼ばれた青年は、足を止めて振り返った。

「待ってる」

 リウが言えたのはそれだけだった。ルークは振り返って笑みを返す。

 それまでが嘘のように、教会の中は静まりかえる。

「さあ、私達にも、やることはありますよ」

 にこりとサリー夫人が口を開く。

「何をすればいいのでしょうか?」

「包帯を作って、傷薬もいりますね。それからベッドの用意も。それと、信じて待つこと。分からないまま待つのは辛いことですけれど、戻ってくると信じて待てば、その祈りはきっと叶いますからね」

「そうね、姉さん。きっと皆帰って来るわ。アイラも、ちゃんと。だって家族だもの、信じないでどうするの?」

「ええ、そうね」

「戻っては来ぬさ。無駄死にだ。誰も、かれも」

「戻ってくるわ、戻ってくるわよ! アイラは、絶対に!」

「なぜそう言えるね? あの“狂信者”は恐ろしい奴らだ。戻っては来るまい」

 族長ドゥクスの言葉に、一瞬、恐ろしいまでの沈黙が落ちる。

「アイラなら、きっと戻ってきますよ。あの子はそういう子だから」

 不意に響いた柔らかな声に、その場の全員が入口の方に顔を向けた。

 先に赤い石のはまった杖を手にした人影が、教会の入り口に立っていた。フードを取ると、濃茶の髪が現れる。

 その首からは、金の環が二つ連なった、レヴィ・トーマの聖印が下がっていた。

「どちら様ですか?」

「アンジェと言います。レヴィ・トーマの、在家聖職者で、以前、アイラと共に旅をしていた者です。……話は、エヴァンズ牧師から伺いました。私も、私にできることをさせていただきたいと思います」

 警戒がほの見えるサリー夫人の視線を正面から受け止めて、人影――アンジェはまっすぐに夫人を見返した。


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