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門の娘アイラ  作者: 文月 郁
第八章 守るべきもの
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守るべきもの

 朝の食卓はいつも通りだった。軽焼きパンと熱いミルクティーで朝食をすませ、片付けを終えて一息入れる。雪に埋もれる冬は畑仕事もできないので、仕事があるとすれば、それは家の中の仕事だった。

 リウが針仕事のために、針箱を棚から下ろしたときだった。玄関のドアが激しく叩かれる。誰が来たのだろうと、双子は顔を見合わせた。吹雪が来ているわけでもなし、人が来てもおかしくはないが、朝早くから、というのは珍しい。

 リウが出ると、戸口にはルークが、青ざめた顔で立っていた。険しい表情に気付き、リウが首を傾げる。

「どうしたの?」

「話は後だ。牧師さんから言伝だ。すぐに、村まで来てくれ、と」

 ルークに急き立てられ、三人は村へと向かう。

 雪の中を歩くアイラの脳裏に、アルハリクの言葉が蘇る。まだ何のことかよく分かってはいない。だが、“門”としてのアイラが必要ならば、そのときは、ためらいはしない。守るべきハン族はもうなくとも、“神の武器”をこの身に預けられた“門”として。

 日頃静かなはずのトレスウェイトの村は、異様な興奮、あるいは恐れに包まれていた。村の教会には、何人かの村人が集まっていた。エヴァンズ牧師が三人に気付き、ほっとした様子で手招く。

 教会には、村人たちのほか、あちこちに怪我をした男女が六人、牧師の治療を受けていた。

「ご無事でしたか」

「……何があった?」

 アイラの問いに、一瞬、牧師が言葉をのむ。牧師が何か言う前に、見知らぬ一団の中で、最も年かさの、白が混じり始めた赤銅色の髪の男が口を開いた。

「“狂信者”共に襲われたのだ」

「まさか!」

 鋭く息を吸ったアイラに代わるように、ルイン婦人が声を上げる。

「牧師様、この人達を追い出してください。レヴィ・トーマに傷をつける人達です、この人達は!」

「そういうわけにもいきませんね。『円環』の神に仕える身ですから」

 めったに見られない、冷ややかな眼と声で言い切った牧師に、ルイン婦人が気圧されて黙りこむ。

 冷たい決意と覚悟の光を目にたたえて、牧師がアイラ達を見る。

「本来、聖職者として、このような話はすべきではないのかもしれません。しかし私の良心は、このことを話せと言います。ご存知かもしれませんが、トレスウェイトの西にハーヴィントンという小さな村があります。この村が、昨夜、滅びました。レヴィ・トーマへの信仰の道を外れてしまった者達が、村を襲ったのだそうです。その村に、こちらの、ベルグ族の方々がいた、それだけの理由で」

 アイラの灰色の目が、異様な輝きをおび始める。牧師は“狂信者”とは言わなかったが、彼の言わんとしたことは、アイラにもよく伝わった。

 今こそ、アルハリクの言葉が腑に落ちた。

 村人達のざわめきも、アイラの耳には届いていなかった。

 甦る。記憶が。鮮やかに。

 彼らが、異端とした人間に何をするのか、庇った人間に何をするのか、自分は良く知っている。今、朝の日に照らされているであろう村の惨状を、アイラはまざまざと思い描くことができた。

「そして、今朝……つい先刻、通知が来ました。『異端者の生き残りと、かくまっているもう一人の異端者を引き渡すように。今日の十八の刻までに引き渡さなければ、村の全員を異端とみなして処罰する。』と。もう一人、というのは、おそらくアイラさん、あなたのことだと思われます」

「……そうだろうな」

 脳裏に、血に濡れた地面が蘇る。倒れている人々の姿も。

「引き渡せばいいんでしょう! この人達はレヴィ・トーマを信じていないのですもの!」

 ヒステリックなルイン婦人の声が、誰が制するよりも早く、教会に響く。俯きかげんに話を聞いていたアイラが、その顔をぱっと跳ね上げる。

「それの何が悪い! 私達は、私達の神を信じているんだ! 私の神はアルハリクだ、レヴィ・トーマじゃない!」

 アイラは燃える灰色の目で、まっすぐにルイン婦人を睨み据えた。彼女の小柄な身体はわなわなと震えていた。きりきりと歯がなった。耳元に心臓が移動したかのように、激しい鼓動が聞こえていた。

 一歩、ルイン夫人との距離を詰める。

「言ってみろ。レヴィ・トーマを信じないことの何が悪い。ずっと教えられてきた教えを守って、私達の神を信じ続けて何が悪い。悪いのは、あいつらじゃないのか。『円環』の神に仕えながら、他の神を信じる者を認めずに、異端者として殺すあのサツグどもの方が、悪いんじゃないのか! どうなんだ、答えろ!」

 ルイン婦人に掴みかからんばかりの剣幕で食ってかかるアイラを、ルークと牧師が両側から押さえた。唸るような声を上げながら、アイラの目はなおもルイン夫人から離れなかった。

 牧師が穏やかに、だが冷ややかに、ルイン婦人に家に戻るよう言った。その声には有無を言わせぬ調子があり、ルイン婦人も黙ってそれに従った。

 アイラは目を燃やし、まだ時折歯を軋らせ、両の手を、爪が食いこんで血が出るほどきつく握っていた。

「ハン族の娘さん、今は信仰の是非を問うている場合ではあるまい。我らは逃げねばならぬのだから」

「逃げたところで無駄だろうさ。猟犬みたいに、どこまでも追って来る。犠牲が増えるだけだ」

 年かさの男にそう、吐き捨てるように答える。なぜ自分がハン族だと知っているのか、とちらと思ったが、そんなことはどうでもよかった。

「では、どうする気だね」

「戦うさ。もう誰も、殺させない」

 周りがざわめく。

「戦う? 向こうは十……四、五人はいた。戦うなぞ、とんでもない」

「戦って守りきるか、それとも逃げて全てを失うか、だ。失うのは、もう、嫌だ」

 アイラの声が、一瞬、震えを帯びる。

族長ドゥクス、俺は戦います」

 ベルグ族の一人、頭にまだ血に染んだ包帯を巻いた男が立ち上がる。

「モーリス。やめておけ。犬死にをするだけだ」

「でも俺は、あいつらの一人でも……せめてテッサを殺した奴の、面の皮をひんむいてやりたい」

 歯の間から、血が滴るような声だった。モーリスの、その言葉に、私も、自分も、と、次々とベルグ族の男女が立ち上がる。

 それを見て、族長ドゥクスと呼ばれた男は呆れたように溜息をついた。

「やめておけ、と言うに。無駄に死ぬだけだ」

「なら、俺も――」

「それはだめだ」

 彼らに加わりかけたルークを、アイラが止める。

「あんた達は加わっちゃいけない。私達がやろうとしているのは、聖職者殺しだ。レヴィ・トーマの信者が、レヴィ・トーマの聖職者殺しに関わっちゃいけない。あいつらに、余計な理由を与えないためにも、あんた達は、出て来ないでくれ。それに……あんたには、リウがいるんだろう? だったらなおさら、加わらせるわけにいかないよ」

「アイラ、ねえ、どうしても戦う気? 逃げればいいじゃない。逃げて、また来年、ここに来れば」

 ミウの言葉に、首を横に振る。

「できないよ。アルハリクに言われた。私は選ばなければならないと。私が守るべきハン族がもういない今でも、“神の武器”を手にして戦うか、それとも今の場所を失うか、どちらかだ、と。この村と、村の人達を、失うのは嫌だ。それなら、戦うしかない。私自身がどうなっても、私はここの人達を守りたい」

「アイラ。あんたも村の一人なのよ。だって私達にとっては、あなたはもう一人の家族ですもの。……だからお願い。帰って来て」

 リウの言葉に、アイラはふと口元を緩めた。笑みというには、その顔はあまりに悲しげだった。

「ん、ありがとう。でもごめん。戻ってくるとは、言えない」

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