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ロージオンは自分の寝室に眠る娘。ケノミミが気になっていた。
濡れたように黒い美しい髪に眠さにとろりと蕩けた目。大きなシャツを押し上げるかなりのボリュームがありそうな胸に白く柔らかそうな太もも。力がなくなった肢体を持ち上げた時に女とは、かくも柔らかくいい匂いのする軽い生き物なのかと手を動かして感触を反芻してしまうほど。
「殿下」
「イグノスか。入れ。準備が整ったか」
手を軽く動かしていると戸をノックして声をかけられる。
現れたのは先ほど召喚時に一緒にいた男イグノスだ。
イグノスは侍女の仕事をぶんどったらしく茶器が載ったワゴンを押してきた。
「はい。白百合の間を整えました。彼女は」
お茶のセッティングをしつつ、イグノスは先ほどの娘について聞く。
「向こうで寝ているよ。起きるまでここで仕事をしようかと思う。休みの予定だったが少し前倒ししておこう」
イグノスから差し出された茶をすすり、ふと考え付いたとばかりに天を仰いだロージオンはイグノスに命じた。
「はい。では資料とともに書類をお持ちします」
「それとアビゲイルとソムロス、ゼノン、シルバンとセルバスを呼んでおいてくれ。彼女について伝えておこう。陛下には……明日伝えるとして、まず彼女の服が必要だな。このメモのサイズの服をとりあえず誂えるようにアビーに伝えてくれ」
ロージオンは手元にあったメモ帳に数字を書いてイグノスに渡す。
「そうだな。ケノミミが起きたら引き合わせたいが、その前に打ち合わせをしたいから、すぐに来るように」
「かしこまりました」
イグノスはロージオンの要望に応えるために返事をするとすぐに部屋を出ていく。
ロージオンはその背中を見送って、ソファーに背を深く埋めた。
召喚は思っていたよりロージオンの魔力をごっそりと持っていき消耗させていた。
「ようかいとは何だろうな。あの本だともっと恐ろしいものが出てくると思っていたのだが」
出てきたのは女だった。
ロージオンは力を抜いて目を閉じた。回復するためには自分も少しの仮眠が必要なようだった。
控えめなノック音にロージオンは意識を浮上させた。
思ったより深く寝ていたようだ。
「入れ」
控えめなその音に有能な侍従長の姿を頭に思い浮かべ返事をする。
「お召しにより参上いたしました」
侍従長を先頭に先ほどイグノスに呼ばせた五人が部屋に入ってくる。侍従長はニヤリと腹黒そうな笑みを浮かべていた。
「ソムロス、その笑い方はおやめなさい。侍従の顔ではありませんよ」
侍従長のすぐ後ろに居たのは、このロージオンの離宮の母的な存在であるアビゲイル。ブロンドの髪をきつく結い上げた彼女はロージオンを筆頭にイグノスを含め、ここにいる全員の姉的存在で誰も頭が上がらない。
「部下からこの部屋から煙が出たと報告があった。そのことについてでしょうか殿下」
衛兵隊長のゼノンが眉間に皺を寄せている。生真面目な衛兵隊長がロージオンを責める。この王弟殿下の妙な実験は時に惨状をもたらすのだが、ゼノンは部屋を見回した感じでは煙の割に被害は少なそうだと判断した。
「アビー。とりあえず服を私の寝室においてきてくれ。アビーが戻ってきたら始めよう」
侍従長のソムロス、侍女長のアビゲイル、衛兵隊長のゼノン、ゼノンの後ろから現れた一際大きい男、護衛隊長のシルバン、そして、書類を山ほど持った側近のイグノスとイグノスと同じく書類と本を持った男セルバスが次々と部屋に入ってくる。
セルバスが部屋に入るとソムロスが扉を閉め、アビゲイルは先ほど手配を頼まれた服を寝室に置くために移動し、イグノスとセルバスはロージオンの前に仕事を積み上げた。
アビゲイルが何かを言いたそうにロージオンを見ながら寝室から出てくると、ロージオンは寛いだ姿から背を起こし、前かがみ気味に手を組む。
「さて、ソムロスとアビーはイグノスの準備と頼んだもので、ゼノンは報告で、私のもとに何かがおこったことを感じているはずだ。先ほど、とある実験を行った結果この部屋に客人を迎えた。ケノミミと言う名の女性だ。今、寝室に寝ている」
武官二人とセルバスは眉間の皺を深くさせた。
「不審者が現れたなら、外の衛兵をおよびください殿下」
ゼノンが諫言するとロージオンは「すまないな」とゼノンに手を振った。
一方、アビゲイルはロージオンを無表情で見つめている。
「アビー、そんな目で見ないでくれ。彼女のあの姿は召喚時のままだ。運ぶぐらいはしたが、それ以外は指一本触れていない」
ロージオンのあの姿に反応したイグノス以外の四人がアビゲイルを見る。
「しどけない様子でしたので」
アビゲイルがぴしゃりと言うと全員の目がロージオンに戻る。
「だから、手を出していないから。で、今日集まってもらったのは彼女のこれからのことだよ。彼女はどうも翌日に重要な仕事を控えて寝る直前に召喚されてしまったようだ。彼女に世界を超えた誘拐犯だと怒られたよ。とりあえず寝る前に話した結果、彼女は私の願いを叶えるべく働き、私はもとの世界へ帰る方法を探すことと、彼女の衣食住を賄うことになった。とりあえず、アビーには彼女に専属を二人つけてもらいたい。それにシルバンも彼女に護衛を選抜してくれ。ソムロスは彼女とこの世界の常識を教えてあげてほしい。何か質問は」
「殿下、彼女の名前は」
「ケノミミと言うらしい」
ソムロスがまず口を開く
「お年は」
「それはまだ聞いていないな」
「殿下の願いと言うのは」
「これも何が該当したか、いまいちよく分からないから模索しながらだな」
最後にセルバスが質問したところでイグノスが口を開く。
「皆様、とりあえずは彼女が起きてからでしょうね」
「そうだ。イグノス、お前は知っていたんだよな」
ソムロスがイグノスに聞いた。
「その場に居りましたから。可愛らしいお嬢さんです。睡眠不足でふらついていましたが、頭の回転も良さそうでした。ソムロスさん、殿下にお茶をお願いします。」
イグノスはソムロスに促すと自分はロージオンに書類を渡す。
「殿下、緊急のものはございませんが、まずは明日以降の予定を繰り上げるための書類を。そうですね。五日後から視察に出られる予定ですが、こちらをどういたしましょうか」
「あぁ、ベルチェまで足を延ばす予定だったな。……一応、日程はそのままで構わない。イグノスはケノミミを最優先に、セルバスはイグノスの分の負担がかかるがよろしく頼む。アビーはイグノスではできないフォローを頼む。ソムロス、ゼノン、シルバン、皆にも相応の負担が増えるだろうが、よろしく頼む。イグノスとセルバスを除き解散。アビーはとりあえず、彼女を見ていてくれ」
ロージオンがぱちんと手を叩くと、アビゲイルはロージオンの寝室へ、イグノスとセルバスが政務に入ったロージオンの補佐へと入る。ソムロスはロージオン他に飲み物を用意し、ゼノンはシルバンと一言二言交わし部屋から出ていく。
「殿下、まずは彼女が起きだしてくるまでは、こちらで警護させていただきます」
「あぁ、かまわない。きっとゼノンも特別体制に変えるのだろうな。好きにしろ」
「はっ」
書類を捌き、ソムロスの入れたお茶を飲む。イグノスが資料をまとめ、セルバスは書きあがった書類を持って各省に出て行った。
(彼女に通じた私の願いとは何が聞き届けられたのだろうか)
その背中を見つめながら、ロージオンからため息がこぼれた。
殿下と愉快な仲間たち