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Color  作者: 宵月氷雨
黄の決意
5/19

前編

ここから新作です。


 三階の、階段を上ってすぐの教室が一年一組の教室です。

 一ヶ月も経てばさすがに慣れて、考え事をしていても足は勝手に動いて教室へ。

 閉まったドアに伸ばした手は、向こうからかけられた力に弾かれました。

 開いたドアから現れた人影と、しっかり目が合います。


「………あ、」


 クラスメートです。時刻は八時前。

 言うことなんて一つしかありません。

 頭ではわかっているのにどうしても、おはようの四文字が口から出てこないのです。

 そのうちに、彼はふいと視線を逸らしてわたしの横をすり抜けました。

 まるで知らないひとのように。


「日向………」


 半年前までは、手を伸ばせばあなたに届いたのに。

 この一ヶ月でぐっと背が伸びた幼馴染みの背中は、すべてを拒絶しているようにも思えて。

 わたしはポケットの中の物を握り締めて、また何もできなかったと溜息をつきました。












「次は生徒会選挙よ」


 昼休み。

 お弁当持参組のわたしは、教室でお昼を食べます。

 いつも通り前の席に座ってお弁当を広げるのは、わたしの親友です。


「私が動かなくても向こうが何か工作するとは思うわ。それを潰す」


 こういった話をする時の彼女はとても生き生きしています。何かいろいろ間違っている気もしますが、楽しいのは良いことです。たぶん。

 お兄さんの分と二人分を毎日自作しているというお弁当は、今日は小さなハンバーグと野菜と煮物、果物にキウイが入っていました。

 わたしのお弁当は、母のお手製です。自分で作ると言ったのですが、なにぶん母がこういったことが好きなもので、ありがたくいただくことにしています。母は偉大です。


「会長は白銀冬夜。推薦枠の片方は紫崎姫華よ。残りの人気投票組が全員男かつ紫崎の信者となると非常に面倒だわ」

「白銀先輩がいるなら、少しは安心ですね」

「それはまぁ、そうね」


 彼女が尊敬する数少ない先輩の一人ですから。

 わたしは白銀冬夜先輩を親友を通してしか知りませんが、彼は紫崎さんには落ちないと思います。たぶん。

 紫崎さんと燐ちゃんを比べて紫崎さんを取るような男は大した男ではありません。

 燐ちゃんはお箸を伸ばしてわたしのお弁当箱から卵焼きを持っていきました。

 お返しにハンバーグを一つもらいました。相変わらずびっくりするくらい美味しいのがちょっと悔しいというか。


「それで、燐ちゃんは何をするつもりなんですか?」

「とりあえず、女子候補の擁立かしら。何かあった時のために女子だけの意志疎通の手段があるといいんだけど」

「それなら茶山さんが適任じゃないかな」


 燐ちゃんは珍しく、何とも言えない顔をしました。

 茶山(さやま)日和(ひより)さん。隣のクラスの小柄な女の子です。

 明るい良い子ですが、思い込みが激しいところがあるのが難点。基本的に被害を受けるのは燐ちゃん一人だけど。

 茶山さんは、燐ちゃんが好きです。それはもう若干引くくらい好きです。尊敬してるどころか、崇め奉っています。

 大抵のことはさらりと流せる燐ちゃんが対応に困る程度にはその愛は重く、そのせいなのかはわかりませんが女子に物凄い伝手をお持ちです。

 燐ちゃんもたまに情報収集を頼んでいますから、もしかしたらギブアンドテイクでいいのかもしれません。


「それは、……いいアイデアね。あとで茶山に声かけておくわ」


 澪を連れていこう、と付け足す燐ちゃん。

 ついでですが、茶山さんは澪くんがとても嫌いです。もちろん、愛の裏返し。


「そういえば燐ちゃん、上履き新しくしましたか?」

「そうなの。前のは大分ぼろかったからね」

「まだ一ヶ月ですよー?」

「お兄ちゃんにも言われたわよ。違うわ、中学の頃のをそのまま使っていたの。中二の一月に変えて、ほとんど使ってなかったから」

「お家は大丈夫……ですよね。湊さんいますし」

「ええ、それはもう。湊と血が繋がってることに疑問を覚えたわ」


 何なのかしらねあの超人ぶりは、と憤慨する燐ちゃんですが、わたしから見れば十分兄妹に見えます。湊さんがちょっと行き過ぎているだけで、燐ちゃんもかなりのハイスペックです。実はファンも多かったり。

 そうこうしているうちに、燐ちゃんのお弁当は綺麗に空になっていました。

 てきぱきと片付けられたお弁当箱の代わりに広げられるのは手帳。


「選挙の公示は一週間後でしょう? それまでがエントリー期間。……とりあえず今の状況を探る必要があるかしら」

「探る、って……先生に? 守秘義務とかいいんでしょうか?」

「伝手はあるわ。ばれなきゃいいのよ、ばれなきゃ」


 何とも勇ましいお返事でした。

 方針が決まったのか立ち上がろうとする燐ちゃんを慌てて呼び止めます。


「その、日向のことで」


 見回しても、日向はいません。紫崎さんと食堂にいるのだと思います。

 名前を出した瞬間教室の温度が五度ほど下がった気がしましたが、わたしは負けずに何とか言葉を押し出しました。


「日向のお父さん……大丈夫ですか?」


 調べてくると言ってからわずか五日で、燐ちゃんはおおよその事情を掴んできました。


『はっきり言えば悪いわ。紅嶋のおじさまは世渡りはあまり上手じゃないから。「紫崎」が手を回したみたいで今苦しい立場にいるのよ』


『その大本をどうにかしないと「紫崎」の手を振り払えないってわけ。今機嫌を損ねたら首が飛ぶわ』


 淡々とされた説明は現実味がなさすぎて、わたしは何一つ言えませんでした。

 日向のお父さんは、警視庁勤務の刑事です。紅嶋家は代々優秀な刑事を輩出している家系で、おじさんも例に漏れず、つまりとてもお偉いさんです。


『おじさまは私と湊が守るわ、大丈夫』


 悔しいけれど、わたしにそんな力はありません。

 だからそう請け負ってくれた燐ちゃんを、わたしは誰よりも信じています。

 やると言ったら何があっても成し遂げるひとだと知っているから。

 それでもやっぱり、どうしても不安は拭えなくて。

 見上げたわたしの頭をぽんぽんと軽く叩いて、澪くんにちらりと視線をくれると、燐ちゃんは颯爽と教室を出ていきました。

 澪くんは心得たように立ち上がって後を追います。

 澪くんを従えたその背中が何よりも雄弁に心配ないわと語っていて、ほっとして胸を撫で下ろしました。


「ちぃちゃんあのねー」

「桧山ってば馬鹿なんだよ聞いてくれる?」

「昨日のテレビのさぁ」


 燐ちゃんがいなくなった途端、女子たちが集まってきて大騒ぎになりました。

 単純にお喋りをしたいのもあるだろうけど、気を遣ってくれているのです。皆とても優しくて、わたしは恵まれています。いつも誰かが傍にいてくれるのは、今のわたしにとって有り難いことでした。


 わたしは燐ちゃんや澪くんみたいに強くもないし、日向みたいに優しくもない。

 紫崎さんのことは許せないし、紫崎さんにべったりで他人に迷惑をかける男の子たちにもいらいらするし、――何よりわたしはどこかで日向にさえ怒っているのです。

 日向は悪くないのに。どうしようもない状況に追い込まれてなおわたしを守ろうとしてくれる、悲しいくらい優しいひとだと、わたしは誰よりもよく知っているのに。


「ちぃちゃん、どうかした?」


 気が付くと、女の子が一人、わたしを覗き込んでいました。

 慌てて何でもないと首を振ります。

 その女の子はそっかと笑うと、場を盛り上げるように大声を上げました。


「よっしゃ、皆でどっか遊びに行こう! 今日!!」

「桧山、うるさい」

「あたしがちぃちゃん誘おうと思ってたのにー」

「言い出したからには幹事やってよね」

「皆してウチの心遣いを無にするな!!」


 打てば響くように返ってきた女子からの批難や注文に、桧山さんは器用にも頬を膨らませて言い返します。

 明るい掛け合いをしながら皆は笑っていて、わたしも何だか嬉しくなってきて一緒に笑いました。












 日向はわたしの一番付き合いが長い幼馴染みです。

 それこそ物心つく前から、わたしは日向のことを知っています。

 昔から、日向はとても優しい子でした。

「君が悪い」と躊躇いなく言えるその優しさは、わたしの憧れでもありました。

 正しくて、だけど血の通った優しさです。

 憧れで大切で自慢の、勇気ある幼馴染み。


 漠然とした思いが恋愛感情になったのがいつだったかは覚えていません。

 いつの頃からか、気付けば日向を目が追うようになって、目が合うとくすぐったいような気持ちになって。

 日向の一番は、他の誰でもなくわたしがいいと、思いました。

 日向は当然ですがモテました。特に中学に入ってからはそれが顕著で。

 怖く、なったんです。

 日向がいなくなるんじゃないか、って。


『やっとその気になったのね』


 遅いからヒヤヒヤしたわ、と燐ちゃんは笑いました。

 わたしより先にわたしの気持ちがばれていた訳で、燐ちゃんは大喜びで協力してくれました。

 というか、協力してくれていました。

 それはとても有り難いんだけど……何ですか、「千里と日向を見守る会」って。

 しかもなんで学年の半数以上が加入してるんでしょーか?

 何だか妙に日向と一緒になる確率が高いなぁとか思っていた原因は判明したけど。


 ……そこまでお膳立てしてもらって、それでもわたしはしばらく行動を起こせませんでした。

 断られるかもしれない。幼馴染みという関係すら失うかもしれない。日向が隣にいなくなるかもしれない。

 臆病なわたしは、努力もなく手に入れた幼馴染みという地位に甘んじていたんです。


 それを変えたのは、一人の女の子でした。

 名前は覚えていません。家の都合で転校してしまったその子は、その前にと日向を呼び出して――告白したのでした。

 ずっと、紅嶋くんが好きでした、と。

 抜群にモテる日向ですが、告白自体はそれが初めて。

 ただの幼馴染みのわたしには、それに対して何もすることができないのだと。怒ることも泣くことも、ましてや日向を引き留めることもできやしないのだと。

 悟ったわたしは決めました。

 幼馴染みじゃ足りない。だから取ってもらえるまで、何度でも手を伸ばそう。

 ――それなのに今のわたしときたら、何一つできずにぼんやりと日々を過ごすばかりで。


『用事がないなら話し掛けないでくれる? 紫崎を待たせてるんだ』


 そう言った彼の冷たい瞳は、わたしの心をずたずたに切り裂いて。

 開いてしまった一歩の距離を詰められない、燐ちゃんや澪くん、皆に助けられてばかりの甘ったれの自分に、わたしはとても腹が立つのです。


『僕、この香り好きだな』

『じゃあ日向にも作ってくるね、わたし』


 ポケットの中の匂い袋を、一向に手渡せないわたしに、とても。




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