後編
「オカルトじみてて気味が悪いわ」
生徒会に戻って来るなりの不愉快そうな台詞に苦笑する。
「まぁ確かに、クッキーの中に血液が入ってるのはちょっとね……でも燐、俺たちも紅茶の中に血を入れた訳だけど?」
「わかってるわよ。効果があってよかったわね」
昼休みに受け取った調査結果は、一点を除いてそれが普通のクッキーだと言うことを示していた。
そう――血液が混入していたという一点を除いて。
対処法が思い付く訳でもないし、と諦めかけていた俺たちが動けたのもその一点があったからだ。
血液が怪しいなら、血液で相殺できるんじゃないか?
集めたのは決まった相手がいた十五人だったので、そのお相手に頼み込んで少し血を分けてもらったというわけ。
まさか本当に効果があるとは思わなかったけど。
「でもこれで対処法はわかったね。どうする?」
「どうする、なんて。わかってるでしょう、冬夜。この方法には致命的な欠点があること」
軽く睨まれたので肩をすくめておいた。
もちろんわかってる。この方法は、
「相手がいない人はどうしようもないのよ」
疲れたように溜息をつき、燐は手にしていた書類を机の上に放り投げた。
試してみたんだ、一人。浮いた噂のない、いやなかった優等生に、燐の血で。
当然、なんの変化もなかった。
たかが高校生だ、決まった相手なんていない人の方が多い。
収穫だったのはむしろ、『洗脳』が解けるとわかったその一点かもしれない。
俺は燐が次に取る手段がなんとなく読めた。
外部からの刺激。
「ちょうどそろそろ体育祭の時期ね」
案の定、燐が取り出したのは白紙の計画書。
スムーズな運営のため、体育祭実行委員と一緒に体育祭を組み立てるのも生徒会の仕事だ。
本来なら今年はとても苦労するはずだったんだけど。
「任せちゃいましょう。宣伝は大袈裟に、保護者の皆様には是非とも来てもらわなくちゃ」
「俺たちが宣伝を引き受けるんだね?」
「ええ。そうすればフリーなのは緋見先輩と緑井先輩、朱綾くんだけになるわ。水谷くんはわからないけど」
「見物だね。そのメンバーで組み立てた体育祭はどんなものになるのかな。……あれ、てことはそろそろ」
彼が来る頃じゃないだろうか。
まさにうってつけのタイミングだ。
「さすが冬夜ねー、澪なら気付かないわよ? 一応保険のために、さっき灰谷先生に私たちの居場所をそれとなく漏らすように頼んだわ」
「灰谷先生か。確か黒須先生含む数人にクッキーを食べないように仕向けてくれたんだっけ?」
「私は何も言ってないわよ? 一人で気付いて動いてくれたの」
まったく頼りになる共犯者だ。
必要以上に仲が良いのを見咎められると困るので、燐と灰谷先生は学校では滅多に接触しない。
連絡は大体メールだとか。
もとより紫崎に落とされている教師陣とは言え、薬まで効いてしまったらまともな仕事は望めない。
今も学園が回っているのは灰谷先生のおかげと言っていいだろうね。
「あとで縹先生にも連絡――」
「藍原ッ、白銀ッッ!」
何かを言いかけた燐を遮ったのは、けたたましい音を立てて蹴破られた扉と、唸るような怒鳴り声。
あーあ、ちゃんと修繕費払ってくださいね?
はぁはぁと肩で息をする彼と微笑んで相対する。
燐はぴくりともせずに仕事に戻ってしまった。対応は俺に任せるらしい。
のこのことやってきた彼の対処。
「何か御用ですか、金崎先生?」
ぎっと睨みつけてきた金崎――金崎直悠は生徒会顧問だ。今年からの。
何やら怒っているようだけど、心当たりはあった。もちろん。
「お前ら俺の許可も取らずに、」
「許可なら取りましたよ。先生がいらっしゃらなかったので、黒須先生に」
「は?」
「職員室に行ったところ、紫崎さんを探しに行ったと」
意訳、女追い掛けていなかったくせに文句言うなよ無能。
伝わったのかはわからないけど、金崎の顔が真っ赤になった。
怒りに唇を震わせる彼に先んじて言葉を繋ぐ。
「それに、手続きに関しては黒須先生の方が詳しいですしね」
意訳、黒須先生から無理矢理顧問の座を奪った新米くせに偉そうなことを言うな。
教室を一つ押さえるだけの手続きもできないくせに。
「御用はそれだけですか?」
意訳、さっさと帰れ。
言葉の裏にある毒の隠し方は二種類ある。
バレないように隠すか、バレるように隠すか。
微笑みながらそれらを使い分けることくらい簡単だった。
舌打ちして踵を返した金崎の負け。
「あぁ先生、ちょうどよかった」
燐が去り際の金崎を呼び止める。
優雅に立ち上がったその手には、さっきの体育祭の計画書。
「これを紫崎さんに渡しておいていただけますか? 他にやることができたので」
忌ま忌ましげに振り向いた金崎の口端が吊り上がった。
大方、他にやることができて手が回らなくなって計画書が回ってくる、っていうのは紫崎たちが描いていた未来なんだろう。
燐はありがたくそれに乗ったという訳だ。
「仕方ない。忙しいのはいいが仕事を疎かにするなよ」
勝ち誇ったように生徒会室を出て行った金崎のことを、燐はもう見てもいなかった。
仕事を疎かにしてるのはどっちだ、というお決まりの突っ込みも、当然なかった。
燐にとって金崎は、その程度の存在なんだから。
机の上に乗った二つの携帯がけたたましい音を立てたのはその時だった。
表示を確認した燐がふっと真顔になる。
もしもし、と囁くような声で。
もしもし。
「――楪?」
その、名前は。
――きっと今は、聞きたくないはずだった。
柳と櫻のことは知ってるよね。
ムラサキの影を担う一族。
アイハラにもそういう一族がいる。
例えば情報操作に長けた槐家。
新参だけど実力は確かな柊家。
そして最古参、その実体は本家の人間しか知らず、またその存在もごく限られた一部しか知らない、影の一族。
それが楪だ。
わかるかな。槐でも柊でもなく、楪からコンタクトがある、ということの意味が。
「う……そ、でしょ…?」
机の上に置かれた燐の手は、いつの間にか強く握り締められていた。
白くなった拳。
ねぇ、燐。君はいつでも余裕綽々な顔をして、泰然と構えていたね。
君が笑っていれば、何でもできる気がした。
君の一言が、いつだって皆の指針だった。
だからせめて俺や澪といる時は甘えて欲しいと思っていたし、君も少しは気を抜いてくれてたと思う。
少しくらいは、助けになれてたと思う。
でもそれでも、彼らに敵わないことくらいは知ってたよ。
君の一番の支えが誰で、それが君の弱点になることも。
俺と澪だけが、知ってた。
だって皆、君は一人で立てると思ってるから。
多分燐、君自身も気付いてなかったんじゃないかな。
ねぇ、燐。俺はね。
――君の瞳が凍り付くのを見るのは、あの一回で十分だったんだよ。
だから絶対に許さない。
俺は紫崎姫華を、君を傷付ける全てを許さない。
燐、君はきっと一人で行こうとするけど。
でもね、一人になんかさせないよ。
後始末はちゃんとやっておくから。
徹底的に決定的に、綺麗にしといてあげるから。
君の道を塞ぐものは全部排除してあげる。
そうして、隣にいてあげるから。
大丈夫、まだ一人じゃない。
君の手には力がある。取り戻せる。俺も、千里ちゃんも、茶山さんも、灰谷先生も、黒須先生も、会社の部下たちも、皆君の力になる。
だから泣かないで。
「――とうや。
るいとお兄ちゃん、が――………」
いつか湊さんは狙われるだろうと思ってた。
でも瑠依さんの情報は、アイハラによって厳重に保護されてるはずなんだ。
知ってる人は、ごく僅か。
この学校で知っているのは、俺と千里ちゃんと日向くん、――それから澪。
届いていたメールにさっと目を通して、画面を落とした。
手を伸ばして燐の頭を引き寄せ、宥めるように背中を叩く。
思っていたよりずっと細い身体にぞくりとした。
滅多に見せない弱った姿が、ぎゅっと俺の制服の裾を握り締めた手が、どうしてだか痛くて。
――俺は頭のどこかで何かが切れる音を聞いた。
○金崎直悠
去年までは風紀顧問だった眼鏡のイケメン。
今年は何故か強引に黒須から生徒会顧問の座を奪ったが、引継ぎもまともにしてないので冬夜や燐からは無能扱いされている。
書いてて筆が進まなくて泣きそうでした笑
次はもっと進まないに違いない…燐、調子狂うよ(。-_-。)