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Color  作者: 宵月氷雨
間章 櫻の兄妹
13/19

後篇

続き。影の話。

ご都合主義を多分に含みますのでご注意ください。


「庚次くん……どうして澪くんも冬夜先輩も、私を見てくれないのかな」


 姫様が今日は歩いて帰りたい気分だとおっしゃったので、俺は護衛のために畏れながらも一緒に帰らせていただいていた。

 両手を揃えて鞄を持ち、俯きがちに歩くお姿はお美しいの一言に尽きる。

 女神のような姫様を無下にした白塚と白銀、さらに言うなら二人を騙しているらしい藍原への怒りが燻っていたので、姫様の呟きに少々慌ててしまった。


「そっ、それはですねっ」

「? 庚次くん、どうしたの?」

「こほん。……何でもありません。それはあの二人が」


 見る目がないからでしょう、と言いかけて寸前で飲み込む。

 あの二人は姫様が心傾けておられる存在だ。なら。


「あの二人が、藍原に脅されるか騙されるかしているのでしょう。姫様を好きにならない男など、いるわけないのですから」

「そう……そうだよね。ありがとう、庚次くん!」


 姫様は納得したように頷き、俺を見上げて微笑んでくださった。

 一瞬、脳に霞がかかったようにぼんやりとして、心臓が早鐘を打ちはじめる。


「私が、早く助けてあげなくちゃ……」


 健気な姫様がどうしようもなく愛しくて、うっかり伸ばしかけた手を全力で引き止めた。

 俺は影。あくまで護衛だからな。


『私は庚次くんのこともちゃあんと愛してるよ』


 そう言ってくださっただけで、満足しなくちゃなんねーのはわかってるさ。

 あ? 物分かりが良すぎる?

 ……親父に散々言われたからな。

 でもやっぱり緋見とかを見るとイライラするし、白塚や白銀は論外。


「やっぱり、藍原さんかなぁ……」


 ぽつりと、姫様はそう漏らした。


「では、消します」

「う………って、えぇ!? そんなこと駄目だよ!」


 慌てたように両手を振る姫様。


「駄目だよ。きっと藍原さんにも、何か理由があるんだよ」

「ですが……」

「大丈夫。二人が本当に愛してるのが誰か、きっとわかってくれるよ」

「……姫様はお優しい」


 優し過ぎる。

 自分を見下し傷付ける悪魔のような女にまで気を遣うなんて!


「ふふっ、そんなことないよぉ」


 首を傾げて微笑んだ姫様の腕を。


「危ない!」

「きゃ!?」


 俺は咄嗟に掴んで引っ張った。

 直後、姫様の身体があった場所にナイフが突き刺さる。

 同時に黒い人影がいくつも視界に入った。

 よろけた姫様を抱き留めて、素早く辺りに視線を走らせる。

 不覚だった。まさか囲まれるまで気付かなかったなんて。

 まさかこんな街中で襲ってくるとは思ってなかったっつーのも、あるんだが。


「くそが……誰だよっ」

「嘘、もしかして藍原さん……?」


 怯えたように姫様はそう口走った。

 なるほど。藍原め、仕返しという訳か。そこまで頭が足りない奴だとは思ってなかったぜ。

 くくく、喧嘩を売られたんだ。もう買ってもいいよなぁ……?


「絶対潰してやる」


 何でも暴力で解決すると思ったら大間違いだ!






「ふふふ、ナイスタイミングよ。上手くいったわね」


 拳を固めて黒ずくめの男たちに殴り掛かった俺には、姫様のその呟きは聞こえなかった。















「波希、遅かったな。無能のくせに寄り道か?」

「兄さんには関係ないでしょう。そこをどいてください」

「俺の話を聞いたらな」


 黒ずくめの意外と弱かった男たちを叩きのめし、家に帰った俺の一時間後にひっそりと玄関を開けた波希を捕まえる。

 波希は溜息をついて俺の話を促した。



「今日の帰りに姫様が黒ずくめの男たちに襲われた」

「……そんなことしたんだ。馬っ鹿だなー」

「何か言ったか?」

「いいえ、何も。犯人を探れば良いのでしょうか?」

「いや、犯人はわかってる。藍原燐だ」

「……それはまた。何故彼女だと?」

「姫様がそうおっしゃったからだ!」

「そうですか。それで、それを私にお話しになる理由は」

「売られた喧嘩は買うべきだろ? もうちょっと痛め付けようと思ってな。仕返しに刺客を放つような奴はな」

「……でしたら柳に相談なさるのはいかがでしょう」

「ん? そうか、お前じゃ荷が重いか。はっはっは、まぁそうだよな」

「お話は以上でよろしいでしょうか」

「ああ。……あぁ、待て波希」


 横をすり抜けた波希を呼び止める。

 振り向き様腹に一発拳を叩き込んだ。


「ぐぅ……っ!」

「どこに行ってたって? お前がいなかったせいで後片付けに苦労したんだよ」

「申し訳、ございませ……」


 全くだ。

 与えられた事務仕事もできないなんて迷惑以外の何物でもない。

 どいつもこいつもイラつかせやがって。

 この世は姫様さえいらっしゃれば、それでいいものを。


 俺は舌打ちをすると、ポケットから携帯を取り出した。

 いやいや登録した番号の片方を、少し迷ってから呼び出し、発信する。

 3コールで、相手は出た。


「あぁ、俺だ。……黙れよ。姫様のことに決まってるだろ。実はさっき……」


 帰り道にあったことの説明に、くすくすと笑う声。


「あ? そうだよ、悪いか」

『悪くなんかないよ。ただやっぱり君に計画を立てるのは無理だろうと思って』

「だから電話したんだろうが」

『わかってるよ。僕らはそういう役割分担だからね』


 電話口の声はそう言った。無邪気に弧を描いた唇が目に浮かぶ。


「あぁ。任せた、響。珠雨にもよろしくな」


 武を司る影である俺よりは知を司る影の柳の方がいいだろう。

 どうやって藍原燐を排除しようかと考えながら、俺はぱたんと携帯を畳んだ。










   ◆   ◆   ◆










「燐ー、連れて来たよー」

「ご苦労様、火影。いらっしゃい、櫻波希さん」


 あたしの姿を認めると、藍原燐はベッドの上で上体を起こした。

 今のに他意はない……と言い聞かせながら、あたしはやけになって微笑みを返す。


「お招きありがとうございます。ただフルネームで呼ぶのはやめてください」

「じゃあ波希で。とりあえず、その敬語やめなさい。あと私のことも燐でいいわよ」

「……白塚と白銀先輩は?」

「澪はうるさいから追い出したわ。冬夜先輩に私の兄に連絡を取るよう頼んだから、澪も一緒にいるんじゃないかしら」


 絶句一択だ。

 あの白塚澪を、うるさいから、追い出した……って。

 あんなに心配してたのに報われない白塚も憐れだけど、そんなことができるのは藍原燐だけだろうな。


「で? あたしに何の用? 突き落とした仕返しでもするの?」


 そんなアホなことをする人じゃないって知ってるけど、一応訊いてみる。

 案の定、藍原燐は首を横に振った。


「火影」

「大丈夫だよー。櫻庚次は紫崎姫華と帰宅。半径10メートル以内に信者はいないー」

「ご苦労様。簡単な話よ、波希」


 飄々と答えた槐を軽く労い、にっこりと慈愛に満ちた、それでいて悪魔のような微笑みを浮かべる藍原燐。

 あぁもう駄目だ、とあたしは悟った。




「あなた、私に付きなさい」




 もう逃げられない。もう――抗えない。

 藍原燐という存在に、あたしは完全に屈服するしかなかった。

 だから、嫌だったんだ。彼女に会うのは。

 彼女に会ったらきっと、あたしは動かざるを得なくなるから。


「あなたは二十歳まで猶予があると思っていたようだけど、生憎とそんな悠長なことは言ってられないわよ。それより先に紫宮が潰れる」


 全てを見透かしたような目。

 今決めなさいと雄弁に語るその目が。

 決して綺麗なだけの道を歩いてきた訳じゃないはずなのに、とても綺麗で。


「あんたにあたしの願いが叶えられるの?」


 睨みつけるようにそう尋ねると、藍原燐は鷹揚に頷いた。

 重ねて尋ねる。


「敵の敵は味方だとは限らないんだけど?」

「あら、私はあなたに味方したいのよ。紫崎の敵のあなたではなく、お姫様に惑わされなかった、櫻庚次よりも優秀なあなたに」


 化粧もしていないのに艶やかな藍原燐の唇が、緩やかに弧を描く。


「柳は最初から諦めていたんだけどね。櫻はムラサキのお抱えになったのはつい最近。……まだまともな人間がいるんじゃないかと思ったの」


 火影に頼んで調べてもらったら案の定いてね。

 そんな台詞が脳内を通り過ぎていく。

 音は聞こえているのに、一向に意味としての形を成してくれなかった。

 あたしが兄さんよりもできることを知ってるのは、あたしだけなのに。

 あぁ、でも確かもう一人――


「あなたに武術を叩き込んだ男がいたでしょう? あれ、うちの者よ」


 今までとは違う意味で、あたしの頭は真っ白になった。

 凍り付いたまま動かないあたしを、藍原燐は微笑んだままじっと待っている。

 体感時間は数秒だったけど、本当はもっと経っていたかもしれない。

 その間中、あたしの頭はずっと真っ白で、千々と漂う思考がまとまりもなく口から零れる。


「どうして、あたしに」

「母がね、そういった勘が鋭くて。もともと、紫崎が妙な動きを見せ始めた時から警戒してたから。あなたたち一家が影として抱えられたのも知っていたのよ」


 ……ははは。聞けば聞くほど馬鹿馬鹿しくなってくる。こんな人たちに喧嘩を売る気なのか、紫崎は。兄たちは。


「だからスパイも兼ねて。そうしたらあなたという思わぬ発見があったわけ」


 後は簡単、一番若手だからと手抜きのあなたの教師役をもらうだけ。

 藍原燐はそう言って軽く肩をすくめて見せた。

 みそっかす扱いのあたしに妙に親切だと思っていたら、あの微細に渡る指導の裏にはそんな事情があったらしい。

 おそらく藍原燐は母親の後を継いであたしたちのことを調べていたんだろう。

 いろいろと納得している間にも、藍原燐の視線はあたしから外れなかった。

 頷けないあたしを、確かめるように。窘めるように。


「いい? 不利な状況の中で貫きたい意志があるのなら、貪欲に周囲を利用なさい。私のことも、ちょうどいい隠れ蓑くらいに思えばいいの。私は私であなたを利用するんだから」


 藍原燐の言葉は率直で、誠実だった。時として、綺麗事がいかに意味を持たないか知っている台詞だった。

 あなたが必要なのと言われていたら、あたしは納得できなかっただろう。


(あぁこの人は本当に……)


 人の心を掴むのに長けている。


「波希。――返事は?」

「わかった。あたしはあんたにつく」

「そう、よかった」


 ほっとしたような台詞とは裏腹に勝ち気な笑みを浮かべた藍原燐と携帯の番号とアドレスを交換する。

 さすがに藍原燐と登録する訳にはいかないから、適当な偽名をでっちあげておいた。


「波希、あなたにやってもらいたいことは二つあるわ。一つは、俗に言うスパイ活動ね」


 妥当なところだと頷く。

 敵陣の人間を引き入れてそれを頼まないのは馬鹿のやることだ。


「もう一つは?」


 尋ねたあたしを見据えた藍原燐は、不思議な微笑を浮かべた。



「紫宮晃の護衛」












 紫宮晃――つまりお坊ちゃまにお会いしたのはあたしたちが引き取られてすぐのことだ。

 本家のはずの紫宮家嫡男が、分家に過ぎない紫崎家長女にご機嫌伺いにきたことがあった。

 引き取られて三ヶ月くらいだったかな。十二歳のあたしでも何かがおかしいってわかってたのに、大人は誰一人おかしいと思っていなかった。

 みんなみんな、紫崎姫華を見ると、頭が空っぽになったみたいな、ゴミみたいな目をするんだ。

 そうして、たかが十二歳の、我が儘を言うしか能のない、馬鹿な娘に膝をつく。


 だから正直晃を見た時、あたしは(ああこいつもか)って思ってたんだ。

 でも違った。オヒメサマに挨拶して、笑顔を交換して、後ろのお付きの男どもはゴミみたいな目になったのに。


 晃の瞳だけは、光を失わなかった。


 だから、晃が席を外した時、オヒメサマの傍から離れたくないクズどもに変わって案内を買って出た。

 道すがら、どうして案内をしてくれるのかという問いに、あたしはこんな答えを返した記憶がある。


『あなたの目がきれいだったから』


 それ以来、あたしは大人の目を盗んで晃にこっそり会いに行くようになった。

 所詮は兄を優秀な跡取りだと思ってる奴らだから、欺くのは容易い。

 何より何故か(たった今理由はわかったけど)あたしの指導役の男もさりげなく協力してくれたし。


 だから、そう。

 あたしの願いはその頃も今も、たった一つだけなんだ。

 守りたい人は、たった一人だけなんだ。

 あたしの家族は、誰一人としてそんなことは知らないけど。

 藍原燐――燐は。



「燐って凄いでしょ?」


 せめてそこまでは、と校門まで送ってくれた槐がにこりと笑う。


「能力的にはね、湊の方がずっと凄いんだ。あの燐ですら遠く及ばない。でもね」


 湊って、確か燐のお兄さんの名前だっけ。

 大学生なのに、トップを失ってがたついた藍原をたった一年で立て直した奇才。


「湊はいつも言うんだよ。本当に凄いのは燐だって」


 わからない。どういうことなんだろう?


「んー、そうだね。例えば湊は、燐がいなくなったら立ち上がれない。多分ね。でも燐は湊がいなくなっても立ち上がれる。泣いて、閉じこもって、全てを拒絶しても、いつかは光を掴める。多分そういうことだと自分は思うよ」


 ふうんと頷いておく。

 まだよくわからないけど、あたしよりずっと燐たちの近くにいる槐が言うなら、そうなんだと思う。

 そんな心の声が聞こえたのか、槐はひょいと肩をすくめた。


「それじゃあ、気をつけて帰ってね。多分オヒメサマの帰り道に何か起きてると思うから、お兄さんにも気をつけて」


 ひらひらと手を振って背を向けた槐に手を振り返して、校門を出る。

 その間、三秒も経ってないけど。

 何気なく振り向いた時、あたしはもう槐を見付けることができなかった。




次は多分紫崎さんの独白です。

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