前編
影の話。
長らくお待たせして申し訳ありませんでしたm(_ _)m
ご都合主義を多分に含みますのでご注意ください。
出だしはおそらくウザいです笑
俺の妹は無能だ。
俺には到底及ばない身体能力と、平均をうろうろしている成績。
本当に、ムラサキの影として誇り高き我が櫻家に、どうしてあんなのが生まれちまったのか……。
雑用くらいはこなせるようだからやらせてはいるが、親父があいつと縁を切るつもりなのも聞いた。
一応成人までは面倒を見るらしいが、その後は勝手にしろと申し渡したらしい。
当然の処遇だな。姫様をお守りするのに無能はいらない。
まったく、あいつがもう少し使えたら、男の俺では手の届かない範囲を任せられたのに。
今のところあいつの価値は、存在感がないこと、この一点に尽きるな。
何でそれが大事かって?
んなもん、決まってる。
藍原燐にばれずに動き回るのに都合がいいからさ。
俺の名前は櫻庚次。姫様の騎士。
「燐! 燐、しっかりしろ!」
「どこ怪我した?」
『事故』の瞬間は騒然と、数秒後には大混乱に陥ったそこに、真っ先に駆け付けたのは二人の男子だった。
当然その二人は、白塚澪と白銀冬夜のことな。
あんな高飛車で、権力に物言わせて好き勝手してる女のどこがいいんだか。
顔も俺には及ばないまでもそれなりにいいし、家柄もそこそこいいくせに女の趣味は悪いんだな。
いや、違った。騙されてる、んだっけか?
姫様が泣きそうな顔でそうおっしゃってたからな。
そもそも藍原燐は気に入らなかったし、姫様は白塚と白銀をお救いになるとおっしゃっているし、ちょうどいい。
藍原のせいで姫様がどれだけ涙を流されたことか。
その点、紅嶋は賢い奴だよ。
ちゃんと黄橋じゃなくて姫様を選んだんだからな。
「うるさ……わね…………たいした………と、ないわ……」
「馬鹿燐動くなっ!」
すっかり気が動転しているらしい白塚から一歩引いて、白銀が鋭い視線を階上に投げる。
事件現場は特別教室棟西階段三階踊り場。
踊り場から転落したから、二階ってのが正しいか?
踊り場にいらっしゃるのは顔面蒼白の姫様だけだけどな。
で、当然姫様は何もしておられない。
「あ……藍原さん!? 大丈夫!? 今救急車を、」
「大……丈夫、よ、…紫崎さ………ん」
「どういうことだ、燐。何があった?」
「待って澪、燐に喋らせるな。紫崎さん、何があったか話してもらえる?」
「冬夜せんぱ……」
「悪いけど名字で呼んでね。早く説明してもらえると嬉しいんだけど」
んだと、おら。
白銀の奴、姫様に向かって何て口のききよう……!
と詰め寄ろうかと思ったが、白銀の目が絶対零度の光を宿していたのでやめといた。
障らぬ虎に祟りなし……だな。確か。俺ってば天才。
あ? 俺が無能だと? 馬鹿言ってんじゃねーよ。死にてえのか?
「あ、あの、藍原さんは私を庇って落ちたんです!」
「つまり誰かに突き落とされたと?」
「藍原さんのファンだって子が、私を突き落とそうとして、それで……!」
狼狽した様子で姫様が叫ばれる。
そうとも、そういう筋書きだ。これで藍原燐の評価はがた落ちだろうよ。
「燐、知ってる顔? ……そう、違うんだね。でも心当たりはある、と」
難しい顔で白銀が何か言ってたが、生憎聞こえなかった。
痺れを切らした様子で白塚が立ち上がる。
両手で藍原燐をお姫様抱っこして、だ。
姫様完全スルーとか、いい度胸だぜ。機会があったら一発殴ってやる。
つーかマジであの女のどこがいいんだ?
姫様のように美しい訳でも、優しい訳でもない上に、取り巻きを大量に従えた偉そうな女だぞ?
しかも姫様に暴言を吐き、傷付け、あまつさえ貶めようとするような性悪女……!
あの女を突き落としたのは俺の妹だ。
藍原燐のファンを騙って姫様を傷付ければ、藍原燐の評価は下がる。
庇ったとしても怪我を負わせられて損はない、ということで決行した作戦だ。
当然俺らは止めた。姫様が危険だからな。
だが『澪くんと冬夜先輩のためなの……!』って涙に濡れた瞳で言われてしまえば強くは出れねーし……。
仕方ないからこの周辺には何人もの男が潜んでいたワケ。万が一姫様が落ちた時は身を盾にして受け止められるようにな。
「つまり燐は紫崎さんを庇って怪我をしたんだね」
「違う! そもそも姫様を突き落とそうとしたのはその女のファンだ!」
人混みの後ろから含みのある台詞に反論すると、穏やかなのに冷たい迫力に満ちた笑顔が、どうやって探したのか真っ直ぐに俺に向けられた。
「部外者は黙っててくれるかな」
「……んだと?」
姫様をお守りするのが俺の使命。
姫様よりその女を大事にするなんて愚考の果てに、俺を部外者扱いだと?
思わず殴り掛かりかけた俺に向けて、姫様がありがとうと口を動かしたのが見えて、すんでのところで思い止まる。
「冬夜、そんな奴放っといて保健室行くぞ」
「ちょっと待って、これだけは確認しておかないと。……紫崎さん、怪我はない?」
不機嫌な声で白銀を誘った白塚に返された台詞に、姫様を含め、その場にいた全員が息を呑んだ。
俺もちょっとびっくりしたぜ。まさかそんな台詞が飛び出すとはな。
「心配してくれるんですね!」
嬉しそうに笑われた姫様に向けて、白銀はにっこり微笑む。
ぱっと目を輝かせた姫様の顔は、けれど瞬時に凍り付いた。
「よかった。でないと燐が浮かばれないからね」
白塚を促してあっさり姫様に背を向ける白銀。
「どうして!? 澪くんも冬夜先輩も、私はどうでもいいの……?」
悔しそうに悲しそうに、姫様がそう叫ばれる。
白塚と白銀は同時に振り返り、声を揃えた。
「名前で呼ぶな」
「名前で呼ばないで」
……ちくしょう、やっぱり殴る。ぜってー殴る。
姫様が気にかけてくださることのありがたみがわかってねー。
また姫様は涙を流されるのだろう。
あーあ。
「藍原燐なんて消えちまえばいいのに」
うざい。目障り。うっとうしい。
あの女がいなくなれば、姫様は泣かずにすむのだ。
口にした考えがなかなかいいものに思えて、俺はほくそ笑んだ。
もし姫様がそう望まれたなら、喜んで従おう。
◆ ◆ ◆
あたしの兄は無能だ。
それはもう、どうしようもないくらい馬鹿で阿呆で無能だ。
いや……ちょっと違うかな。影として平凡レベル程度の戦闘能力と、赤点は取らないが平均までは行かない程度の頭脳。
それなりに頭は回るけど詰めが足りない。
視野が狭い。
正常な判断力がないから戦力差を見誤る。
姫様至上主義の頭の足りない男。有能か無能で言えばもちろん無能だけど、丸っきり使えない訳ではない、中途半端な男。
それがあたしの兄だ。
今の櫻家には似合いだろう。
あたしは試験はいつもあえて平均点くらいを取るようにしてるし、兄との鍛練も手を抜いてる。
別にあたしは女のあたしに勝って勝ち誇ってるような兄に勝っても嬉しくないし、紫崎姫華に仕える気は毛頭ない。
大体、姫様姫様って馬っ鹿じゃないの?
ここは現代日本で、百歩譲ってお嬢様ならまだしもお姫様はいないっての!
紫崎なんかに屈したあいつらにあたしは絶対従わない。
兄さんが無能だってばれると困るから、討ち漏らした刺客をしとめたりフォローはしてあげるけど。
あたしが仕えたいのは紫崎烈でも紫崎姫華でもないんだから。
あたしの名前? 波希だよ。でもフルネームは嫌いだから、絶対呼ばないでよね。
『後で保健室に来なさい』
それが突き落とされる直前に言うことなのか! そうなのか!?
おかしいと思うのはあたしだけなの!?
当然のようにオヒメサマを庇った藍原燐の台詞。
わざわざ耳元で、突き飛ばして庇ったオヒメサマには聞こえない声量で。
仮にもオヒメサマの味方であるはずのあたしに、だ。
普通ならよっぽどの馬鹿だと、呆れるところだけど。
藍原燐なら話は違う。
多分最初からわかっていたんだろう。
あたしの顔を見た、その瞬間から。
藍原燐がわざわざ怪我をしたのは、何か理由がある。
だってあの人なら、オヒメサマを庇ってなおかつ怪我をしないことなんて朝飯前のはずなんだから。
多分……あたしのせいだろう。
あたしがあの人の味方を名乗ったから、あの人は『オヒメサマを庇って怪我をした』って事実を作ったんだ。
あそこまで完璧に庇われちゃうと、文句は言いにくい。
しかもその刹那の間にあたしに話し掛けるとか、本格的に変な人だよ。
きっとあたしの素性ごとばれてるんだろうなぁ。
白銀先輩と白塚の声を背後にその場をこっそり去りながら、あたしは溜息をついた。
できれば行きたくない。行ったらあたしはもう逃げられない。
二十歳まであったはずの猶予は、きっと遥かに短くなる。
でも藍原燐と会うことは、絶対にあたしにとって不利益にならない。
あの、冷たいようで案外お人よしな女の子は、そこまでわかってあたしを呼んだんだろう。
「行くしかないかなぁ……」
人気のない旧校舎の廊下でそうこぼしたあたしに、答える声があった。
「当然。燐が君を呼んだからには、何があっても来てもらうよ?」
「誰っ!?」
右斜め後方3メートル。
嘘だ、さっきまで絶対に人の気配はなかった。
仮にもあたしは影だ。それも戦闘を主な役割とする一族。
そのあたしが、数メートルの位置に近付かれるまで気付かないなんてそんな訳が……。
「自分が特殊なだけだから、君が気に病む必要はないよー」
足を軽く開き僅かに重心を落として相対すると、彼は肩をすくめて緊張感のない笑みを浮かべた。
駄目だ、この場合は情報のないあたしの負けだ。
観念して戦意を消し、腕を組む。
この時になってようやく、目の前の男を知っていることに気付いた。
「あんた……同じクラスの槐?」
いつもどこにいるのかわからないクラスメイト。
正確には、そこにいるはずなのにいると認識できない、でもいつの間にかそこにいても何の違和感も感じない、不可思議な男子。
極端に人の印象に残らないんだけど、入学式の写真には写っていたから、かろうじて覚えていたらしい。
すごいぞ、あたし。
「……まさか自分を覚えてる人がいるとはねー」
少年は何やら驚いたように口の中でぼそぼそと呟き、それから芝居がかった仕草で胸に手をあてた。
「では改めて、自分の名前は槐火影だよー」
「え……あ、あたしは櫻波希」
うっかり乗せられて名乗ると、槐は嘘臭さ全開の笑顔でにこっとした。
「知ってるよー。桜並木、なんて綺麗な名前だよね」
「うるさい黙れフルネームを口にするな!」
だから嫌なんだよ、あたしの名前!
何でネタな訳? あたしの両親に名付けのセンスは期待してないけど、せめてネタにだけはしないでほしかった!
「お兄さんは桜小路だもんねー、櫻波希さん」
「気付いてもいない兄のことはどうでもいいけど、フルネームで呼ぶなって言ってるの」
「うんうんわかってるよー、櫻波希さん」
……こいつ、あたしを怒らせて何がしたいんだろうか。
すぅっと目を細めると、槐は怖い怖いと苦笑して、くるりと踵を返した。
「ついてきて、櫻さん。今なら君のお兄さんはお姫様に付きっ切り、ばれずに燐のところまで行ける」
つまり槐は、藍原燐に遣わされたということだろうか。
逃げる理由もないし、第一逃げられそうにもなかったので、あたしは黙って槐の後に続いた。