前編
日和ちゃん書きやすかった……
今回は日向が出張ります。ようやく(笑)
一学期の行事と言われたら、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。
体育祭、という意見が一番多いかもしれません。
もちろん秋にある学校もありますから、一概にそうとは言えませんけど。
では学年を通して最も生徒と関わりが深いイベントと言えば何でしょう?
学園祭? いいえ、違いますわ。
年に五回ある悪夢の数日間。
――そう、定期試験ですわ!!
今日は皆、いつにも増して朝早い時間から登校してきます。
そうして掲示板の前に群がるのですわ。
もちろん掲示される順位表を見るため。
わたくしも人込みに紛れながら、張り出される時を待っておりましたの。
死刑宣告を受けるような心持ちで。
何故かって?
言わせないでくださいませ! 追試も一緒に張り出されるからに決まっているじゃありませんか!
……こほん、取り乱しました。
わたくしは根っからの文系ですから、理系科目は壊滅的なのですわ。
とは言え、目的はそちらがメインではありません。周りの皆さんと同じように、上位者の名前に興味があるんですの。
まぁ、一位が誰なのかは既知の事実ですけど。
やがて順位表を持って現れたのは灰谷先生でしたわ。確かに彼女が一番何の問題も起こりませんからね。
「お前ら邪魔だ、退け。私を通せ」
「先生早くー」
「化学追試ですか?」
「よっ、珪那チャン、今日も美人だぜ!」
「最後の奴今日居残りな」
「お、もしかして初めての共同作業?」
「教頭先生のところで資料の整理を手伝うように言われてるんだがな、生憎私は用事があるんだ。代わりにしっかりやれよ」
振り向きもせずに先生はそう言って、チャラい男子生徒が一人撃沈しました。泣きながら走り去ります。自業自得ですわ。
確かあの生徒の名前は、……あら?
「先生、今の誰でしたっけ? 逃げて行っちゃったんですけど」
わたくしではありませんがわたくしの疑問を代弁してくれたのは桧山さんです。
隣のクラスのムードメーカーさんですわ。
「あぁ今のは……、誰だ?」
「あれ、俺も思い出せねー」
「私絶対見てたはずなのに!」
「もしかして……幽霊!?」
震えかけの声に一拍の沈黙。
次いで大騒ぎになった生徒の軍団が静かになる頃には、先生は表を張り終えていましたの。
それにしてもあれだけ目立っていたのに誰の記憶にも残っていないって……どんな存在感の薄さですか。
中間試験は四日間十科目の千点満点。
掲示されるのは百八十人中上位九十名。
その頂点にあるのはもちろん、中学時代からただの一度もその地位を譲ったことがない名前ですわ。
嘘でした、ありましたわ。去年はいらっしゃらなかったのでしたわ。
「今回も私の勝ちね」
「相変わらずだな。……ったく、俺だって一つミスしただけだぞ」
「つべこべ言わないで何か奢りなさい」
「あーはいはい。駅前のケーキでいいか?」
群衆の外から聞こえる声が段々近付き、それにつれて波が引くように二つに分かれていく群衆。
声の主はわたくしが敬愛してやまない――
「お姉様!!」
「抱き着くな、鬱陶しい、私に妹はいない。……どうしたの、茶山」
いつも通りいつものごとくお姉様はわたくしを振り払って、けれどちゃんとお声をかけてくださいました。
あぁ今日もお美しいですわお姉様!
涼やかな漆黒の瞳、すっと通った鼻梁と紅の唇、雪のように白い肌と朱色に色付いた頬で形作られた中性的な顔立ち!
校則よりは少しばかり短いスカートはむしろ清廉さを感じさせ、裾からはすらりとした長い脚が伸び、絹のような黒髪は細い首を強調しているようです。
女の子らしいのとは少し違うすらりとした体型はしなやかさを備え、一歩間違ったら線の細い儚げな美人になる容姿を、全身から感じられる強い意志が、その瞳に宿った光が裏切っていました。男装なさったら絶対似合うと思いますの! だから女子のファンが多いのですわ。
いつだって自信に満ちて優雅で格好よくて美しいお姉様。
「茶山は載ってないのね」
お姉様は表を見遣って肩をすくめます。
一位 藍原燐 1000点
二位 白塚澪 997点
去年以外は一度たりとも一番上を譲ったことがないお姉様、去年以外は二番目を譲ったことがないお姉様の隣の男。
しかもお姉様がいなかった去年は一番上でしたの。非常にムカつきましたわ。
わたくしはその気分のままにお姉様の死角からお姉様の隣の男を睨みつけながら、びしっと背後を指差しました。
先にあるのは『追試受験者』の名簿。
今日はあの男に構っている時間はありません。切実なお願いがあるのですわ。
「お姉様、わたくしに数学を教えてくださいませ!!」
……ええそうです当然のように引っ掛かりましたよ悪いんですの!?
名簿をひたと見据えていたお姉様は、やがてくつくつと笑い出されました。
やっぱり追試なんて身分でお姉様に近付くのはいけなかったのでしょうか。
思わず離れたわたくしなど目に入らない様子で、お姉様はおかしくて仕方ないという風に肩を震わせていらっしゃいましたの。
「ああ、馬鹿やったな日向」
灰谷先生を含め誰ひとり口を開けない異様な空気の中で、目障りな男だけが全てを諒解しているかのようにそう呟きました。
日向。紅嶋日向。アホ女の従者に成り下がったお姉様の幼馴染み。
はっとして名簿を振り返ります。
指定科目は数学、化学、英語。
大急ぎで名前を辿って、わたくしは目を瞠りましたわ。
数学の部分。わたくしの二つ上にあった名前は、他でもない紅嶋日向でしたから。
「茶山」
「はい、お姉様」
「一対一じゃなくてもいいなら教えてあげるわ」
「教えていただけるだけでヒヨリは幸せですわ」
「よろしい」
笑みの余韻を残したまま、お姉様は頷かれました。
断られると思っていたので正直びっくりですわ。
条件反射で答えたわたくしをニヤニヤしながら見ている男の膝裏に蹴りを叩き込み(もちろんいなされましたけど!)、お姉様を見上げます。
「澪」
「今日は月曜だから六組だ」
二人の間でしか通じない会話を交わして、颯爽と踵を返されるお姉様。
向かう先にあるのは六組でしょうか?
「おい茶山、藍原はなんであんなキレてるんだ?」
「わたくしにもわかりません……」
面白そうに口端を吊り上げた灰谷先生にそう返して、わたくしは慌ててお姉様の後を追いました。
あぁでもキレたお姉様も素敵ですわ! 動画撮影しても……駄目? そうですか。ちっ。
「紅嶋くん、ちょっといいかしら」
遠慮も何もなく六組のドアを開け放ち、不自然なほど朗らかな口調でお姉様はそうおっしゃいました。
不穏です。お姉様は普段紅嶋日向を名前で呼び捨てていますし、もっと落ち着いた、ともすれば冷たいと取れる喋り方をなさいます。
お姉様の影から中を覗いてみると、案の定というかアホ女と愉快な仲間達がいやがりましたわ。
突然乱入してきたお姉様に文句を言おうとした男どもが、お姉様の雰囲気に呑まれて一人残らず口をつぐみます。ざまあみやがれです。
「……何、燐」
「何じゃないわ。自覚はあるんでしょう?」
「…………」
「藍原さん、それじゃあわからないんじゃないかなぁ? 日向くんと藍原さんは、別に語らなくてもわかりあえる訳じゃないでしょう?」
助け舟のつもりか、はたまた単純にお姉様が気に入らなかったのか、アホ女が口を挟みました。
どこからどう見ても、紅嶋日向の顔は自覚があって苦々しいようにしか見えないんですけど。思いっ切り通じてません?
「紅嶋くん、あなたの数学の点数を是非教えてくれないかしら? ⅠとA、二科の合計でかまわないわ」
親切にも尋ね直したお姉様に、紅嶋日向はおろおろと視線をさ迷わせましたの。
言い訳は許しませんよと、お姉様の笑顔が語っていますわ。
「紅嶋くん?」
「……二科39点」
お姉様は何も言いませんでした。
ただふふふと含み笑いを漏らして隣の男を……白塚澪を見遣ります。
「ねぇ澪、この私とあなたが基礎を叩き込んであげたはずなのに39点ですって」
「今回は中学の復習的な意味合いもあったから、基礎ができていればそこそこ取れたはずだな」
「忘れちゃったのかしら?」
「俺たちの熱意が足りなかったということも有り得るな」
お姉様と白塚澪が一言ずつ言葉を発する度に、紅嶋日向の顔から血の気が引いていきます。
だけど……だけど、どうしてでしょう、低い点数を論うような台詞ばかりですのに、嘲りは一切感じられないのですわ。
よく注意していないとわかりませんけど、むしろあたたかな、愛おしみすら感じられる声音で。
「日向、追試までこの私と澪が直々に数学を叩き込んであげるわ。泣いて感謝なさい」
「もちろん満点を取ってもらう。……逃げるなよ?」
挑戦的に、そう言い放ちました。
紅嶋日向は観念したように頷いてみせます。
酷い、と声を上げたのはアホ女だけでしたわ。
所詮キレているお姉様相手に異を唱えられない腰抜けばかりだったということですわね!
そして本人が承諾してしまった以上、いかなアホ女と言えどおおっぴらに反論はできませんわ。
する必要も、おそらくないのでしょう。
お姉様や白塚澪ほど内心を隠すことに長けていない紅嶋日向の表情には、一瞬だけ明らかな安堵が浮かんでいましたから。
「酷いよ藍原さん、そんな一方的に決めるなんて!」
それでも反論する辺りが、アホ女がアホ女たる所以ですわ。何せアホなんですの。
「点数が悪いのはそんな悪いことじゃないのに」
お姉様の言葉を額面通りに受け取って、悲しそうにそう言います。
そういえばアホ女も成績は悪かったですわね。
「勉強が全てだなんて私も言わないわ。私は、私の教え子が、追試なのが許せないだけ。文句でも?」
「そんな自分勝手な」
「自分勝手で結構。あなたも確か化学で引っ掛かっていたわよね。教えてさしあげましょうか?」
相変わらずの異様な迫力でアホ女を黙らせ、お姉様はもう用はないとばかりに踵を返されました。
ふふふ、今の一瞬の笑顔もいただきですわ。早く帰って現像しなくては。
それにしても、さすがのわたくしが聞いていても無茶苦茶な論理なのに、説得力抜群なこの摩訶不思議。
お姉様だからこそなせる御業でしょう。
白塚澪も出て行きやがりましたので、わたくしが場を収めるしかなくなりましたわ。
とは言え収める必要性も感じませんし……。
「それでは皆様、ご機嫌よう」
……別に、喧嘩を売っている訳ではありませんのよ?
一応色付きの家に生まれた者として身につけていた淑女の礼を披露して、再びお姉様の後を追いましたわ。
すぐに追い付き待っていてくださったらしいお姉様に抱き着いて、違和感に首を傾げます。
「お姉様?」
「……だから私に妹はいないし、お姉様と呼ばれて喜ぶ趣味もないわ。あとさっきのカメラ貸しなさい。没収よ」
ちっ、ばれてましたか。
お姉様に出会ってから隠し撮りスキルを磨いてはきましたが、まだ成功率は半分くらいですの。
「お姉様が『茶山愛してるわ』って言ってくださったらお渡しします!」
「録音器出しなさい」
「カメラか録音器かどちらかにしてくださいませ。お姉様が不足してしまいますわ」
「我慢しなさい」
「精一杯我慢しておりますわ! ……お姉様がどうしてもと言うなら、頑張りますけど。写真がなければ四六時中お姉様に張り付いておりますし、音源がなければ気が済むまで纏わり付きますが、それでもよろしいのなら」
「……サヤマアイシテルワ」
「わたくしも愛していますお姉様!!」
優雅にわたくしの腕を解いて額を叩き、引き攣った笑顔でカメラを没収するお姉様。
今のボイスは目覚ましに使いましょう、うふふ。
……えーと、そうです違和感でしたわね。
あれだけ無差別に醸し出されていた迫力が、お姉様から綺麗さっぱり消えていらっしゃるのです。
一体何があったと言うのでしょう。
「何もなかったのよ、最初から」
尋ねると、そんな答えが返って参りましたわ。
うまく咀嚼できなくてわたくしはゆっくりと瞬きをしました。
最初から? では何故、お姉様はお怒りになったのでしょう?
お怒りになって、見せたのでしょう?
お姉様は、仕方ないなぁという風に薄く笑われました。
「あれが日向の精一杯のSOSだったのよ」
脳を全速力で回転させます。
国語は得意科目ですの。行間を読んで、
――あぁ。
そういう、ことですの。
つまり、紅嶋日向は。
「……男は馬鹿ですわ」
「よくわかってるじゃない、茶山」
片眉を上げて見せたお姉様。
その隣で仏頂面をした白塚澪を鼻で笑って、わたくしはその想いのままにお姉様に三度抱き着きました。
……今度は抱き着かせてさえもらえませんでしたけど。
燐を相手に二回に一回隠し撮りを成功させる日和ちゃんって最強かも……とか思う今日この頃。