拳と剣は空を切る
アスレア学園には武術訓練に使う修練場だけで四つ、魔法使用の衝撃に耐えられるように障壁を張り巡らせた魔講堂が五つ、イベントに使う戦闘場が一つ存在する。
その中の一つ、第二修練場には一年B組の面々と担任のノイ・オルドンが集まっていた。生徒達は飾り気の無い黒塗りの武器を手にしていた。武器の種類は様々で剣、槍、斧、鎌やハンマーまである。
「よーし、全員練習用の武器は持ったな。攻撃の威力を拡散する衝撃に変えるよう術式を組み込んであるから、当たったら派手に吹っ飛ぶが怪我はしないだろう、と思う」
最初の詳細な説明は最後の一言で一気に信用出来なくなってしまう。生徒達は少し不安だったが、気にせずチームごと距離をとるために散っていく。
至る所で戦闘が開始され、猛々しい声が上がる。二人が魔法を使わず戦闘を行い、残った一人が審判役を務める。やはりエリートの集うアスレア学園、一年生と言えど個々の技術のレベルは高い。一撃一撃の速度は鋭く、重いが生徒達は難なくそれを躱し反撃へと移る。
「参り、ました。やっぱり、体術じゃ、ココに勝てな、い」
「フレりんは魔法に特化したタイプだしね。逆に体術で負けたらボクは立ち直れないよ」
真剣な声が乱れ飛ぶ修練場に似合わない可愛らしい声が混じる。
手にした黒塗りの剣を杖にして項垂れるフレイと、それを見下ろすココ。ココの方は槍を手に持ち、フレイとは違いその顔に疲れの色は見えない。
「フレイちゃんの武器は本来、剣ではないですから落ち込む必要は無いですよ。それに、女の子でココちゃん相手に体術で敵う人は一年生にはあまり居ませんし」
二人の行う試合の審判を務めていたティナは汗だくのフレイに持っていたタオルを差し出す。
ティナが言った通り、フレイは魔法での戦闘を主とするのに対し、ココは槍術での戦闘を主とする。その段階で今日の条件下の場合、かなりフレイにとって不利ではあるが、それでも一撃くらいは当てたかった、という思いはある。
「ありがと。でも、汗一つ掻いてないっていうのは少し落ち込むわ」
フレイは受け取ったタオルで額の汗を拭い、やっと立ち上がった。あまり背の高い方ではない自分よりさらに背の低いココを見つめる。同い年には見えない幼い容姿、当然ながら体つきは華奢だ。それでも一度戦闘になれば風のように素早く動き、攻撃の全てを容易く避ける。
そこで、脳裏にローレンの姿が浮かぶ。
ココの動きは速い。フレイでは捉えることも難しい。だが、ローレンと初めて会った日に見たローレンの動きはそれをさらに超越する。捉えるどころか見る事も出来なかった。
「ローレンの奴、何処にいる?」
いつの間にかティナにそう聞いていた。
ティナとココはにやにやしながら修練場の端の方を指差す。
「あれは……トール・コルニ、それとリッヒ・アークレインかしら」
二人が指差した先にはローレンがいた。トール、リッヒと共に何やら話している。フレイは教室では意地悪な事を言ったが、ローレンがしっかりチームを組めている事に少し安堵感を抱いていた。
「ありゃありゃありゃ、ロレっちはすごいチームにいるね」
「そうですね。トールさんとリッヒさんはクラスでもトップクラスの実力者ですから」
トールとリッヒはクラスではかなりの強さを持つ事で知られている。接近戦で圧倒的な強さを持つトールと総合力で秀でるリッヒ。しかし、ローレンの実力を知る者はフレイを除いて他には居ない。そのためどうしても偏った見方になってしまう。
「ロレっちの実力も気になるし、見に行こうよ!」
じっとローレンを見つめていたフレイはココの言葉で我に返る。
「いい考えですね、ココちゃん。フレイちゃんは気になってしょうがないようですから見に行きましょう」
「ちょ……、私はちがっ――」
フレイはティナの言葉を否定しようするが、ココに腕を取られて無理矢理ローレンの下へ連れて行かれてしまう。
――――1――――
広い修練場の端に他とは違う空気を纏う三人組がいた。転校生、さらにはクラスの実力者二人とチームを組んだことでローレンに対して集まる視線は授業中とはいえ、増えていた。
「ローレン、お前の武器は剣か?」
「あぁ、そうだ」
自分達が話題になっているとも知らず、ローレン達は自分達の会話を続ける。
「だが、そいつじゃねぇだろ。俺はお前の本当の力を知りてぇんだ、お互い全力で行こうぜ」
トールは挑戦的な笑みを浮かべる。
「全力?」
ローレンの表情が怪訝なものになる。トールは授業前に与えられ手に付けていた黒塗りのグローブを投げ捨て、一言。
「来い」
トールがそう言った瞬間、腕の周りが歪む。現れたのは紅いガントレット。数回拳を握りこんで感触を確かめてから構えを取る。
与えられた練習用の武具ではなく、自らのガントレット。それはまさしく真剣勝負の申し出だった。
「お前が強いってのは身のこなしを見れば大体分かる。だからお前には全力を出して欲しいし、俺も全力で戦いたい。大丈夫だって、怪我はしないようにするつもりだ」
トールは完全に臨戦態勢に入る。ローレンは一度ノイの方に目を向けた。
正直言えば、ローレンはこの学園において全力を出すつもりなど全くない。学生と自分の実力ではかなりの差があると仮定している。それでも、トールの言葉には少しだけ心がざわつく。ほんの少しだけ、この二人の実力を見てみたいという気もたしかにある。
「あの野郎、なんか考えての事なんだろうな……」
ちらちらとローレン達の様子をうかがっていたノイは、ローレンが視線を送ったと同時に親指を天高く突き立ててくる。いわゆるゴーサインだった。
「わかった。俺も本気を出す」
ローレンもトールと同じように持っていた剣を放り投げる。そして、同じ言葉を口にする。
「来い」
ローレンの言葉で、何もないはずの中空が歪み、黒い柄が現れる。ローレンはそれを掴むと一気に引き抜く。
「黒影剣アステリオス」
漆黒の大剣。三日月を伸ばしたように軽く湾曲した刀身と、鍔元には回転式弾倉。ローレンの持つ業物、黒影剣アステリオスが姿を現した。
「器名持ちの剣。さらに見た事もない形とは、ますますやる気が出てくるぜ」
普通、武器には名前など無い。だがしかし、名工により作られた業物級、さらには永き歴史を持つ大業物級になると話は違う。業物、大業物級の武器は人と同じように名を持つ。器名と呼ばれるその固有の名は武器の格を表すものとなる。ローレンの黒影剣アステリオスがその例だ。
紅いガントレットを拳に装着したトールは左手を前に構えを取る。
対してローレンはアステリオスを右手にもっただけで、特に構えを取ろうとはしない。口では本気を出すと言ったものの、さすがに学生相手に全力を出すつもりはない。
「おい、ローレン。お前の実力は知らねぇが、構えも取らないなんてのはちょっと俺を舐めすぎじゃねえか?」
ローレンの様子にトールは苛立ちを露わにする。
「そうか? 俺はそうは思わないな」
苛立つトールをローレンはさらに煽る。もともとトールは気の長い方ではない、ここら辺が我慢の限界だった。
「前言撤回。手加減なしでぶっ飛ばす!」
一気に駆けだしたトールは加速の勢いを乗せた拳打を放つ。ローレンの顔面を狙った渾身の右は首の移動だけで躱される。それでもトールの拳打の嵐は止まらない。とめどなく放たれる拳は全てが正確さと鋭さを持っていたが、そのすべてをローレンは躱す。受けることすらなかった。
トールはローレンの実力に歓喜する。強い相手と戦うのは楽しい、そしてその相手を打ちのめした時はもっと楽しい。
「うらあああぁっ」
左の拳を後方に下がって避けたローレンを今度はトールの右足からのハイキックが襲う。放たれる拳のリーチを目算し、最低限の後退だけで回避するあたり、ローレンの実力はさすがだった。だがそれこそトールの狙い通り、ローレンの獲物は右手に収まる大剣のみ、弧を描いて襲いかかる蹴りに対してはどうしても左手での防御が必要となる。一度防御させればそこからは打ち合いに発展する、そこで大剣を両手で持つ暇さえ与えず打ち勝つ、……はずだった。
「受けさせるつもりなのが見え見えだ」
ローレンは焦る素振り一つ見せず、トールの蹴りを前に出て受ける。膝の辺りで命中したために威力半減となってしまう。そこで、ローレンは右手の大剣を手放す。
「なっ!」
トールが右手を離れ地面に落ちた黒い大剣を視認した時にはすでにローレンはトールの懐に入っていた。左肩をトールの胸板に押し当て、空いた右の拳を三回トールの脇腹へと叩き込む。
「ごふっ」
たまらずトールが肺の空気を吐き出す。膝が折れ、崩れ落ちそうになった所へローレンの左拳がトールの顎を打ち上げる。糸が切れたように、トールは背中から倒れた。
「速度、反射神経はなかなかだが精神鍛錬が足りないな」
ローレンは落としたアステリオスを拾い上げ、審判を務めていたリッヒの方を向く。
「リッヒ、トールを頼む。多分二時間は目を覚まさないだろうからな」
「えっ……ええ」
流れるように繰り出されたローレンの拳打に見とれていたリッヒはローレンに言われ、慌ててトールの下へと駆け寄る。
仰向けに倒れたトールに触れようとしたが、その手を逆に掴まれる。
「俺な、ら大丈夫、だ」
ローレンの言葉に反し、膝は震えているがトールは何とか立ちあがる。その姿にローレンは顔に出さないが驚いていた。
(タフさも加えておくか)
少しだけトールの評価を改める。魔法の実力が分からないが、それでも体術はかなり高いレベルにあった。
「リッヒ、次はお前の番だ。ローレンもまだまだやれるだろ?」
リッヒに肩を借りながら、ローレンの下にトールを含めた三人が集まる。
「俺は余裕だ」
「では、始めましょう。私もやりたくないと言えば嘘になりますし」
トールは珍しくリッヒの心からの笑みを見た気がした。人からはトールが活動的で、リッヒが冷静なタイプだと見られるが、実はリッヒの方が普段物静かなために熱くなった時は炎の勢いが強い。あれほどの技術を見てその炎が燃え上がらないはずがない。
「来い」
リッヒが己の武器を呼び出す。手に取ったのはリッヒの髪と同じ紺碧の剣。研ぎ澄まされた細い刀身と渦を描くように飾り付けられた柄。
「レイピアか」
刺突に特出した片手剣、レイピアを舞うように振るい、リッヒはローレンと向かい合った。
「始めっ!」
トールの時は突然試合が始まったが、今度はしっかりと開始の合図が告げられる。
先程の一戦とは違い、今度はローレンの方から攻める。
獣のように低い体勢から疾走し、下からアステリオスを振り上げる。かなりの速度だったが、リッヒはそれを右に体をずらし回避する。体勢を崩すことなくすぐさま反撃。雷光のような刺突を放つも、ローレンが後方に下がった事で無意味に終わる。
リッヒから視線を外す事無く、ローレンは初めて構えを取る。アステリオスを正眼に構え、少し左足を引く。
「貴方に構えさせた分、トールよりは強いと評価されたのですかね」
「冷静なだけお前の方がやりずらい。ただそれだけだ」
リッヒの軽口には乗らず、ローレンは柄を握りなおすと、再び疾走する。
その動きは直線ではなく、右に弧を描く。レイピアはその特性上、防御には向かない。振り上げ振り降ろしなどの攻撃は今のように体をずらして躱せるが地面と水平に襲ってくる剣撃は少し体をずらしただけでは避けられない。
右から放たれる黒い影を見つめたままリッヒは動かない。ローレンが減衰せずアステリオスを振り切ると、視界からリッヒが消える。
当たった感覚は無い。だがリッヒの姿は消えている。背筋に悪寒を感じて無理矢理に体を捻った。下から突き上げられる碧い線。リッヒは体を屈め、ローレンが振った大剣の下にいた。
「くっ」
ローレンが下からの攻撃に思わず苦悶の声を漏らす。距離を取ろうとするが、リッヒは止めどなく刺突を放ってくる。いつの間にか二人の目線は同じ高さにあったが、ローレンは重心を後ろに置いたため反撃に移れない。
「もらいましたッ!」
間一髪のところで躱していたリッヒの攻撃がとうとうロレ―ンを捉える。姿勢を崩すことに重きを置いていた刺突を攻撃に転換する。放たれる剣閃。
「があぁッ」
苦しそうな声が響く。
石突で深く鳩尾を打ちすえられたリッヒは全体重をローレンに預けることになった。誰もローレンの動きを見ることは出来なかった。恐らく気絶したリッヒさえ。
「全員、今日はもう終わりだー。各自教室に戻っていいぞー」
見計らったかのようにノイの声が修練場に響き渡る。ローレンはアステリオスを納め、意識の無いリッヒをトールに預ける。
「トール、傷の手当てをしてくる。後は頼んだ」
「傷って……」
ローレンが首筋を見せると、うっすらと赤い線が走っていた。リッヒの放った刺突はローレンを捉えていた。
トールとの会話を終え、その場を立ち去る。
「ローレン」
途中、三人の戦いを見ていたフレイに声を掛けられたが、ローレンがそれに答えることは無かった。それでもフレイはめげずにローレンに付いて行く。
「なんで本気出したの!? アンタが《黄昏の空》だってばれたらどうするのよ!?」
「黙れ、本気は出してない。トールは4割、リッヒは5割ってとこだ」
フレイは周りに聞こえないように声を抑えるが、どうしても所々で音量が上がってしまう。ローレンはフレイと会話をする気が無いようで、歩みを止めようとはしない。
「でもっ――」
「俺は先に教室に戻る。お前はヘタな事にならないようにしとけ」
そう言い残し、ローレンは修練場を出た。フレイはそこで後を追う事を止め、来た道を引き返す。
ココやティナ、トールまでもがローレンについて聞いてきたが、ギルドの事は何とか隠し通した。この授業の後、圧倒的な美貌と強さを持つローレンの事は一気に学園に知れ渡った。