紅い邂逅
いつも生死の境を彷徨っていた気がする。
戦闘での死は勿論のこと、修行でも何度も死に掛けた。それでも脚を止めることはできなかった。
自分の生きる世界はここしかないと思っていたし、それ以外の世界も知らないから。
「最初だからこれだけは選ばせてやる。お前がこれから先、普通の道を歩くことは出来ないだろう。だから選べ」
初対面にも関わらず、男はそう断言した。――俺は普通ではいられない――と。
「生きる事が苦しい道か、死ぬ事を求める道か……、そのどちらかを選べ」
言葉の意味はよくわからなかったけれど、俺は迷うことなく選んだ。
その時の俺は死ぬ事を望んでいなかったし、自分の事を考えたらどんな道だろうと俺は生きなければ嘘だと思った。
「俺は生きたいよ。生きなきゃいけない、……はずだから」
――――1――――
走る走る走る走る走る走る。
明りの無い路地裏をただひたすらに少女は走る。恐怖で後ろを振り返る事も出来なかった。息が苦しくても、足が痛くても止まれない。
「なんで……なんでなんでなんで」
少し大通りから外れ、護衛から離れただけのはずだったのに、まるで仕組まれたように襲われてしまった。
見ただけでも追手は三人いた、だが恐らく姿を見せないだけでもっといるだろう。その見えない恐怖が少女の焦りを高めていく。
一対一でも敵わない相手が三人以上、助かる手立ては大通りに再び出るしかない。目的が誘拐か殺害かは分からないにしても、人の多い場所ならば手出しはされないはず。そんなか細い希望辿りながら走り続ける。
徐々に明りが近づいてきた。
「ここまで、来ればっ」
足音はすぐ後ろまで迫っている。やっとの思いで道を曲った先には高い壁。世界は無常だと思った。壁を隔てた先には人の声と光が満ちている。それでもそれを隔てる壁は高く強固だった。
「鬼ごっこはここまでかな、お嬢さん」
後ろから声を掛けられる。張り裂けそうになる鼓動と溢れ出る汗。そのままこの場に倒れこんでしまいたかったが、少女は毅然とした態度で振り返る。
視線の先には顔まで隠した黒装束の男が四人。手には小さなナイフが握られている。
「はっ、離れなさい! 私の事を誰だと――」
「レムリア屈指の名家、レンベルク家の一人娘でしょう」
黒装束の中のリーダーは少女の質問に即答した。その返答に膝から崩れ落ちそうになる。素性は完全に知られていた。
少女の家系は確かに周りと比べると高貴な家だった。それを盾にすれば、そんな僅かな希望はたった今砕かれた。
「私たちは一応プロフェッショナルですから。そこらへんの小娘の尻を追っかけているほど暇では無いのですよお嬢さん」
男たちはジリジリと距離を詰めてくる。少女は反発する磁石のように一歩、二歩と後ろへ下がる。
「頭、さっさと終わらせましょうや」
「そうだな、無駄に時間喰っちまったしな」
後ろに控えていた一人がリーダーに声を掛けた。リーダーもそれに答えるように後ろを振り向く。
その、一瞬の油断。追いつめた余裕から見せた隙を、少女は見逃さなかった。
「我が望みを雷鳴をもって叶えよ――――【雷崩】」
右手を敵に向け、体内で魔力を精製。同時に詠唱文を紡いで世界との契約を行い魔力を“魔法”へと変換する。
右手に宿った魔力は敵を討つ雷へと変わり敵を襲う。発動したのは放射型下位魔法、【雷崩】。速度に特化した下位魔法だった。
それでも威力は十分。隙を見せた黒装束の男を打ち抜くはずだった。
「【フィアナ】」
少女が放った雷が届くより早くリーダーは振り向く事もなく魔法を発動した。
雷の行く手を阻むように直径一メートル程の円が現れ、雷を食い止める。
「防御型下位魔法、【フィアナ】を詠唱破棄……」
そのやり取りだけで少女の心を折るには十分だった。先刻の【雷崩】は生死の危機から来る決死の魔法だった。しかし、男の行った詠唱破棄とはレベルが大きく異なる。詠唱は世界との契約であり、魔法の威力・範囲・数量全てを指定する過程となる。そして魔法名は契約完了の証となるものだが、詠唱破棄は指定を全て省き魔法名だけで詠唱の過程を行う分、魔道学の高等技術に位置する。同じ下位魔法の発動だが、少女と男の力量の差は圧倒的だった。
「気は済んだかな、お嬢さん? それでは仕事を終わらせようか」
右手を少女に向けるリーダーの男。それは間違いなく死刑宣告。男の使った防御魔法を使うことも出来る、だがそのための詠唱を行うより早く男は少女を殺すだろう。男を強く睨みながらそっと少女は手を下した。
「主に願い、我が望みを荒れ狂う剛雷をもって叶えよ……」
発動されるのは恐らく放射型中位魔法、【屠る雷槍】。少女の魔法とは比べ物にならない稲妻が男の右腕に精製される。
少し今までの事を思い出し、もう会うことの無い家族の事を考えだすと、どうしても視界が歪んできてしまう。あまりに突然の死は幼い少女には重く、大きすぎた。
詠唱が終わり、小さな体を跡形もなく消し飛ばす威力の稲妻が放射される寸前、声が響いた。
「それほど簡単に命を捨てるのか」
澄んだ声だが、その奥には静かな怒りが感じ取れる。その声に反応し顔を上げた瞬間、男の右手が宙を舞った。
――――2――――
いつの間にか閉じられていた瞳を少女はゆっくりと開く。
宙を舞う男の右手。振り上げられた長い三日月型をした黒い大剣。信じられない光景が眼前に広がっていた。
「がああぁっ」
切られた右手を抑えながらリーダーの男は数歩下がる。対照的に切り裂いた人物は少女を庇うように黒装束の男達と向き合った。
近づいてきた人の持つ黒い大剣は、なぜかリボルバーの弾倉が取り付けられていた。黒い剣には覆面の男の血が数滴付着している。
「あっ……あの」
「黙れ、フレイ・レンベルク。俺はお前の護衛を命じられているだけだ。お前と会話する気は無い」
背を向け剣を構える男はフレイに質問をする暇さえ与えない。
「お前、何者だ!」
顔を歪めながらリーダーの男が叫ぶ。それを合図に後ろの仲間達も戦闘態勢に入っていく。これまではウサギを狩るような軽い気持ちだったのであろう、これまでとは全く違う威圧感が場を満たしていく。
「黙れ、生憎お前らに名乗る名前など持ち合わせていない」
黒装束達の質問すら切り捨て、乱入者は長い三日月のような形をした大剣を肩に担ぎながら顔を覆っていた布を剥がす。
まず目に付くのは束ねられた長い漆黒の長髪。年のころはフレイと同じくらいだろう。
そしてもっとも印象的なのはその整った顔立ち。まるで神話に現れる神々の如く均整のとれた美貌。男は勿論のこと、女性すら魅了してしまうのではないかと思える美貌だった。
そのあまりの美しさに男たちは一瞬息をのむ。男だと思っていた者の素顔とその美に驚きを隠せないでいた。
「女だと!? 女一人で俺達の相手をするってか?」
「おいおい、こりゃ殺すわけにはいかねぇな」
「夜の相手までお願いしてーなぁ」
しかし、あまりの驚きはすぐさま馬鹿にした笑いに変わる。敵を睨むような視線はすぐさま美しい肢体を舐めまわすような視線となる。
右腕を切り落とされ、怒りに顔を歪ませたリーダーすら少しだけ笑いの表情が見える。
「おい……、お前ら本気で言ってんのか?」
男達の下品な笑いを受け、少し顔を伏せながら美貌の剣士は静かに問うた。その肩が震えているのに気付いたのはフレイだけだったが。
「言葉遣いが汚いぞ美人さん。しかし安心しな、嫁の貰い手が無くても俺が毎晩相手してやるって」
それでも男達の態度は変わらない。むしろいっそうに下卑た笑い声を漏らす。下品な言葉にフレイは顔を歪める。
「さっきの言葉は撤回だ。俺の名前はローレン・リトハルト――」
そんな汚れた笑い声の中で剣士は肩の剣を降ろし、
「男だあぁぁぁ!!」
一瞬で黒装束の一人に斬りかかった。
フレイの瞳にはローレンと名乗った自称男の移動は全く見えなかった。爆発のような移動。自分の前にいたはずの人物は次の瞬間にはリーダーの後ろに横一線になるように控えていた男達の目の前にいた。そして、大剣を振り上げ真ん中の男を一閃する。
鮮血がローレンの美貌を赤く染め上げた。ローレンの速さにフレイと同じく男達は全く対応出来ずにいた。
ローレンは当然ながら、男達の対応を待つことなどするはずもなく左の男をを蹴り飛ばし、右手で大剣を扱い右の男をを斬りつける。
ほぼ同時に攻撃された三人の呻き声が響く中、次の瞬間には剣士は再びフレイの前に立っていた。まるで時間を操っているような速さだった。
「さすがはリーダーってとこか」
残った最後の一人、右手を失ったリーダーの男はローレンがいた場所にナイフを振りおろした態勢で居た。三人倒された段階で恐らくローレンへの反撃を試みたのだろう。
右手からの出血は止まらずにいたが、弱った素振りも見せず強くローレンとフレイを睨みつける。
「お前、本当に何者だ。今の攻撃普通の人間には出来まい」
これまで同様に男の質問にローレンは反応するつもりは無いらしい。閉じた口を開くことすらしない。
「貴様のような手練には出会ったことが無い。男と男の戦いを申し込みたいのだ」
「分かった分かった。特別だ。俺はギルド、《黄昏の空》の第十位だ。それで充分だろ?」
案外単純に答えてしまったローレンだったが、軽い返答とは対照的にリーダーの男だけではなくフレイまでもが絶句していた。
ローレンの言った《黄昏の空》という言葉は同時に自分の実力の高さを表している。
「まぁ、それでもまともに戦うほど俺も暇じゃないんだがな」
驚く二人を気にせず、ローレンは大剣を敵に向ける。
二人の間の距離は五メートル程。それはつまり、剣術ではなく魔法の間合い。
フレイの時と同じように、リーダーは防御魔法を展開する。それに対しローレンの大剣に付いている弾倉が回転し手の平ほどの薬莢が吐きだされた。
「【屠る雷槍】」
放たれたのはローレンが発動を止めた【屠る雷槍】。巨大な雷の槍はリーダーの防御魔法を物ともせず、盾ごと雷槍は炸裂する。声ではなく鮮血と臓腑をブチまきながら後方にはじけ飛ぶ。ジュウジュウと嫌な沸騰音と人体が焼ける臭いが通りを満たす。
ローレンの【屠る雷槍】の威力に喰らった相手だけではなく後ろの壁が熔解してしまっている。
「おい、フレイ・レンベルク。仕事は終わったぞ」
数分で戦闘を終了させたローレンは何事もなかったようにフレイのところに歩み寄る。
鮮血に身を染めながらも、その美しさにフレイは見とれてしまっていた。
それが二人の最初の出会い。
特別を持った少年と特別を拒む少女との紅い邂逅。