表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鯖喰いの庭、銀の脈動  作者: 六道奏
『第一部:偽りの空と鉄の翼』

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/9

第9話:黒煙の空とレジスタンスの工房

 巨大な業務用エレベーターが、ガコン、と重い音を立てて停止した。

 長い上昇の果てに辿り着いたその場所は、私たちが想像していたような「希望の土地」とは程遠かった。


 「……これが、中層か」


 鉄格子の扉を開けた瞬間、熱風と共にすすを含んだ黒い粉塵が舞い込んだ。

 思わず咳き込むアリアの口元を、私は袖で覆う。


 視界に広がるのは、見渡す限りの工場、工場、工場。


 最下層が「死と停滞」の場所だとすれば、ここは「過労と消耗」の地獄だった。


 空は見えない。


 頭上を覆うのは雲ではなく、無数の煙突から吐き出される濃密な黒煙の層だ。

 その隙間から、赤黒い溶鉱炉の光が漏れ出し、街全体を不吉な色に染め上げている。


 耳をろうするプレス機の轟音、蒸気ハンマーの打撃音、そしてサイレンの咆哮。


 ここには静寂というものが存在しない。


 「空気が重いな。油と硫黄の臭いで鼻が曲がりそうだ」


 ギルバートが顔をしかめ、義眼のフィルターを「防塵モード」に切り替える音がした。


 「文句を言うな。ここには少なくとも、空から酸の雨は降ってこない」


 私は周囲を警戒しながら歩き出した。


 通りを行き交う人々は、皆一様に灰色の作業着を纏い、死んだような目をして歩いている。

 彼らの首には、「従業員番号(ID)」が刻印された金属の首輪が嵌められていた。


 教会直轄の工場で働く労働者たちだ。


 彼らは人間というより、巨大な生産ラインを動かすための生体部品に見えた。


 「ヴェイン、みんな……辛そう」


 アリアが私のコートの裾を握りしめ、不安げに囁く。


 彼女には聞こえるのだろう。

 機械の悲鳴だけでなく、すり減っていく人々の心の悲鳴までもが。


 「見るな。同情しても腹は膨れないし、状況は変わらん」


 私は冷たく言い放ち、路地裏へと進路を変えた。


 今の私たちに必要なのは、正義感ではない。

 生き延びるための装備と、休息場所だ。


 ジークとの戦いで私のパイルバンカーは大破し、ギルバートのショットガンも弾切れ寸前だ。

 このままでは、ただの野良犬として狩られるのを待つだけになる。


 「どこへ行く気だ?」


 「昔のツテを頼る。この区画のどこかに、腕利きの『武器職人ガンスミス』が店を構えているはずだ。……まだ生きていればの話だがな」


 記憶を頼りに、迷路のような裏路地を進む。


 表通りの喧騒が遠のき、代わりに不気味な静けさが漂い始めた頃、目的の看板が見えた。


 『鉄槌堂ハンマー・ワークス


 錆びついた金床のマークが描かれた、今にも崩れそうなレンガ造りの建物だ。


 「ここか? 廃屋にしか見えんぞ」


 「見た目で判断するな。ここの店主は偏屈だが、腕は確かだ」


 私は重い鉄の扉を、特定のリズムで叩いた。


 トン、トトトン、トン。


 しばらくの沈黙の後、扉の覗き窓がカシャリと開いた。

 薄暗い奥から、鋭い眼光がこちらを射抜く。


 「……合言葉は?」


 しゃがれた男の声。


 「『最高の歯車は、油と血で磨かれる』」


 私が答えると、重厚なロックが外れる音が連鎖した。


 ギィィィ、と扉が開く。


 中から漂ってきたのは、懐かしい鉄の匂いと、強い煙草の香りだった。


 「入んな。……まさか、お前がここに来るとはな、ヴェイン」


 店主のバルガスは、以前会った時よりも白髪が増えていたが、その丸太のような腕と、いわオのような体躯は健在だった。

 彼は右腕の肘から先を、巨大なハンマーのアタッチメントに換装している。

 正真正銘の職人であり、かつては裏社会で名を馳せた用心棒でもある。


 「久しぶりだな、バルガス。少し厄介なことになってね」


 「厄介事? 知ってるよ。お前のツラは、今朝の手配書で一番の売れ筋だ」


 バルガスはニヤリと笑い、カウンターに一枚の紙を放り投げた。


 そこには私の人相書きと、『S級重要指名手配』の文字。

 そして懸賞金の額は、中層の労働者が一生働いても稼げないほどの金額だった。


 「……過大評価だな。俺はただの闇医者だぞ」


 「『教会の最重要機密を持ち逃げした大罪人』にしては、随分と謙虚だな」


 バルガスは工房の奥へ顎をしゃくった。


 「客だ。……いや、お前にとっては『同志』かもしれん」


 「同志?」


 私が怪訝な顔をすると、工房の奥、積み上げられた武器コンテナの影から、数人の影が現れた。


 革のジャケットを着込み、目元をバンダナで隠した男たち。

 そしてその中心に立つのは、燃えるような赤髪を短く刈り込んだ、若い女だった。


 彼女の手には、改造されたアサルトライフルが握られている。


 「あなたが、ドクター・ヴェイン?」


 女が鋭い視線で私を値踏みする。

 その瞳には、明確な敵意こそないが、警戒の色が強く滲んでいた。


 「そうだと言ったら?」


 「私はカレン。この中層で活動する労働者解放戦線――『鉄の夜明け(アイアン・ドーン)』のリーダーよ」


 レジスタンス。


 噂には聞いていた。

 教会の圧政に耐えかねた労働者たちが結成した、反乱組織。

 だが、まさかこんな場所で遭遇するとは。


 「偶然にしては出来すぎだな」


 「偶然じゃないわ。私たちは常に情報網アンテナを張っている。最下層で大立ち回りを演じ、墓守のジークを倒して上がってきた男がいると聞いて、ここで待ち構えていたの」


 カレンが一歩前に出る。


 「単刀直入に言うわ。私たちと手を組みなさい。あなたのその『破壊力』と、教会の秘密を知るその『知識』が必要なの」


 「断る」


 私は即答した。


 「俺は革命家じゃない。ただ、この子を連れて上へ行きたいだけだ。お前たちの戦争に巻き込まれるつもりはない」


 「上へ? 本気で言ってるの? ここから上層へのゲートは、軍の精鋭部隊が鉄壁の守りを固めているわ。たった三人で突破できると思ってるの?」


 「やってみなければ分からんさ」


 私が背を向けると、カレンの後ろにいた男たちが一斉に銃を構えた。

 カチャリ、という冷たい音が工房に響く。


 「待て!」


 カレンが部下を制止する。

 しかし、その空気は一触即発だった。


 ギルバートが静かにショットガンの引き金に指をかける。

 バルガスは、面白そうに葉巻をふかしているだけだ。


 その時。


 私の後ろに隠れていたアリアが、そっと前に出た。

 彼女はカレンをじっと見つめ、そして意外な言葉を口にした。


 「……泣いてるの?」


 カレンの表情が凍りついた。


 「……は?」


 「あなたの銃が、泣いてる。……『もう誰も殺したくない』って。震えてる」


 アリアはカレンのアサルトライフルを指差した。


 場が静まり返る。

 機械の声を聞く少女。


 その特異性は、言葉以上に彼女たちの戦意を削いだようだった。

 カレンは呆気にとられたように銃を見下ろし、そして苦笑した。


 「……変な子ね。私の相棒これは、親父の形見よ。人を殺すのが仕事の道具だわ」


 だが、彼女の銃口は下ろされた。


 「いいわ、ドクター。無理強いはしない。でも、あなたはいずれ知ることになる。この中層で起きている『現実』を。……教会が今、工場で何を作らせているかをね」


 カレンは懐から一枚のカードキーを取り出し、作業台の上に置いた。


 「気が変わったら、第3区画の資材倉庫に来て。……それと、武器が必要ならバルガスに頼むといいわ。代金は私たちが持つ」


 「……太っ腹だな」


 「先行投資よ。あなたが私たちの切りジョーカーになると信じてね」


 カレンたちは風のように去っていった。

 嵐が過ぎ去った後のような静寂の中、バルガスがニカッと笑った。


 「さて、商談成立だな。レジスタンスの姫様のおごりだ。……ヴェイン、お前にはとびきりの新作を用意してやるよ」


 バルガスは奥の金庫を開け、黒い帆布に包まれた「それ」を取り出した。


 「俺が一生に一度は作りたかった、狂気の逸品だ。……蒸気圧ではなく、火薬の爆発力で杭を撃ち出す『炸薬式杭打ちパウダー・バンカー』。反動でお前の腕がもげるかもしれんが、威力は折り紙付きだ」


 「……最高だ。それでいい」


 私はその重厚な鉄塊を受け取った。

 ずしりとした重み。


 それは単なる武器の重さではなく、これから私たちが背負うことになる運命の重さのように感じられた。


 だが、私たちはまだ知らなかった。


 カレンが言い残した「教会が作らせているもの」の正体が、このバビロンそのものを揺るがす悪夢であることを。


 (続く)



次回予告


 バルガスから新たな武器を受け取ったヴェインたち。

 しかし、休息も束の間、街に非常警報が鳴り響く。

 教会が開発した新型の自律兵器「処刑人形エクスキューショナー」が、試験運用という名目で労働者区画に放たれたのだ。

 無差別に人々を襲う鋼鉄の死神。

 逃げ惑う人々の中、ヴェインは選択を迫られる。

 無視して先へ進むか、それともカレンたちと共に戦うか。

 炸薬式杭打ち機が、最初の爆炎を上げる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ