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鯖喰いの庭、銀の脈動  作者: 六道奏
『第一部:偽りの空と鉄の翼』

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第8話:錆びついた信念とオーバーヒート

 轟音と共に、私のすぐ横の地面が爆ぜた。


 ジークが振り下ろした巨大なすきが、大理石のタイルを粉砕し、その下のコンクリート層までを深々と抉り取っていたのだ。


 「避けるなよ、ヴェイン! その貧弱な体ごと、過去の清算をさせてくれ!」


 ジークが咆哮し、身の丈ほどある鋤を軽々と横薙ぎに振るう。


 ブォン、という空気を切り裂く重低音。

 それは農具ではない。

 先端に高周波振動ユニットが組み込まれた、質量兵器だ。


 私は泥に塗れたブーツで地面を蹴り、バックステップで距離を取った。


 飛び散った石礫つぶてが頬を掠め、鮮血が滲む。

 右腕のパイルバンカーが、ズシリと重い。


 「相変わらず馬鹿力だな、ジーク! 脳みそまで筋肉になったか!」


 「ハッ! お前のような理屈屋には分かるまいよ。この鋼鉄の肉体ボディがもたらす全能感がな!」


 ジークが背中のボイラーから黒煙を噴き出し、突進してくる。


 速い。


 一トン近い重量があるはずの巨体が、スラスターの推進力で砲弾のように迫る。


 真正面から受ければ、肉塊になるのは私の方だ。

 私はギリギリまで引きつけ、彼の右足――膝関節の隙間を狙ってパイルバンカーを突き出した。


 「そこだッ!」


 トリガーを引く。


 ガキンッ!


 硬質な金属音が響き、私の右腕に強烈な痺れが走った。

 杭は膝の装甲に弾かれ、浅い傷をつけただけに終わる。


 「無駄だ! この『墓守の甲冑グレイブ・アーマー』は、大炉心の超高圧にも耐えうる特注品だ! そんな日曜大工の玩具で貫けるか!」


 ジークの裏拳が、私の脇腹を襲った。


 防御する間もなく吹き飛ばされ、私は金属の花壇へと叩きつけられた。

 真鍮の薔薇がひしゃげ、棘がコートを突き破る。


 肺の中の空気が強制的に排出され、視界が明滅した。


 「ヴェイン!」


 アリアの悲痛な叫び声が聞こえる。


 彼女を守るように立つギルバートが、ショットガンを連射するが、ジークは意に介さず、散弾を装甲で受け止めながら歩み寄ってくる。


 「……立てよ、ドクター。議論の続きをしようぜ」


 ジークは私を見下ろし、嘲るように言った。


 「お前は医者だ。トリアージ(命の選別)の概念は知っているな? 助かる見込みのない千人を切り捨て、確実に助かる一人を救う。それが医療の正義だ」


 「……何が言いたい」


 私は血の味のする唾を吐き捨て、ふらつきながら立ち上がった。


 「バビロンは末期癌だ。大炉心の制御システムは半世紀前に崩壊している。今は騙し騙し動かしているが、あと五年もすればメルトダウンを起こす。そうなれば、最下層のゴミ溜めも、上層の豚どもも、全員仲良く消し炭だ」


 ジークの声から、狂気が消え、冷徹な事実だけが語られる。


 「だが、助かる道がある。炉心の制御中枢コア・ユニットを、より高度な生体演算プロセッサに置き換えればいい。……そう、『原初の純血』であるその娘を、炉心に接続するんだ」


 「……アリアを、部品にする気か」


 「人聞きの悪いことを言うな。彼女は『人柱』となって、百万の市民を救う女神になるんだ。崇高な犠牲だと思わんか?」


 私はアリアを見た。


 彼女は顔面蒼白で、クロを抱きしめて震えていた。

 自分が世界を救う鍵だと聞かされても、彼女はただの怯える子供にすぎない。


 自分が殺されるかもしれない、という原始的な恐怖に晒されている一人の少女だ。


 「ふざけるな」


 私の口から、乾いた笑いが漏れた。


 「崇高な犠牲? 百万の命? ……知ったことか」


 私は右腕のパイルバンカーの圧力弁バルブを、限界を超えて回した。


 プシュウウウウウ!


 シリンダーから白煙が噴き出し、圧力計の針がねじ切れるほど跳ね上がる。


 警告音が鳴り響く。

 オーバーヒート寸前だ。


 「世界が滅びるなら、滅びればいい。俺は神様じゃない。ただのしがない修理屋だ。……目の前で震えているガキ一人救えないで、何が人類の未来だ!」


 「……貴様ァッ!!」


 ジークが激昂し、鋤を振り上げる。


 私は駆け出した。

 逃げるためではない。


 彼の懐、死の圏内へと飛び込むために。


 「死ね、エゴイストが!」


 振り下ろされる鉄塊。

 今度こそ避けられない。


 だが、その瞬間、奇跡が起きた。


 「……だめっ!!」


 アリアが叫んだ。


 彼女の声は、音波となって空気を震わせただけではない。

 電子パルスとなって、この空間にあるすべての機械へ干渉した。


 ギギッ……ガガガッ!!


 ジークの動きが、空中でピタリと止まった。

 彼の意志ではない。


 甲冑のサーボモーターが、油圧シリンダーが、一斉にあるじの命令を拒絶し、ロック(固定)されたのだ。


 「な、なんだ!? 動かん! 装甲スーツが言うことを聞かねえ!?」


 ジークが狼狽する。


 これが、アリアの力。

 機械たちの女王としての絶対命令権。


 ほんの数秒の硬直。

 だが、私にはそれで十分だった。


 「チェックメイトだ、ジーク」


 私はジークの巨体によじ登り、彼の背中にあるボイラーの放熱フィンに、真っ赤に熱したパイルバンカーの先端を押し当てた。


 ここは装甲が薄い。

 そして、動力源ハートに直結している。


 「や、やめろヴェイン! そこをやられたら……!」


 「安心しろ、殺しはしない。……ただ、ちょっと長い休暇を取ってもらうだけだ!」


 私は渾身の力でトリガーを引いた。


 ズドォォォォォォォォォォン!!!!


 爆音と共に、タングステンの杭がボイラーを貫通した。

 内部で圧縮されていた蒸気が一気に解放され、凄まじい衝撃波が私たちを弾き飛ばす。


 ジークの巨体が吹き飛び、噴水の中へと豪快に水柱を上げて突っ込んだ。


 「ぐ、があああああ……ッ!」


 水煙の中、ジークの甲冑から火花が散り、機能停止のパワーダウン・サウンドが虚しく響き渡る。


 彼は水浸しになりながら、かろうじて上半身を起こしたが、もはや立ち上がる力は残っていないようだった。


 私は肩で息をしながら、完全に壊れたパイルバンカーを腕からパージした。


 鉄屑となって地面に落ちるかつての武器。

 右腕は火傷と打撲で感覚がないが、折れてはいないようだ。


 「……見事だ、ヴェイン」


 ジークが咳き込みながら、ヘルメットを脱ぎ捨てた。

 その顔は煤だらけだったが、憑き物が落ちたように穏やかだった。


 「俺の負けだ。……あのポンコツ修理屋が、まさか『機械殺し』の腕を持っているとはな」


 「機械を殺したんじゃない。直したんだよ。お前の錆びついた頭をな」


 私はギルバートに肩を貸してもらいながら、ジークに近づいた。


 「……行け、ヴェイン。気が変わらないうちにな」


 ジークは懐から鍵束を取り出し、私の足元へ投げた。


 「この奥に業務用エレベーターがある。中層の工業区画へ直通だ。……だが、覚えておけ。上に行けば行くほど、空気は薄くなり、敵は強大になる。教会はお前たちが思っている以上に、この世界を『管理』しているぞ」


 「忠告、感謝するよ」


 私は鍵を拾い上げた。


 アリアがおずおずとジークに近づき、ポケットからハンカチを取り出して、彼の火傷だらけの頬を拭おうとした。


 「……痛かった?」


 「……ハッ。これしきの痛み、改造手術に比べれば蚊に刺されたようなもんだ」


 ジークはアリアの手を払いのけようとしたが、途中で止めた。

 そして、不器用に、彼女の頭を巨大な手で撫でた。


 「優しい女王様だ。……せいぜい、悪い大人たちに利用されないようにな」


 私たちはジークを残し、庭園の奥へと進んだ。


 背後で、小型ロボットたちがジークの周りに集まり、甲斐甲斐しく世話を焼き始めているのが見えた。


 彼は孤独ではない。

 ここが彼の選んだ場所、彼の楽園なのだ。


 エレベーターの重い扉が開く。

 私たちはそれに乗り込み、上昇レバーを倒した。


 ガゴォン、という音と共に、箱が動き出す。


 最下層との別れ。

 そして、次なる戦場――中層への旅立ち。


 アリアは上昇する床の上で、小さくなる機械庭園をいつまでも見つめていた。


 「ヴェイン、ありがとう」


 彼女がぽつりと呟いた。


 「……何がだ?」


 「私を、部品にしないでくれて」


 その言葉に、私は胸が詰まる思いがした。

 私は彼女の頭をくしゃくしゃと撫でた。


 「当たり前だ。お前は俺の助手になるんだろ? 部品なんかにさせてたまるか」


 アリアは初めて、年相応の無邪気な笑顔を見せた。

 その笑顔を守るためなら、私は世界中を敵に回しても構わない。


 そう、改めて心に誓った。


 (続く)



次回予告


 エレベーターが辿り着いた先は、黒煙と蒸気に覆われた「中層・工業区画」。

 そこは24時間稼働の工場が建ち並び、労働者たちが過酷なノルマに喘ぐ鉄の街だった。

 武装を失ったヴェインは、新たな武器を求めて知り合いの「武器職人」を訪ねる。

 しかし、そこで待っていたのは、教会の圧政に抵抗するレジスタンスたちとの予期せぬ遭遇だった。

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