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鯖喰いの庭、銀の脈動  作者: 六道奏
『第一部:偽りの空と鉄の翼』

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第6話:硝煙のホームと古の地下鉄車両

 肺が焼けつくような痛みを訴えていたが、私は足を止めなかった。

 闇市の喧騒を背に、瓦礫の山を越え、再び地下鉄の入り口へと滑り込む。


 外の激しい雨音とは対照的に、駅の構内は不気味なほどの静寂に包まれていた。

 私の荒い呼吸音と、濡れたブーツが床を叩く音だけが反響する。


 「……戻ったぞ!」


 駅員室のドアを蹴り開ける。

 そこには、ショットガンを構えたまま微睡みかけていたギルバートと、苦しげに身をよじるアリアの姿があった。


 「遅かったな。……薬は?」


 「手に入れた。最高級品だ」


 私はアリアの元へ駆け寄り、震える腕を掴んだ。

 皮膚は火のように熱く、血管が浮き出て脈打っている。


 もはや一刻の猶予もない。


 私は『青の鎮静剤』のアンプルを割り、注射器に吸い上げた。


 鮮やかなコバルトブルーの液体。

 その輝きは、この汚れた地下世界には似つかわしくないほど美しく、そして毒々しかった。


 「アリア、少しだけ痛むぞ」


 彼女の細い首筋に針を刺す。

 静脈へと薬液を押し込むと、アリアの体がビクリと跳ねた。


 数秒後、彼女の喉から深い安堵の吐息が漏れる。

 赤く腫れ上がっていた顔色が、見る見るうちに落ち着きを取り戻し、痙攣していた指先が力を失って弛緩した。


 「……効いたようだな。さすがは裏ルートの劇薬だ」


 ギルバートが額の汗を拭いながら、安堵の表情を浮かべる。


 私もまた、へたり込むように床に座り込んだ。

 緊張の糸が切れ、全身の筋肉が悲鳴を上げている。


 「だが、長居は無用だ。……嗅ぎつけられたかもしれん」


 私は水筒の水をあおりながら、薬屋の女の忠告をギルバートに伝えた。


 「銀の弾丸」を使う賞金稼ぎ。

 その名を聞いた途端、ギルバートの顔色が再び曇った。


 「『銀弾シルバー・バレット』のウルフか……。厄介な奴が出てきたもんだ。奴は教会の騎士よりもたちが悪い。金さえ積まれれば、自分の親でも撃ち殺す男だぞ」


 「知っているのか?」


 「現役時代にな。奴の使う弾丸は特注品だ。磁力を帯びていてな、遮蔽物に隠れても曲がって追尾してくる。……逃げるなら、今すぐにここを出るべきだ」


 その時だった。


 ベンチの上で眠っていたはずのアリアが、ぱちりと目を開けた。

 その翠玉エメラルドの瞳は、まだ熱に浮かされているように潤んでいたが、焦点は虚空の一点を凝視していた。


 「……来た」


 彼女が呟いたのと、駅員室の窓ガラスが粉々に砕け散ったのは、ほぼ同時だった。


 パァンッ!!


 乾いた破裂音が鼓膜を叩く。


 何かが私の頬を掠め、背後の壁にめり込んだ。

 コンクリートの粉塵が舞う。


 「伏せろッ!!」


 私はアリアを抱きかかえ、床に転がった。

 ギルバートが即座に照明を撃ち抜き、室内を闇にする。


 「どこからだ!? 音がないぞ!」


 「長距離からの狙撃だ! サプレッサーをつけてやがる!」


 私は壁にめり込んだ弾丸を一瞥した。

 銀色に輝く、流線型の弾頭。


 それが微かに振動し、壁の中の鉄筋に引き寄せられるように深部へと潜り込もうとしているのが見えた。


 磁気誘導弾。

 ギルバートの話は本当だった。


 「ホームへ出るぞ! ここは袋の鼠だ!」


 私たちは這うようにして部屋を出て、改札口の影へと飛び込んだ。

 広いホームは暗闇に包まれているが、どこに狙撃手が潜んでいるか分からない。


 柱の陰に身を隠しながら、私は呼吸を殺した。


 コツ、コツ、コツ……。


 静寂を切り裂くように、革靴の足音が響いた。


 改札の向こう、階段の上から、一人の男がゆっくりと降りてくる。


 長い灰色のコート。

 顔は鍔の広い帽子で隠されているが、その手には、月光のように輝く長銃身のリボルバーカノンが握られていた。


 「……見つけたぜ、ネズミども」


 男が口笛を吹く。

 軽薄で、しかし絶対的な自信に満ちた音色。


 「俺の名はウルフ。お前らの首に懸かった賞金を貰いに来た。……悪いが、生かして連れて来いとは言われてねえんでな」


 ウルフが銃を構える。狙いは適当だ。


 だが、その銃口が火を噴いた瞬間、放たれた弾丸はあり得ない軌道を描いた。

 柱に当たって跳弾し、直角に曲がって私の隠れている場所へと飛来する。


 「くそッ!」


 私は鉄骨を盾にした。


 ギンッ!という高い金属音と共に、弾丸が鉄骨を削り取る。

 破片が顔に飛び散り、皮膚を裂いた。


 「物理法則を無視してやがる……!」


 これでは防戦一方だ。

 反撃しようにも、位置が特定できない。


 それに、アリアを抱えたままでは動きが制限される。


 「ヴェイン、あそこだ!」


 ギルバートが叫び、ホームの奥を指差した。

 そこには、闇に沈んだ巨大な鉄の塊が鎮座していた。


 地下鉄の車両だ。


 半世紀以上前に廃棄された、旧時代の遺物。

 錆びつき、塗装は剥げ落ち、もはや鉄屑の山にしか見えない。


 「あの中に逃げ込むぞ! 装甲板なら、あのふざけた弾丸も貫通できまい!」


 私たちは弾丸の雨をかいくぐり、車両へと走った。  ウルフの嘲笑が背後から聞こえる。


 「ハハッ! 棺桶に自分から入るとはな!」


 車両のドアをこじ開け、中に転がり込む。

 車内は酷いカビの臭いが充満していた。

 窓ガラスはすべて割れ、座席のモケットは腐り落ちている。


 だが、ギルバートの言う通り、戦前の車両は頑丈だった。

 厚い鋼鉄の壁が、ウルフの弾丸をカンカンと弾き返す。


 「……さて、ここからどうする? 出口はないぞ」


 私が息を切らして問うと、ギルバートは運転席の方へと走っていた。

 計器類はすべて破壊され、配線がむき出しになっている。


 「動かすんだよ、こいつを!」


 「正気か!? 電源なんて百年前に落ちてるぞ!」


 「俺には無理だ! だが、彼女なら……!」


 ギルバートがアリアを見る。


 彼女はクロを胸に抱き、運転席のコンソールを見つめていた。

 その瞳に、怯えの色はない。

 代わりに、何かに耳を澄ませるような、静かな集中が宿っていた。


 「……聞こえる?」


 アリアが誰に問うともなく呟く。


 「ずっと眠ってたのね。……寂しかったのね」


 彼女はそっと、埃まみれの操作盤に手を置いた。


 その瞬間だった。


 私の腕の中で眠っていたはずのパイルバンカーが、勝手に共鳴音を上げ始めた。


 いや、それだけではない。


 私の懐中時計も、ギルバートの義足も、そしてこの車両全体が、微かに振動を始めたのだ。


 『承認。マスター・キーを確認。……再起動リブートシークエンス、開始』


 車内のスピーカーから、ノイズ混じりの電子音声が流れた。


 死んでいたはずの計器類に、次々と灯りがともる。

 琥珀色の光が車内を満たし、床下からは重低音が響き始めた。


 モーターの唸り声。

 圧縮空気がパイプを駆け巡る音。


 「馬鹿な……外部電源なしで起動しただと!?」


 ギルバートが絶叫する。


 アリアは操作盤に手を置いたまま、まるでピアノを弾くように指を滑らせていた。


 彼女は機械を操作しているのではない。

 対話しているのだ。


 「行こう。……出口まで、連れて行ってくれるって」


 ガタン、と車両が大きく揺れた。

 錆びついた車輪が、レールとの摩擦で火花を散らす。


 「おいおい、待て待て! マジかよ!」


 ホームの外で、ウルフが驚愕の声を上げたのが聞こえた。

 彼は慌てて銃を乱射するが、動き出した鋼鉄の巨体には何の意味もなかった。


 キィィィィィィィン!!


 耳をつんざくような金属音と共に、地下鉄は急加速した。

 背中がシートに押し付けられる。

 窓の外の景色が流れるような線となり、ウルフの姿が一瞬で後方へと消え去った。


 「は、ははは……! やった! やりやがった!」


 ギルバートが高笑いをする。

 だが、私は笑えなかった。


 運転席に立つアリアの背中から、青白い燐光が立ち上っているのが見えたからだ。

 彼女は自身の生命力を、この巨大な鉄塊に分け与えている。


 「アリア、もういい! 力を抜け!」


 私が叫んで肩に手を置こうとした時、車両は地下トンネルの闇へと突入した。


 前方に見えるのは、無限に続くかのような暗黒と、時折すれ違う信号機の赤い光だけ。


 「……ヴェイン、見て」


 アリアが指差した先。

 フロントガラスの向こう、遥か遠くに、微かな光の点が見えた。


 「あれが、上層への道?」


 「いや……違う」


 私は地図を脳内で検索した。


 この路線が向かっている先は、上ではない。

 都市のさらに深奥。


 バビロンの動力を司る「大炉心グランド・コア」のある区画だ。


 「我々は、地獄の蓋を開けに行こうとしているのかもしれん」


 私の呟きは、轟音にかき消された。

 暴走列車は止まらない。


 私たちは、この街の心臓部へと向かって、真っ逆さまに堕ちていく。


 (続く)



次回予告


 暴走する地下鉄は、廃棄されたはずの地下都市深部へと突入する。

 そこでヴェインたちが目撃したのは、教会の管理外で独自に進化した「機械生命体」たちの楽園だった。

 アリアを「女王」と呼ぶ彼ら。

 そして、ヴェインの過去を知る因縁の男が姿を現す。

 物語は核心へと迫る。

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