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鯖喰いの庭、銀の脈動  作者: 六道奏
『第一部:偽りの空と鉄の翼』

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第4話:地下水路の悪魔と蒸気式杭打ち機(パイルバンカー)

本日ラストの投稿です。

明日からは07:00 18:00の計2話の投稿になります。


 裏口のダストシュートを滑り落ちた先は、世界から色が失われた場所だった。

 鼻腔を突き刺すのは、腐敗した有機物と、廃液が化学反応を起こして生じる刺激臭。


 ここはバビロンの「はらわた」。


 都市のあらゆる汚物が集まり、浄化されることなく垂れ流される地下水路網だ。


「……くそっ、膝のサーボモーターが焼き付きそうだ」


 着地の衝撃で体勢を崩したギルバートが、泥水に塗れながら悪態をつく。

 彼の義足からは、過負荷を知らせる赤いランプが点滅していた。


「無駄口を叩くな。走れるか?」


 私はアリアを抱き抱えながら立ち上がった。

 足元はヌルヌルとしたヘドロに覆われている。


 視界は悪い。


 頭上の遥か彼方にあるマンホールの隙間から、街灯の頼りない光が差し込んでいるだけで、周囲はほぼ漆黒の闇だ。


「走る? 冗談言うな。この老体に、そんな芸当ができるか」


「なら、這ってでも進め。奴らはすぐ後ろだ」


 頭上のダストシュートから、くぐもった爆発音が響いた。

 直後、瓦礫と共に数人の兵士が降下してくる気配がする。


 粛清部隊だ。


 彼らは躊躇なく汚物の中へと飛び込んでくるだろう。

 命令とあれば、地獄の釜の底まで追ってくるのが奴らの性質だ。


「こっちだ。迷路に入り込む」


 私はギルバートの腕を引き、水路の分岐点へと急いだ。


 壁面には、何十年も前に放置された太いパイプが血管のように張り巡らされている。

 そこから漏れ出す蒸気が、視界を白く遮り、亡霊のように揺らめいていた。


「ヴェイン、左だ! 右の水路は『沈殿槽』に繋がってる。落ちたら二度と浮き上がれんぞ!」


「案内は任せる! 俺は殿しんがりを務める!」


 アリアをギルバートに預け、私は背負っていた細長い布袋を下ろした。


 ずしり、とした鉄の塊の重みが腕にかかる。

 これが、ギルバートが「あれ」と呼んだ試作兵器だ。


 布を解くと、鈍い光を放つ無骨な鉄塊が露わになった。


 建設機械のパーツを無理やり人型サイズに縮小したような、歪な形状。

 右腕に装着するガントレット型だが、その肘部分には圧縮空気のボンベが、拳の先には極太のタングステン鋼のパイルが突き出している。


『可搬式蒸気杭打ちポータブル・スチーム・バンカー試作三号』


「まさか、これを実戦で使う日が来るとはな」


 私は右腕をガントレットに滑り込ませ、固定ベルトを力任せに締め上げた。

 装着しただけで肩が外れそうな重量だ。


 バルブを回すと、プシューッという音と共にシリンダー内に圧力が充填され、圧力計の針が危険域レッドゾーンへと跳ね上がる。


 背後から、水飛沫を上げる音が迫ってきた。


 ガスマスクを着けた黒い兵士たちが、暗闇から姿を現す。

 その手には、先端から青白いアーク放電を散らす警棒が握られていた。


「ターゲット確認。排除する」


 機械的な音声と共に、先頭の兵士が跳躍した。 速い。 強化された脚力が、泥濘をものともせずに距離を詰める。


「挨拶なしかよ!」


 私は左足を踏ん張り、腰を落として右腕を突き出した。

 狙うは兵士の胴体ではない。

 その足元のコンクリートだ。


 トリガーを引く。


ドォォォォン!!


 炸裂音と共に、タングステンの杭が床を砕いた。

 凄まじい反動が右肩を襲い、骨がきしむ音がする。


 だが、その威力は絶大だった。


 足場を粉砕された兵士はバランスを崩し、その勢いのまま汚水の中へと転倒する。


「次!」


 私は排莢レバーを引き、使用済みの薬莢カートリッジを排出する。

 白煙と共に、熱された真鍮が水面に落ちてジュッという音を立てた。


 すぐに次弾を装填する。

 この兵器は連射が効かない。

 一撃必殺。 外せば死ぬ。


 しかし、追手は一人や二人ではなかった。

 闇の奥から、次々と赤いゴーグルの光が増えていく。


 五人、十人……きりがない。


「ヴェイン、伏せろ!」


 先行していたギルバートの叫び声が響いた。

 私は反射的に身を低くし、水路の壁に張り付いた。


 次の瞬間、頭上を巨大な影が通過した。

 風切り音ではない。

 もっと重く、湿った、何か巨大な肉塊が擦れるような音。


「……ギシャアアアアアッ!!」


 鼓膜をつんざく咆哮が、地下空洞を震わせた。


 兵士たちの動きが止まる。

 彼らの赤いゴーグルが、一斉に天井の方へと向けられた。


 そこに張り付いていたのは、悪夢そのものだった。


 体長五メートルはあろうかという、巨大なムカデ。

 だが、その体節は肉ではなく、古タイヤやドラム缶、廃棄された鉄板で構成されていた。


 環境適応の果てに、産業廃棄物を殻として纏った突然変異種。

 地下水路の主、「鉄屑喰らい(スクラップ・イーター)」だ。


「ば、馬鹿な……ここまでの大型種は、駆除されたはずだ!」


 兵士の一人が狼狽した声を上げる。


 主の縄張りを荒らした侵入者に対し、怪物は容赦なかった。

 鎌のように鋭利な鉄板の脚が、先頭の兵士を串刺しにする。

 悲鳴を上げる間もなく、兵士は天井へと連れ去られ、鉄と骨が砕ける音だけが残響した。


「……おいおい、とんだお友達のお出ましだ」


 私は冷や汗を拭う暇もなく、後ずさった。

 粛清部隊の標的が、我々から怪物へと変わる。


 好機だ。 今のうちに逃げればいい。


 だが、運命はそう甘くはなかった。


 天井からぶら下がった怪物の複眼が、ぎょろりと回転し、暗闇の中で私を見下ろしたのだ。


 いや、私ではない。


 その視線の先にあるのは、私の右腕――高圧縮の蒸気機関が発する熱源だ。

 鉄を喰らう怪物にとって、この杭打ち機は極上のデザートに見えたに違いない。


「……俺かよ」


 怪物が天井から剥がれ落ちるようにして、私の目の前に着地した。


 着水の衝撃で津波のような汚水が押し寄せる。

 私は踏ん張ったが、足場が悪い。

 ズルリと足が滑り、体勢を崩した。


 怪物が大顎を開く。

 そこには無数のドリルやカッターナイフが歯として生え揃っていた。


 死の恐怖よりも先に、あまりの悪臭に吐き気を催す。


「ヴェイン!」


 アリアの悲鳴が聞こえた。


 逃げろ、と叫ぼうとした喉が凍りつく。

 怪物の鎌が、私の頭上へと振り上げられていた。


 回避は間に合わない。 防御も不可能。 ならば。


「……食らえ!」


 私は杭打ち機を構え、怪物の懐へと飛び込んだ。

 肉を切らせて骨を断つ。 いや、骨ごと粉砕する。


 怪物の鎌が私の左肩を掠め、外套と肉を裂く。

 激痛が走るが、アドレナリンがそれを麻痺させる。


 私は怪物の腹部、ドラム缶と古タイヤの隙間にある、柔らかい肉の部分にパイルの先端を押し当てた。


「吹き飛べッ!!」


 トリガーを引く。


 カチリ。


 乾いた音がした。不発ジャム

 泥水による浸水か、それとも整備不良か。


 シリンダー内の圧力が暴走し、排気弁から異常な蒸気が漏れ出す。 爆発寸前だ。


「……マジかよ」


 私の顔面蒼白になる様を見て、怪物が嘲笑うように顎を開いた。


 万事休す。 そう思った時だった。


 私の背中に、小さな手が触れた。

 アリアだ。


 いつの間にか私の背後に駆け寄っていた彼女が、ガントレットの蒸気機関部分に、そっと手を添えていた。


「……静まって」


 彼女が囁く。


 その声は、騒音渦巻く戦場にあって、奇妙なほどクリアに響いた。


 瞬間、私の右腕に電流が走ったような感覚が襲った。

 暴走しかけていた圧力計の針が、ピタリと止まる。


 いや、止まったのではない。


 乱れていた蒸気の流れが、完璧な秩序を持って整列し、シリンダー内へと吸い込まれていく。

 まるで、機械が彼女の意志に従っているかのように。


 熱い。 だが、焼けるような熱さではない。

 力が満ちていく感覚。

 エンジンの鼓動が、私の心拍と完全に同期する。


「……いける」


 根拠はない。

 だが、今の私には確信があった。


 この一撃なら、鉄の山さえ穿てると。


「アリア、離れてろ!」


 私は叫び、再びトリガーに指をかけた。

 怪物の顎が閉じる寸前。


 ズドォォォォォォォン!!!!


 先ほどとは比較にならない衝撃波が炸裂した。

 タングステンの杭が、怪物の腹部を貫通し、さらにその奥の背骨、そして背面の装甲までをも突き破る。


 衝撃はそれだけでは収まらない。


 余剰エネルギーが指向性を持って解放され、怪物の巨体を数メートル後方へと吹き飛ばした。


「ギ、ギシャ……ァ……」


 怪物は断末魔を上げ、痙攣し、そして動かなくなった。

 汚水に沈んでいく巨大な骸。


 静寂が戻る。


 私は肩で息をしながら、白煙を上げる右腕を見下ろした。

 ガントレットの装甲には亀裂が走り、今にも分解しそうだった。


 だが、私の腕は無事だった。

 あの異常な反動を、何かが相殺してくれたのだ。


「……アリア、今のは?」


 振り返ると、アリアはその場に崩れ落ちるようにへたり込んでいた。


 顔色は蒼白で、呼吸が荒い。

 クロが心配そうに彼女の頬を舐めている。


「……分かんない。でも、機械が……痛がってたから」


 彼女は弱々しく笑った。

 その言葉の意味を考える余裕はなかった。


 怪物の死骸の向こうで、呆然と立ち尽くしていた粛清部隊が、我に返って動き出そうとしていたからだ。


「ギルバート! 今のうちにずらかるぞ!」


 私はアリアを抱え上げ、再び走り出した。

 今度の足取りは軽かった。


 恐怖は去り、代わりに得体の知れない高揚感が全身を駆け巡っていたからだ。


 この少女は、ただの「融合種」ではない。

 機械と心を通わせる、あるいは支配する力。

 それは、すべてが機械で動くこのバビロンにおいて、神にも等しい力だ。


 我々は暗い水路の奥へと消えた。


 背後で兵士たちの怒号が響くが、もはや追いつける者はいないだろう。

 地下水路の悪魔を葬った、この銀色の杭の威力を目の当たりにした後では。


(続く)



次回予告


地下水路を抜け、ヴェインたちが辿り着いたのは、地図から抹消された「旧第九区画」。

 そこは、かつて地上を目指した者たちが築き、そして夢破れた「墓標の街」だった。

 休息も束の間、アリアが高熱を出して倒れる。

 彼女を救う薬を求め、ヴェインは無法者たちが支配する闇市へと足を踏み入れる。

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