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鯖喰いの庭、銀の脈動  作者: 六道奏
『第二部:深海の錆、星の歌』

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22/22

第20話:錆びついた檻と腐った右腕

なろうでの投稿はここまでにしようと思います

ほぼプロットでのお試し投稿でしたが芳しくないので大幅に改稿を行なった本編はカクヨムにて改めて投稿を再開します。

 夢を見た。


 アリアと二人で、見たこともない青い花が咲く丘を歩いている夢だ。


 彼女は笑っていた。私も笑っていた。


 だが、私が彼女の頭を撫でようと右手を伸ばした瞬間、その腕はボロボロと崩れ落ち、黒い泥となって彼女の白いワンピースを汚した。


 アリアの悲鳴が聞こえる。

 ごめん、ごめんなさい、と謝りながら目が覚めた。


 「……ッ、はあ、はあ……!」


 現実は、悪夢よりもタチが悪かった。


 鼻をつくのは、腐った魚の内臓と、酸化した鉄の臭いが混ざり合った吐き気を催すような空気。

 肌にまとわりつくのは、高い湿度と冷たいコンクリートの感触。


 「……気がついたか、ヴェイン」


 重い瞼を持ち上げると、そこは鉄格子の向こう側だった。

 バルガスが心配そうに私の顔を覗き込んでいる。

 彼の顔には新しい殴打痕があり、左目は腫れ上がって塞がっていた。


 「ここは……?」


 「『ネオ・アトランティス』の最下層、第13収容区だそうだ」


 部屋の隅で、ウルフが壁に頭を打ち付けながら吐き捨てた。

 彼も、カレンも、ギルバートも、全員が薄汚い灰色の囚人服一枚に着替えさせられ、手足には重い鎖が繋がれている。


 「上層てんごくから落ちて、またゴミ溜めかよ。……しかも今度は海の中だ。笑えねえ」


 私は体を起こそうとして、喉の奥から獣のような呻き声を漏らした。


 右腕が、熱い。


 感覚がないのに、焼けた鉄棒を突き刺されたような幻肢痛ファントム・ペインが脳を焦がす。


 「……見せてみろ」


 バルガスが、私の右腕に巻かれていたボロボロの包帯を解いた。

 あの枢機卿との死闘で、限界を超えてパイルバンカーを撃った代償が、そこに露わになった。


 カレンが口元を押さえ、ギルバートが顔をしかめて目を背ける。


 「……酷いな」


 肘から先は、もはや人間の腕の色をしていなかった。

 どす黒い紫色に変色し、パンパンに腫れ上がっている。

 傷口からは黄色い膿が滲み出し、強烈な腐敗臭を放っていた。


 壊死ネクロシスだ。


 砕けた骨片が内側から肉を突き破り、そこから侵入した細菌が、私の細胞を食い荒らしている。


 「……熱があるはずだ。敗血症になりかけている」


 私は震える唇で、自分の死期を診断した。

 機工医としての知識が、残酷な現実を突きつける。


 「抗生剤がいる。それと、緊急の外科手術だ。……壊死した部分を切除しないと、毒が全身に回って死ぬ」


 「薬なんてねえよ! 看守に頼んでも、水一杯くれやしねえ!」


 ウルフが鉄格子を蹴りつける。

 ガンッ!という音が虚しく響くだけだ。


 「……諦めるな。死にたくないなら、その腐った肉を切り落とすことじゃな」


 その時、隣の牢屋の闇の中から、しわがれた声が響いた。


 「誰だ?」


 ギルバートが鋭く問う。


 闇からゆっくりと這い出してきたのは、人間と廃材が融合したような奇妙な老人だった。

 ボサボサの白髪。片目にはカメラのレンズが埋め込まれている。

 そして腰から下は、古い真鍮製の潜水服と、錆びた配管が一体化していた。


 「ワシか? ワシはネレウス。この海底スラムの記録係……兼、忘れられた囚人じゃよ」


 老人は格子越しに、枯れ木のような指で私の腕を指差した。


 「その腕はもう死んでおる。未練たらしくぶら下げていても、お主の命を腐らせるだけじゃ。……生き残りたくば、捨てる覚悟を決めろ」


 「……捨てる、か」


 分かっている。


 この腕はもう、二度と動かない。

 アリアの手を握ることも、彼女の涙を拭うこともできない。


 ただの死んだ肉塊だ。


 その時、通路の向こうから、重いブーツの足音が響いてきた。


 「総員、起きろ! 労働の時間だ!」


 現れたのは、半魚人のようなマスクを被った看守たちだ。

 彼らは手にした電気警棒スタン・バトンで格子を叩き、電流のスパーク音で私たちを威圧した。


 「さっさと出てこい、ゴミ屑ども! 今日から貴様らは、この街のエネルギー源になるんだ!」


 乱暴に引きずり出された先は、収容所の裏手にある広大な「スクラップ置き場」だった。


 見渡す限りのゴミの山。

 海流に乗って世界中から漂着した、かつての文明の残骸たち。

 冷たい雨が降り注ぎ、私たちの体温を奪っていく。


 「今日のノルマは、この山から『レアメタル』を含む部品を選別することだ。終わるまで飯抜きだぞ!」


 看守の罵声と共に、強制労働が始まった。

 泥と油にまみれ、鋭利な金属片で指を切りながら、私たちは黙々とゴミを漁った。


 私は高熱で霞む視界の中、片手で鉄屑を動かした。


 フラフラする。立っているのがやっとだ。

 右腕の重みが、鎖のように私を地面へと引きずり込もうとする。


 (アリア……)


 思考が濁る。


 彼女は今頃、どこにいるのだろうか。

 あのベータという少女に、何をされているのだろうか。

 分解されているのか?

 それとも、データを消去されているのか?


 助けに行きたい。

 でも、武器もなければ、体も動かない。


 俺は、ここで野垂れ死ぬのか?

 約束も守れずに? ただのゴミとして?


 「……ヴェイン、大丈夫か」


 バルガスが自分のノルマをこなしながら、私の分まで手伝ってくれていた。


 情けない。


 仲間に守られてばかりで、肝心な時に何もできない自分が憎い。


 その時だった。


 ガキンッ。


 私が足を滑らせ、倒れ込んだ先で、左手が何か固いものに触れた。


 泥を払う。


 瓦礫の下に埋もれていた、巨大な円錐形の鉄塊。


 「これは……」


 私は息を呑んだ。


 それは、旧時代の海底作業用ロボットの腕部パーツだ。

 『深海用岩盤掘削ドリル』。


 全長は1メートル近く、重量は30キロを超えるだろう。

 表面は赤錆に覆われているが、刃先にはタングステン合金が使われており、ダイヤモンドのような硬度を保っている。

 螺旋状の溝には、乾いた油がこびりついていた。


 そして何より、その接続部マウントの形状が――私の失われたパイルバンカーのソケット規格と、奇跡的に酷似していた。


 ドクン、と心臓が跳ねた。

 機工医としての血が騒いだ。


 「……ヴェイン、どうした? 何か見つけたのか?」


 バルガスが近づいてくる。


 私は震える手で、その鉄塊の表面を撫でた。


 「バルガス……こいつを見てくれ」


 「ドリルか? ……でけえな。戦車の装甲でもブチ抜けそうだ」


 「……こいつの配線、生きてると思うか?」


 バルガスは怪訝な顔をしたが、すぐにメカニックの目でドリルを観察した。


 「あ? そりゃあ、モーターさえ焼き付いてなけりゃ動くかもしれねえが……動力源バッテリーがねえだろ。こんな鉄屑、動かすのにどれだけの電力がいると思ってんだ」


 「動力ならある」


 私は、腐りかけた自分の右肩を叩いた。


 「俺の神経接続端子ニューロ・ポートだ。……俺の体内の生体電流バイオ・エレクトリックを全開にして直結すれば、短時間なら回せるはずだ」


 バルガスが目を見開いた。

 私の言わんとすることの狂気に気づいたのだ。


 「おい、まさか……本気か? その腕を切り落として、代わりにこいつをくっつける気か!?」


 「このままじゃ俺は死ぬ。……アリアも助け出せない」


 私はドリルを強く握りしめた。


 冷たく、無骨で、凶暴な鉄の塊。

 人間の腕とは程遠い、破壊のためだけの道具。


 だが、今の私に必要なのは、涙を拭う優しい手ではない。

 どんな絶望も、どんな分厚い壁も、理不尽にねじ伏せて風穴を開けるための「力」だ。


 「……やるぞ、バルガス。カレン、ギルバート、ウルフ。……手を貸してくれ」


 私の目には、もう迷いはなかった。

 熱に浮かされた瞳の奥に、狂気にも似た決意の火が灯る。


 「俺は人間を辞める。……この鉄屑スクラップと融合してでも、必ず彼女を取り戻す」


 雨が強くなる中、私たちは動き出した。

 監視の目を盗み、瓦礫の中にこのドリルを隠し、夜を待つ。


 そして、運命の夜が来る。


 人生最大の、そして最悪の手術が幕を開けようとしていた。


 (続く)



次回予告


 麻酔なし、消毒なし、退路なし。

 あるのは焼けた鉄棒と、スクラップの山、そして仲間の震える手だけ。

 腐り落ちた右腕と共に、ヴェインは人間としての安らぎを切り捨てる。

 神経を焼き切る激痛の果てに、男は鉄の塊と一つになる。

 唸れモーター、砕け鉄格子。

 その回転は、運命さえもねじ切って、絶望に風穴を開ける。


 次回、『鋼鉄の接合と咆哮するドリル』。  ――回れ。俺の命を燃料にして。

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