第15話:人工太陽の嘘と聖女の帰還
錆びついたハンドルを回し、重厚なメンテナンスハッチを押し上げると、そこには暴力的なまでの「白」と「光」が待っていた。
「……眩しい」
私は反射的に目を覆った。
地下の暗闇に慣れきった網膜が、焼けるような痛みを訴える。
ゆっくりと瞼を開くと、視界に飛び込んできたのは、息を呑むほど美しい、しかしどこか現実味のない光景だった。
そこは、雲の上にあると言われる「天空区画」の最下部、通称「白亜の庭」。
地面は大理石のタイルで敷き詰められ、塵一つ落ちていない。
建物はすべて白一色で統一され、優雅な曲線を描くドームや尖塔が林立している。
そして、遥か頭上には――太陽があった。
「……あれが、お日様?」
カレンがサングラスをかけながら、呆然と呟く。
空は青かった。
だが、その青はどこか塗料じみていて、浮かんでいる白い雲はピクリとも動かない。
そして、中央で輝く太陽からは、ジジジ……という微かな電気的ノイズが聞こえた。
「いや、違う」
ギルバートが計器をかざしながら、冷ややかな声で否定した。
「あれは巨大な『核融合照明』だ。教会の連中、地下のエネルギーを吸い上げて、こんな馬鹿でかい電球を灯してやがったのか」
偽りの空。偽りの太陽。
ここは、永遠に昼が続く、不夜の箱庭だった。
「……静かすぎる」
私は右腕のパイルバンカーを、ボロ布で隠しながら周囲を警戒した。
街には人がいた。
純白のトガ(聖衣)を纏った人々が、通りを行き交っている。
だが、話し声が聞こえない。
足音すらしない。
彼らはまるで幽霊のように、音もなく滑るように歩いていた。
「おい、見ろよあいつらの顔」
バルガスが潜めた声で言う。
近くを通りかかった男性の顔を見て、私は背筋が凍る思いがした。
笑っていた。
いや、顔の筋肉が「笑顔」の形で固定されていた。
目は笑っていない。
そして、その肌の質感は、生身の皮膚というよりは、精巧な陶器に近い光沢を放っていた。
「……全身義体化か?」
「それも、感情制御ユニット付きの高級品だな。……気味の悪い連中だ」
私たちは建物の影に身を潜めた。
私たちの姿――油と泥と血にまみれた格好は、この清潔な街ではあまりにも異物すぎた。
一歩でも表通りに出れば、即座に通報されるだろう。
「どうする? 空へのゲートは、この街の中心にある『大聖堂』のさらに上だぞ」
カレンが焦りを滲ませる。
アリアの体調は安定しているが、長くは持たない。
一刻も早く、ここを突破しなければならない。
その時だった。
街中に響き渡る鐘の音が鳴った。
ゴーン、ゴーン……。
その音に合わせ、歩いていた人々が一斉に足を止め、その場に跪いた。
彼らは大聖堂の方角に向かって祈りを捧げ始めた。
「……好機だ。この隙に移動するぞ」
私はアリアの手を引き、路地裏を抜けようとした。
だが、角を曲がった瞬間、一人の少女と鉢合わせになった。
真っ白なワンピースを着た、十歳くらいの少女。
彼女もまた、陶器のような肌と、貼り付けたような笑顔を持っていた。
「あ……」
少女の虚ろな瞳が、私ではなく、私の後ろにいるアリアを捉えた。
その瞬間、少女の「笑顔」が崩れた。
驚愕と、歓喜と、畏怖が入り混じった表情へと変化する。
「……聖女、様?」
少女の声は小さかったが、静寂に満ちたこの街では、雷鳴のように響いた。
祈りを捧げていた周囲の人々が、一斉に顔を上げる。
何十、何百という「作り物の目」が、私たちに突き刺さる。
「まずい! 走れ!」
私が叫ぶよりも早く、人々が私たちを取り囲んだ。
だが、彼らは襲いかかっては来なかった。
武器も持っていない。
彼らは涙を流しながら、地面に額を擦り付け、アリアに向かって手を伸ばしてきたのだ。
「ああ、奇跡だ! 聖女アリア様がお戻りになられた!」
「穢れた下層から、我々を導くために!」
「聖女様! どうか私に祝福を!」
狂信。
異様な熱気が渦巻く。
彼らにとってアリアは、お尋ね者ではなく、信仰の対象だったのだ。
「な、なんなのこれ……」
アリアが怯えて私の背中に隠れる。
群衆の圧力に押され、私たちは身動きが取れなくなる。
発砲すれば道を開けるかもしれないが、丸腰の市民を虐殺することになる。
そんなことをすれば、騎士団が血眼になって殺しに来るだろう。
「……道をお開けなさい」
凛とした、しかし氷のように冷徹な声が、群衆を割った。
人々がモーゼの海割れのように左右に分かれる。
現れたのは、深紅の法衣を纏った長身の男だった。
顔には黄金の仮面。
手には長い錫杖を持っている。
「枢機卿……!」
ギルバートが呻く。
男は私たちの前で立ち止まり、仮面の奥から品定めするような視線を送ってきた。
「よくぞ戻った、迷える子羊よ。……いや、我らが最高傑作『A-00』」
枢機卿はアリアに向かって恭しく一礼した。
そして、私の方を見て、仮面の下で嘲笑う気配を見せた。
「そして、ご苦労だったな、ドクター・ヴェイン。……君が『配達人』としてこれほど優秀だとは。教会を代表して礼を言おう」
「……配達人だと?」
「そうだ。我々は待っていたのだよ。彼女が外の世界を知り、感情を育て、そして『覚醒』して戻ってくるのをな。……未完成だった人形に『心』を入れるには、多少のドラマが必要だったということだ」
罠だったのか。
ジークが襲ってきたのも、追手が差し向けられたのも、すべてはアリアの感情データを収集し、彼女を「完成」させるためのテストだったというのか。
「ふざけるな!」
私はパイルバンカーを構えた。
だが、枢機卿は動じない。
彼が錫杖を軽く振ると、周囲の市民たちが一斉に立ち上がり、その瞳が赤く発光し始めた。
戦闘モード。
この街の住民すべてが、教会の兵士なのだ。
「抵抗は無意味だ。……さあ、聖女様をお連れしろ。儀式の刻は来た」
無数の手が伸びる。
アリアが悲鳴を上げる。
私はトリガーに指をかけたが、数が多すぎる。
飲み込まれる――そう思った瞬間。
「……伏せろッ!」
上空から声が降ってきた。
ズドォォォォン!!
広場の中央に、黒い影が隕石のように落下した。
大理石が砕け散り、煙幕が広がる。
「ゲホッ……なんだ!?」
煙の中から現れたのは、全身黒尽くめの男。
手には、月光のように輝く長銃身のリボルバーカノン。
「よう、ドクター。……ずいぶんと派手な凱旋パレードじゃねえか」
賞金稼ぎのウルフだった。
地下鉄で戦ったはずの宿敵が、なぜここに。
「勘違いするなよ。俺は賞金首を横取りされるのが気に入らねえだけだ。……それに、この教会野郎のすかした仮面も、昔からムカついてたんでな」
ウルフがニヤリと笑い、枢機卿に銃口を向けた。
昨日の敵は今日の友――ではない。
ただの共闘だ。
だが、今の私たちには、この凶悪な乱入者が天使に見えた。
「……面白くなってきたな。パーティーの始まりだ!」
私はバルガス、カレン、ギルバートに合図を送った。
白亜の庭が、戦場へと変わる。
(続く)
次回予告
ウルフの乱入により、広場は大混戦となる。
市民兵たちの波状攻撃を凌ぎながら、大聖堂への突入を試みるヴェインたち。
しかし、枢機卿の錫杖が放つ「神の奇跡(超重力魔法)」が彼らを押し潰す。
絶体絶命の窮地。
その時、アリアが「歌」を口ずさむ。
それは機械を操る歌ではなく、偽りの太陽を落とすための「鎮魂歌」だった。




