第14話:侵食する緑と狂気の植物医
不時着の衝撃は、私たちの骨と精神をきしませたが、奇跡的に『天翔る鯨』は爆発することなく停止した。
プロペラは折れ曲がり、主翼は無残に引き裂かれていたが、機体は巨大なエアダクトの底――苔と蔦に覆われたプラットホームの上に横たわっていた。
「……生きているか、みんな」
私が呻くように声をかけると、後部座席からカレンの咳き込む音が聞こえた。
ギルバートは機銃座で額から血を流していたが、意識はあるようだ。
そして、最後尾の荷物室からは、苦しげな呻き声が聞こえた。
バルガスだ。
「ぐぅ……。さすがに、しんどいぜ……」
彼は浴びた銃創に加え、墜落の衝撃で全身打撲を負っていた。
作業着は血と油で赤黒く染まっているが、その目はまだ死んでいない。
だが、私の腕の中にいるアリアだけは、身動き一つしなかった。
「アリア!」
抱き上げると、彼女の体は燃えるように熱かった。
耳から流れ出る血は止まらず、衣服を赤黒く染めている。
呼吸は浅く、時折、胸の奥から「ヒュッ、カチッ」という、生物の肺音と機械の駆動音が混ざった不穏なノイズが聞こえた。
「冷却液が漏れているかもしれん。……このままじゃ、脳が焼き切れるぞ」
降りてきたギルバートが、アリアの瞳孔を確認しながら絶望的な声を出す。
手持ちの『青の鎮静剤』はもうない。
ここにあるのは廃材と、見渡す限りの「緑」だけだ。
私たちは機外へと出た。
バルガスはカレンの肩を借りて、足を引きずりながら降りてくる。
そこは、幻想的で、そして気味の悪い場所だった。
頭上の遥か彼方にある亀裂から、微かな光が差し込んでいる。
その光を求めて、太い蔦が鉄骨に絡みつき、巨大な羊歯のような植物がコンクリートの壁を突き破って繁茂している。
空気は湿度が高く、腐葉土と錆の混じった独特の臭気が充満していた。
「……ここは本当にバビロンの中なのか? まるでジャングルだ」
カレンが周囲を警戒しながらアサルトライフルを構える。
無理もない。
工場の煙の中で育った私たちにとって、植物とは鉢植えの中の貧相な装飾品でしかなかった。
こんな暴力的な生命力を持った「侵略者」ではない。
「誰かいるぞ。……あそこだ」
私は石化した噴水の向こう、蔦に覆われたドーム状の建物を指差した。
入り口には、「診療所」と書かれた看板が、蔦に絞め殺されるようにして辛うじて残っていた。
そして、その奥から、淡い緑色の燐光が漏れ出している。
「医者か……。俺の傷もついでに診てもらえるとありがたいんだがな」
バルガスが自嘲気味に笑う。
私はアリアを背負い、湿った苔の地面を踏みしめて歩き出した。
近づくにつれ、異様な光景が目に入ってきた。
建物の周囲に転がる、数体の作業用ロボット。
それらは破壊されたのではない。
関節の隙間から根が入り込み、装甲を内側から食い破って花を咲かせていたのだ。
機械を養分にする植物。
ここは、鉄の常識が通用しない場所だ。
「入るぞ」
腐りかけた木の扉を蹴り開ける。
中は、実験室と温室を悪魔合体させたような空間だった。
フラスコやビーカーの間を縫うように蔦が這い回り、天井からは粘液を滴らせる食虫植物がぶら下がっている。
「……患者か? それとも肥料になりに来たのか?」
部屋の奥、巨大な培養槽の前から、しわがれた声が響いた。
振り向いたその姿に、カレンが悲鳴を呑み込み、ギルバートが息を呑んだ。
それは、かつて人間だったモノだ。
白衣を纏ってはいるが、その皮膚は葉緑素を含んだ緑色に変色し、左腕は完全に樹皮に覆われ、指先からは細い枝が伸びていた。
顔の半分は木質化し、眼球の代わりに赤い花が咲いている。
「医者を探している。……あんたがそうなのか?」
私は恐怖を押し殺して問うた。
怪物は残った右目で私をじろりと見据え、口元の筋肉を歪めて笑った。
「医者? クックッ……。昔はそう呼ばれていたな。今はただの『庭師』だよ。この愛しい植物たちに、鉄という名の肥料を与えるだけのな」
男は机の上のメスを手に取った。
そのメスすらも、持ち手が蔦で覆われている。
「名はサイラス。……で、その背中の娘。面白い匂いがするな。人と、機械と……それ以外の何かが混ざっている」
「助けてくれ。熱が下がらない。脳の冷却と、循環系の修復が必要だ」
「助ける? なぜだ? 機械など土に還せばいい。そうすれば美しい花が咲く」
サイラスは興味なさそうに手を振った。
「帰れ。ここはお前たちのような『鉄の信奉者』が来ていい場所じゃない」
次の瞬間、床の板が弾け飛び、太い根が鞭のように襲いかかってきた。
私はアリアを庇って横に飛ぶ。
カレンが発砲するが、銃弾は根の繊維質にめり込むだけで、動きを止めるには至らない。
「話を聞け! 俺たちは教会に追われている! あんたも教会の被害者だろう!?」
私の叫びに、サイラスの動きが一瞬止まった。
彼の目に、憎悪の炎が宿る。
「教会……! ああ、そうだとも! 奴らが私をこう変えた! 『環境適応人類』の実験体としてな! 光合成だけで生きられる究極の兵士……その成れの果てがこれだ!」
サイラスが咆哮すると、部屋中の植物が一斉にざわめき出した。
蔦が蛇のように鎌首をもたげ、天井の食虫植物が酸を吐き出す。
「だからこそ、人間も機械も憎い! 全てこの森の養分にしてやる!」
交渉決裂だ。
私はアリアを部屋の隅にある手術台の上にそっと下ろした。
「ギルバート、カレン! アリアに指一本触れさせるな! ……この藪医者は、俺が黙らせる!」
私は右腕の『炸薬式杭打ち機』を構えた。
残弾は三発。肩は限界だが、やるしかない。
「肥料になるのはお前だ!」
サイラスの左腕――樹木化した腕が伸び、鋭い枝の槍となって突き出される。
私はそれをパイルバンカーの装甲で受け止めた。
ガギィッ!
凄まじい重量。
だが、今の私には引けない理由がある。
「肥料で結構! だがな、俺は消化に悪いぞ!」
私は枝を強引に払い除け、サイラスの懐へと踏み込んだ。
植物と融合していても、急所はあるはずだ。
心臓か、それとも脳か。
「そこだッ!」
私は彼の胸元――樹皮の隙間に見える、脈打つ緑色の核を狙ってトリガーを引いた。
ドォン!!
炸裂音と共に杭が射出される。
しかし、サイラスは瞬時に無数の蔦を胸元に集め、盾にした。
杭は蔦の束を貫通したが、核の寸前で止まった。
「無駄だ! この森そのものが私の体だ!」
サイラスが笑い、蔦が私の右腕に絡みつく。
締め上げられる万力のような力。
パイルバンカーがミシミシと音を立てる。
「ヴェイン!」
カレンがナイフで蔦を切り裂こうとするが、再生速度の方が速い。
万事休すか。
意識が遠のきかけた時、手術台の方から声がした。
「……悲しいのね」
アリアだった。
彼女はふらつきながら上半身を起こし、虚ろな目でサイラスを見つめていた。
「あなたの体……泣いてる。機械の部分も、植物の部分も……どっちも『痛い』って」
サイラスの表情が凍りついた。
「……なんだと?」
「聞こえるの。……あなたは怪物じゃない。ただ、誰かに治してほしかっただけなんでしょ?」
アリアが手を伸ばす。
その指先から、淡い光の粒子が溢れ出し、部屋中に広がった。
すると、暴れ狂っていた植物たちが、魔法にかかったように静まり返った。
私を締め上げていた蔦も、力を失ってずるりと解ける。
「……馬鹿な。私の森が……従順に……?」
サイラスはその場に膝をついた。
彼の目から、緑色の涙が流れた。
「……ああ、そうだ。私はただ、人間に戻りたかった。……こんな体で、一人で百年も……寂しかった」
私は自由になった腕をさすりながら、サイラスの前に立った。
もはや戦意はない。
目の前にいるのは、一人の孤独な患者だ。
「……治すことはできない。俺の腕じゃ、その体は専門外だ」
私は正直に告げた。しかし、続けて言った。
「だが、その『痛み』を和らげることくらいならできるかもしれん。……俺は機工医だ。歪んだ接合部を調整するのは得意分野でね」
私はポケットから工具を取り出した。
サイラスは顔を上げ、私と、そしてアリアを見た。
「……取引だ、機工医」
彼は震える声で言った。
「その娘を助けてやる。……私の体液には、強力な細胞賦活作用と冷却効果がある。それを精製すれば、熱暴走は止まるはずだ……そしてついでに、そこの大男の傷も塞いでやる」
「その対価は?」
「私の……この暴走した左腕を切り落としてくれ。神経が植物と癒着して、四六時中、炎で焼かれるような激痛がするんだ」
「……了解した(ラジャー)。大手術になるぞ」
奇妙な共同作業が始まった。
薄暗い温室で、私は怪物の腕を切り、怪物は少女に自らの血を与える。
それは、種族を超えた命の交換だった。
数時間後。
アリアの呼吸は安定し、頬には赤みが差していた。
バルガスの傷口も、緑色の軟膏によってふさがっていた。
サイラスもまた、巨大化した左腕を失い、包帯姿で椅子に座っていたが、その表情は憑き物が落ちたように穏やかだった。
「……礼を言う、機工医」
「礼を言うのはこっちだ。最高の薬だったよ」
別れ際、サイラスは私たちに一枚の古いカードキーを渡してくれた。
「このエアダクトの最上部、上層へと繋がるメンテナンスハッチの鍵だ。……だが気をつけろ。上層は『楽園』なんかじゃない。あそこは、人間の皮を被った悪魔たちが住む『白亜の監獄』だ」
私たちは礼を言い、森を後にした。
アリアは眠っているが、その寝顔は安らかだ。
背後に広がる緑の光が、見送るように揺らめいていた。
次なる舞台は、雲の上。
選ばれし者たちの住処、上層。
だが、サイラスの言葉が棘のように胸に残っていた。
「白亜の監獄」
その意味を、私たちはすぐに知ることになる。
(続く)
次回予告
サイラスの案内でメンテナンスハッチを抜けた先は、青空ではなく、巨大な人工太陽が照らす美しい都市だった。
汚れ一つない白い街並み、優雅に歩く貴族たち。
しかし、ヴェインたちは違和感を覚える。
ここの住民たちは、皆同じような笑顔を貼り付け、同じ言葉を繰り返しているのだ。
そして、アリアを見た貴族の一人が叫ぶ。
「あれは、脱走した『聖女様』だ!」




