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鯖喰いの庭、銀の脈動  作者: 六道奏
『第一部:偽りの空と鉄の翼』

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13/22

第13話:積乱雲の回廊と空中戦(ドッグファイト)

 重力を振り切った浮遊感は、一瞬で暴力的な振動へと変わった。


 「くそッ、機体が安定しない! 右翼の補助フラップを持っていかれたのが痛いぞ!」


 私は操縦桿を両手で強く握りしめ、暴れ馬のように跳ね回る機体をねじ伏せるのに必死だった。


 フロントガラスの向こうに広がっていたのは、星空ではない。

 中層の熱気と上層の冷気が衝突して生まれた、巨大な積乱雲の壁だった。

 紫色の稲妻が龍のように雲の中を走り、轟音が腹の底に響く。


 「ヴェイン、高度計を見ろ! 気圧が急激に下がっている! このままだとキャブレターが凍りつくぞ!」


 後部座席で計器を覗き込んでいたカレンが叫ぶ。


 彼女の顔色は悪い。

 無理もない。


 与圧装置などないこの機体で、急上昇を繰り返しているのだ。


 酸素が薄い。

 頭が締め付けられるような頭痛がする。


 「混合気を調整する! カレン、お前はアリアを見ていろ! 彼女には酸素ボンベを吸わせておけ!」


 私はスロットルを微調整しつつ、バックミラーを一瞥した。


 アリアはクロを抱きしめ、シートの隅で小さくなっていた。

 意識はあるようだが、その瞳は虚ろで、口元からは酸素マスク越しに荒い呼吸音が漏れている。

 先ほどの強制介入ハッキングの反動だ。

 彼女の小さな体は、限界を超えて酷使されている。


 「……おい、ヴェイン。感傷に浸っている暇はないぞ」


 機体上部の旋回銃座に陣取ったギルバートから、冷ややかな通信が入った。

 ヘッドセット越しの彼の声は、緊張で張り詰めている。


 「六時方向(真後ろ)。……客のお出ましだ」


 私は機体をバンクさせ、後方を確認した。

 黒い雲海を切り裂いて、三つの光点が急速に接近してくるのが見えた。


 流線型の美しいシルエット。

 四基の可変ローターを備えた、教会直轄軍の主力戦闘艇『ヴァルキュリア』だ。


 「速い……! こっちの巡航速度の倍は出ているぞ!」


 「迎撃する! 振り落とされるなよ!」


 ギルバートが銃座を回転させる音が響く。

 次の瞬間、敵機からの曳光弾トレーサーが雨あられと降り注いだ。

 光の鞭が機体を掠め、ジュラルミンの外板を弾く。

 カンカンカンッ!という乾いた音が、死へのカウントダウンのように聞こえた。


 「うおおおおおっ! 当たれぇぇぇッ!」


 ギルバートがトリガーを引き絞る。


 ダダダダダダダッ!!!


 『天翔る鯨』号の背中に搭載された連装機銃が火を噴く。

 巨大な薬莢がバラバラとコクピットの中に落ちてくる。


 熱い。硝煙の臭いが充満する。


 だが、敵は手強い。

 ヴァルキュリア隊は巧みな編隊飛行フォーメーションで弾幕を回避し、こちらの死角である下方へと回り込もうとする。


 「下だ! 腹を狙われてる!」


 カレンの悲鳴。


 この機体には、下部銃座はない。

 腹を見せれば終わりだ。


 「舐めるなよ、最新鋭機風情が! こちとら泥臭い現場叩き上げだ!」


 私は操縦桿を思い切り手前に引いた。

 機首を垂直に持ち上げ、失速ストール寸前まで速度を落とす。

 空中で急ブレーキをかけた形だ。


 敵機の一機が、スピードを殺しきれずに私たちの下を通り過ぎて前に出る。


 「今だ、ギルバート! 食わせろ!」


 「頂きだァッ!」


 ギルバートの照準が、敵機の無防備な背中を捉えた。

 至近距離からの射撃。


 一二・七ミリ弾が敵のローター基部を粉砕する。

 敵機はバランスを崩し、黒煙を噴きながらきりもみ状態で雲の下へと堕ちていった。


 「一機撃墜! ……だが、残り二機が左右に展開した! 挟み撃ちに来るぞ!」


 「ミサイルアラート! ロックオンされたわ!」


 カレンが警告灯を指差す。

 赤いランプが点滅し、不快なブザー音が鳴り響く。

 熱源誘導ミサイル。


 このオンボロ輸送機のような機体では、回避機動など不可能だ。

 チャフやフレアといった欺瞞兵器も積んでいない。


 「……積乱雲(あの中)に突っ込む」


 私は前方の巨大な雷雲を睨みつけた。


 「はあ!? 自殺する気!? 乱気流で翼がもげるわよ!」


 「ミサイルで消し炭になるよりマシだ! 雷の熱源で誘導を撹乱する!」


 私は返事を待たずにスロットルを押し込んだ。

 機体が悲鳴を上げながら加速する。


 敵機がミサイルを発射したのが見えた。

 白い噴煙を引いて迫る二本の死神。


 「掴まってろォォォォッ!!」


 私たちは暗黒の雲の中へと突入した。

 視界がゼロになる。

 同時に、強烈な乱気流が機体を木の葉のように揺さぶる。


 ガガガガガッ!と機体のフレームがきしむ。

 リベットが弾け飛ぶ音がした。


 すぐ側で雷が落ちた。

 閃光で目が焼ける。

 バリバリバリッという放電音が鼓膜を叩く。


 「……来たぞ! ミサイルだ!」


 後方のモニターに、接近する熱源反応。


 だが、次の瞬間。

 私たちのすぐ近くで発生した巨大な稲妻に、ミサイルが吸い寄せられた。


 ドォォォォン!!


 凄まじい爆発。

 爆風が機体を押し上げ、私たちは制御不能のまま上昇気流に乗った。


 「……助かった、のか?」


 カレンが震える声で呟く。


 機体はボロボロだ。

 風防にはヒビが入り、エンジンからは異音がしている。

 だが、プロペラは回っていた。

 私たちはまだ飛んでいる。


 雲を抜けた。


 そこに広がっていたのは、突き抜けるような青空――ではなく、更に分厚い鋼鉄の天井だった。


 上層アッパーの基部だ。


 無数のパイプと歯車が絡み合う、機械仕掛けの空。

 私たちは、その巨大な構造物の隙間に広がる「整備用エアダクト」へと機体を滑り込ませた。


 「追手は……撒いたようだな」


 ギルバートが安堵の息を漏らす。

 私は震える手で汗を拭い、振り返った。


 「アリア、大丈夫か?」


 返事がない。


 彼女はシートの上でぐったりとしていた。

 酸素マスクが外れている。

 そして、その鼻と耳から、ツー……と赤い血が流れていた。


 「アリア!」


 私はシートベルトを外し、彼女の元へ駆け寄った。

 手袋を脱いで首筋に触れる。


 脈が弱い。そして不整脈だ。

 心臓ポンプが悲鳴を上げている。


 「……オーバーヒートだ」


 私は唇を噛んだ。

 中層での強制介入、そして今の高高度飛行による気圧変化。

 彼女の「生体部品」としての限界が近づいている。


 「着陸場所を探すぞ! 今すぐにだ!」


 「ヴェイン、あそこを見ろ!」


 カレンがフロントガラスの先を指差した。

 薄暗いエアダクトの奥、廃棄された巨大な換気ファンの陰に、微かな光が見えた。


 人工的な灯りではない。植物の緑色の光だ。


 「……なんだあれは?」


 近づくにつれて、その全貌が見えてきた。

 それは、巨大な廃墟都市だった。


 かつて上層の一部だったが、地盤沈下か何かで切り離され、ダクトの中にぶら下がるようにして残された「忘れられた街」。


 「降りるぞ。……あそこなら、休めるかもしれん」


 私は残った燃料を確認した。

 ほとんどエンプティだ。


 一度きりの着陸。失敗は許されない。


 『天翔る鯨』は満身創痍の翼を広げ、最後の滑空に入った。

 アリアの手を握りしめながら、私は祈った。

 神になど祈ったことはないが、今はどんなものでも縋りたかった。


 彼女を死なせるわけにはいかない。


 絶対に。


 (続く)



次回予告


 不時着した「忘れられた街」は、独自の進化を遂げた植物が機械を侵食する「緑の迷宮」だった。

 アリアの容態が悪化する中、ヴェインはこの街に住むという「世捨て人の医者」の噂を耳にする。

 しかし、その医者はただの人間ではなかった。

 教会の実験により、植物と融合させられた悲しき怪物モンスター

 命を救うため、ヴェインは再びメスを――いや、武器を手に取る。

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