第12話:裏切りのシグナルと強行離陸(スクランブル)
「第三シリンダー、圧縮率良好。燃料混合比、リッチに固定。……よし、これなら回る!」
私は油まみれの手でスパナを放り投げ、コクピットの縁を叩いた。
『天翔る鯨』号のエンジンが、ゴホッ、ゴホッ、という咳き込みから、ドゥルルルル……という力強いアイドリング音へと変化する。
不規則だった鼓動が整い、機体全体が獣のように震え始めた。
「やったな、ヴェイン! 排気炎の色が青に変わったぞ! 完全燃焼だ!」
翼の上で調整を行っていたギルバートが、ゴーグル越しにサムズアップを送ってくる。
カレンたちレジスタンスの技師たちからも、歓声が上がった。
三日三晩の不眠不休の突貫工事。
寄せ集めの廃材が、今、空を飛ぶための翼へと生まれ変わったのだ。
「カレン! 準備はいいか! 天井ハッチを開放しろ! 今夜が決行日(D-デイ)だ!」
私が怒鳴ると、地上班のカレンが通信機を握りしめ、コントロール室へと走った。
だが、その直後だった。
ズガアアアアアンッ!!
格納庫の入り口である防火扉が、内側からではなく、外側からの指向性爆薬によって吹き飛ばされた。
爆風が熱波となって吹き荒れ、歓声を上げていた技師たちが木の葉のように舞う。
図面が、工具が、そして数人の命が、一瞬にして宙に散った。
「なっ……!?」
私は衝撃に耐えながら、爆心地を睨んだ。
もうもうと立ち込める黒煙の中、整然とした足音と共に現れたのは、純白の戦闘法衣を纏った集団だった。
顔にはのっぺりとした白い仮面。
手には、銀色の長銃身ライフルや、音叉のような奇妙な形状の剣が握られている。
「『聖歌隊』……!」
バルガスが呻いた。
教会の最精鋭部隊。
異端審問官や処刑人形とは格が違う。
彼らは「音」を操り、破壊の歌を歌う死の天使だ。
「なぜだ!? この場所は極秘のはずだぞ!」
カレンが叫ぶ。
その時、コントロール室から一人の男が出てきた。
レジスタンスの副官だ。
彼はカレンに銃口を向け、薄ら笑いを浮かべていた。
「悪いな、カレン。……教会が提示した恩赦と、上層への居住権には抗えなかった」
「貴様ッ……裏切ったのか!」
「夢を見るのは終わりだ。こんなガラクタで空など飛べるものか」
副官が発砲しようとした瞬間、ドォン!という重い銃声が響いた。
副官の右腕が弾け飛ぶ。
撃ったのは、翼の上のギルバートだった。
「御託はいい! 裏切り者の処分は後だ! 来るぞ!」
聖歌隊の一人が、音叉剣を振りかざした。
キィィィィィン……という超高周波の共鳴音が響き渡る。
その音は物理的な衝撃波となり、私たちの鼓膜を直接叩いた。
「ぐあぁぁぁっ!」
立っていられないほどのめまいと吐き気。
音響兵器だ。
レジスタンスたちが耳から血を流して倒れていく。
「カレン! ハッチだ! 早く開けろ!」
私はふらつく足でコクピットに飛び乗り、スロットルレバーを握った。
アリアとクロを後部座席に押し込む。
「ヴェイン、ハッチの制御系がロックされてる! 手動で開けるしかないわ!」
カレンが血を吐きながら叫んだ。
手動?
あの巨大な天井装甲を、ハンドルを回して開けるというのか。
何分かかる? その間に、私たちは蜂の巣だ。
「俺がやる!」
バルガスが吼えた。
彼は巨大なハンマーを構え、聖歌隊の弾幕の中へと飛び出した。
「バルガス!」
「行けェェッ! 武器屋の親父が、自分の作った最高傑作の初陣を見届けねえでどうする!」
バルガスは全身に銃弾を受けながらも止まらなかった。
彼の右腕のアタッチメントが火を噴き、回転するハンマーが聖歌隊の前衛をなぎ倒す。
彼は壁面のキャットウォークへと駆け上がり、手動開閉装置の巨大なハンドルに取り付いた。
「ぬんッ!!」
バルガスの右腕から黒煙が上がる。
油圧シリンダーが悲鳴を上げ、彼の筋肉が断裂する音が聞こえるようだった。
だが、天井の鉄板が、ズズズ……と動き始めた。
「開いた……! でも、まだ幅が足りない!」
「十分だ! 翼端を擦ってでも抜ける!」
私はスロットルを全開にした。 エンジンが咆哮を上げる。
プロペラが空気を切り裂き、機体が前に進もうと暴れだす。
「ギルバート、乗れ! カレン、お前もだ!」
カレンが走り出し、タラップに飛び乗る。
ギルバートが後部銃座の機銃に取り付いた。
「逃がすか!」
聖歌隊の隊長らしき男が、銀色のライフルを構えた。
狙いはエンジン。
まずい。
離陸速度に達する前に撃たれる。
その時。 私の背後で、アリアが立ち上がった。
「……飛ばせて!」
彼女の叫びと共に、格納庫内の照明、クレーン、溶接機、あらゆる電気系統がスパークした。
過剰な電流が聖歌隊の装備に逆流する。
彼らの仮面が火花を散らし、ライフルの照準システムがダウンした。
「今だッ!」
私はブレーキを解除した。爆発的な加速。
背中がシートに張り付くG(重力加速度)。
機体は滑走路代わりの通路を疾走し、斜め上方の排気ダクト――空へと続く唯一の穴へと突っ込んでいく。
「バルガスッ!!」
すれ違いざま、私は叫んだが、バルガスはまだキャットウォークの上だ。
手動ハンドルを離せば、ハッチは自重で閉じてしまう。
「バルガスッ! 飛び降りろ!!」
私は操縦桿を強引に倒し、機体を傾けながらキャットウォークスレスレに寄せた。
右翼が手すりを削り、火花が散る。
「無茶しやがる! ……だが、嫌いじゃねえ!」
バルガスは迫りくる機体を見据え、ハンドルから手を離した。
ハッチがゆっくりと閉まり始める。
そのわずかな隙間に向かって、バルガスは巨体を躍らせた。
「うおおおおおおっ!!」
ダダダダダッ!!
再起動した聖歌隊の銃撃がバルガスを襲う。
空中で血飛沫が舞う。
ドゴォン!!
機体後部に凄まじい衝撃があった。
私は振り返らずに叫んだ。
「カレン! バルガスは!?」
「……いるわ! 尾翼にしがみついてる! でも血だらけよ!」
「引き上げろ! 絶対に落とすな!」
私は涙で見えなくなる視界を無視し、操縦桿を限界まで引き上げた。
閉まりかけるハッチの隙間。
翼がコンクリートを削り、補助フラップが吹き飛んだ。
だが、機体は上昇を止めない。
傷だらけの仲間全員を乗せて、この銀の鯨は重力という鎖を引きちぎる。
「抜けろォォォォォッ!!」
視界が真っ白に染まる。
次の瞬間、機体はふわりと軽くなった。
騒音が消えた。
黒煙の層を突き抜け、私たちが飛び出した先。
そこには、中層の工場の灯りが星のように眼下に広がり、そして頭上には――未だ分厚い鋼鉄の「蓋」が、無慈悲に空を閉ざしていた。
「……生きてるか、親父」
後部座席から、呻き声と共にバルガスの声が聞こえた。
「……おう。身体中に風穴が開いちまったがな。……とびきりのツケにしておくぞ、ヴェイン」
私は震える手で汗を拭い、笑った。
私たちは飛んでいた。
翼なき鳥たちが、全員で、初めて空を知った瞬間だった。
(続く)
次回予告
辛くも中層を脱出した「天翔る鯨」号。
しかし、そこはまだ本当の空ではない。
中層と上層の間に広がる、乱気流と雷雲が支配する「魔の空域」。
追撃してくる教会の戦闘飛行艇部隊。
ギルバートが機銃を撃ちまくり、カレンが叫ぶ空中戦。
そして、アリアの体調に異変が現れる。




