第11話:地下の格納庫と翼なき鳥たち
硝煙の臭いが染み付いたコートを翻し、私たちはカレンの案内で工場の地下深くへと潜っていた。
迷路のように入り組んだ配管ダクトを抜け、隠されたリフトを降りる。
カレンの部下たちが、負傷した仲間を担ぎながらも、その瞳に微かな希望の光を宿しているのが印象的だった。
「……あんたのその右腕、無茶な改造をしやがる」
隣を歩くバルガスが、私の炸薬式杭打ち機を横目で見ながら呆れ声を上げた。
装甲板は高熱で焼け焦げ、塗装の一部が剥離している。
「製作者に似て頑丈なのが取り柄だろ。肩の関節が外れなかったのが奇跡だがな」
私が軽口を叩くと、ギルバートが「まったく、寿命が縮む」とぼやきながら、ショットガンの手入れをしていた。
アリアは私の背中にぴったりとくっつき、時折、暗がりの奥に向けられた監視カメラのレンズに怯えた視線を送っている。
「着いたわ。ここが私たちの心臓部、第3区画の資材倉庫よ」
カレンが重厚な防火扉のハンドルを回した。
錆びついた蝶番が悲鳴を上げ、扉がゆっくりと開く。
その向こうに広がっていた光景に、私は息を呑んだ。
そこは、単なる倉庫ではなかった。
天井の高さは数十メートルにも及び、無数のクレーンアームが天井からぶら下がっている巨大な空洞。
壁一面には設計図や工具が所狭しと並び、床には大小様々な機械部品が散乱している。
そして、その中央に鎮座していた「それ」は、私の想像を遥かに超える代物だった。
「……嘘だろ」
ギルバートが絶句し、バルガスが口笛を吹く。
アリアが、ぽかんと口を開けて見上げている。
それは、巨大な銀色の翼だった。
全長二十メートル近い流線型の機体。
ジュラルミンの外板をリベットで繋ぎ合わせ、背中には複葉の主翼と、巨大なプロペラが二基取り付けられている。
鳥のようでもあり、深海魚のようでもある、奇妙で美しい造形。
「『飛行機械』……。本気で作っていたのか」
私が呻くように言うと、カレンは誇らしげに、しかしどこか寂しげに笑った。
「『天翔る鯨』号よ。……この中層の労働者たちが、食費を削り、睡眠時間を削って、廃材を集めて作り上げた希望の翼」
カレンは機体のボディを愛おしそうに撫でた。
「教会の教義じゃ、空を飛ぶことは神への反逆とされる。だから、これは世界で一番の大罪ね」
私は機体に歩み寄った。
技術者としての血が騒ぐのを抑えられない。
機工医としての目で診察する。
……粗い。
装甲の継ぎ目は歪んでおり、空力特性を無視した無骨なパーツが随所に見られる。
エンジンに至っては、鉱山用の掘削ドリルの動力を無理やり流用したもののようだ。
「……飛ばないな」
私の冷徹な診断に、周囲の空気が凍りついた。
作業をしていたレジスタンスの技師たちが、血走った目で私を睨みつける。
「なんだと!? よそ者が勝手なことを言うな!」
「事実だ。重量バランスが悪すぎる。それに、このエンジンじゃ出力不足だ。離陸する前に滑走路で爆発するのがオチだぞ」
私はエンジンの吸気口をレンチで軽く叩いた。
鈍い音が返ってくる。
「ピストンとシリンダーの隙間がガタガタだ。圧縮漏れを起こしている。……これを作った奴の熱意は買うが、物理法則は根性論じゃ曲げられない」
技師の一人がスパナを振り上げて掴みかかろうとしたが、カレンがそれを制した。
彼女は唇を噛み締め、悔しそうに私を見つめた。
「……分かっているわ。何度もテストした。でも、一度も浮かばなかった。……私たちには、理論が足りないのよ」
この中層には、高度な教育を受けた技術者はいない。
彼らはマニュアル通りに部品を作ることはできても、ゼロから設計する知識は奪われているのだ。
「ヴェイン、あんたなら直せるのか?」
バルガスが低い声で尋ねた。
私はため息をつき、ポケットから煙草を取り出した。
火は点けない。
ただ、その香りを嗅いで思考を整理する。
この機体を完成させることは、教会への宣戦布告と同義だ。
だが、この機体があれば。
上層の厳重な検問を突破し、空への道を切り開くことができるかもしれない。
「……ギルバート、図面を引けるか?」
「フン、俺を誰だと思っている。元王室時計技師だぞ。流体力学の計算なんぞ、朝飯前の散歩だ」
ギルバートがニヤリと笑い、義眼のレンズを回転させた。
「カレン、取引だ」
私はカレンに向き直った。
「俺たちがこの『鉄の棺桶』を、本物の『翼』に変えてやる。その代わり、完成したら俺たちを乗せろ。目指す場所は同じだ。……上層だ」
カレンの瞳に、強い光が宿った。
彼女は私の前に右手を差し出した。
油汚れと傷だらけの手。
「……交渉成立よ、ドクター。こき使ってやるから覚悟しなさい」
私がその手を握り返した時、アリアが機体のコクピット――ガラスのない吹きさらしの座席に座り込んでいるのが見えた。
彼女は操縦桿を握り、遥か頭上の天井を見上げていた。
その視線の先には、岩盤と鉄板で閉ざされた空があるはずだった。
「ヴェイン、見て」
アリアが私を呼んだ。
「この子、歌ってる」
「歌?」
「うん。『飛びたい』って。……『風を知りたい』って」
アリアが操縦桿にあるスイッチの一つを押した。
キュルルル……と、セルモーターが弱々しく回る音がした。
それはまるで、生まれてから一度も空を知らない雛鳥が、懸命に鳴いているかのように聞こえた。
「……よし、総員作業開始だ!」
私はコートを脱ぎ捨て、腕まくりをした。
バルガスがハンマーを鳴らし、ギルバートがチョークを片手に床に数式を書き殴り始める。
「エンジンは全部バラすぞ! 吸気バルブの研磨、ピストンリングの交換、それから燃料噴射のタイミング調整だ! 使えるパーツは全部持ってこい!」
「了解!」
レジスタンスたちの怒号のような返事が響く。
そこには、先ほどまでの悲壮感はなかった。
あるのは、不可能を可能にしようとする、馬鹿げた、しかし眩しいほどの情熱だけだった。
こうして、私たちは中層の地下深くで、翼を作る日々を始めた。
地上では処刑人形が徘徊し、教会の軍靴の音が近づいているとも知らずに。
これは、嵐の前の、最後の祝祭のような時間だった。
(続く)
次回予告
ヴェインたちの技術指導により、着々と改修が進む飛行機械「天翔る鯨」。
しかし、完成間近となったその夜、アジトに裏切り者が紛れ込んでいたことが発覚する。
情報を嗅ぎつけた教会の精鋭部隊「聖歌隊」が、地下格納庫への強行突入を開始。
爆破されるゲート、なだれ込む敵兵。
まだエンジン調整が終わっていない機体。
ヴェインは叫ぶ。
「ハッチを開けろ! ぶっつけ本番で飛ばすぞ!」




