第5章 広がる評判と王都の不協和音
カインとの出会いは、予想以上の速さで『迷い猫のキッチン』に変化をもたらした。
彼は言葉通り、頻繁に店に顔を出すようになった。そして、彼の率いる海猫商会のネットワークは凄まじかった。カインが何気なく「ポルト・ノーヴォに面白い店ができた」と取引先に漏らしただけで、噂はあっという間に近隣の町々へと広がっていったのだ。
週末になると、わざわざ遠くの町から馬車を乗り継いでやってくる客まで現れ始めた。彼らは初めて食べる唐揚げやオムライスに目を輝かせ、その美味しさを故郷に持ち帰って喧伝する。おかげで、寂れ果てていたポルト・ノーヴォの町全体が、目に見えて活気づいていった。宿屋は満室になり、市場には目新しい食材を求める人々が集まる。私の小さなレストランが、町の経済を回す起爆剤となっていたのだ。
「ロザ姉、すごいよ! 今日も満席だ!」
忙しく立ち働くレオの顔は、喜びに輝いている。ギデオンも、「お前のせいで静かに酒も飲めやしねえ」と憎まれ口を叩きながらも、その目尻は楽しそうに下がっていた。カインは、客として食事を楽しむ傍ら、鋭い視点で店の経営に的確なアドバイスをくれることもあった。
「ロザリンド、食材の仕入れルートを一本化しろ。俺の商会を使えば、もっと安く、安定して手に入る」
「客層が広がってきたな。そろそろ甘いもの……デザートの類も考えてみてはどうだ?」
彼の言葉は常に合理的で、的確だった。最初はビジネスライクな関係だと思っていたが、時折見せる穏やかな表情や、私の料理を本当に美味しそうに食べる姿に、私は少しずつ、彼という人間に惹かれ始めている自分に気づいていた。
一方、私が追放された王都では、不協和音が日増しに大きくなっていた。
原因は、もちろんユリウス殿下と聖女エリナだ。
私が管理していた頃は、予算内で完璧に運営されていた宮廷の食卓は、後任の者たちの能力不足と、エリナの際限ない「わがまま」によって見るも無残な状態に陥っていた。
「もっと豪華な食事がいいわ!」「このお肉は硬くて食べられない!」
エリナの一言で、高価な食材が無駄にされ、食費は天文学的に膨れ上がっていく。そのくせ、出来上がる料理の質は日に日に落ちていった。
かつてロザリンドが取り仕切っていた頃の、繊細でバランスの取れた献立は見る影もない。ただただ豪華で、大味なだけの料理。それは国内の貴族たちからの不評だけに留まらなかった。
先日、隣国から訪れた外交使節団をもてなす晩餐会で、事件は起きた。出された料理のあまりの質の低さに、使節団の長が「我が国を侮辱する気か」と激怒したのだ。一触即発の事態となり、ユリウス殿下はただ狼狽えるばかり。なんとかその場は収まったものの、両国の関係には大きな亀裂が入ってしまった。
ユリウスは苛立っていた。なぜ、こんなことに。ロザリンドがいた頃は、何もかもうまくいっていたはずなのに。彼女がいなくなっただけで、どうしてここまで歯車が狂ってしまうのか。彼は、自分が切り捨てたものの価値を、まだ本当の意味では理解できずにいた。
エリナはと言えば、「難しいことは分からないわ」と涙を浮かべるだけ。その涙に、ユリウスの心はまた簡単に絆されてしまう。
王都の腐敗と停滞。辺境の港町の活気と再生。
二つの場所のコントラストは、日を追うごとに鮮明になっていく。そして、その中心にはいつも、一人の追放された令嬢の作る、温かい料理があった。




