第4章 冷徹な商会長と禁断のオムライス
「迷い猫のキッチン」は、開店から一月も経たないうちに、ポルト・ノーヴォの名物となった。
ガッツリ系の唐揚げ定食は港で働く男たちの胃袋をがっちり掴み、日替わりで出す煮込み料理や焼き魚は、町の女子供にも大人気。寂れていた港町に、少しずつ活気が戻り始めていた。レオはすっかり看板息子として馴染み、ギデオンも常連として毎日のように顔を出しては、私の料理に満足げな顔をして帰っていく。
そんなある日の午後。店が少し落ち着いた時間帯に、カラン、とドアベルが鳴った。
入ってきたのは、一人の見慣れない男だった。歳は二十代半ばだろうか。上質な、しかし華美ではない仕立ての良い服を着こなし、鋭い銀の瞳は店内を値踏みするように一巡させた。腰にはサーベルを提げ、その佇まいには隙がない。ただ者ではない、という空気が全身から滲み出ている。
「いらっしゃいませ」
私が声をかけると、男はカウンターの一番端に腰掛け、メニューを一瞥もせずに言った。
「何か、腹にたまるものを。君が一番自信のある料理でいい」
その試すような物言いに、少しだけカチンとくる。しかし、客は客だ。私はにこやかに微笑んだ。
「かしこまりました。少々お待ちください」
何を作ろうか。唐揚げは昨日出したばかり。この男の雰囲気からして、ただのガッツリ飯では満足しないだろう。ならば、技術と繊細さが問われる、あの料理しかない。
私は手際よくフライパンを熱し、バターを溶かす。そこに細かく刻んだ鶏肉と玉ねぎを入れて炒め、香りが出てきたら米を投入。この世界では珍しい、赤いトマトを使った自家製のケチャップを絡めて、鮮やかなチキンライスを作り上げていく。
男は、私の流れるような手捌きを、興味深そうに、しかし表情は変えずにじっと見つめている。
そして、もう一つのフライパンに、新鮮な卵を三つ割り入れる。絶妙な火加減で、外側は固めつつ、内側はとろとろの半熟状態に仕上げるのがポイントだ。チキンライスを皿に盛り付け、その上に完成した半熟の卵を滑らせるように乗せる。最後に、ナイフで卵の中央にすっと切れ目を入れると――。
とろり、と黄金色の卵が広がり、チキンライスを優しく包み込んだ。
仕上げは、じっくりと時間をかけて煮込んだ特製のデミグラスソース。野菜と牛スジの旨味が凝縮された、深く、艶やかな茶色のソースを上からかければ、食欲をそそる芸術的な一皿、「ふわとろオムライス」の完成だ。
「お待たせいたしました。特製オムライスです」
目の前に置かれた一皿を見て、男の銀色の瞳がほんのわずかに見開かれた。彼はスプーンを手に取ると、まずデミグラスソースだけを少量すくい、テイスティングするように口に運ぶ。
「……ほう」
次に、卵とチキンライスを一緒にすくい、ゆっくりと咀嚼する。バターの香り、ケチャップの甘酸っぱさ、卵のまろやかさ、そしてデミグラスソースの深いコク。それら全てが口の中で完璧なハーモニーを奏でる。
彼は二口、三口と食べ進め、やがてスプーンを置くと、私をまっすぐに見た。
「美味い。驚いたな。こんな辺境の町で、これほどの料理が食えるとは」
初めて見せた、わずかな笑み。しかし、その瞳の鋭さは変わらない。
「俺はカイン。この町で小さな商会をやっている」
「カイン……様? もしかして、ポルト・ノーヴォを拠点とする『海猫商会』の?」
レオから噂は聞いていた。若くして一代で商会を築き上げ、その辣腕ぶりで町を牛耳っているという若きマスター。皮肉屋で冷徹だと恐れられているが、その商才は本物だと。
「その『様』はやめろ。むず痒い」
カインはそう言うと、懐から金貨を一枚取り出し、カウンターに置いた。オムライス一皿には、あまりにも高すぎる金額だ。
「これは投資だ。君の料理には、この町を変える力がある。……いや、この国さえも動かすかもしれん」
「……買い被りですわ」
「俺は確信のないことには金を払わん主義でな」
彼は立ち上がると、私の目をじっと見つめた。その銀色の瞳に吸い込まれそうだ。
「ロザリンド、と言ったか。君に興味が湧いた。また来る」
それだけを言い残し、カインは嵐のように去っていった。
カウンターに残された金貨と、空になった皿。
私は彼の射抜くような視線を思い出し、頬が少し熱くなるのを感じていた。
冷徹な商会長との出会いは、私のレストランが、ただの小さな店では終わらないことの予兆のように思えた。




