第2章 頑固な職人と黄金色のスープ
レストランを開くと決めたはいいものの、この廃屋はあまりにもひどい。まずは改装してくれる職人を探さなくては。町の人々に聞き込みをすると、誰もが口を揃えて同じ名前を挙げた。
「大工ならギデオンだ。腕は確かだが、ひどい頑固者で気難しいぞ」
その噂のギデオンの工房は、町の中心から少し離れた場所にあった。トントン、ギコギコという小気味よい音が聞こえてくる。中を覗くと、屈強な体つきをした初老の男性が、一心不乱に木材を削っていた。彫りの深い顔に刻まれた皺は、彼の気難しさと職人としての矜持を物語っているようだ。
「ごめんください。ギデオンさんはいらっしゃいますか?」
声をかけると、彼はちらりと私に視線を向けただけで、すぐに手元の作業に戻ってしまった。その視線には、値踏みするような色と、わずかな侮蔑が混じっている。きっと、私の身なりから元貴族だと見抜いたのだろう。
「……何のようだ、お嬢様。ここはあんたのような方が来るところじゃねえ」
「港の外れにある廃屋の改装をお願いしたいのです。あそこを、レストランにしようと思っています」
私の言葉に、ギデオンは遂に手を止め、フンと鼻を鳴らした。
「レストランだと? あんたが? ままごとのつもりか。悪いが、お嬢様の気まぐれに付き合っている暇はねえんだ。帰んな」
けんもほろろな態度。噂通りの頑固者だ。普通の交渉では埒が明かないだろう。ならば――。
私は一礼して、その場を一旦引き上げた。しかし、諦めたわけではない。彼の心を動かすには、言葉よりも確かなものが必要だ。
私は町の市場へ向かい、有り金で野菜と、保存食用の干し肉を買った。この世界の野菜は、どれも生命力に溢れていて味が濃い。ジャガイモ、人参、玉ねぎ、そしてカブ。廃屋に戻り、なけなしの荷物の中から小さな鍋を取り出す。幸い、井戸水はまだ生きていた。
私が作るのは、前世の記憶にある家庭料理「ポトフ」。特別な技術はいらない。けれど、素材の味を最大限に引き出し、心を込めて作れば、きっと最高の料理になる。
大きく切った野菜と干し肉を鍋に入れ、水を注いで火にかける。この世界にはコンソメなんて便利なものはないけれど、干し肉から良い出汁が出るはずだ。あとは、塩と、市場で見つけたハーブを少し。ことことと、時間をかけてゆっくり煮込んでいく。
やがて、廃屋の中に、野菜と肉の優しい香りが満ち始めた。それは、孤独だった私の心を温め、同時に、空腹を刺激する香りだった。
十分に煮込まれ、野菜がとろとろになった頃合いを見計らって、私は出来上がったスープを器によそい、再びギデオンの工房へと向かった。
「……また来たのか。話は聞かねえと言ったはずだ」
相変わらず不機嫌そうなギデオンに、私は黙ってスープの入った器を差し出した。
「これは?」
「賄賂です。これを召し上がって、それでも私の依頼を受ける気になれないのでしたら、潔く諦めます」
ギデオンは訝しげな顔で私と器を交互に見たが、やがて諦めたようにそれを受け取り、スプーンを口に運んだ。
その瞬間、彼の目が見開かれる。
ゴクリ、とスープを飲み込んだ彼の喉が大きく動いた。そして、もう一口、また一口と、夢中になってスープを飲み干していく。
干し肉の旨味が溶け出した黄金色のスープ。じっくり煮込まれて甘みを増した野菜たち。それは、ただ温かいだけではない。体中に染み渡るような、深く、優しい味わい。
前世の記憶では、疲れた夜に母が作ってくれた、あの味によく似ていた。
全て飲み干したギデオンは、しばらく黙って空の器を見つめていた。その頑なだった表情が、ほんの少しだけ和らいで見える。
「……悪く、ねえな」
ポツリと漏らされた言葉に、私は心の中でガッツポーズをした。
「長年、一人で冷たいパンばかりかじってきた。こんな温かいもんを食ったのは、何年ぶりだろうか……」
彼は寂しそうにそう呟くと、顔を上げてまっすぐに私を見た。
「……お嬢様。あんた、本気なんだな」
「はい。美味しいもので、この町の人たちを笑顔にしたい。それが私の夢です」
私の言葉に嘘がないことを、彼はスープの味から感じ取ってくれたのだろう。
ギデオンは、ふっと息を吐くと、照れくさそうに頭をかいた。
「……分かった。そのレストラン、俺が作ってやる。ただし、だ。飯付きの契約でどうだ?」
「はい、喜んで!」
最高の笑顔で答えた私に、ギデオンは初めて、皺くちゃの笑顔を見せてくれた。
頑固な職人の心を溶かしたのは、黄金色の温かいスープだった。私のレストランは、こうして最初の理解者を得たのだった。




