番外編1 元王子の空っぽな食卓
北の辺境にある小さな屋敷。廃嫡されたユリウスは、そこで静かな日々を送っていた。いや、静かというよりは、虚無に近い。
夕食の時間。テーブルに運ばれてきたのは、いつもと同じ、味のしない薄い野菜スープと、石のように硬い黒パンが一切れ。彼はそれを、何の感情も浮かべないまま口に運ぶ。
まずい。
そう思うたびに、彼の脳裏には鮮やかに蘇る記憶があった。
ロザリンドが婚約者だった頃の、宮廷の食卓。季節ごとに計算され尽くした完璧な献立。絶妙な火加減で焼かれた肉料理。素材の味を最大限に引き出した繊細なソース。彼女が管理していた厨房は、まるで魔法のように、毎日最高の美食を生み出していた。
あの頃、自分はそれを当たり前のものだと思っていた。感謝の一つも口にしたことがなかった。
そして今、噂で聞こえてくる『迷い猫のキッチン』の話。
聞いたこともないような、しかし誰もが絶賛する料理の数々。黄金鶏の唐揚げ、ふわとろオムライス、至高の海鮮丼、みんなのカレーライス……。
名前を聞くだけで、空っぽの胃がきゅうっと締め付けられるような気がした。
人々が、彼女の料理を食べて笑顔になるという。活気にあふれているという。
それは、エリナの隣で自分が手に入れようとしていた、偽りの賞賛とは全く違う、本物の光景なのだろう。
ユリウスは、手元の硬いパンをかじりながら、窓の外の寂しい景色を眺めた。
エリナを選んだ時、自分は恋を選んだのだと思っていた。だが、本当にそうだっただろうか。自分はただ、完璧すぎるロザリンドがいつも息苦しくて、自分の意のままになる、か弱くて愛らしい人形が欲しかっただけではなかったか。
自分が切り捨てたのは、一人の女だけではなかった。
国の安定、民からの信頼、そして、心からの温かい食事。
失ったものの大きさを、彼は今、このどうしようもなく満たされない空っぽの胃袋で、毎日毎日、痛感し続けている。
後悔するには、あまりにも遅すぎた。スープの最後の一滴を飲み干しても、彼の心と体は、決して満たされることはなかった。




