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成れの果て

掲載日:2025/12/10

大人になるということは嫌な人間になることだ



「山田さん、ちょっといいですか」


コンプライアンス室の扉をノックする音が、午後三時の静寂を破った。山田誠一は書類から目を上げ、小さく息を吐いた。三十八歳。髪に白いものが混じり始め、目の下にはくっきりとした隈がある。


「どうぞ」


入ってきたのは、経理部の若手社員、田中だった。二十代半ばの彼は、汗ばんだ顔で資料の入ったクリアファイルを握りしめている。その手が小刻みに震えていた。


「あの、相談があって……」


田中の声は掠れていた。山田は椅子から立ち上がり、扉を閉めた。こういう時の相談は、たいてい厄介なものだ。十五年のキャリアが、それを教えてくれる。


「座ってください。お茶でも淹れましょうか」


「いえ、大丈夫です」


田中は椅子に腰を下ろすと、クリアファイルから数枚の書類を取り出した。それは経理データのコピーだった。山田は一目でそれが何を意味するのか理解した。不正な会計処理の証拠だ。


「これ、先月の海外支社との取引なんですけど……数字が合わないんです」


田中の指が、赤いボールペンで囲まれた箇所を指す。確かに、売上計上のタイミングがおかしい。通常なら翌期に計上すべき収益が、今期に前倒しで処理されている。金額は三億円。決して小さくない数字だ。


「課長に報告したんですが、『気にするな』って。でも、これって明らかに……」


「粉飾決算ですね」


山田は冷静に言った。田中の顔が青ざめる。


「やっぱり、そうですよね。僕、どうすればいいんでしょうか。このまま黙っているべきなんでしょうか」


山田は田中の目を見た。そこには純粋な正義感と、同時に深い恐怖があった。かつて自分も同じ目をしていた。


二十年前、大学を卒業したばかりの山田誠一は、正義感に燃えていた。司法試験に落ちた後、彼が選んだのは企業のコンプライアンス部門だった。法律で人を助けられないなら、せめて企業の内側から不正を正そうと考えた。


「汚い大人たちを正す。それが俺の使命だ」


新入社員研修の自己紹介で、そう宣言した。周囲は苦笑したが、山田は本気だった。弱きを助け、強きを挫く。それが正義だと信じていた。


最初の五年は、その信念を貫けた。小さな不正を見つけては報告し、改善させた。社員の不当な扱いには声を上げ、パワハラ上司を異動させることもあった。上司からは「面倒な奴」と煙たがられたが、現場の社員たちからは感謝された。


それが変わり始めたのは、課長に昇進してからだった。


### 2


「山田君、現実を見なさい」


当時の部長、佐々木はそう言った。佐々木は温厚な人物だったが、その目には深い諦念があった。


「君が正しいのは分かる。でもね、正義だけで会社は回らないんだよ」


それは、ある下請け企業との取引に関する不正疑惑の調査をしていた時だった。明らかに発注側の優位性を利用した、不公正な取引条件。山田は是正を主張したが、佐々木は首を横に振った。


「その下請けとの関係を切ったら、製品の納期が守れなくなる。納期が遅れれば、取引先との契約違反だ。違約金は十億を超える。それだけじゃない。信用を失えば、他の取引先も離れていく」


「でも、それは……」


「正しくない。分かっている。でもね、山田君。君が正義を貫いた結果、会社が傾いたら、ここで働く三千人の社員はどうなる? 彼らの家族は? 合わせれば一万人以上の人生に関わる問題なんだよ」


山田は反論できなかった。正義と現実の間には、想像以上に深い溝があった。


それでも、山田は自分なりの正義を探そうとした。完璧ではなくても、少しずつ改善していけばいい。そう信じて、妥協点を探る日々が続いた。


しかし、転機は突然訪れた。


五年前、山田が部長に昇進した直後のことだ。会社は業績不振に陥っていた。主力製品の売上が落ち込み、株価は下落を続けていた。そんな中、経営陣は新規事業への大型投資を決定した。


「この投資が失敗すれば、会社は終わりだ」


社長の言葉は、社内に緊張を走らせた。そして、その投資を成功に見せかけるため、様々な会計上の「工夫」が始まった。


売上の前倒し計上。費用の先送り。子会社との不透明な取引。グレーゾーンぎりぎりの手法が、次々と実行された。


コンプライアンス部長として、山田のもとには内部告発が相次いだ。しかし、経営陣からの圧力も強まった。


「山田、分かっているな。今、問題を大きくしたら、会社が潰れる」


専務の言葉は、脅しではなく事実だった。財務状況を知る山田には、それが痛いほど分かった。


そして、山田は選択を迫られた。


正義を貫いて会社を告発するか。会社を守るために目をつぶるか。


彼が選んだのは、第三の道だった。


「問題を、なかったことにする」


### 3


最初の「処理」は、製造部の中堅社員からの告発だった。工場での安全基準違反について、詳細な証拠とともに内部通報があった。


山田は調査を開始した。しかし、その結論は「問題なし」だった。


実際には問題があった。しかし、山田は報告書にこう記した。「一時的な手続きの遅れはあったが、安全性に影響はなく、既に是正済み」


告発者を呼び出し、山田は説得した。


「君の指摘は正しい。でも、今これを表沙汰にすれば、工場は閉鎖を余儀なくされる。そうなれば、五百人の工場労働者が職を失う。君の家族も、同僚の家族も、みんなだ」


「でも、このままじゃ……」


「既に是正した。今後も厳しく監視する。約束する」


告発者は渋々納得した。そして、山田は証拠書類を「適切に保管」した。つまり、誰にも見つからない場所に隠した。


それが始まりだった。


次は、取引先との癒着疑惑。その次は、パワハラ問題。そのまた次は、製品データの改ざん。


一つ一つは小さな不正だった。しかし、それらを積み重ねることで、会社は何とか持ちこたえていた。そして、山田はその「処理」の専門家になっていた。


彼の手法は巧妙だった。


まず、告発者の話を親身になって聞く。共感し、理解を示す。そして、会社の現状を丁寧に説明する。不正を正すことの正当性を認めつつ、それによって生じる「より大きな被害」を示す。


「あなたは正しい。でも、正しさだけでは救えない人たちがいる」


良心を痛めながらも、告発者の多くは沈黙を選んだ。そして、山田は証拠を消し、問題を「解決」した。


社内での山田の評価は上がった。「トラブルシューター」「火消し役」「頼れる部長」。経営陣からの信頼は絶大だった。


しかし、山田自身は何かが削れていくのを感じていた。


### 4


そして今、目の前には田中がいる。


山田は書類を受け取り、じっくりと目を通した。やはり、粉飾だ。しかも、かなり悪質な部類に入る。


「田中さん、これは重大な問題ですね」


山田の言葉に、田中は希望を見出したような表情を見せた。


「ですよね! やっぱり、これは報告すべきですよね」


「ええ、報告すべきです」


山田は穏やかに微笑んだ。田中の顔が明るくなる。


「ただ、その前に、いくつか確認させてください」


山田はパソコンを開き、財務データを呼び出した。そして、田中に画面を見せた。


「これが、現在の当社の財務状況です」


画面には、厳しい数字が並んでいた。自己資本比率は危険水域に近い。借入金は増加し、営業利益は減少している。


「今期、もし業績予想を下方修正すれば、銀行からの借入条件が悪化します。最悪の場合、貸し剥がしが起きる可能性もある」


「それって……」


「会社が潰れる、ということです」


田中の顔から血の気が引いた。


「当社には三千二百名の社員がいます。その家族を含めれば、一万人以上。関連する下請け企業まで含めれば、影響を受けるのは数万人規模です」


山田は一つ一つ、丁寧に説明した。会社が倒産すれば、社員は解雇される。退職金も満額は出ない。再就職も、この年齢では難しい。住宅ローンを抱えた人は破産するかもしれない。子供の教育費が払えなくなる家庭もあるだろう。


「田中さん、あなたには両親がいますね」


「え、はい……」


「お父様は当社のOBだと聞いています。企業年金を受け取っていますよね」


田中は黙って頷いた。


「会社が潰れれば、企業年金も止まります。お父様の老後はどうなりますか」


「それは……」


田中の手が震えた。書類を握りしめる指が白くなっている。


「もちろん、あなたの指摘は正しい。これは不正です。でも、今それを表に出すことが、本当に正しいことなのか。よく考えてみてください」


山田は立ち上がり、窓の外を見た。夕日が、ビルの谷間に沈もうとしている。


「正義には、責任が伴います。正しいことをした結果、誰かが不幸になるなら、その責任はあなたが負うことになる。それでも、あなたは告発しますか」


沈黙が流れた。長い、長い沈黙だった。


「……どうすれば、いいんでしょうか」


田中の声は、震えていた。


「まず、この書類は預からせてください。私が適切に保管します」


山田は手を差し出した。田中は迷ったが、やがて書類を手渡した。


「それから、この件については、誰にも話さないでください。あなたの課長も、すでに状況を理解しています。みんな、会社を守るために必死なんです」


「でも、これは……」


「不正です。分かっています。でも、今は時期が悪い。もう少し待ってください。業績が回復すれば、きちんと是正します。約束します」


山田は田中の肩に手を置いた。


「あなたは正しいことをしようとした。それは素晴らしいことです。でも、正しさにも優先順位があります。今は、三千人の社員を守ることが、最優先なんです」


田中は泣きそうな顔で頷いた。そして、よろよろとした足取りで部屋を出ていった。


一人になった山田は、椅子に深く座り込んだ。


また一つ、嘘をついた。


業績が回復しても、この不正が是正されることはないだろう。それは山田が一番よく知っていた。


### 5


午後七時。ようやく仕事が終わり、山田は会社を出た。


電車の中で、山田は今日の出来事を反芻した。田中の顔が頭から離れない。あの震える手。苦悩する表情。


かつての自分を見ているようだった。


二十年前、正義に燃えていた自分。汚い大人を軽蔑し、弱者を守ると誓った自分。


その自分は、どこへ消えたのだろう。


家に着くと、妻の由美が夕食の支度をしていた。


「お帰りなさい。今日も遅かったわね」


「ああ、ちょっとトラブルがあってね」


山田は曖昧に笑った。由美は何も聞かなかった。夫の仕事のことは、あまり聞かないようにしている。聞いても、ろくなことを言わないと知っているからだ。


「パパ、お帰り!」


小学五年生の娘、美咲が駆け寄ってきた。


「ただいま。宿題は終わったか?」


「終わった! ねえ、明日の社会科見学、お弁当作ってくれる?」


「もちろんだ」


由美が笑顔で答えた。山田は娘の頭を撫でた。


夕食は、いつも通りの団欒だった。娘は学校での出来事を楽しそうに話し、妻はそれに相槌を打つ。山田も笑って聞いていた。


この平穏な日常。これを守るために、自分は戦っているのだ。そう思うことで、山田は自分を正当化した。


食後、風呂に入った山田は、洗面所の鏡に映る自分の顔を見た。


疲れた顔だった。目の下の隈は深くなり、頬はこけている。かつての正義感に満ちた若者の面影は、もうどこにもなかった。


鏡の中の自分は、まるで別人のようだった。


そして、ふと思い出した。


大学時代、就職活動をしていた時のことだ。面接で、ある大企業の人事担当者と話した。五十代の男性で、疲れた表情をしていた。


「君は正義感が強いようだね」


「はい。不正を許さない社会を作りたいんです」


その人事担当者は、苦笑した。


「若いね。でも、社会に出れば分かるよ。正義なんて、所詮は理想論だ。現実は、もっと複雑なんだ」


当時の山田は、その言葉を軽蔑した。こんな大人にはなりたくない。嘘をつき、不正を隠し、保身に走る大人に。


しかし今、鏡の中の自分は、あの人事担当者と同じ顔をしていた。


疲れて、諦めて、嘘をつく顔。


「俺は……何をしているんだ」


山田は小さく呟いた。


いつから、こうなってしまったのだろう。正義を守るつもりが、いつの間にか不正を隠す側になっていた。


でも、これは仕方ないことなのだ。誰かが犠牲にならなければならないなら、少数の正義より、多数の生活を守る方が正しい。


そう自分に言い聞かせた。


寝室に戻ると、妻と娘はすでに眠っていた。


由美は穏やかな寝顔で、娘は口を少し開けて無邪気に眠っている。


この二人を守るため。この平穏を守るため。


山田は自分に言い聞かせた。何度も、何度も。


しかし、心の奥底では、小さな声が聞こえていた。


「お前は、ただの臆病者だ」


「正義を貫く勇気がないだけだ」


「都合の良い言い訳をして、自分を騙しているだけだ」


山田はその声を押し殺した。


明日も、また嘘をつきに行く。また誰かを説得し、証拠を隠し、不正を「なかったこと」にする。


それが自分の仕事だ。それが、現実というものだ。


山田は布団に潜り込み、目を閉じた。


しかし、なかなか眠れなかった。田中の顔が、頭の中で繰り返し浮かんでくる。あの震える手。あの苦悩する表情。


やがて、浅い眠りに落ちた山田は、夢を見た。


大学時代の自分が、現在の自分を見つめている夢だった。


「お前は何をやっているんだ」


若い自分が、問いかけてくる。


「汚い大人になるなって、誓ったじゃないか」


「弱者を守るって、言ったじゃないか」


「なのに、お前は今、何をしている」


山田は答えられなかった。言い訳をしようとしたが、声が出なかった。


若い自分は、軽蔑の目で山田を見つめた。


「お前は、俺が一番なりたくなかった人間になった」


その言葉で、山田は目を覚ました。


時計を見ると、午前三時だった。隣では、妻が静かな寝息を立てている。


山田は起き上がり、リビングに向かった。冷蔵庫から水を取り出し、一気に飲み干した。


ソファに座り、暗闇の中でぼんやりと考えた。


自分は間違っているのだろうか。


会社を守り、社員を守る。それは正しいことではないのか。


でも、そのために不正を隠し、告発者を黙らせる。これは正しいことなのか。


答えは出なかった。


山田は窓の外を見た。夜明け前の街は、静まり返っている。


あと数時間すれば、また朝が来る。


そして、また会社に行き、嘘をつく。


それが、山田誠一の日常だった。


### 6


翌朝、山田は普段通りの時間に起床した。


妻が作った朝食を食べ、娘を見送り、スーツを着て家を出る。


電車の中では、スマートフォンでニュースをチェックした。企業の不正が発覚したという記事が目に入った。大手メーカーが、製品データを改ざんしていたという。


「また一つ、不正が明るみに出たのか」


山田は他人事のように思った。


しかし、記事を読み進めるうちに、胸が苦しくなった。その会社のコンプライアンス部長が、自殺したという。遺書には「もう耐えられない」と書かれていたそうだ。


山田は記事を閉じた。


会社に着くと、すぐに経営会議があった。業績報告と、今後の方針についての議論だ。


「山田部長、例の件はどうなった」


専務が尋ねた。「例の件」とは、昨日田中が持ち込んだ粉飾決算の件だ。


「問題ありません。適切に処理しました」


山田は淡々と答えた。専務は満足そうに頷いた。


会議が終わり、自室に戻ると、また新たな内部通報が届いていた。今度は、海外子会社での贈賄疑惑だ。


山田は深いため息をついた。


また、嘘をつかなければならない。


電話が鳴った。社長からだ。


「山田君、ちょっと来てくれないか」


社長室に向かうと、社長は厳しい表情で座っていた。


「山田君、君には本当に助けられている」


「恐縮です」


「でも、少し心配なんだ。君、最近疲れているように見える」


山田は驚いた。自分では隠しているつもりだった。


「大丈夫ですか? 無理をしていないか」


「いえ、大丈夫です」


社長はじっと山田を見つめた。


「山田君、君がいなければ、この会社は持たない。でも、君が倒れても困る」


「ご心配なく」


「そうか……。でも、あまり抱え込むなよ。コンプライアンスの仕事は、精神的に辛いだろう」


社長の言葉は、意外にも優しかった。山田は少し驚いた。


「ありがとうございます」


部屋を出る時、社長が最後に言った。


「山田君、君は良い仕事をしている。それは、間違いない」


その言葉が、山田の心に重くのしかかった。


### 7


夕方、山田は久しぶりに大学時代の友人、高橋と飲みに行くことにした。


高橋は弁護士として独立し、企業法務を専門にしている。たまに会っては、仕事の愚痴を言い合う仲だ。


居酒屋で、二人は生ビールで乾杯した。


「最近、どうだ?」


高橋が尋ねた。山田は曖昧に笑った。


「相変わらずだよ。火消しばかりだ」


「大変だな。でも、お前の会社、最近業績厳しいんだろ?」


「ああ……まあ、何とかやっているよ」


高橋は真剣な顔になった。


「お前、無理していないか? 顔色が悪いぞ」


「大丈夫だ」


「本当か? お前、昔は正義感の塊だったのに、最近は何だか元気がないな」


山田は黙った。


高橋は続けた。


「俺も弁護士として、いろんな企業を見てきた。コンプライアンス部門の人間が、どれだけ辛い立場にいるかも知っている」


「……ああ」


「でもな、お前は本当に大丈夫か? 自分を見失っていないか?」


その言葉が、山田の胸に刺さった。


「俺は……大丈夫だ」


「そうか」


高橋はそれ以上追及しなかった。


帰り道、山田は一人で歩いた。酒が回り、頭が重い。


街灯の下で、ふと立ち止まった。


自分を見失っているのか。


確かに、昔の自分とは違う。正義を語り、理想を追いかけていた頃の自分とは。


でも、それは成長したということじゃないのか。現実を知り、大人になったということじゃないのか。


山田は自分に言い聞かせた。


しかし、心の奥底では、別の声が聞こえていた。


「お前は、ただ逃げているだけだ」


家に帰ると、妻と娘はもう寝ていた。


山田は再び洗面所の鏡を見た。


疲れた顔。嘘をつく顔。


かつて軽蔑していた「嘘をつくエリート」そのものの顔。


山田は鏡に向かって、小さく呟いた。


「ごめん」


誰に謝っているのか、自分でも分からなかった。


若い頃の自分にか。騙してきた人々にか。それとも、今の自分自身にか。


寝室に戻ると、娘が小さな寝息を立てていた。無邪気な寝顔。


「パパは、お前を守っているんだ」


山田は小さく呟いた。


でも、その言葉は、どこか虚しく響いた。


布団に入り、目を閉じた。


明日も、また嘘をつきに行く。


また誰かを説得し、証拠を隠し、不正を「なかったこと」にする。


それが、山田誠一の仕事だった。


それが、正義の味方の成れの果てだった。


かつて理想を追いかけた若者は、今や組織の犬となり、不正を隠す名人となっていた。


でも、それでいいのだ。


そう自分に言い聞かせながら、山田は眠りに落ちた。


しかし、心の奥底では、小さな声が消えることはなかった。


「お前は、間違っている」


その声を押し殺しながら、山田誠一は今日も、明日も、嘘をつき続ける。


三千人の社員のため。


家族のため。


そして何より、自分自身の臆病さから目を背けるために。


(了)

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